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追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい  作者: まさつき
07 戦えない戦士

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後編 払いの刃

 ここは……墓場だったのか? そう思えるほどに、大空洞の空気が冷えた。気温が下がったわけではない。大気は変わらず生暖かいままだ。


 命そのものが冷えていく……そんな気配に満ちていた。


 オクオの耳に、いないはずの人間の声が聞こえた。


「なんや、誰の声や……」

「声? 声なんて聞こえない。でも……耳鳴りが……気持ち悪い……」


 オクオの腕から地面に降りたとたん、ミルカは身をかがめて寒気をこらえるように自分の肩を抱いた。


「またや……助けてって――ミルカ……聞こえんのか?」


 オクオの耳には、はっきりと聞こえていた。姿かたちもはっきりと見える。白いもやだと覚えたものは、今は闇を背にして浮かび上がる明瞭な人影を成していた。青白い光を放つ人影は、ゆらゆらと揺れながらゆっくりと、オクオとミルカを目指して近づいてくる。


「もやもやしたの……あれ……何なの?」

「知っとる奴や……一緒に働いとった人足がおる……流されて、行方知れずになって……」


 まだ遠目であるのに目鼻立ちまではっきりと見えた。呻きながら、遅いが確実な足取りでオクオに迫り、名を呼んだ。


 ――オクオ、たすけて……くれ……

 ――こんなところで……しにたく……

 ――くるしい……みずが……


 苦しみに恐怖、憎しみと悲しみ――怨嗟の声は四方から聞こえてきた。知っている声もあれば、知らない声もあった。高い天井から流れ落ちる水音は現実だ。河川港で起きた崩落事故で瓦礫とともに流された者たちが、大空洞まで流されていたのかもしれない――


 いったい、いくつ湧きだしたのだろう。見たところは五~六体だが……いや、また地面の中から手が伸びて、一つ増えた。


「そんな……どれだけいるの」


 ミルカの声が怯えを孕んだ。オクオと違って、娘の目には靄はモヤでしかないらしい。声も聞こえないと言った。背中をさすってやった魔女と違って、ミルカには魔力に悪酔いした様子もない。それでも、形のない、生気を宿さぬ未知の存在への純粋な恐怖を、ミルカは感じているらしかった。


「人やない。幽鬼や……人やないけど……」


 足がすくんだ。闇の中に、燃え盛る炎の壁が見えた気がした。


 ――人が死ぬ。燃えている。ここに炎はない。あるのは瓦礫と、水と――魔獣に噛み砕かれて死んだ戦士の男……あの日、人狩りに出たあのときとは違う。でも、同じだ。皆苦しんでいる、もう還ることはない……帰れる場所はあったのに、待つ人もあったろうに。残ったのは、無念だけ――


「よせ……やめてくれ……ワイは、ワイは……」


 過去の記憶と今の現実が混濁し、オクオの心は苛まれた。足がすくむ。目は見えていた。ミルカが怯えている。青白い影がそこかしこから迫ってくる。どうすればいい――また、逃げ出せばいいのか……?


「どうしたのっ?! オクオ、しっかりして! ヘンなのがこっちにきちゃうっ」


 胸ぐらを掴まれて揺さぶられた。娘の必死な目を見て、オクオの視界から曇りが消えてゆく。足元から冷たい気配が立ち上った。地面から青白の影が湧きだし、腕らしきが持ち上がり、ミルカの身体を絡めとろうと伸びあがった。


――いのちを……いのちを……かえして……


 幽鬼の腕がかすめただけで、ミルカの膝から力が抜けた。


「ミルカっ!? よせ! このっ、幽鬼どもがっ…………ぐぅ……っ!」


 とっさに振ったオクオの腕が、幽鬼の体を突き抜けた。


 人型を成した靄が、甲高い叫びを残して塵と化す。


 しかしミルカともどもオクオは、その場に倒れてしまった。


「い、息が……でき……」


 首が熱い。焼かれている……赤熱した鎖で締めあげられるようだった。息が詰まった。全身に強烈な痺れが走り、気絶しないよう気を張るので精一杯となった。


「オクオ、首輪が……」


 ミルカの瞳に、怪しく光る紅い首輪の文様が映りこんでいた。


〈隷獣の首輪〉――行政官のハドリスにつけられた呪具が発動したのは明らかだ。この魔道具のことを、ドミナはなんと言ってたか……。


〝人語を解する者への身体的暴力行為を検知し未然に阻害する〟だ。平たく言えば、人に対して一切の荒事が行なえなくなる――


 そうだ、この幽鬼は言葉を発する。だがドミナの説明とは少し違う。呪具は人に対してのみ効力を発揮するのではなかった。魔獣だろうと幽鬼だろうと、〝理解できる言葉を話す相手〟に対しても、呪具は発動してしまう。


 これは思った以上にやっかいなシロモノだ――


 痛みは、ただオクオを責めるばかりではなかった。命の危機にあって、オクオの思考は明瞭となった。ぎこちなく体を起こして、オクオはあたりをうかがう。幽鬼たちの動きは緩慢だ。しかし、一つ所にとどまっては、たった今襲われたように何が起きるか分からない。


「ひとまず……退散や。ミルカ、動けるか?」

「……大丈夫。オクオこそ、もうボーっとしないでよね」


 大空洞へ通じた道は使えない。助けを待つにしても、幽鬼たちをいつまでやり過ごせるかは分からない。こちらには戦う術がないのだ。実体のない幽鬼にミルカの剣は通じない。オクオは呪具に縛られ、手出しすらできない。


 まずは……できるだけ、幽鬼たちから距離を取る。視覚があるのか分からないが、身を隠すのに越したことはないだろう。


 物陰に身を潜めてできるだけ気配を隠し、オクオは幽鬼たちの様子をうかがう。


「あかんのか……」と知らず呟いた。一体でもこちらの生気を探り当てると、皆一斉にゆらゆらと揺れながら近づいてくる。しかも数が増えていた。十体は下るまい。引き付けてから、またどこかへ身を潜めるしかないのか……。


 思案するオクオの袖を、ミルカの手がふっと引いた。


「聞いてほしいことがあるの」

「なんや? 急いで別の場所に移らんと――」


 移動しようと立ち上がりかけたオクオを制して、ミルカは話をつづけた。


「オクオ、あたしたちなら、あれを倒せるかもしれない」

「……無理やろ。幽鬼に剣は通じん。ワイはこいつのせいで、戦えんし」


 今はおとなしくなった、首に巻き付く〈隷獣の首輪〉にオクオは指先を這わせた。指先の震えが首筋に伝わる。


 だがミルカは、構わず確かな声で言った。


「――考えがあるの。本当に通用するか分からないけど、あなたの力があれば、あたしの考えが正しければ、必ず倒せる」

「何をやるつもりや?」


「思と念だよ」と、ミルカは力強く付け加えた。



    §


「しと……ねん?」


「〝心に思って、成ると念じる〟――魔法の原理原則のひとつ」

「あー……ドミナがそんなこと言うとったような……」

「あたしもね、子供のころドミナ様の私塾に通っていたの。十年くらい前。あたしは魔法の才能なかったけど、授業で習った基礎知識は覚えてる」


 耳を傾けていたオクオだったが、ミルカが口にした〝十年〟という年月にふと、気を留めてしまった。


「……あの、ミルカはんて、おいくつなん?」

「歳? 十八だけど……て今、歳のことなんてどうでもいいじゃない」

「えーと……うん、そやな。すまん。で、魔法がどうした。ワイには使えんで」


 ミルカは「違う」と、首を横にゆっくりと振る。


「そう思っているだけ。オクオが〈肩もみ〉って言ってるそれ、人族が使う神聖術にそっくりだもの」

「マーロはんとボーゲン爺さんが使とるやつのこと? どうなんやろ……ワイの〈肩もみ〉とずいぶん違うんやけど……」

「それはそう……て、ああもう、いいから! 聞いて。オクオの〈肩もみ〉が神聖術で、幽鬼があたしの知ってる霊体のことなら、あいつらは祓うことができる」


「はずなの……」と小さく付け加える。まだ頼りなくはあるが、オクオの気持ちに明るいものが宿り始めた。


「どうやって? 幽鬼に〈肩もみ〉でもするんか? 祓えるなら幽鬼には害や。首輪が働いて、ワイにはなんもできんで」


 おもむろに剣をオクオの前にかざし、ミルカは意外なことを口にした。


「あのね……これに、この刃に〈肩もみ〉をしてほしいの」


 刃に〈肩もみ〉……意味が分からない。うっかりちゃかしそうになるところだが、ミルカの目は真剣だ。口をつぐんで、黙って先を促した。


「オクオがあたしを守って、幽鬼を祓ったでしょう? 倒れちゃったけど――それで思ったの。付与術なら、いけるんじゃないかなって」

「ふよじゅつ?」

「炎とか冷気とか。少しの間だけど、武器に特別な力を与える魔法のこと。この剣にオクオが神聖術の力を与えて、あたしが戦う」

「無茶苦茶やろ……」


 あまりの突拍子のなさに、オクオはぐずることしかできなかった。


 ミルカは、剣を置いた。


 そうしてオクオの目をまっすぐに見ると――いきなり、オクオの顔面で派手な音が弾けた。ミルカの両手が、オクオの両頬を挟むように叩いたのだ。


「もうっ! 〝思と念〟だって言ったでしょう? 今はあたしを信じて……覚悟を決めて、成ると念じて――やりなさいっ!」

「は……はい」


 えらい剣幕だ。オクオは観念するほかない。半信半疑のまま剣を拾い上げた。


 目をつむり、手にした剣を心中で〝痛めた腕〟に見立てた。剣の平地に指を添わせて撫でてゆく。次第に冷たい刀身には、指先のぬくもり以上の暖かさが宿るのを感じて――


「ほんまか……出来たで! 剣が、光っとる!」


 目の前に、白緑の燐光を纏った剣が輝いていた。ミルカは剣を受け取りながら、魅入るようにしてその刀身を見つめた。


「……ほら、やっぱりできたじゃない」


 安堵を滲ませて、ミルカは言った。即席の聖剣を手にした年若い剣士の娘は、力強く立ち上がると、剣の切っ先を幽鬼に向けた。



    §


 幽鬼の数は、すでに二十を超えていた。それほどに流れ着いた遺体が暗闇に隠れていたのか。あるいは、古代の亡霊を呼び覚ましてしまったのか。ともかくも、大気に満ちる魔力密度の高さゆえなのは間違いない。


「あの三つから……っ」


 ミルカが物陰から飛び出す。オクオも間を置かず後についた。剣を斜に構えて走り出し、まずは横並びの二体をめがけた。


 裂帛れっぱくの気合とともに緑光が一閃、幽鬼を切り裂き塵と化す。


「斬れた!」


 歓声をあげつつ、返す刃で三つ目を散らした。ところが――ミルカの膝が崩れた。ふっと力が抜けたようにして、体が流れる。


 オクオはとっさに飛び出し、剣を杖に身体を支えるミルカを抱きかかえて、跳んだ。そのまま駆け出し、幽鬼の群れから距離を取る。


 三つ減らしたというのに、地面から新たな幽鬼が二つ湧きだしてしまう。


「こりゃあ、削りあいになるな……」


 呟きながらオクオは、腕の中のミルカの背を撫で〈肩もみ〉で回復を図る。刃の魔力と同時に、ミルカ自身の生気も吸われてしまうらしい。


「大丈夫か? このまま抱えて逃げ回ってもええんやで」

「それじゃ駄目。少しでも減らしておかないと、助けが来ても共倒れになっちゃう」


 浅い息をつきながら、ミルカは毅然とした目をオクオに向ける。


「なら……がんばるしか、ないかっ」と承知して、オクオはミルカを抱えたまま次の幽鬼めがけて走り出した。


「ちょっと! 自分で走れるって」

「ワイは荷運び役やからな」

「ひどいっ!」


 オクオは幽鬼との間合い直前でミルカを放った。勢いを殺さず、着地と同時にミルカは切り込む。刃が幽鬼を祓い、生気を奪われて崩れる前に、オクオがミルカをかすめ取る。走りながらミルカを回復し、再びミルカを投げ込んでを繰り返すが――


 祓うたびに、どこかで新たな幽鬼が湧きあがった。オクオの思った通り、命の削り合いになった。それでも、じわじわとだが確実に幽鬼はその数を減らしていく。大気に満ちていた魔力の高まりも少しずつだが静まりはじめた。


 ――どれほど刻を掛けたろうか。体力自慢のオクオだが、さすがに気力が尽きはじめた。ミルカの疲労はそれ以上だ。脂汗を浮かせながら、顔色は青ざめつつあった。


 三歩進んで二歩下がるような我慢比べの果てに、ようやく決着の訪れをオクオは予感していた。


「あれで最後みたい……」

「よし、もうひとふんばり……がんばろかっ」


 気力を振り絞り、オクオはミルカを送り出す。剣に宿った魔力の光が不規則に明滅した。剣把を両手に握りしめ、ミルカが力いっぱい刃を横に振りぬくと、最後の幽鬼たちが消滅し――剣から、〈肩もみ〉の光は消えてしまった。


 ミルカの体が、剣の重みに掴まれるようにして、倒れていく。


 その陰から、ゆらりと立ち上がる幽鬼の影があった。


 青白い腕が伸びる。刃がひらめいた。


 残る力でミルカが剣を振り抜いた。鋼の切っ先が幽鬼をすり抜ける。


「ミルカっ!」


 とっさに、オクオはつぶてを拾い上げた。握りしめる。緑光が迸った。


 幽鬼と、目があった気がした。悲しげな声で、助けを求められた――だが、助けるべきは、ミルカだ。


「失せろ!」


 オークの剛腕が弧を描く。


 白緑の尾を引いて、神聖の力を宿した石つぶてが幽鬼めがけて放たれた。


 瞬間、幽鬼が弾けた。


 オクオの首筋から身を縛る激痛が迸り、オクオの意識も弾けた。


 土埃が上がる。ミルカが地に伏すのが見えた。


 見えるなら、自分の意識はある――そう自覚して、オクオは痛みをねじ伏せ、這うようにしながらミルカのもとへ――ぼんやりとした、靄が現れるのが見えて――


 ――気が付いたときには。


 オクオの体は、施療院の寝台の上にあった。


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