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追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい  作者: まさつき
09 出張肩もみ屋の開業

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後編 本当の初仕事

 なるべく早くに診てほしい――とのことで。ムムカより出張施術の依頼書を受け取った翌朝、オクオはオースベルクの西門へと向かった。同行するミルカと落ち合う約束をしていたのである。


 昨夜は入念に施術の準備をし、用意万端と初出張への気持ちも昂っていたのだが。いざ依頼人の元へ出立しようとドミナの館を出たとたん、オクオは不安に囚われた。


 依頼の内容に不安はない。「ひどい腰痛でまともに働けないから助けてほしい」という、施療院でもよく見る類の患者だから、難しい仕事でもない。


 問題は、行き先だ。


「小麦の刈り入れを控えとるから、どうしても急ぎで治してほしい、ねぇ……」


街を目指して小麦畑を歩んでいたあの日、自分の姿を見るなり逃げ出していった人族たち。今でも変わらず、自分を恐れているのではないのか――


 気に病みながら歩くうち、とうとう西門についてしまう。


 すでにミルカは待っていた。護人然とした剣士の出で立ちだ。なにやら衛兵の隊長と話をしているようだったが、オクオに気づくなり明るい顔で手招きをした。


「おはよう。じゃあ、行こうか」


 ミルカの挨拶に「おう」と答え、二人して歩き始める。街へ来たときは縄を打たれてくぐった西の大門だったが、今日は何事もなく抜けられる。衛兵隊長もこれといって厳しいことは言わず、ただ黙って見送ってくれた。


 それだけでもずいぶんと気が楽なはずなのだが、オクオの気分は晴れないままだ。


「依頼人の農家まで二~三時間は歩くと思うけど……て、どうしたの? 浮かない顔して」


 ほかの人族よりも、やはりミルカは敏感にオクオの表情を読み取るらしい。話してしまえば、少しは気も楽になるのだろうか――


「いや、ほら、ここへ来るまで、畑の人らにワイ、怖がられてばっかりやったから。どうなんやろなあ、て」


 弱気を吐露してみる――ミルカは頬を緩めて、オクオを見上げた。


「あのね、オクオがオースベルクに来てから、とっくにふた月は経つんだよ? 今まで一度だって、騒ぎを起こしたことなんて無いじゃない。〝悪いオークじゃない〟って、伝わってるって」


 言い終わるなり、ミルカはオクオの背を平手で打った。痛くはないが、響く音はなかなかに派手だ。


「まったく、図体はデカいわりに、けっこう気は小さいんだねえ。ほんとに怖がられてたら、依頼なんてこないって」

「……うむ、そうよな。いや、頭ではわかっとるんやけど、なあ」

「大丈夫。あたしがついていくんだから、めったなことにはならないよ」

「そうやな……そうや、年上のお姉さんがおるんやから、安心や……て、痛ぇ!」


「年下ですっ」と言いざま、ミルカはオクオのふくらはぎを蹴り抜いた。



    §


 果たして――ミルカの言うとおり、オクオの心配は杞憂に終わった。


 道中、幾人もの人族とすれ違い、小麦畑で働く農夫たちにも出会ったが、皆逃げ出すようなことはしなかった。身を固めて逃げ出すそぶりを見せる者はいるにはいたが、にこやかにして隣を歩くミルカを見るなり、安堵して立ち止まった。後退って道を譲られはするけれど、悲鳴を上げて逃げ出されるのとは大違いだ。


 それでも、依頼主の農夫の家に着いて、オクオは大いに驚くこととなった。


「おまえさん、あのときの……」


 腰をかばいながらよたよたと農家の母屋から現れたのは、オクオが里を出て二日目の朝、目が覚めたとたんに出くわした――あの農夫だった。


「あの、その節は……どうも」


 それだけ言って、顔をしかめる。声を出すだけでも腰に響くらしい。


「無理しないでください。お話なら家の中で。よろしいですか?」


 ミルカがすかさず助けを出す。母屋からはもう一人、少々お腹の大きな女性が現れた。農夫の妻だろう。身重であるようだ。妻はオクオたちを母屋に招くと、夫を助けて戸口をくぐった。



    §


「すげーっ、オーク初めて見たあ」


 二人が招かれた客間で、農夫の長男はオクオを見上げて屈託なく感嘆した。その陰から顔を出して「……人を食べちゃうって、ほんとう?」と、小さな娘が訊く。


 ミルカは微笑みながら、娘の疑問に首を横に振った。


「そんなことないよ。オクオは人族とおんなじ物しか食べないよ」


 次女だと紹介された少女の栗毛を、ミルカは愛おし気にして撫でた。一番小さな三男は……何も気にせず、母親が剥いたリンゴをほおばるばかりだ。


「さあ、ミルトン。ダーニャとセニアを連れて、向こうで遊んでらっしゃい。お母さんたち、オクオさんとお話があるからね」


 長男のミルトンは妹のダーニャの手を引きながら、オクオに手を振る。セニアはりんごの切れ端を掴んだまま母親の膝から降ろされ、つとつとと歩いて兄の後を追う。


「――すみませんね、騒がしくて」


 そう言って頭を掻くのは依頼主の農夫、かつてオクオに草刈り鎌を突きつけたまま逃げ出した、ダルトンだ。


「それで……なんでまた、ワイなんや? おまえさんのこと、脅かしてもうたろ」


「確かにあのときは……」と言葉を濁しながら、ダルトンはオクオを頼った訳を話し始めた。


「ミルカさんにはね、いつも畑の肥料を運んでもらっているのですよ。あの日、肥料を届けて頂いた帰り道、魔獣に襲われたミルカさんたちを助けたのは、オクオさん、あなただというじゃありませんか」

「うちの人、とても反省していたんです。ミルカさんから話を聞いてから、たしかにあのオークは〝なにもしない〟と言っていたと思い出して」


 悪いことをしたと、農家の夫婦はオクオに詫びた。


「〝だいじょうぶや〟なんて、ふとーい声で言ったんでしょう? 驚いてしまうの、仕方ないですよ」


 ミルカは微笑みを交えながら、隣に座るオクオを軽く小突く。


「いや、まあ、気にせんでくれ――それで、旦那さんの腰が悪いという話やったな」

「そうです。小麦畑が黄色く色づいてきたのは、ご覧になったでしょう。刈り入れが近いというのに、この腰では……て、うぐ……」


 そう言ったままダルトンは、しばしの間身を固めてしまう。きっと、少しでも動くと息を詰めるほどに痛むのだろう。しかしほかにも、オクオには気がかりなことがあった。


「ほかのもんはええんか? 奥さんは身重のようやし、あっちで臥せとる――婆さんもおるやろ」

「分かるのですか? たしかに、夫の母がおりますが――」


 驚きながら農夫の妻セーニャは、奥の部屋へと目を移した。


「気配でな。旦那さんの腰を診た後に、様子を見てもええやろか?」


「しかし――」と言いかけて、ダルトンはミルカの様子をうかがう。


「オクオがよければ、あたしは構わない。パパには――内緒にしとくね」

「すまんな、ボーゲン爺さんにもや。ちょっとその、気になってな――」


「どれ」とオクオは立ち上がり、ダルトンの傍らに立った。


「さっそく始めるで。まずは、旦那さんからやけど。おまえさんの寝台を使わせてもらうんでええか?」

「構いませんが――すみません、今歩けそうもなくて」

「ええよ、運んでくから。じっとしといて」


 オクオは座面を下から抱え、ダルトンをひょいと椅子ごと持ち上げた。「あら」と驚く夫人の先導について行き、農家夫妻の寝室に案内された。


「寝かす時だけちーと痛むかもわからんが、それで最後や。すぐようなるから、我慢してな」

「は、はい……っ?!」


 ――こうしてオクオの出張施術は、農夫の短い悲鳴で始まった。



    §


「……信じられない。まったく普通に……いや、十年若返った気分です!」


 喜びながらダルトンは、寝室のあちこちを早足に歩き回る。


「喜んでくれるのはありがたいんやけど、あんまり無理したらあかんよ。腰のほかにも、あちこち整えてはおいたけど、ほんまに若返るわけやないんやから」

「それでも! これほど身を軽く感じたのは何年ぶりか。ありがとうございます」


「どれ、次は奥さんやな」


 オクオはダルトンを寝室に残し、台所に立つ夫人のセーニャを訪ねた。あとから、落ち着きを取り戻したダルトンの足音がついてきた。


「でな奥さん、つわりが重いやろ?」

「はい。もうすぐ五カ月なんですが、今までの子よりもずっと辛くて」

「双子やと、そういうこともあるらしいな。ボーゲン爺さんが言うとったわ」


「え?」


 声をそろえて、ダルトンとセーニャは驚いてみせる。


「あー、知らんかった? 元気に育っとるし、安心してええで。つわりは……自然のもんやから仕方ないんやけど――」


 オクオはセーニャを椅子に座らせて、夫人の首筋に指先を伸ばした。首から始めて体の流れに沿い、柔らかに手を滑らせていく。淡い緑の燐光が手のひらから舞ううちに、セーニャの表情は日頃の疲れを忘れ去ったかのように、やすらかなものへと変わっていった。


「――よし。気脈を整えておいたから、これでずっと楽になるはずや」

「あの……男の子と女の子、どちらなのでしょうか」


 セーニャに訊かれて、オクオは口ごもった。


「いやいや、さすがにそこまではな、分からんて。さてそれじゃ、婆さんの具合を診にいこか」


 オクオがダルトンに向き直ると、セーニャの夫はにわかに顔を曇らせた。


「はい。では、こちらへ。しかし……」


 オクオは「大丈夫や」とダルトンの肩に手を置いてから、臥せる老婆の部屋へと歩んでいった。



    §


 しばらく部屋に誰も立ち入らないようにと、オクオはミルカに言づけて、ダルトンの老いた母親と二人きりになった。


 寝台に横たわる老母は、患ってからすでに久しいようだ。すっかりやせ細り、意識もずいぶんと薄い。細く開いた眼は白く濁り、光を得るのもままならない。浅い呼吸は、破れた戸を吹き抜ける夜風のように、がさがさと荒れた音をたてている。


「これは……長くはもたんやろうけど……」


 目を凝らす。老婆の胃のあたりに、暗く重たい塊が見えた。胸にも影がある。


「臓腑のできものか。――ボーゲン爺さん、あまりええ顔せんやろなあ……けど」


 意を決して、オクオは老母の傍らに歩み寄り、左手を額に、右手を腹のあたりに添えた。目を閉じ、深く念じる――在りし日の、すこやかな姿を取り戻すようにと。


 次第にオクオの手が光り、やがて老母の寝室が白緑の輝きに満たされていく。オクオは額に汗が浮くのを感じた。やると決めたものの、ボーゲンの導きなしに患者の体中に散った病巣を浄化するなど、初めての経験だった――


「ふう……どうにか上手くできたな」


 長く深い溜息をつき、オクオは呟く。寝室から神聖術の光が消え失せる――


 額に浮いた汗を手で拭うオクオのもとで、老母は静かな寝息を立てていた。



    §


 オクオが老母の部屋から出ると、息子のダルトンは祈るような面持ちで扉の前に立っていた。


「あの、おふくろは――」


 オクオが答えるよりも早く、ダルトンは相好崩し涙した。オクオの背後に気配があった。まだ多少おぼつかないが、確かな足取りでダルトンの母親がオクオの陰から姿を現した。


 泣き崩れ縋りつく息子を、老いた母はいたわるようにしてその頭を幾度も撫ぜる。


 すすり泣く声に気づいたのか、「お母さん」と妻のセーニャが駆け寄った。三人の子供たちも現れ両親と祖母の足元に抱きつき、口々に祖母の快癒をことほいだ。


 その横を、オクオは静かに通り抜ける。もらい泣きするミルカの手を引き、何も告げず立ち去ろうと、母屋の戸口へと足を向けた。


「待ってください!」


 ダルトンの呼び声が背にかかる。振り返ると、農夫の一家はそろって礼を取っていた。老母の瞳は晴れ渡り、はっきりと開いてオクオの姿を見つめている。


「なんとお礼をしたものか……噂は、本当だったのですね。神の手を持つオークがいると……」

「いや、その――ええんや。ほっとけなかっただけやから――て、神さまの手? ワイのこと、そんな話になっとるの??」


 施療院でもオクオは患者に直接、本気の〈肩もみ〉は使っていない。弟子としてボーゲン院長に力を貸し与えているだけだ。それなのに。


「だいぶ尾ひれがついとるようやけど――まあその、とにかく婆さんが元気になってよかったわ」


 なんとしたものか、とっさに良い知恵は浮かばない。派手な噂となるのは、あまり良いこととは思えないが――病に苦しむ者を目の前にしては、やはり捨て置くこともできないしで……。


 頭を掻いてはにかむばかりのオクオは、一家に背を向けて立ち去ろうとしたのだが。今度は夫人に引き留められた。


「ねえ、あなた。今夜はお祝いしないと。オクオさんミルカさん、せめてお食事でも……ねえ、お母さん」


「そうね、私も体を動かしたくて仕方がないよ」と老母は答え、女たち二人は台所へと連れ立ってゆく。


 つないだままでいた手を、ミルカに引かれた。


「せっかくだから、ご相伴にあずかろうよ」と言われるままに、オクオはミルカに連れられ母屋の客間に戻っていった。



    §


「すっかり遅くなっちゃったね。日があるうちに帰るつもりだったけど」


 街への夜道を、オクオはミルカと並び足早に歩んでいる。食事をふるまわれ、子供たちの相手をするなどするうちに、日はすっかり暮れてしまった。


「奥さんのお腹の双子な、男の子と女の子なんよ。言わんかったけど」

「そんなことまで分かるんだ。オクオの力って、すごいんだね」


 素直に感嘆しているらしいミルカの言葉に、オクオはふと足を止めた。自分の手のひらを、じっと見つめてしまう。


「いや、昔はこんなにはっきりとは分からんかった。〈肩もみ〉したほうがよさそうな悪いところだけ、形が暗く見えるだけやったのに」


 ――最近は違う。目を凝らすことで、命の形としかたとえようのないものが見えるようになっていた。


「なんかな、ワイの〈肩もみ〉、前より力が強くなったみたいなんよ……爺さんとこで、修行したおかげなんやろか」

「いいことなんじゃないの?」

「分からん。悪いことやないとは思う。でもな――」


 夜風が手のひらを撫でていく。開いていた手を、オクオはぐっと握りこんだ。


「悪いことを呼び込んでしまうような、そんな気もするんや……」


 ミルカは何も言わずに、黙って話を聞いてくれる。それがなぜだか心強い。気を取り直して顔を上げ、オクオはミルカに向き直った。


「どれ、早う帰らんと。おまえの父ちゃんにどやされそうや」


 言うが早いか、ミルカを両腕の中に抱え上げる。そのままオクオは、夜風よりも早く駆け出した。


「ちょっと、降ろしてっ!」


 軽口で文句をつけつつも、ミルカはオクオの胸に頬を寄せるのだった。


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