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追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい  作者: まさつき
10 災いの影

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20/26

後編 神殿からの依頼

 小麦農家への初出張を終えてから、半月ほどが過ぎていた。


 多忙を極める日々を、オクオは送っている。一日おきに施療院での仕事と出張施療を交互にし、オクオは街中を飛び回るようにして働いていた。


 それもほとんど、一人でだ。


 オースベルクの街は広い。二本の川を有する水運の要衝だ。訪れたことのない地域は多いし、未だ赴くのに不安のある場所もある。しかし、そうした行く先ではない限り、オクオは一人で依頼主の元へ出向くようになっていた。


 人々がオクオ見る目も変わった。訝し気な視線を向ける者はまだ多いが、怯えて避けられるようなことはなくなった。そうした空気を肌で感じて、ようやく街に馴染めてきたのかもしれないと、オクオは日々をかみしめている。


 今日もまたオクオは、とある商家の隠居の元へ施術依頼で出向いた帰りに、護人長のムムカの元へと立ち寄っていた。仕事を終えた報告と、次の出張依頼を確認するためである。


 護人長の執務室にて差し向かいに座り、ムムカは手ずからオクオに茶をふるまった。今日もミルカは、護人組合の館にはいないらしい。


「ご苦労さん。これが、今回の給金だ」


 麻布の包みを開いて、ムムカは出張施術の報酬をオクオに差し出した。そこから当面必要な生活費の足しだけを手に取り、オクオは銭を懐にしまう。「残りはいつもどおり、預けとくわ」と、残りの給金を麻布に包みなおし、ムムカに戻した。


 卓上に置かれた帳面を取り上げて、ムムカは数字を書き足した。紙面には、日付・依頼主・報酬の数字が縦に並ぶ。数字の行列を指先でなぞって、ムムカは「ほう」と感嘆するような声を上げた。


「預り金がだいぶ貯まってきたな。この調子で働けばオクオ、遠からず〝肩もみ屋〟の店を持つのも、夢ではなくなるぞ」

「そうかあ。そんならまず、どっか部屋でも借りよかなあ。いつまでも、ドミナの居候というわけにもいかんやろし」


 呑気に答えるオクオに、ムムカは自分の首筋を叩いて渋い顔を作った。


「そうやった……〈隷獣の首輪〉なあ……」


〝人語を解する者への身体的暴力行為を検知し未然に阻害する〟――首に巻き付いたままの、人族への危害を抑止する呪具の存在を、最近のオクオはすっかり忘れていた。それほどに、オクオの施術師としての日々は、順調なものだった。


「このまま地道にやってりゃ、ハドリスもおまえを認めざるを得んさ。神殿は――まあ、こつこつ励むしかないな」


 オクオはムムカの言葉に、深く頷く。習い性というのは、ときに恐ろしい油断を招くものだと、知らず緩みかけた気持ちを引き締めた。


「でだ……次の依頼、なんだがな」


 オクオと二人きりであるのに、ムムカは声を潜めて話題を変えた。何か、気にかかることでもあるのかと思わせる、そんな声音だった。


「神殿からの施術依頼が来ている。差出人は、マーロ殿だ」


 なるほど、それは――訝しい。ムムカも怪しく思ったのだろう。


「なんでやろ……神聖術ならマーロはんも使えるやろ。ほかにも治癒師がおると聞いとるし。ワイが出る幕なんて無いのと違うの?」


 低く唸って、ムムカはオクオに首肯する。


「だろ――俺も同じ考えだ。しかしな、事情があるそうだ。マーロ殿からの手紙には〈みやこ〉からの賓客が、おまえの手技を是非受けたいと、神殿につなぎを求めてきたとある。多額の寄進を神殿は受けている……依頼主は、〈都〉の高官だそうだ」


 しばし考えてから、オクオはようやく得心した。


「〝こうかん〟てのはようわからんけど、要はお得意さんに頼まれて断れんかったちゅーことか」

「雑に言えば、そういうことだ」


 ムムカは硬い口元を緩めた。


「で、誰を〈肩もみ〉したらええの?」

「高官の夫人と娘だそうだ。依頼主本人は、必要ないんだと」

「どこが悪いんやろ?」


 ムムカは傍らに置いていた神殿からの依頼書を摘まみ上げ、紙面に視線を幾度か走らせた。


「さあな、詳しいことは書かれていない。まあ、奥方とその娘となれば、美容かなにかじゃないのか。〈神の手〉を持つオークよ、私のお肌を美しく――なんてな」


 ため息混じりにムムカは笑う。「よせよせ」と手を振り、オクオはつられて笑みを返した。


「――で、おっちゃんも断れんかったと」

「まあ、な。主神神殿から出張依頼が来るとは正直考えもしなかったが――いざ来てしまうと、断れん」

「んー、あれか、〝まつりごと〟いうやつか。なんやムムカはんもけっこう苦労しとるんやなあ」

「はっ、ぬかせ。気遣ってくれるなら、たまには俺の肩でも揉みやがれってんだ」


「なら、組合に頼んどいてよ」と軽口をたたき、オクオはムムカから新しい依頼書を受け取り立ち上がろうとした。


 それをムムカが「なあ、オクオ――」と呼び止める。


「その……最近、うちの娘とはどう……なんだ」


 妙に重たげにしてムムカは訊く。上げかけた腰を降ろして、オクオは答えた。


「ミルカか? どうって言われてもなあ。最近はワイが一人で出張ることが多いの、おっちゃんも知っとるやろ」

「それは、そうだ――だが、まるで会わないわけじゃあないだろ?」


 なにやらムムカは、深刻そうだ。探りを入れているのだろうか。


「まあ、そうや。あいつ……娘さんもあちこち忙しいやろ。そろそろ港にできた魔石坑道で採掘が始まるとかで、警備だなんだと駆り出されとるそうやないの。こないだ一緒に茶しばいたとき、いろいろ聞いたわ」


「そうか――で、それだけか?」まるで尋問するように、ムムカは問うた。


「それだけって……いやいや、それだけでもありがたいで。最近は、ミルカと一緒なら店に入って飯も食えるようになったし。ワイが一人で人目を気にせんと歩けるようになったの、全部娘さんのおかげやで」


「感謝しとる」と、オクオは深く頭を下げた。


「で、神殿のマーロはんとこには、いつ行けばいいんや?」

「あ、ああ――明後日だ。午後一番の鐘が鳴る前には来てほしいとある。そうだ、もうひとつ……」

「なんや?」

「ミルカは一緒に行けない。その日は別件でな、悪いが一人で行ってくれ」


 今度は妙に、すまなさそうにしている。大空洞でミルカと共に幽鬼を祓って以来、この護人長は妙な態度を見せるようになったなと、オクオは不思議に思った。


「わざわざどうした、いつものことやで。あいつも忙しいのは分かっとる――それとも、行く先が神殿やから? まあ、大丈夫やろ。あそこは荒事から、一番縁遠いところやろし」

「そう、だな。それもそうだ。だがな、依頼主は〈都〉の高官一家。くれぐれも粗相のないように、頼むぞ」


 念を押されながら依頼書を受け取り、オクオは護人組合の館を去った。


「美容ねえ。白磁草の香油でも、持っていったらええんやろか」と独り言ち、すっかり暗くなった大通りの帰り道を、オクオは足早に歩んでいった。



    §


 当日、時間通りに神殿の正門を訪ねると、オクオはすんなりとマーロの元へと案内された。門衛に槍を突き立てられることもなく、計ったように別の護衛兵が現れ、オクオを招き入れた。


 以前ミルカと共に訪れたときとは違い、裏口など使わずに堂々と表玄関をくぐり、神殿の回廊を歩んでゆく。


 しかし、すれ違う神職たちの目は冷たい。場違いな異物を認めるその視線は、敵視とも違う。清浄な場を汚されているのに何もできず、辱めに耐えている、そんなたとえが相応しいものに見えた。


 ほどなくして通された応接室では、マーロと中年の男女、年若い女が待っていた。見知らぬ三人は、依頼人の〈都〉の高官と、施術を希望するという妻と娘だろう。


 奥の壁を背にして、剣を携えた女が二人立っている。白い衣の下には鎖帷子、彼女らもまた、神殿の戦士であるらしい。


「お待ちしておりました、オクオ殿。どうぞ、こちらへ――」


 落ち着いた物腰でマーロがオクオを招く。高官と思しき、身なりの良い中年男性が立ち上がり、マーロの隣に進み出た。


「オクオ殿、こちらが本日あなたに施術を依頼したお方で――」


 咳ばらいを一つ交えて、男は半歩前に身を乗り出す。


「辺境伯の下で政務官を務めておる、ウェルビスだ。よろしくな、オクオとやら」


 ウェルビスと名乗った男は、オークを恐れる様子がない。右手を差し出し、握手まで求めてきた。〝粗相のないようにな〟とのムムカの忠告を思い出し、オクオはその手を柔らかく握った。躰同様に肉付きの良い、厚い手のひらをした男だ。


「では、座ってお話をいたしましょう」


 マーロに促され、オクオとウェルビスは着座した。オクオの隣にはマーロが、向かいの席にはウェルビス、その妻と娘が座っている。


「妻のサビナです。こちらは娘のスティナ。今日はどうぞよしなに――」


 薄く笑んで名を名乗り、夫人は娘を紹介した。夫のウェルビス同様に、妻も怯えた様子を見せないが――娘の顔色は、まったく分からなかった。


 目深に被った帽子の際から薄い布を長く垂らして、顔をすっかり隠しているのだ。顔の形が分かる程度に、布は薄く透けている。手袋もはめていた。見える素肌と言えば、わずかにのぞく首筋くらいだ。


 しかし、娘からはオクオの姿が見えるらしい。オクオが目を向けるなり、わずかに肩を震わせた。


「施術師のオクオや――ぁ、です。ウェルビスさん、本日はどない――どんな、施術をご希望で……しょうか」


 聞き覚えた人族らしい丁寧な物言いを試してみるが、ぎこちない。ウェルビスはしかし、不快な顔はひとつも見せずに笑みを返した。


「どうか気を楽にしていただきたい。私めもお仕えする辺境伯に習い、亜人には寛容でありたいと願っておるゆえ」


 寛容でありたいとしながらも、上から物を言う態度がひっかかる。とはいえ、富裕な者や立場のある者が尊大にふるまう姿なら、オクオはすでによく承知していた。


「そう……か。じゃ、お言葉にあまえまして――そんで、ワイの施術を受けたいいうのは、奥さんと娘さんとのことやけど。どんな施術をご希望で?」


 オクオの問いを訊いたとたんに、娘のスティナはまた一つ肩を震わせた。オークに怯えているというよりも、これから行われる行為そのものに不安を持っている――そんな印象をオクオは抱いた。


「それはまた、のちほど。施術の際に診て頂ければ――」


 ここまできて、ウェルビスは依頼の中身を語らない。見たところ、サビナとスティナのどちらにも、病を思わせる影は見えなかった。おそらくは、娘が顔を隠すことに、何か理由があるのだろうが――


「では、ご婦人方とオクオ殿を治癒の間へ――君たち、頼みましたよ」


 訝しむオクオをよそに、マーロが壁際に侍る護衛に声をかけた。一人から「こちらへ」と促されて、オクオたちは女戦士の後に続いた。



    §


 さほど広くはない治癒の間は、施術に使う寝台が二つばかり置かれた簡素な部屋だった。香木の香りが漂う。ほんのりと甘い果実の陰に、わずかに顔を出す青草の匂い――安らぎを誘う心地よい芳香は、患者の緊張をほぐすためのものなのだろう。


 奥の壁では、オクオたちを応接間から案内してきた二人の女護衛が、何も言わずに佇んでいる。二人とも、気配の消し方が巧みだ。オクオのような手練れの戦士でもない限り、そこに人がいることなど、瞬時に忘れてしまうに違いない。


 サビナとスティナは、用意された寝台に揃って腰かけ、身を寄せていた。


「さあ、スティナ。オクオさんに、お顔を……」


 スティナが身を固くする。戸惑いを見せた。それでもおずおずと、娘は覚悟を決めたようにして、顔を覆った薄布をめくりあげ――オクオから顔をそらした。


 頬は、痘痕あばたで覆われていた。


「これは……なるほど、そういうことか。疱瘡ほうそうの跡やな。気の毒なことや……」


「はい、幼いころに。命はこのとおり取り留めましたが――良縁を頂いているのです、でも、この顔では……」


 憐れではあるが、醜い。年のころは十五か六か、ミルカよりは若く見える。目鼻立ちが描く輪郭、すらりと伸びた手足からして、さぞや美しい娘であったろう。オクオは母親のサビナの容貌と見比べつつ、娘の素顔を思い描いた。


「これは病ではない。病の跡までは治せないと、どの医者からも見放されて……〈都〉の神聖術師にも診て頂いたのです。それでも、無理だと言われて」


「ふぅむ……」オクオは顎を撫でながら、スティナの全身にくまなく視線を向けた。


「あのぉ、これは言いにくいのやけど……」

「……! 無理、なのでしょうか……」


 オクオが言いかけたとたん、サビナが落胆したようにうなだれる。しかし。


「いや、そうやなくて。ただ……娘さんの痘痕、体中なんやろ? そのぉ、施術は裸になってもらわんといかんのやけど……」


 見たところ、スティナの痘痕は全身に及んでいる。娘に目を向け、肌の表面に意識を集中することで、まとわりつく滓のような影が見えたのだ。


 当然ながら、裸と聞いてスティナは別の怯えを示した。


「じゃあ、ちょっとだけ試してみよか? 嬢ちゃん、手だけ出してみ」


 オクオは自分の手のひらを差し出した。娘は手袋を外し、痘痕にまみれた手を乗せた。オクオは、念を込める。白緑びゃくろくの燐光が溢れだし、スティナの手を包み込んだ。


 癒しの光が、治癒の間を満たしてゆく。


 ほどなくして輝きが消えると――オクオの手に乗せられているのは、瑞々しいばかりの、娘の素肌だった。


「まあ!」


 声をそろえて母と娘は驚嘆する。初めて二人は笑顔を見せた。


「でな、肌を綺麗に戻すには、直接眼で見ないことには難しいんよ。本当の素肌の具合を想像しながら〈肩もみ〉せんといかんから」


 申し訳なく思いながら、頼み込む。


「〈肩もみ〉? ああ、あなたが使う神聖術のことでしたね。構いません、スティナ、よろしくて?」


 娘はこくりと頷いた。わずかにのぞく素肌が、恥じらいの色に染まる。


「肌にはひとつも触れんから、安心して。ただ、見てまうのだけは――堪忍な」



    §


 壁を向くオクオの背中で、衣擦れの音がした。寝台がわずかにきしむ音が聞こえる。スティナの、震えるような息遣いが耳に届く。「どうぞ」と、サビナが声をかけてくる。意を決して、オクオは振り返った。


 痘痕にまみれた、少女の裸身がうつ伏せに横たわっていた。


「あの……できれば早めに……ごめんなさい」


 寝台に顔を伏せ、くぐもった声でスティナが言った。こんなとき、何を言えばいいのか――あまり余計なことは、言わないほうがいいのかもしれない。


「じゃ、始めるで」


 それだけ言って、オクオは両手を娘の肢体にかざした。全身の痘痕を消し去るなど、オクオにとっても初めての経験だ。ただ、年相応の少女らしい、若々しい素肌を思って、手のひらに念を込める――


 ふいに、オクオはミルカを想った。アナミズヤドリからミルカを救った日のことを。背中に受けた傷跡を、今なら綺麗に消し去ることができるだろうかと――


「……よし、終わったで」


 ほんのりとした朱に淡く色づく白い素肌が、少女の後ろ姿を寝台に描く。母親は息を呑み、「スティナ」と一言、涙声で呟いた。


「次はその……仰向けで」


 オクオが娘に声をかける。おもむろに、娘が身を起こそうとしたそのときだった。


 ――何か、爆ぜるような音が鳴った。とたんに甘く濃密な香りが、治癒の間に立ち込めた。鼻腔をくすぐる甘美な誘いは、治癒の間を満たしていた安らぎの香りとは異質なものだった。


 オクオは頭の芯が痺れるのを感じた。朦朧として、視界が歪む。


 護衛の女たちが、酒精に酔ったように身体を揺らめかせた。サビナとスティナは、意識を落としたらしい。二人して、寝台に臥せている――


 封じていた記憶が、忌み嫌ったはずの感覚が、オクオに誘いをかけてくる。


 初めての人狩り、血の匂い、燃え上がる集落、逃げ惑う人々、焼ける油脂――オクオの身の底で、抗いがたい欲望が暴れ始めるのを、感じた。


 身を任せるのが、正しいことだ。そう、思えた。


 ――食欲をそそる、白い肉が、オクオの前には横たわっていた。


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