後編
夜明けも近い頃、リチャードが家に着くと、玄関でメアリーが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ……」
帽子とコートを受け取ろうと、手を伸ばしかけ、不機嫌そうに唇を尖らせた。
リチャードと腕を組むベアトリクスのせいだろう。
「なんですの。そんなべたべたと。はしたないですわ」
「あら、お嬢さん。焼いてるの」
ベアトリクスの腕を払って、帽子とコートを脱ぐ。
「つまらない諍いをしている場合ではないだろう。疲れている。休ませてくれ。ミス・ベネット。申し訳ないが、ベアトリクスの部屋の用意を」
つまらないと言われて、ますますメアリーはむすっとした。
苦笑いを浮かべながら、リチャードは小包を差し出す。
「……菓子をもらってきた。休んだ後は、作戦会議にしよう」
「いつでもお菓子でご機嫌取りできる、お子様ではないのですわ」
「では、この菓子は捨てるとしよう」
「ま、待ってくださいですの。菓子に罪はなく。もったいないですわ」
慌てて手を出そうとして、止まる。リチャードはメアリーの細やかな異変に気づいて、ぽんと頭を撫でた。
リチャードの顔に柔らかな笑みが浮かぶ。
「ミス・ベネット。君も休みたまえ。顔色が悪い」
「死んでますもの。顔色が悪くて当然ですわ」
そう言いつつも、メアリーは微かに微笑む。気づいて、気遣ってくれたそれが嬉しかったから。
スカートの裾を摘まんで、作法通りに礼をする。
「かしこまりましたですわ。ミスター。ベアトリクスを部屋に案内しますわ」
「……頼むわね」
返事を返すベアトリクスの顔色が悪い。疲れのせいと2人に思われているようだが、それだけではなかった。
頭を撫でるなんて親しげな仕草は、メアリーにしか見せないのだろう。あの柔らかな笑みも。
2人の絆を改めて思い知って、胸の奥に澱がたまるのを感じた。
目覚めて、身支度を調え、朝食代わりのティータイム。
リチャードは砂糖なしのミルクティー。ベアトリクスはストレート。メアリーだけは砂糖をたっぷりミルクティー。
ショートブレッド、ジンジャービスケット、ミンスパイ。英国菓子を目にして、メアリーの瞳がまた輝く。
「イタリアのドルチェも悪くありませんが、やはり紅茶には英国菓子ですわね……」
そう言った後、はっと口をつぐんだ。カッシーニのことを思い出したのだ。
それを目にしてリチャードは、現在のカッシーニとクリスの様子を語る。
「……そう、ですか。『まだ』生きていると……」
「ああ。ミス・ベネットが会うことは難しいがね」
監獄塔に封印されたまま、出てこられないし、聖堂内にメアリーが入ることはできない。
永遠の別れのような寂しさが、菓子の甘さを感じ無くさせていた。
「お嬢さん、リーの方はどうなったのかしら?」
「え、ええ……そちらは大丈夫ですわ。……ミスター。ミスター・ヘンリーについて、お聞きしてもよいでしょうか?」
「ヘンリーが、どうかしたのか?」
「あのかたは……エクソシストではないのですわよね? でも……リーの道術を封じる方法を熟知されていて」
「ああ、なるほど」
警察に捕まっても、術で逃げ出す危険性があった。ヘンリーはその術を封じて、牢に入れたと聞き、メアリーは目を丸くしたのだ。
「ヘンリーはエクソシスト候補生だった。カッシーニ教室に入るつもりだったようだが、先生に落とされたんだ。『エクソシストに向いてない』とね」
ヘンリーの感は、微弱だが予知能力に近い。神秘術と親和性があった。
「まあ! それでは、エクソシストになる適性はあったのですわね」
「そうだ。そしてヘンリーは諦めなかった。エクソシストがダメなら、別の道をと探し求めた結果が……東洋趣味だ。西洋の術がだめなら東洋のと、ずいぶん熱心に東洋呪術を研究していたようだ」
最初のティーカップの調査の時、呪符を用意したのはヘンリーだ。
「リチャード。聞いてないわよそんな話。だったらリーを探させるのに、一番適任じゃない」
ベアトリクスの言葉に、リチャードは真剣な顔で首を振った。
「術を研究したといっても、戦闘技術は学んでいない。一般的な警察官レベルだ。ただの人間ならともかく、化物やリーと戦わせるのは危険だ。それに……できればヘンリーを巻き込みたくない」
ヘンリーを気遣うリチャードの様子に、女2人は目を合わせ、ひそひそと内緒話に興じる。
「……実は、私たちのライバルは、ミスター・ヘンリーではありませんの?」
「そうかもしれないわね。だって仲良すぎてかえって怪しい……」
「僕の前で内緒話ができると思っているのかね?」
「まあ、ミスター、流石。お耳がよろしい」
まったく……とリチャードは溜息交じりに説明する。
「ヘンリーとはパブリックスクールの寮でずっと同室だった。その頃からの付き合いだ。長い友人を案じるのは、おかしなことではないだろう」
「……寮の同室ですの」
「……パブリックスクールのね」
思春期の男達が、寮に押し込められ、何年もともに時を過ごすのだ。あやまちがあってもおかしくない。
女性陣のおかしな妄想を止めるのが面倒になって、リチャードは無視することにした。
「さて、状況を整理しよう。カッシーニは英国国教会が、リーは警察が押さえている。その間に我らは従僕退治といこう」
「サウサンプトン港にいるのですわよね?」
「ああ。僕らが休んでいる間に、場所が特定されたらしい……忌々しいことにね」
リチャードが眉根を寄せて、盛大に溜息をついたので、メアリーが首を傾げた。
「どこにいますの?」
「今日出発する、ニューヨーク行きクルーズ船・カテドラル号。既に入船しているらしい。出港は今日の夕方だが」
エリオットから届いていた手紙には、何故かチケットが三枚入っていた。たぶんグスタフの入れ知恵なのだろう。
「まあ! 豪華客船! 素敵だわ。わたくし乗ったことがありませんの」
「最近話題の船ね。美食に、美しき音楽と、めくるめくダンスパーティー」
「遊びに行くわけではないのだよ、レディ達」
こういう反応をするだろうことは予測がついていた。
それにそれ以上に嫌なことがあった。
「1つ大事な話がある」
「あら、どうしましたの?」
「今回、船の上で、僕の探知は使えないと思った方がいい」
「リチャードが珍しいわね。どうしてかしら?」
「外は潮風、船の中は密室。一等席なら酒と美食と香水、三等席なら汗と汚物。臭い匂いだらけで鼻が曲がる。限界まで人を乗せるせいで、騒がしすぎて耳もおかしくなる」
「あらあらまあ……それはお気の毒ですわね。ミスター」
「人がたくさんいるなら……ひたすら聞き込みかしらね?」
「そういうことだ。心してくれたまえ」
楽しい船旅とはいかないだろう。化物が乗った船がニューヨークに辿り着くとも思えない。
カテドラル号という名に、皮肉なものを感じた。
「大聖堂とは、欲望渦巻く豪華客船に似合わず、荘厳な響きだ。そのまま葬式にならないと良いがね」




