魔王しか知らない勇者
魔王になって良かったと思えたことなんて、今まで一度だってなかった。
『勇者』という存在を知ったのは、幼い頃。
魔王と戦い、それを倒す人族の戦士。
今までの歴史を振り返ってみても、魔王と勇者が戦う確率はかなり高かった。それに戦えば、大体どちらかは生命を落とすことになる。
これは絶対に避けられないのだろうか?
現魔王であるルディウスは悩んでいた。
魔王になってからレオンハルトに出会うまで、ルディウスは過去に2人の勇者と戦ったことがあった。
その勇者たちがどうなったか。
それはルディウスが今も生きていることが答えだった。自分から戦いを望んだわけではない。
こちらの話を全く聞こうともしない、降りかかってきた火の粉を仕方なしに払っただけだ。
そう思うようにしてはいても、ルディウスは肉類が口に出来なくなるくらい精神的に深い傷を負っていた。
無類の強さを誇る魔王も、その肩書きを外してしまえば、ただの繊細な女性だ。好きで強い魔力を持って生まれたわけではない。
自分の身を守るためとはいえ、他人の生命を奪っておいて平気な顔で暮らすのは、ルディウスには無理な話だった。
次の勇者が現れたらどうしよう。
そればかりを考え、怯える。
勇者が子供の内に接触できれば、争わずに説得が出来るのだろうか?
そう考えたルディウスだったが、それは難しい話だった。生まれつき勇者と呼べるのは、親が勇者であった者だけだ。勇者が子を残すことは少ないし、すでに倒してしまっている。
ルディウスが今までに戦った相手も、大人になってから選ばれた者たちだった。
幼い頃からの接触が無理なら、せめてこの城に攻めてくる前の相手のことを調べてみよう。
相手のことを知れば、争いを避けるための手掛かりを見つけることが出来るかもしれない。
そう考えたルディウスは、次の勇者としてレオンハルトが選ばれた時、まずはその人となりを見てみようと、人族の町にこっそり忍び込むことにした。
◇◇◇◇
どこに行けば勇者を見られるのだろう?
人族の姿に化け、『勇者がいる』と耳にした町を歩く。
ゴチャゴチャと建物が並び、複雑に通りが交差する裏路地で道に迷ったルディウスは、どこにでもいるようなゴロツキ数名に囲まれてしまった。
「よう、姉ちゃん。この辺りじゃ見ない顔だな」
「キシシ、よく見りゃ可愛い顔してるじゃねぇか。こりゃあ、たっぷりと可愛がってやらねぇとだな」
……下衆が。
ルディウスは男たちに向かい、気を失わせる程度の魔法を放とうとした。と、そこへ。
「あー、いたいた。どこに行ったのかと思ったら、こんな所で道に迷ってたのかー」
お決まりのような棒読みの台詞を口にした金髪の青年が、ルディウスとゴロツキたちの間に割って入ってきた。
「何だ、てめぇは!?」
「おれたちの縄張りで獲物を横取りするのが、どういう意味か分かってやってんだろォなァ!?」
鈍く光る刃物をチラつかせ、ゴロツキたちがいきり立つ。金髪の青年はひらひらと手を振ると、面倒そうに口を開いた。
「あーもう、分かった分かった。前置きはいいから、全員まとめて掛かってこい」
青年より大きな体格のゴロツキたちに挑発的な声が届くと、すぐに戦闘は始まった。
──が、即座に終わった。
金髪の青年の圧倒的な勝利である。
ゴロツキたちは皆、腹を押さえて路地裏に蹲ることになった。
「……く、そ……っ。てめぇ、いったい……」
「金髪に、その翠眼。おめェ、もしかして最近選ばれたっていう……」
その正体に気付いて顔色を変えたゴロツキたちに、金髪の青年は綺麗な顔で微笑みかけた。
「俺は面倒くさがりだ。だが記憶力は良い。次に同じような場面に出くわしたら容赦はしないからな」
ゴロツキたちは「ひ……っ!」と悲鳴に似た声を上げ、重い足取りを引きずるように逃げて行った。
「……さて、と」
くるっと向き直った金髪の青年は、とても優しい微笑みをルディウスに向けた。
「ケガはなかったかい?」
問いかけの意味も、差し出された手の意味も、わかってはいるけど今までのルディウスには無縁のものだった。青年の手をじっと見つめる。
何かの間違いだろうか? 自分にこんな優しい微笑みを向けてくれる人が、ケガの心配をしてくれる人が、この世界にいたなんて。
しかし戸惑った顔を向けても、何回見直しても、青年の姿は消えなかった。幻ではないらしい。
「……………………はい」
かなり間が空いてから乗せた手はしっかりと握られ、青年はルディウスを人の多い大きな通りまで連れて行ってくれた。
「……あの、名前を聞いても……」
「ああ、俺はレオンハルト。もしまた同じようなことがあったら、大きな声で呼んで。聞こえたら必ず駆けつけるよ」
「…………あり、がとう。レオンハルト……」
一目惚れだった。
…………この人が、次の勇者。
生まれて初めて人に助けてもらい、優しくされた。たったそれだけのことだったが、ルディウスの中では、その瞬間にそれが全てに変わっていた。
残念なのは、その相手が勇者で、自分は魔王だということだ。それでも、
この勇者になら、殺されても悔いはない。
ルディウスにそう覚悟させるには、十分な出会いだった。
その頃から、ルディウスは隠れてレオンハルトの様子を観察するようになった。
まだ駆け出しの勇者は魔王の相手としては力不足だ。表立って手助けするわけではないが、レオンハルトが魔物の討伐に苦戦している時には、周囲にいる他の魔物をひっそりと片付けたりしていた。
勇者として、徐々にたくましく成長していくレオンハルト。人々からも信頼され、よく声をかけられるようにもなっていた。ルディウスはその様子を離れた所から、独り眺める。
そして言うまでもないが、勇者はそれなりにモテた。端正な顔立ちの好青年を周りが放っておくはずもなく、レオンハルトの周りには人族の女性の影が常にあった。王族の娘との婚姻話が囁かれることも少なくない。
そんな噂を耳にした時は、ルディウスは膝を抱えて広い城の自室に閉じこもっていた。
嫉妬心がないと言ったら嘘になる。
そんなことよりも『人族と魔族』という、決して越えられない壁に人知れず涙の粒を落としていた。
「…………早く消えてしまいたい……」
◇◇◇◇
そして2人は、ついに対峙することとなった。
何かと女性に気を遣うレオンハルトが姿形で躊躇うことがないように。ルディウスは男性の姿でその前に立った。
焦がれた相手の目の前に立てた嬉しさ。
そして、悲しさ。
今までは遠くから見ているだけだった。
その勇者の透き通った翠眼には、はっきりと自分の姿が映っている。
レオンハルトが見ているのは、ルディウスの本当の姿ではない。勇者を迎え討つ、魔王としての姿だ。でも、それでいい。
魔王に向けられる勇者の剣に迷いはなかった。
これでやっと、全てが終わる。
戦いが始まった時、ルディウスは間違いなく死を覚悟していた。しかしレオンハルトと剣を交わす内に、ルディウスの心には、わずかな変化が訪れていた。本人を目の前にして、決心が揺らいでしまったのだ。
このまま死にたくない……!
ルディウスが初めて見せた、心からの迷いだった。そこから戦いながらも、ルディウスは考え抜いた。
もしかしたら今は絶好のチャンスなのではないだろうか?
誠実な性格のレオンハルトになら、自分の話を聞いてもらえるかもしれない。今までの聞く耳を持たなかった勇者たちと、レオンハルトは違う。
そこでルディウスは急遽、計画を変えた。
レオンハルトを倒して、話をしよう!
恋する魔王は強かった。
◇◇◇◇
今でも時々、思い出す。あの時の自分の判断は間違っていなかったと。だが……。
ルディウスは長椅子に座るレオンハルトの膝上に寝転がっていた。ダークエルフの姿で、魔族になったレオンハルトの白い髪に手を伸ばす。
綺麗だった金色の髪は、人族から魔族に種族変換する時に色が抜け、真っ白になっていた。
それだけの激痛がレオンハルトを襲ったのだ。
「……あのタヌキめ。もしアレでお前が生命を落としていたら、オレはあの国を滅ぼしていたぞ」
レオンハルトに『魔族落ち』の方法を教えたのは、ナーリアンの国王だった。勇者だったレオンハルトがいた、火の国と呼ばれている東の国の王。2人の間ではタヌキと呼んでいる。
この世界の勇者は、いなくなっても次の者が自然と選ばれる仕組みになっていた。替えが利くのだ。レオンハルトがいなくなっても、世界は勇者に不自由しない。
だから『魔王と人族との架け橋になれるレオンハルトを放っておく手はない』と、タヌキな国王は考えたのだった。
早い話が、レオンハルトと魔王をくっつけて完全に無害化させる、という計画だ。一国の政事を行う者であれば、この先の平和を最優先に考えるのは、ごく自然な流れだったのだろう。
国王はあくまで、レオンハルトの意志に任せる形で魔族落ちを教えてきた。その話にレオンハルトが乗れば、魔王に大きな首輪を付けることに成功したと言える。
その結果が、元・勇者である白髪の魔族の誕生、となったのだった。
「これは俺が自分で選んだことだ。例えあの場で生命を落としていたとしても、俺は後悔しなかったよ」
髪に触れるルディウスの手を取り、レオンハルトは指先に口を寄せた。
「少しでも長くルディの涙が止められるなら、何だっていい」
遠慮のないレオンハルトの甘い声に、ルディウスは顔が真っ赤になった。
「レオ、お、おま……っ。魔族になってから性格が変わっていないか? 人族の時もそうやって女を口説いていたのか?」
膝上で甘える自分は棚に上げ、ルディウスは狼狽えた声を上げる。
「女を口説く……?」
身に覚えのない疑いに、レオンハルトは眉を寄せた。
「俺は女を口説いたことなんかないぞ」
「……それは嘘だ。あんなに周りにいたじゃないか」
知っているんだぞ、と視線を向けても、レオンハルトは真面目な顔をしたままだ。
「それは誤解だ。……タヌキが俺を手放した理由の1つには、それも含まれているんだろうけどな」
「どういうことだ?」
レオンハルトの恋愛事情ともなれば、否応なしに心がざわつく。ルディウスは身体を起こして、まっすぐにレオンハルトを見つめた。
「……俺は女を避けていた。過去の勇者を見ればわかることだが、側にいた女が幸せになったって話は1つもなかったからな。だから俺は、相手を紹介しようとしてくる国王に『自分より強い女でなければ側にいたいとは思わない』と、いつも言っていたんだ」
半分は冗談だけど、もう半分は本気だった、とレオンハルトは苦笑いを浮かべた。
「それに、もしそれで子が出来たとしたら、その子は生まれる前から勇者となることを義務付けられてしまう。……俺はそれも選べなかった」
ルディウスを胸元に引き寄せ、レオンハルトは話を続ける。
「魔王はどうなんだ? やっぱり生まれてくる子は、生まれながらに魔王になるのか?」
問いかける目は真剣なものだった。
レオンハルトは勇者のことも魔王のことも、どちらも詳しく知っている。子には、その生き方を継がせたくないのだろう。
「魔王は、必ずしもその子供が魔王になるわけではない。魔族領の中で一番強い魔力を持つ者が魔王となる。……そうだな。判断材料としては、邪竜が言うことを聞くか聞かないか、というのもあるな」
竜に選ばせるのか……と、レオンハルトは自身の胸にある青い宝石の付いたペンダントに目を向けた。中には聖竜が眠っている。
「……そ、その…………。レオは……欲しい、のか?」
ルディウスが頬を紅く染めた顔で、言い淀みながら声を出す。この照れた顔がレオンハルトは堪らなく好きだった。
「俺はお前の全てが欲しい。代わりに、お前には俺の全てをくれてやる」
恥ずかしげもなく素直に自分の気持ちを伝えてくるレオンハルトに、ルディウスはたじろいだ。
「いや、そうではなくて。オレが聞いてるのは」
レオンハルトがルディウスの口を塞ぐ。
「今度からは自分のことを『オレ』じゃなくて『私』って言ってもらってもいいか? その方がルディには合うと思う」
「わ、私……? 他の女がそう言っているからか?」
戸惑った顔をするルディウスにレオンハルトは笑顔を向けた。
「他のヤツのことなんてどうでもいい。俺がお前にそうして欲しいと思ったんだ。その方が可愛いだろ?」
「~~っ! か、可愛いとかっ。魔王に向かって言うことか!?」
照れて逃げようとするルディウスを捕まえて、レオンハルトは離さなかった。
「ルディ、可愛いよ。誰よりも愛している」
これ以上ないくらい顔を紅くして、ルディウスはレオンハルトを見つめた。もうこの勇者には勝てる気がしない。
「今までも、これからも。魔王しか知らない勇者は、きっと俺だけだろう。……覚悟しろよ、魔王──」
かつて勇者だった魔族の男。
彼はその生涯、たった1人の魔王だけを愛したという。
後に、この2人の間に子が生まれることになるが、それはまた別の物語である。
人族の歴史上から突如、姿を消した勇者。
魔王に敗れた勇者。
彼がその後どうなったか。
それは──誰も知らない。




