2-6 楽園
「にゃん」
「ああ……。おはよ」
「るぅぅにゃ……」
「もぉぉ……。分かってるよ。起きる、起きるって。ぜったい二度寝しないから……」
「なぁぁ~お…………」
レンは、仕方なく起き上がることにした。青く晴れた空に、いくつか白い雲がふわふわと浮かんでいた。丘の上に立つ大きな柳の枝についた葉が、わいわいとお喋りするくらいのそよ風が吹いていて、緑色一色の草原が波打っている様子が実に心地よかった。
「なんだよ……。人のこと起こしておいて、自分はいなくなっちゃうのかよ……」
レンは柳の周りをぐるぐると歩き回って見上げたが、どこにも彼女の姿は無かった。とても寂しい気持ちになった。
「オヤツ! もうあげないからね!」
返事は無かった。意地悪を言ったことを少し後悔した。罪悪感で気持ちが悪かったので、スケッチブックとクレヨンを取り出して誤魔化すことにした。
「何を描いているの?」
「わかんない」
「かわいいね。白くてふわふわだね」
「わかんない」
「好き?」
「……わかんない」
「キライ?」
「ちがうよ」
「そっか。そうだよね」
レンは潤んだ瞳で空を見上げた。今度は一筋の飛行機雲が見えた。レンはきっとあれがロケットだと思った。だから指差して尋ねた。
「ロケット。どこいくの」
「お月様かな」
「月って、どんなところ」
「ちょっと寂しいところ。地面がでこぼこで。空気が無くって。花も草も生えていない。空の色は、宇宙と同じ真っ黒け」
気が付くと、スケッチブックには白いふわふわと、緑色の原っぱと、真っ黒い空が描かれていた。最初は地球の青い空を描いていたはずだった。レンは少し怖くなった。
「大丈夫。ニンゲンが住める場所だけは、ちゃんと作ってあるから。地球と変わらないよ。シェルターよりも、宇宙ステーションよりもずっと広くて。他の人も沢山住んでる。友達だってきっとすぐ出来るよ──」
「猫は?」
返事は無かった。
「イヌは? トリは? カエルはキツネはネズミはウサギは? ハイエナとライオンは、サバンナじゃなきゃ暮らせないんだよ。だから地球最後のライオンのレオは死んだ」
レンは表情を変えずに憤った。それでもすぐには返事は来なかった。
「みんな一緒じゃなきゃ、おれ絶対嫌だよ? 行かないからね」
「そうだね」
「本当に行かないよ」
「うん」
「行かない」
「優しい子。それくらい動物のことが大好きなんだね」
「分かんないって言ってるじゃん!!」
レンはクレヨンを何本も一緒に握りしめ、乱暴に絵を描き続けた。砕けた赤色のクレヨンの破片が、どの色とも混ざってしまっていた。クレヨンと泥と血と火薬かすで汚れたレンの指先は震えていた。
「今度は何を描いたのかな」
「レンゴー軍。宇宙連合軍」
「兵隊さん」
「ちがう。こいつは軍隊の医者で、俺の敵だ。こいつを殺して、邪魔する奴らも皆殺しにしたい」
「殺してしまいたいくらい、酷いことをされたのね……。可哀想に」
「当たり前だろ!? 大事な家族を殺されたんだぞ!! アンタだって許せないよな!?」
「ううん。ただ、とっても悲しい」
「なんで!? 悲しいなら復讐して──敵を討って恨みを晴らすべきだろ!? 他人事みたいに言いやがって!!」
「みんな家族がいるのよ。何も知らない人まで殺して、レンはそれで本当にいいの? それで後悔しないって、言い切れるの? あなたにだって、まだ大切な家族がいるはずよ──」
レンはスケッチブックを放り投げてクレヨンの箱もひっくり返した。緑色の雑草が項垂れて悲しそうに泣いている気がした。
「だったら、どうしろっていうんだよ!? 俺にどうしろって!?!?」
返事は無かった。最初から分かっていたことだった。
「今さらマサムネに謝っても、許してもらえるワケないじゃん!! リヒトとメイメイだって!」
「アンタも……! 父さんも!! 人のことなんて言えたもんかよ!! だって、本当は俺のこと置いていったんだろ!? 全部知ってるんだぞ!? 俺たちのことがそんなに邪魔くさかったのかよ!? 自分の子供より、そんなに月で暮らすことの方が重要だったのかよ!!」
「やめなよ、レン」
レンは誰かが自分の肩に手を置いて慰めてくれていることに気が付いた。今すぐ振り向いて抱きしめたかったけれど、また居なくなってしまう気がして出来なかった。だから首を何度も横に振り散らして泣きじゃくった。
「なぁ……。おれもずっとここに居ていいだろ……?」
「だめ。行って」
「……誰だよ! お前は!! まるでアイツみたいに、俺に指図すんな……!」
「分かってる。でも大丈夫」
「黙れよ!! 人間の言葉なんて……本当は分からないくせに」
「そういうこと言わないって、約束したでしょ? ダメだよ。傷付けちゃ」
「……ごめん」
「ううん。いいの。大好きだよ、レン」
「俺も好きだ……。ここでアイツと……お前と一緒に暮らしたい。ずっと……ずっと……いつまでも……。このまま……」
「行って、レン。まだ来ちゃだめ。あの子は……。──私は。ずっと待ってるから。いつまでも」
レンは拳を握りしめて歯を鳴らした。とっくに決心はついていた筈なのに、怖くてたまらなかった。
「独りぼっちで戦えっていうのか……」
「一人じゃないでしょ。もっと、誰かを頼って」
「信用出来ない。俺の周りにいる奴らなんて、やっぱり誰も信用出来ないよ……」
「私も?」
「違うよ。だって、あの子は……。お前は、もう──」
「信用して。もう一度ミウに会って、私のことを伝えて」
レンは首を傾げた。聞いたことの無い名前だった。
「ミウって……? 誰だよそいつ」
「きっと分かるよ。会えば絶対に分かる。私が保証する」
「ソイツに会って、何になるんだよ……。お前が帰ってくるのか」
「ふふっ、ある意味そうかも。驚かないでね」
「は?」
「さあ、行って。レン。……私。ずっとついてるよ……」
────レンが詰問を続けるよりも前に、弛んでいた神経の糸が切れる寸前まで張り詰めたかのように意識の集中が瞬間移動する。レンが飛び起きると、そこは煙と土と血の臭いが充満する洞窟の中だった。




