レディMの時間
ブツブツと文句を言いながら、メアリーは苛立たしげに階段を降りる。
「……ミスターは女性の気持ちが、全然わからない、朴念仁ですわ」
揺れる船の階段は、いつもより歩きにくくて、それも不満だ。ボイラー室が近いからだろう。
階段を降りながら、主要な設備の位置を観察していく。万が一、戦いに巻き込まれ破壊された場合、航海に支障をきたしそうな所は避けるべきだ。
船の動力であるボイラー室は最優先。緊急事態に近隣の船に助けを求める無線室も重要だ。
色々と見て周り、やっと三等食堂に辿り着く。上の階に比べて、揺れも酷く、人形の体でなければ船酔いしそうだ。
食堂ではぎゅうぎゅう詰めにされた人々が、エールのジョッキを片手に大騒ぎしていた。
男も女も問わず、酒を楽しみ、大声で話し、騒がしく、酒臭い空気は、リチャードに耐えられなかっただろう。
メアリーはドレスから動き安い乗馬服に着替えているが、それでも浮いている気がした。
「ねえ、お姉さん。1人?」
後ろから問いかけられて振り向くと、12,13歳くらいの少年が立っていた。
栗色の髪に、キャスケット帽、薄汚れた白いシャツと、半ズボンが似合っていたのだが、この騒がしい環境には珍しく見えた。
「貴方も1人?」
「ママもいるけど、あっちでね」
指さす先には、男達に囲まれて、酒を飲み交わす女がいた。カードを手にして、机に紙幣が並ぶ辺り、賭け事でもしてるのだろう。
確かに少年と似ているが、ちっともこちらを見る様子がない。
父親は……と言いかけて口をつぐむ。それだけで少年は気づいたようだ。
「パパが誰かは知らないよ。ママは元娼婦だしね」
からりと笑う少年の姿に、ぎゅっと唇を噛みしめる。
子供は親を選べない。それはメアリーが誰よりも知っている。それでもそれを受け入れて、逞しく生きる少年の姿は清々しく感じられた。
「僕に近い年頃の子、あんまりいないし、ママはあの調子だし、退屈してたんだ。ねえねえ、良かったら一緒に遊ぼうよ」
「いやよ。子供はあっちにいってなさい」
「子供じゃないよ。ロビンっていうんだ。ねえねえお姉さんの名前は?」
「ああ、もう……メアリーよ」
「メアリーお姉さんだね」
そう言いながら、ロビンはいきなりメアリーの腕を掴んだ。普通の人間でないと気づかれるかもしれない。慌てて払いのけると、ロビンはきょとんと首を傾げた。
「わたくしは遊びに来たのではないのですわ。人を探してますの」
「人捜しだね! いいよ。楽しそう。僕も手伝うよ」
「けっこうですわ。あっちにいっててくださいですの」
妙な子供に懐かれた。メアリーは無視して人捜しに戻ろうとしても、うろちょろとついてくる。
もしも、従僕との戦いになったとき、側にいられて巻き添えになっても困る。
「一緒に探すより、手分けした方が良いですわ」
「それはそうだね。ところで、お姉さんはどんな人を探しているの?」
問われて困った。従僕がどのような姿をしているのか。どうやって見分けるのか、それすらも解っていない。
「……怪しい人よ」
「あはは。ここには怪しい奴だらけだよ」
みるからにアルコール中毒者が多く、確かに怪しい人間だらけだ。
享楽に溺れた人々は、現世の憂さをここで晴らしているのだろう。
「……じゃあ、楽しそうじゃ無い人。夢や希望を抱いていない人。ここには、新天地目指して奮発した人達ばかりでしょう? それなのに、ちっとも楽しそうじゃないって、怪しいですわ」
「なるほど。じゃあ、楽しそうじゃない人、探してくるね」
三等の客でこの船に遊びに来た者は少ない。大西洋を越えて、新天地アメリカでやり直しを図る人々が多いのだ。
新天地につく前の、短い休暇を楽しむように、こうして享楽に溺れられるのは、底辺の中でもまだ懐がマシな者ばかりだろう。
くるりと背を向けて、ロビンが去って行くので、メアリーはほっと胸を撫で下ろす。
そっと人気の無い所に移動して、首のチョーカーに触れた。
「ミスター。三等食堂までつきましたわ」
リチャードは船の大まかな構造を、メアリーは船内の重要拠点を、互いに情報交換し合う。
「従僕を見分ける方法は、何かありませんの?」
『東洋と西洋が入り交じった魔術だから、普段のエクソシスト式では上手くいかないかもしれない。ここはヘンリーが持たせてくれた占術に頼ってみようか』
「そういえば、何やら色々持たせていましたわね」
『東洋式らしい。僕は専門ではないから付け焼き刃だがね。これとダウジングを組み合わせて調べて見る』
「わかりましたですわ。結果がわかり次第、お知らせくださいですの」
『……ああ、ミス・ベネット。重要なことが1つ』
「なんですの?」
『仮に人の姿を真似ていたとしても、魔物は影に証拠を残すことがある。あるいは鏡に映すと化けの皮がはがれたりもする。まあ、これが通用するかは解らないが』
「鏡なら持ってますわ」
淑女の嗜みと、手鏡を取り出して、さりげなく人々を照らし、地面に落ちる影を見て回る。
ランプの燃料をケチっているのか、薄暗く、人が多いせいで影が混じり合っているが、その分いちいちメアリーの行動を気にする人間がいないのは良かった。
人々の間を縫って歩いても、影や鏡に不審な者はいなかった。
「怪しい男を見かけたよ。メアリーお姉さん!」
ロビンが戻ってきて、メアリーの腕を掴んで引っ張っていこうとする。人形の体に気づかれるのではとヒヤヒヤしたが、ロビンは気づいて無いように見えた。
そのまま食堂を離れ、ロビンに案内されて貨物室に向かう。人気が無い隅っこで、座り込んだ男がいた。
青白い肌で精気が乏しく、虚ろな眼をしていた。確かに明らかにおかしい。
「ここに隠れていてくださいですの。私が確かめに行きますわ」
「女だけだと、危ないよ。僕もついてく!」
知らないからこそ、少年なりの正義感を発しているのだろう。いざとなったら守る覚悟で、仕方が無いとメアリーは頷いた。
ゆっくり側まで歩いて行くが、男はメアリー達に見向きもしない。思いきって声をかけてみる。
「どこか……具合が悪いのですか?」
「放っておいてくれ。馬鹿共の空気に嫌気がさして、ここで静かに休んでるだけだ」
その声は以外としっかりしていて、まともに聞こえた。
ちらりと見た影にも不審な物はない。さっと鏡を向けてみるが、鏡に映る姿に異常は無い。
「確かに、あの食堂は煩いですわね。客室に戻られたら?」
「三等の客室は雑魚寝だ。あそこも煩い。ちっとも眠れやしない」
三等客が入り込めて、静かな所がこの貨物室だけというのは、確かだ。
ただ、男の顔色の悪さは尋常ではないし、嫌な予感がした。
手袋をつけた手で、そっと男の顔に触れる。
「触るな!」
ばしっと払いのけられ、メアリーは呆然とした。
手袋越しでも、皮膚がぶよぶよして、生身の人間に思えなかったのだ。
「メアリーお姉さんに酷い事するな!」
ロビンがどこからか持ってきた瓶を構え、男に詰め寄ろうとして、慌てて止める。
「大丈夫ですの。勝手に触れた私が悪いのですわ。私が探していた方と違うみたいですの。戻りましょう」
確実に異常だ。しかしロビンを巻き込みたくない。ひとまず引き離さなければ。
そう思った時だった。突然、上の階から大きな音が鳴り響き、振動で室内が震えた。固定されていたはずの貨物の縄が解け、ぐらぐらと崩れ落ちた。
「メアリーお姉さん! 危ない」
ロビンはメアリーを庇うように突き飛ばした。突き飛ばされたメアリーは、呆然と荷物に押しつぶされるロビンを見つめた。
「ロビン!」
メアリーは自分が化物であることがバレても構わないと覚悟して、大きな荷物を持ち上げて、ロビンを発掘する。その頭から派手に血がでていて、メアリーは慌てて抱きしめた。
「ロビン大丈夫ですの!」
「……大丈夫、平気。お姉さん、強いんだね。僕が、守らなくても……良かったかな?」
「とても立派で紳士的でしたわ」
メアリーがそういうとロビンはにっこり笑った。頭から垂れた血が頬を伝い、まるで涙のように零れ落ちる。
「頭を打ったのですわね。大変手当しないと」
「……僕は大丈夫、だから、お姉さん、早く、逃げて……」
そう言いながらロビンはちらりと怪しい男の方を見た。あちらも荷物に押しつぶされたのか倒れている。ロビンはあの男が起き上がってメアリーを襲わないか心配なのだろう。しきりに逃げてと繰り返す。
また大きく揺れた。この揺れの原因もわからず、頭を打った状態で下手に動かすのは危険だ。
スカーフで頭をキツくしめて止血して、近くの貨物に少年を隠して、小さく声をかける。
「乗員を呼んできますわ。ここで大人しく隠れていてくださいですの」
青ざめた顔のロビンは、こくりと無言で頷いた。




