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追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい  作者: まさつき
12 思いがけない帰郷

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前編 放たれる追手

 仄暗い筆頭神官の執務室でマーロは独り、窓辺に佇んでいた。


 天井の魔灯は消してある。書類を照らす卓上灯も申し訳程度にしか点けていない。思索の邪魔になるからだった。


 常人であれば闇を照らす魔力頼みの照明を好ましく感じるだろう。だが、魔力の波動に敏感な神聖術師にとっては、時に気持ちを逆撫でされる。今宵のマーロにとっては、ことさらに。


 いつもならとうに眠る時刻だった。しかし睡眠など、治癒術で自身の気脈を整えれば、数日程度であればどうとでもなる。


 ――あの護衛二人には、しばらく暇を出そう。正気を取り戻してからのあの怯えよう……少し〝薬〟が効きすぎたか。


 ウェルビスの娘、スティナ……あれは面倒だが、自分が少しずつ治療してやるほかあるまい。寄進は……まけてやるしかないだろう。


 いまいましいが、あのオークの力は認めざるを得ない。わずかな時間で背中の痘痕あばたを消し去るとは――だが、当然だ。アーリア様の力を受け継いでいるのだから……。


「おぞましい、オークめ……」


 必ず消し去らねばならぬと、マーロは己が誓いを新たにした。オークは、根絶やしにせねばならぬ。


〈血の狂乱〉――香木に仕掛けたほんの数滴で、あれほどの効果があったのだ。秘薬はもう一本ある。オークが一人で森に住んでいたはずがない。必ずどこかに集落がある。先の戦争を生き延びて身を潜めている、下劣な亜人どもめが――


 ふいに、青年神官の思索を遮る音が数度鳴った。扉を叩く乾いた音が響く。


「入れ」


 わずかに開かれた扉の隙間から、黒服の男が音もなく執務室に入った。口も鼻も黒布で覆われ、眼ばかりが光って闇に浮く。


「――おまえか。オークの様子はどうか?」

「特には。遠くに人影を見ては逃げるばかりで。怯えているようです」


 十歳、だったか。なりは大きいが、中身はやはり子供だな――


「……別の動きがございます」

「なんだ? ムムカか、ドミナか」


 謹慎を言い渡されている護人長と魔女だが――オクオに肩入れしてきた二人だ。そのうち何かしでかすのではと、マーロは密偵を差し向けていた。それにしては動きが早い。マーロは訝しく思いながら男の答えを待った。


「ミルカです。護人長の娘が街を出ました」


 ――娘?


「……どうやって。万一にもオークが戻らぬよう、城壁の警備を厳重にとのハドリス殿の通達があったろう?」

「報告によれば、ミルカは銀色の魔獣を駆って、魔女の館から空へ消えたと――」


 オースベルクの街中に魔獣などいるはずがない――ならば。


「魔獣……銀……それは翼のある馬ではなかったか?」

「はい、確かにそのような報告が……」


 ――魔女の魔道具か。ドミナめ。


「ムムカ殿の元へ行く。馬車を回せ。支度を急げよ」

「こんな時間にですか?」

「娘の命が危ない――そう聞けば、あの父親なら動く。こんな時間でもな」


 ――これで、長い夜がようやく明ける。すべてに始末が付けば、迷い込んだ闇の道とも決別できる。


 言い知れぬ昂りをマーロは覚えた。戦に赴く先人たちの高揚とは、このようなものであったのだろうか――マーロの足取りに力がこもる。快活な靴音が闇の中に鳴り渡る。硬い残響は背に遠くなり、やがて――消えていった。



    §


 草木すらとうに眠る時刻となっていた。目覚めているものがあるとすれば、夜行性の動物か、闇に生きる妖魅の類か。執務室を煌々と明かり照らしたまま、ムムカはせわしなく室内を歩き回る。徹夜が身に堪える年だ。仮眠をとろうかと部屋を移ろうとして、しかしそのたびに思い止まってしまう。


 ミルカの帰りが、遅いのだった。本当に戻ってくれるのだろうか。あの子の気性だ、もしかして――


 戸を叩く音がした。一瞬、愛しい娘かと思ったが気配が違う。男が二人――そんなところであろう。


「なんだ、こんな時間にっ!」ついうっかり、苛立ちをぶつけてしまう。


「神殿からマーロさんがお見えです。旦那に急ぎの話があるとかで」


 扉を開けて顔を見せたのは、腹心の護人コーディだった。扉が押し開かれ、コーディの陰から金髪の美青年が現れる――神殿の筆頭神官、マーロだ。


 コーディが部屋から立ち去るのを確かめてから、マーロは急ぎの話を切り出した。


「こんな時間で申し訳ない。しかし、ムムカ殿にはお知らせせねばと……ミルカさんのことです」


 なぜこの男が――昂る気持ちを抑え込み、ムムカは低く訊いた。


「娘が……どうした?」

「ドミナ様から魔道具を借りて、街を出ました。オークを追うつもりなのでしょう。失礼ですが……お嬢様は、オクオさんと親しくされていたのでは?」


 やはり、そうなったか……しかし。


「まあ、な。――だがなぜ、神官のあなたがそんなことを知りえる?」

「オクオさんの動向を探るうちにミルカさんのことは、自然と。不幸な出来事で追放したとはいえ、我々としてもオークの監視は怠れません。神殿にとっては、いまだ脅威ではあるのです」


 筋は通っているように聞こえるが。


「ふんっ――ならば、ハドリス殿の言うように死罪にすればよかったではないか」


 皮肉混じりに揺さぶりをかけてみる。その磁器のような綺麗な顔に、ほころびの一つも見せるだろうか。


「神の教えは尊ぶべきもの。おろそかにはできません。しかし、現実は現実です――監視などしたくはありませんが、折り合いはつけねば。それに……」


 泰然自若として、マーロは答えた。間を少しおいて、


「オークに攫われた者の末路を、ムムカ殿もご存じでしょう?」


 かけてきている、圧を。この俺に、小童めが――


「……娘が、かどわかされるとでも?」


 マーロはムムカの問い返しには応じなかった。状況を人質にでもするようにして、さらにムムカを圧してくる。


「西の森のどこかに、隠れ里があるはずです。もし、ミルカさんが里へ連れ去られたとしたら……あまりその先を、考えたくはありませんが」


 マーロの声に気の昂りが滲むのを、ムムカは見逃さなかった。やはり、まだ青い。英邁なのは確かだが、衝動を抑えきれないらしい。若いな――だが、これは乗ってやるべきではないのか。


「まるでオクオを追って里ごとオークを根絶やしにしたい――そんな風に聞こえるが。マーロ殿、それこそ教義に反するのでは?」


〝人語を解する者は皆等しく愛せよ〟だ。さて、どう答える?


「私が甘かった。残念ながら、教えだけでは救えない命があるのだと知りました」


 現実主義を装うということか。その衣の下はつまり……。オクオを免じたのも、そのためなのだな――


「いずれにしろ、ミルカは助けねばならん。追跡隊は、出そう」


 ミルカがオクオを追ったのは事実だろう。知った以上は、こちらも動かないわけにはいかない。しかし、マーロの思い通りにさせるつもりも、ムムカには無い。


「出来るだけの備えはする。だが、里の規模が分からん。ミルカを取り戻すことが優先だ。無傷でな。その上でオークたちにどう対処するかだが――この土地での戦は、俺たち護人の領分だ。荒事は神殿の領分ではなかろう、まかせてもらおうか」


 謀略はお得意のようだが、この優男に戦働きは勤まるまい。


「――分かりました。しかし、私も同行します」

「戦いになれば、癒しの力は助けになる。こちらからもお願いする」


 断ったところで、ねじ込んでくるに違いない。ここは思惑に、乗ってやろう。


「まずは十年前、聖女アーリアが修行で訪れていた〝清めの泉〟を目指しましょう。西の森へ、私もアーリア様の付き人として訪れたことがありますから。そこを起点にオークを追えば、ミルカさんの元へ辿り着けるはずです」


 アーリア――十年前にオークに攫われ、殺されたという巫女か。どうやら、そのあたりにオークへの執着の元があるらしい。くそっ……こんなことなら、もっとミルカからオクオとの話を聞いておくのだったな――


「そうか――では、案内は頼もう。夜明けまでには出立できるよう整える。マーロ殿もそのつもりで、支度を急がれたい」

「承知しました。神殿からも護衛を出します。夜明けの開門とともに出立、西門で落ち合うということで。よろしいですか?」


 ムムカは深く首肯する。見届けてマーロはさっと立ち上がり、用は済んだとばかりに礼をして、ムムカの元を立ち去った。


 神殿での支度も、すでに進めているのだろう。さて、こちらは――



    §


「若造の筋書きに乗るのはよいとして――コーディ、聞いていたな。悪いが夜勤明けの休暇は無しだ」


 ふっと気配が増す。部屋を去ったはずのコーディが、執務室の物陰から現れた。


「へい、旦那。追跡隊は俺がまかされるってことで、よろしいんで?」

「人選も頼む。俺はここから動けん。マーロはやる気満々らしいが……戦いは、避けろよ。編成は多くても二十人、てとこだろう」


 ムムカの前で指折りして数えながら、コーディは頭をひねった。もう誰を隊に加えるのか、当てをつけているのだろう。


「森の縁までは馬で行け。速歩で十分、一日詰められるだろうが――馬は潰すなよ」

「森に着いてから、泉とやらへは歩くとして――その先は?」


 そうか、弟分として付き合ってきたコーディでも、直接オークを知る世代ではもう無かったか――知る限りのことは、伝えておく必要がありそうだ。


「まずは斥候の仕事だな。気をつけろよ、オークの罠は巧妙だ。里への道は隠された上に、危険な仕掛けだらけだろう。だが、それを追うしかない――」


 ムムカは、かつて経験したオーク狩りで得た知識を、手短ながらコーディに伝えた。森は彼らの庭も同然、一対一では絶対に仕掛けるな、そもそも戦おうとしないこと、戦闘種族とまともにやり合って勝ち目は――云々と。


「承知――お嬢さんは必ず」

「成り行き次第で、マーロは何かやらかすだろう。目を離すな。あとは――」


 ムムカは目を閉じ考え込む。コーディにまかせるとは言ったが、どうしても気が逸る――なのにうっかり、ムムカは舟を漕ぎかけた。がくりと、首が落ちそうになる。


「旦那……」

「なんだ?」

「ひでえ顔だ。少しは休んでくださいよ」


 声を掛けられ目を開けると、腹心の男に顔を覗き込まれていた。


「うるせえ。こんなときに休んでられるか。どうせ謹慎の身だ……」


 だが、眠気を自覚してしまうと、どうにも抗えないことに気づく。徹夜に耐えられる歳などは、とうに遠く過ぎている。


「――いや、悪い、少し眠るか。こんなことならオクオの施術を、俺も受けときゃよかったな……」

「ですね。俺は成り行きで、二度世話になりましたけど――最高でした」


 あんな気のいい奴が、やさしさが服を着て歩いているような男が――獣欲に狂ったなどと、未だに信じることができない。


「見送りも出来んが――オクオをよ、頼んだぜ」

「へい、それも承知です――」


 コーディとそう言いかわして、ムムカは立ち上がる。コーディも追跡隊の編成を始めようと部屋を出ていく。


 仮眠の寝台に横たわりかけて、ムムカは襲い掛かる睡魔を振り払った。


 執務の机に座りなおす。


「ハドリスに一筆したためておくか――」呟いてムムカは、重たげにペンを取り上げ墨壺を開けた。


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