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9話 


「その傷はいったい?」


「これはな、今日俺達が山賊に襲われたときにできた傷だ」


 リチャードの傷痕を夜風がなでる。悔しさと苦痛の混じった表情をしたまま勢いよく服を降ろした。


「信じられないかもしれないが、俺達はウールに助けられたんだ。俺がこの程度の傷で済み、今こうしてお前と話していられるのもウールのおかげだ」


「だ、だが奴は魔王だ?! 助けておいてお前らを殺したり利用するかもしれないのだぞ?!」


「それでも恩を仇で返すなどという事はしたくない。もしそうするならそれこそ俺達が魔物だと思わないか?」


「……ッ! だが魔王であることに変わりない! 俺達人間の敵だ、悪そのものだ!」


 そう言うといつの間にか手に持っていた土をリチャードの顔に投げつける。目に土が入りリチャードは思わず後ろに下がってしまう。


 その隙をついて勇者は全速力で逃げ出した。ウールは彼を追おうとするがリチャードに「夜の森は危険だ」と注意され追うのを止めた。


 闇の中へと消えていく勇者。その姿をウールは無言のまま見送っていた。やがて騒々しさは消え、再び辺りは夜の静寂に包まれる。


「すまないウール、さすがにこの森の中を探すわけにはいかない――」


「眠い、疲れた……。寝かせてくれ」


「……え?」


 ウールの舌足らずで眠たそうな声に神妙な面持ちをしていたリチャードの肩の力が抜けていく。そしてウールは大きなあくびをすると目をこすりながら自分の寝場所へと戻っていった。


「……こんな子に俺達は助けられたのか」






 翌日の朝


「――ということが昨日あった。迷惑なものだよまったく」


 カスマ村へと向かう馬車の中、ウールは気だるそうに昨日の事をベルム達に話していた。眠気が取れてない半開きの目をこすり、時々大きなあくびをしている。ベルムは深々と昨日ぐっすりと眠っていた事を謝るが、ウールは「構わんよ」と言いベルムの肩をそっと何度か叩く。


「しかし不思議なものだな。勇者のように魔族を憎み、敵だと思う奴が大体だと思うのだが、お前達はなぜこうも私達に好意的にするんだ?」


 クレアはあまり深く考えていなかったようで曖昧な返事しか返さない。だが少し経つとオリヴァーが手綱を持ったまま重々しく口を開いた。


「命を顧みず助けてくださった、からですかね。そんな方は人間でもほとんどいませんから」


「うーん……。その気持ちは分からんでもないが、そこまで思うことか?」


「お二人に悪意をあまり感じないというのもありますが、そう思うほどこの国は今疲弊しきっているのです。……人間という生き物は悲しいもので、そのような状況になればなるほど自分だけでも生き残ろうと躍起になり、騙し、裏切るのです」


 そう言うとオリヴァーは今の国の現状を淡々と話し始めた。



 10年ほど前に現在の国王に変わり、それに伴い王国の人事も大幅に変更された。その後国内の空気は次第に悪化の一途を辿ることになる。上流階級による搾取は当たり前、生活は苦しくなり治安は急激に悪化の一途を辿るばかり。職を失ったものや孤児の増加、そして奴隷となるものが急増した。不作の年には国は碌な対応を取らず餓死する者が大量に生まれてしまう――



「ひどい世の中になったものです。厭世観(えんせいかん)が国中に漂い、戦争の無い平和な時代になったはずなのにこれではあまり変わらない……。私達商人はまだ人並みの生活を送れていますが、貧困層となると……」


 大きなため息をつくオリヴァーの背中は重苦しい雰囲気を滲み出している。クレアは伏し目がちのまま何も言わない。


 誰も言葉を発しない。抜け出したくなるような陰鬱な空気がそうさせている。



「愚かなものだな」



 オリヴァーもクレアも、そしてベルムさえもウールの傍若無人ともいえる遠慮のなさに驚きを隠せなかった。


「同じ種族だというのに互いに食いつぶし合うとは。魔族を敵とし、見下していた人間も結局はその程度か。これなら魔族の方が上と言っても過言ではないかもしれんな。それに、そんな調子だと私達魔族が支配するのも容易いだろうな」


 ウールは「面倒だからしないとは思うが」と付け加える。するとふさぎ込んでいたように押し黙っていたクレアが重い口をゆっくりと開く。


「ウールちゃんが魔王というなら、いっそのこと支配された方がいいのかも……」


 クレアの発言にオリヴァーが思わず注意をした。ウールとベルムは口をポカンと開けたままだ。


「ウールちゃん達魔族の方々を私はよく知らない。でもウールちゃん達と過ごしてみて思ったの、魔族はもしかしたら人間が思うほど悪い方達ではないのかなって」


「いやいや待てクレア。それは少し早計すぎないか? 私達魔族と人間は戦っていたのだぞ?」


「でもそれはずっと昔の事。今は全然殺し合いをしていないし、むしろ私達人間がずっと人間同士で殺し合っている。こんなひどい世界ならいっそ……」


 クレアは感情を抑えようと必死に服の裾を握りしめ、様々な感情の混じった声で訴えるように言葉を漏らす。これまでの優しい彼女の姿からは想像もつかないほど感情が吹き荒れるように現れていた。



 そんなクレアの姿にウールとベルムは戸惑いを隠しきれなかった。そして申し訳なさそうに謝るとクレアも慌てて謝った。


「ほんとひどい境遇なんですね人間は。あ、ひどい境遇といえば魔王様、『黒騎士』もたしかそうでしたよね?」


「あー……『黒騎士』か」


 ウールは『黒騎士』という単語を聞いた瞬間、死んだような目で虚空を見上げる。クレアが『黒騎士』が何者なのか恐る恐る訊ねるとウールは気の乗らない表情をしたまま話始めた。




『黒騎士』は人間の女性だ。にも関わらず戦いの強さはベルムを遥かに凌ぐほどで、ウールに「もしかしたら配下で一番強いかもしれない」と言わしめるほどである。『黒騎士』と呼ばれる理由は身に纏う漆黒の鎧、そして戦場で見せる鬼神の如く敵を狩る姿から畏敬と恐怖の念を込めてこの通り名で呼ばれるようになった。


 だが『黒騎士』の素顔はそのような忌み嫌われるものとは程遠い。気高く、そして何人をも魅了する美貌を兼ね備えた女性だ。


 そんな彼女とウールの出会いは10年前にウールが魔族を率いて魔王城を奪還しに行く道中の事だった。当時、二つの王国が戦争の最中であり南方にある村や街が次々と戦火に飲まれ、見るも無残な廃墟と化す場所もあったほどだった。


 これは人間にとっては不幸であるがウール達魔族からすれば幸いな事だった。ウール達は人間達が互いに殺し合い、破壊の限りを尽くした跡をただ通り過ぎるだけで済んだからだ。結果、自軍への被害など皆無と言ってもいいくらいに抑える事ができた。


 その廃墟と化した村の一つを通っていた時に、後に『黒騎士』となる小さな少女とウールは出会った。ウールははじめ少女に一切の興味を示さなかった。だが少女の乞食のように薄汚い身なり、それでいて悪鬼のように恐ろしい気迫と、復讐に身を焦がした哀れな姿を見ると興味を示し始めた。そして少女はウールに対して幼い子供とは思えないほど家族や、村を全て奪った者達への復讐を吐き捨てるように語った。この事を聞いてウールはある事を思いついた。



 こいつを教育し配下にする。そして復讐心を利用すれば最強の兵士になるのではないかと――




 ウールが語り終えるとクレアとオリヴァーは復讐に燃える少女の悲しみを痛感しているように沈んだ表情をしていた。


「悲しい話ね……」


 クレアは消え入るような声で言うがウールはどうも締まらない曖昧な返事をするだけだった。疑問を感じクレアが訊ねるとウールは後悔と疲労で満身創痍となったように手を覆い、少し声を震わせながら答えた。



「……いつからかあいつは、私を愛するようになったんだ」

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