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深夜と言っても良い時間に、街へと帰宅したリチャード。妖精達に振り回されて、ぐったりしていた。
だが……その疲れもメアリーの姿を見たら吹っ飛んだ。今にも泣きそうな顔で飛びついてくる。
「ミスター! 申し訳ありません」
メアリーがリチャードの背に隠れ、グスタフとクリスが恐ろしいかのように怯えて震える。
グスタフはニヤニヤと軽薄に。クリスは怜悧に淡々と、いつも通りに変わらない。
「……グスタフ。ミス・ベネットに何をした? 失礼のないようにと言ったはずだが?」
「ちょっと……遊んだだけだぜ。いやー面白かった。動きも身軽で、金属みたいに硬くて、タフネスで、腕力もある。その割に、人間とは思えないほどとても軽い」
「リチャード。グスタフが手荒な真似をしたのは事実だが、君が情報を隠し持つせいだ。僕達と手を組むつもりなら、全部話してもらおうか」
だいたいの事情を察して、リチャードは思わず下品なスラングを口にしそうになり、唇をぐっと噛み締めてこらえた。
「今日は疲れてる……ミス・ベネットも怯えてるようだ。明日、ゆっくり話をするから、一晩寝かせてくれ」
リチャードの疲れは顔にもはっきり出ていたので、二人も仕方なしに諦め、ホテルで休んだ。
朝、ホテルのベットで目を覚ました時、リチャードは自分の五感の強さを呪った。
遠くで諍いが聞こえる。グスタフがメアリーを揶揄い、怒ったメアリーが反論する。朝から元気な二人だ……と呆れた。
仕方なしに身支度を整えて見に行くと、二人は素手の近接格闘術をしていた。
「……何をやってるんだ。グスタフも子供相手に本気になるとは馬鹿だな」
「そうでもない。彼女は凄いな。きっと今頃グスタフも、喧嘩を売ったのを後悔してるだろう」
いつの間にか隣にいたクリスが、いつも通りに淡々と語る。
「昨日グスタフが見せた技を模倣してる。まだまだ素人だが、一度見た技を模倣して、一晩で使い始める。鋭い観察力と柔軟な吸収力は素晴らしい」
クリスの素直な賞賛を初めて聞いて、リチャードは驚いた。
七人会の中でグスタフの近接格闘術は一番だ。
「ミス・ベネット。その辺りでストップだ。いつまでも野蛮人の相手をしていないで、朝食にしよう」
「リチャード。野蛮人って、ひでぇな……」
「手加減なしに、女性に手をあげる時点で、君は野蛮人だ」
リチャードの突き刺すような目線を、グスタフはけろっと受け止めて笑った。
四人で朝食を食べ始めたが、メアリーは呆れて思わず食事の手を止めた。
グスタフは四人前くらいの朝食を、もりもり食べつつ朝からビールを飲んだ。
対称的にクリスはハーブティーと、ナッツとドライフルーツだけという、修行僧のように質素な食事だ。
リチャードは二人の様子に慣れていたので、何も言わずに、いつものようにキューカンバーサンドイッチを摘む。
「ベイリー男爵の娘で、僵尸? 屍人? よくわからないが、お嬢ちゃんは化け物って事だ」
「化け物じゃないわ。野蛮人」
メアリーは唇を突き出して、グスタフに言い返す。二人の会話は子供の喧嘩だ。
「まだベイリー男爵は意思があって、そのタイプライターで話は可能。ただし……嘘や隠し事をする可能性も高い。使いどころが難しいな」
「完全に死んで何も聞けないよりマシだ。ノースブルックは行方不明となってるが、恐らくリーに口封じで殺された。その為にあの日リーは現れたんだ」
リチャードはノースブルックの屋敷での自分の失態を思い出し、眉間にしわを寄せた。
メアリーの正体を知ったところで、グスタフもクリスも全く驚かないし、態度を変えない。
それがメアリーには不思議だった。
「ん? 面白いと思うけど、食事を美味しいと感じたり、話したりできるんなら、人間と大して変わらないんじゃないか?」
「グスタフよりも、行儀が良さそうだ」
「ひでーな、クリス。その特製のボーンチャイナ? 欲しくないか? だってそれかなり軽量で頑丈な素材だぜ。防弾ベストにして、服の下に着込めそうだ」
「製造方法はそのリーという男を、生け捕りする必要がありそうだ。素材はどうする?」
「人を殺すのはよくないが、人骨なんて化け物退治してれば、いくらでも手に入るんじゃない? 足りなかったら墓嵐らしでもするか」
メアリーは開いた口が塞がらないという感じで、呆れっぱなしだ。
「ミスター? あの女も異常だと思いましたけど、ミスターのご学友は変人しかいませんの?」
「残念ながら、変人ばかりなのは確かだ」
「俺は普通だ、ふつう。別世界で、お高く止まったリチャードやエリオットと違って、現実的に物を見てるだけだろ」
「そのエリオットが、メルヴィンを殺した」
カツン。フォークが皿に当たって音を鳴らす。一瞬、場の空気が変わった。
その一瞬を、リチャードはしっかり観察した。クリスは全く表情を変えない。
グスタフは驚いた顔をしているが、知らずに驚いたのか、知ってても驚いたのか。軽薄そうに見えて、食えない男だ。
「ちょっと待て、どうしてエリオットがメルヴィンを殺したんだ? 俺には理由がさっぱりわからない」
「カッシーニ先生が言っていた。七人会の中に異端審問官が二人いる。そのうちの一人がエリオットだ。メルヴィンはベイリーとノースブルックの計画を見逃していたようだから、教会内での制裁だろう」
「……二人という事は、もう一人いるな。リチャードは誰を疑ってるんだ? 僕か、グスタフか、ジミーか。ベアトリクスを探すあたり、違うと思っているのだろう?」
「ジミーは死んだ。化け物になったから、エリオットに殺された」
ジミーの最後を語った時、普段は冷淡なクリスでさえ、わずかに顔をしかめた。
エリオットもジミーも、あまりに哀れだ。
ジミーに黙祷を捧げるように、静かに朝食を終え、四人でホテルをでた。外をゆっくり歩きながら、話し出す。
「リチャード。昨日の成果を披露しあおうか。グスタフはサボっていたようだが、君は何か掴んだな?」
「クリスもそうなのだろう?」
「俺も、お嬢ちゃんの実力という、重要情報を掴んだと思うんだけどな……」
メアリーにキツく睨まれて、グスタフは笑って受け流した。
「軽く教会を回ったが、ベアトリクスを見かけたものはいない。地下は、僕たちの教室は見にいった。最近まで人がいた痕跡がある。食料や毛布が残ってた。ベアトリクスが根城にしてたのかもしれない」
「こちらは大学内の書庫で、メルヴィンのものと思われる手記を見つけた。だが……それは本命の隠し場所がどこなのかを、書き残したものだ。恐らく……自分に何かがあったときに、仲間に連絡するようにとっておいたんだろう」
リチャードが取り出したのは、一見ラテン語で書かれた中国文化史。だが、中身は手書きで、暗号解読をすると、別の意味が書かれていた。
「光の女王に挨拶をしてから、怪物の下をくぐり抜け、鷲獅子の見つめる方向へ百歩歩いて、鬼の顔をノックしろ。異界への扉は夜開く」
「何ですの、それは? 化け物の巣窟にでも行くのかしら?」
メアリーが小首を傾げたので、リチャードが苦笑して説明をくわえる。
「怪物、鷲獅子、鬼は、全部恐らく彫刻だろう。古いゴシック建築物には、守り神として、怪物の彫刻を置くのが伝統だ」
「光の女王に挨拶が、手がかりだな。恐らく……これだけは彫刻ではなく、ステンドグラスだ。光に透けるから」
オックスフォードには古い建築物が、数多く存在する。街をゆったり一瞥して、クリスはピタリと立ち止まった。
クリスは切れ長の翡翠の瞳で、一つの建物を射抜いた。
「多分あそこだ」




