2-8 役割(ロール)
フォークの先に刺さったサラダのシュリンプをいつまでも注意深く観察する。普段は気にも留めていなかったけれど、こう見てみると赤と白の縞々模様がけっこう綺麗だ。カットフルーツの添えられたコバルトブルーのカクテルも口を付けず、何度か匂いを嗅いでみる。……少し酸っぱい海のような匂いがした。匂いにつれられて出てきた唾液だけ飲み込んだ。
それから口の中で探し物をするように舌を這わせた。探し物は見つからない。ぼんやりと辺りを見渡す。みんな高笑いしている。踊りながら酒を浴びるように飲んでいる。フロアで転げ回り、抱き合ったり、肩を組んだり、物陰で情事に耽ったりしていた。レンは、情けなくて寂しい気持ちになって少しだけ苛立った。
「どうしたレン! 楽しんでるか!?」
「いいや。あんま食欲なくってさ」
ソファーの端っこで俯いていたレンを奥へ押しやるように髭面の大男が隣に腰掛けてくる。不自然なほど白く輝く歯を見せながら不敵に微笑むこの男はドイル。火星自由主義統一戦線の幹部で、レンにゲリラとしての多くを叩き込んだのもこの男だ。
「なんてシケた顔してやがるガキんちょめ! 長距離狙撃銃のことならもう気にするな! あの夜、お前らが命懸けで持ち帰ったトラックの荷台に連合の最新式がどっさり載ってたのを見ただろう?」
ドイルがミニチュアのような錫のジョッキを飲み干してテーブルに叩きつける。よく見ると、レンの頭と同じくらいの大きさだ。
「傷は!? やっぱり大したことなかったんだろう、大袈裟な!」
「痛ぇって!? 別にどうってこと無くても、そんなすぐ治る傷じゃねぇよ」
ドイルに拳で打つように発破をかけられた胸の傷が鋭く痛む。マリネリスの作戦から僅か三日後のことだった。レンの顔にはまだかさぶたになりきっていない擦り傷と青あざがあったし、服の下にはもっと酷い傷ができていた。毎朝、パメラが痛み止めと軍用のスティム・ジェルを持って手当に来てくれるのでなんとかなっている状態だった。本来なら入院していてもおかしくはないが、ゲリラにはそんな社会保障など存在しない。
レンは鼻に籠もったような溜息をついた。そして、フォークの先から歯でシュリンプを掠め取って飲み込んだ。レトルトの合成食品よりも数百倍美味しかったので、思わず目を輝かせた。
「……シウから聞いたぞ。俺はお前に『戦場で女は殺すな』なんて教えた覚えは無い。そうだな?」
ドイルが先ほどまでの陽気でガサツな口調とは打って変わり、静かに呟く。それから葉巻を口にくわえると、どこからともなくライターを持った酔っ払いが慌てて走って来た。しかし、ドイルは自分の懐から取り出したライターで火を付けてしまい、皮肉な笑みを浮かべて追い払った。レンは知らんぷりをしてエビを咀嚼しながら味わった。
「レン。俺たちはな、戦争をしているんだ。ガキの遊びじゃない。戦いで女子供は殺さないなんていうのは、連合の連中がそこら中で吹聴している嘘っぱちの演説と同じ浅はかで出鱈目な空想世界の夢物語だ」
レンはすぐにドイルが何の話をしているのか理解した。勿論、説教をされている自覚もあった。
「……分かってるよ。連合は自分の気に入らない奴は誰だって殺すし、殺すためなら手段を選ばない卑劣な奴らだ。相手が女の子だろうと子供だろうと関係無い。知ってるよそんなこと」
「そうだ。ならば、なぜ殺さなかった。火星防衛軍は連合の手先だ。もはや火星人の同胞ですら無い」
「戦う気の無い奴を殺したら、連合と同じだと思ったんだ。俺はあの子が死ぬのを見たくなかった」
「遅かれ早かれだぞ、レン。お前が殺そうと、誰が殺そうとな。さては惚れたか?」
ドイルが全く感情の籠もっていない口調で吐き捨てる。レンは白目を剥きそうなくらいうんざりと目線を上に逸らした。それから、フォークを皿に投げて「ああ、そっか。そうかもね」と実に生意気で気の抜けた返事をした。そんな減らず口を塞ぐように、ドイルが火の点いた葉巻の吸い口を押し込んでくる。
「タバコは吸わないって! 不味いんだよコレ」
「レン。今のお前は狙撃手に向いていないばかりか、我々の戦力にすら値しない。だから俺はあえてお前に”明確な殺害”の役割を与えた。『習うより慣れろ』だ、レン。息をする前に引き金を引け。瞬きをする暇があったら、己の放った弾丸で敵の頭が弾け飛ぶ最期の姿を目に焼き付けろ。情けをかけるな。例え標的が絶世の美女であったとしてもな。一度狙った獲物には確実に留めを刺すのが戦士の流儀という物だ」
気を紛らわそうと嫌々吸い込んでみたは良いが、レンはこんこんと噎せ返る。口と鼻の奥が甘ったるような苦いような味でイガイガしてしまい「あ゛ー」と間抜けな鳴き声で洗い流そうとした。ドイルが鼻で笑いながら葉巻を奪い取り、レンの背中を遠慮無くぶっ叩く。まだ肺に残っていた煙がレンの口と鼻から飛び出した。
「違うよ。一度狙った獲物にはチンポブッ刺すまで諦めないの間違いだろ。戦士だなんて……殆どはドイルが言うような格好の良いものじゃない。そうでしょ?」
「ふん。相変わらずそういうところだけは容赦も遠慮も無いな、レン。俺も出来ればそういった輩は一人残らず縛り首にでもしてやりたいところだが、そうも言っておられん。人手が足りんのだ。みんなの不満を解決する手段もそう多くは用意してやれん……」
「…………結局、あの女どうなったんだか」
なんて。レンは出来るだけ狡猾に惚けたセリフを吐き捨てた。確かクリスとかいうあの兵士が生きているのか死んでいるのかにはあまり関心が無かったが、ドイルや仲間たちに自分の裏切り行為がバレていないかが気がかりなことは確かだった。ドイルがどんな反応をするか内心冷や冷やしながら黙っていたが、ドイルはいつもの調子で茶化してくるだけだった。
「ま。どうにもこうにもお前はまだガキだ、レン。いい加減今夜にでもパメラか、メリッサあたりに頼んで抱かせてもらえ。だからこそ、まずはちゃんと飯食って精をつけておけよ! ガッハッハ!!」
「なんでいつもそうなるんだよ! そんなの関係ねーし……」
ドイルがジョッキを片手に席を立つ。不貞腐れたレンは尖った口先でさらに一口、二口ほどシュリンプサラダを吸い込み、青いカクテルで無理矢理胃に流し込んだ。それから自分も席を立ってナイトクラブのラグジュアリー・ラウンジを後にすると、メインホールで踊る若い男女を尻目にバルコニーを目指してとぼとぼと歩き続けた。
「あー!? レぇん! シケた顔して、どこイクのぉ~?」
「うわ!? メリッサお前──」
クロークのあたりに差し掛かったところでベロベロに酔っ払ったメリッサが胸に雪崩れ込んで来る。彼女がよくわからない言語でべろべろと喋っているのを見たリサとパメラが腹を抱えて爆笑する。
「ほらぁ! レンがちゃんとみてあげないから! その女、おかしくなってイカれちゃったじゃん!」
「まぁ、もとからイカれたアバズレ女だけどね!」
「あぁ!? だぁれがアバズレよ!? ぶっ殺すぞぉぅ!?」
メリッサは拳を振り上げパメラに殴りかかろうとしてくる。しかし、急に片足立ちで静止したかと思えば、まるで無重力空間でゆっくりY軸回転するように倒れていくので、咄嗟の判断でレンが抱き支えるハメになった。不可抗力に身体を弄ばれたメリッサが小さく喘ぐ。さらに、そんな場面を目の当たりにしたリサとパメラはより一層下品に笑い散らかしてはしゃぐ。
「ギャハァーッ!? レンってば、なんでその女の『イイとこ』知ってんのぉ!? さては、ついにヤッちゃった!?」
「は!? ち、違う! 倒れそうだったから手が出て──擦れただけだ! わざとじゃない!」
「レン…………。いいよ、もっとコスって……?」
「黙れ、バカ女! あっち行けって!」
「あ。ひっどぉ~い! ヤリ逃げじゃん! ねー、みんなでヤろうよー??」
酔っ払いの少女が三人、ゲラゲラと肩を組みながら抱腹絶倒しかけている。その隙にレンはいそいそと実に酒クサいクローク前を後にする。後ろからはまだ何やらロクでもないラブコールの類が飛んできているようだが、耳から耳へ聞き流して無視した。
やがてバルコニーまで辿り着く。まずはアルミニウム製の手すりによしかかって、外の新鮮な空気を思い切り肺に吸い込んだ。そして長い時間をかけて吐き出し、そのまま手すりに顎まで乗せて一人ぼっちでだらだらと退屈な時間を潰すことにした。
「レン」
しかし、静かな時間は5分も経たないうちに誰かに邪魔されてしまった。最初は身内の酔っ払い女の誰かに見つかってしまったのかと思って落胆したが、嫌々ゆっくりと振り返ってみたところ、そこに立っていたのは見慣れない白金髪の白人女性だった。
「レン、だよね……。夢みたい……」
「…………悪いけど、どっかで会ったか?」
唐突に、面識の無い女が両手で顔を覆ってぽろぽろと涙を流し出すので、レンは眉間に皺を寄せて後退りする。自分が気付いていないだけなのかと凝視してみたが、どうにも思い当たる節が無い。少なくとも、レンが身を寄せるドイル隷下の部隊にはこんなに目立つ美人はいなかった。今宵、ゲリラたちが宴を催すこの場所は、タルシスシティの豪華絢爛なそれとはほど遠いマリネリス密林地帯の北西端に位置する小さな歓楽街だったが、無論、街にはゲリラと無関係の人間も多く暮らしている。
だから、レンは女が身内ではないと確信して警戒しようとしたのだが──
「忘れちゃった? ……私だよ。クリス」
嘘だろ──。と、レンは思った。でも、そう言われてみれば言われるほど、目の前で泣きじゃくる女の子は、数日前に自分が気まぐれで助けた火星防衛軍の女兵士でしかなかった。今夜は泥まみれの戦闘服では無く、あまり履き慣れていなさそうなタイトジーンズに上品なブラウスのコーデだ。見える場所にはどこにもタトゥーが入っていない。編み込みの凝ったヘアスタイルがよく似合っている。さらに、メリッサのそれと比べて20倍くらいに希釈した濃さの繊細なメイクアップは、彼女の端正な顔立ちをよりいっそう引き立てていた。その顔を泥まみれのブーツで踏んでしまったレンの罪悪感が少なくとも20倍増した。
「…………どうしてこんなところに?」
レンはハッと気付いたようにクリスの手を取った。それからすぐ、バルコニーの階段を駆け下りることにした。
「ちょっと……!? ねぇレン、聞いて……!」
「いいから。こっちに」
レンの予想は上手く当たってくれた。クリスと二人で物陰に張り付いたところで、バルコニーに例のバカ女三人組がやって来て、合成テキーラの中瓶をラッパ飲みし始めたのだ。
「レぇン!? どこぉー!? 3Pすっぞぉ~!?」
「ばぁか! アイツ入れたら、4Pでしょぉ!? でゃははははハァッ!!」
「まぁ、〝入ってきちゃう〟のは、あたしたちの方だけどね!? ハァーッ!」
「……チッ。ぶっ殺すぞ糞女どもが」
レンが怒り狂う野良犬のように顔をしかめて舌打ちをする。クリスは真っ赤になって俯き、もじもじと
申し訳なさそうに身をよじらせる。
「お…………おともだち……?」
「ハッ、まさか。連中がそんな良いものに見えるなら、お前もどうかしてるよ」
そう言いつつ、レンは短くて深い物思いに耽った。
レンはあの夜、あの三人の誰もが、自分の生還を心から歓迎していたように感じた。メリッサはいつまでも胸から離れず啜り泣いて譫言を申し付け。パメラは酒が入っているときとは別人のように何かと気にかけて丁寧な治療をしてくれたし。爆撃が止んでから部隊の回収に来たリサは見たことも無いような笑顔で歓声を上げてハグしてきた。友達かどうかは兎も角、レンの中で彼女たちはそこまで悪いものでは無くなっていた。少なくとも、半年前と比べれば少しは身近で大切な存在に感じた。
「お前、死んだか、殺されたかと思ってたけど、生きてたのか」
「…………殺されると思った。でも、生かされた」
「どういう意味だ?」
心臓が普通じゃない脈を打った後、息が詰まってしまう。クリスが何を言っているのか分からなかったが、良くないことだと直感的に感じた。
「畜生っ! アイツ、やっぱコロス!!」
メリッサが吠えた。クリスが大袈裟なくらい肩と背中で驚愕していた。レンにとってクリスのことは別に大切なわけでも何でもなかったが、彼女が怯える様子を一瞥すると、自然とメリッサから隠すように腕でさらに物陰へと押し込んだ。──いつの間にか、クリスは震えながら遠慮がちにレンの腕を抱いていた。メリッサとは全く違う官能的な感触がレンの腕を包み込んだ。
「レン、どこ行ったのよ……。せっかく最後にみんなで飲みに来たのにっ……」
「ちょっと、リズ。演技でも無いこと言わないでよ。明日死ぬわけじゃあるまいし」
「死ぬかもしれない。死んだっておかしく無い!アタシが飲む酒は、いつだって最後の酒なの!」
「なぁに、メリッサ? アンタやっぱりレンがいないとそうやってすぐヒスっちゃうワケ? 寂しがり屋なんだから」
「はぁ?? 寂しくない! イジる相手がいないと、退屈なだけだし……」
「もー、素直じゃないなぁ……。かぁわぁいぃ♪」
「触んなよ、糞女! ああもう……やだぁ……。マジで濡れてきちゃった──」
「お前たち。邪魔して悪いが、レンを見ていないか」
いつの間にか、リサの背後にシウが立っていた。パメラはびくっと肩を振るわせ、反射的に頭を低くする。メリッサを撫で回していたリサはピタリと手を止めてあんぐり口を開き「出た。密林の幽霊」と横目でシウを一瞥した。
「知らない。あんな男」
メリッサはパメラの胸に頬を埋めたままシウを睨み付けた。
「なんだ。また喧嘩したのか、メリッサ」
「してない! あー、ウザ。シラけるわ……!」
「ちょっと、リズ! 痛いよ……」
メリッサがパメラを突き飛ばす。そのまま肩で怒りを露わにしながら、前のめりになってヒールのカンカンという大袈裟な足音を鳴り響かせてバーの屋内へと戻って行った。パメラとリサはバツの悪そうな目配せをしながらシウに向き直って、悪戯してるところを見つかった気まずさに満ちた犬のような目をする。
「おいおい……。まぁなんでもいいが、レンを見たらVIPルームの4番に来るよう伝えてくれ。ドイルたちから大事な話があるんだ」
相変わらず身を隠したまま聞き耳を立てていたレンがピクリと緊張する。話ってなんだろう──思い当たる節があるにはあったが、それは先ほどもドイルから散々言い聞かされたことと同じようなことばかりだった。だからこそ、わざわざ説教された後に改まって呼ばれるということは、そこには自分の知らない何か大きな話があるのではないかと考えた。
気が付くと、バルコニーにはもう誰の姿もなくなっていた。
「レン。行くの……?」
そして、もうなんだかよくわからないくらい心地の良い感触がレンの右腕を挟み込んでいた。チラチラと遠慮がちに目をやると、少し突いただけで大決壊して大泣きし始めそうな顔のクリスが藁にもすがるようにレンの腕を胸に抱え込んでいた。相当高級な感じのする柑橘類と白檀のような良い香水の内側から漂う──クリスのほんのり甘くて官能的な体臭が、ほとんど直撃にレンの嗅覚を刺激した。
「きっと仕事の話だ。行かないと」
「…………私も連れて行って」
レンはクリスの言葉に耳を疑った。彼女がそう言った理由がまるで分からなかった。レンにとってのクリスは、そんなことを口走る筈も無く、むしろゲリラからは遠ざかるように逃げ出すか『一緒に逃げよう』などと駄々を捏ねる印象しか無かった。
「これが、私が生かされた理由。お願い、まだ死にたくないの……」
────暫くして。レンは何も言わずクリスをVIPルームへエスコートして行った。




