勇者、陥落①
ヴァリアント王城・第三応接室。
絢爛豪華なこの城において、ここは少しばかり意匠が異なる。
広さは決してない。大人が四、五人も入れば窮屈に感じる程度で、天井も他の応接室ほど高くはない。壁を飾るのは金糸のタペストリーではなく、ルーカスが気に入っているらしい、小さな風景画がひとつだけ。調度品も実用本位で、目を引く宝飾や無駄に豪奢な装飾は見当たらない。
王城の中では正直言って地味な部屋だ。だが、その分、妙に居心地がいい。庶民の俺からすれば、豪華すぎるこの城は何度来ても落ち着かないが、ここに足を踏み入れた時だけ、ようやく肩の力が抜ける気がする。
それは、どうやらルーカスにとっても同じらしい。この部屋はこいつにとって、自室を除けば数少ない「気の抜ける場所」なのだ。執務に疲れた時は、ここで一息つくのだと、以前ぽつりと漏らしていたのを思い出す。
そして同時に、この部屋で聞かされる話がたいてい碌でもないことも、俺は知っている。
「で? なんでお前はさっきから、だんまりなんだよ。なんで俺は今日ここに呼び出されたんだ?」
向かいのソファで足を組んで座るのは、幼馴染のルーカスだ。昔から腹に一物ある時ほどこうして黙る。面倒くさがりでミーハーなところは年相応の青年らしいが、肝心なところは絶対に外さない。そういうやつだ。
子どもの頃は、いつも一緒になって城の庭を駆け回っているこいつが、俺たちとは違う特別な立場にいるなんて欠片も意識していなかった。ある日突然、「次期国王だ」と聞かされた時の衝撃たるや。あの時ばかりは本当に、カイルも俺も驚きすぎて顎が外れるかと思った。だが、それで何かが変わったかと言われれば、そうでもないのだから不思議なもんだ。王になってからも、こいつは俺たちの前ではずっと、変わらず“幼馴染のルーカス”のままだ。
「……えーっとだな。その、今日はロイに相談というか、何というか……」
(なんだ? こいつにしては珍しく歯切れ悪いな)
普段なら何でもズバズバと物申すこの男が、ここまで言い淀むのは珍しい。しかも今日はカイル抜きで来いだなんて、そんなことは初めてだ。
「相談? なんの話だ? まさかカイルと何か揉めたりしたのか?」
まあ、ユナに関すること以外は人畜無害なカイルのことだから、それは無いだろう。だがそうなると、ルーカスの相談とやらの内容がさっぱり思い当たらない。
そこへ、やけに軽やかなノックの音が響いた。
「失礼いたしますぞぉ」
まるで語尾に音符でもついていそうな弾んだ声とともに、ルーカスの側近であるエドガーが、茶と菓子を乗せたワゴンを押して入ってきた。子どもの頃から見知った相手だから今さら気を使うこともないが、今日はどうにも様子がおかしい。やけに上機嫌すぎないか?
そのままエドガーは、何の断りもなく俺たちの間のテーブルに菓子を並べ始める。俺とカイルが来た時にいつも出てくる定番のクッキーに加えて、艶々のベリーが乗ったケーキ、ジャムとクリームがたっぷり添えられたスコーン、サーモンやチーズをこれでもかと挟んだサンドイッチ。さらに、最近王都で話題になっている高級チョコレート店のトリュフまで、山ほど。
(どこぞのアフタヌーンティーだよ)
「なあ、エドガー。今日はなんかあるのか? こんなに食べられる訳ないだろ。国の重鎮でもなんでもなく、俺だぞ?」
エドガーはちょうど俺の前に茶を注ごうとしているところだった。その手にあるティーカップが、また妙に目につく。いつもの無地の実用一択のやつじゃない。細かな花柄がこれでもかと散りばめられ、金色の縁取りがやたらきらきらしていて、どう見ても来客用の特別仕様だ。
「ええ、ええ。ロイ殿、そこは重々承知しておりますとも。ですからこそ、ロイ殿にはこれから陛下とご一緒に、カイル殿を――」
「エドガー!」
にこやかに口を開きかけた侍従の言葉を、ルーカスが即座に遮った。
「……俺が。俺が説明するから」
「おや。左様でございますか。これは失礼致しました。では、わたくしはこれで」
香りの立つ湯気をまとったカップを静かにふたりの前へ置くと、エドガーは深々と一礼し、そのまま何事もなかったかのように踵を返して部屋を後にした。
いや。ルーカスの脇をすり抜ける瞬間、確かにエドガーは身をかがめ、耳元で何かを囁いた。ほんの一瞬のことだったが、見間違いではないはずだ。
(絶対やっかいな話だろ、これ)
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。残されたのは、俺とルーカス、それから手をつけられていない豪華な菓子と紅茶だけだ。
ルーカスは気まずさを誤魔化すようにカップを手に取り、一息で紅茶を喉へ流し込んだ。そして、なぜか上目遣いでこちらを見る。
「……怒るなよ?」
その一言を前置きに、王と侍従の間で交わされたとんでもない計画について、ぽつりぽつりと語り始めたのだった。
色々と思うところはあったが、俺はとりあえず黙って聞いていた。
隣国の新ポーションだと? 興味はあるな。仕事柄、どうしても怪我をする機会は多い。普及するようになれば、ぜひ飲んでみたいものだ。
だが、話がエドガーの泣き落としに差し掛かり、聖女の家系だの癒しの光だのになってくると、少しばかり引っかかる。エドガーには悪いが、うちの家系に女が生まれないことは俺のせいじゃないからな。そんなの知ったこっちゃない。
そして、ついにカイルの見合い話まで飛び出してきて、俺はさすがに黙っていられず口を挟んだ。
「いや、無理だろ!」
というか、カイルの性格はルーカスもよく知ってるはずだ。言い出しっぺがエドガーなのは間違いないとしても、なんでこいつは了承したんだよ。
「い、いや……その……」
おかしい。こいつが、こんなに露骨に目を泳がせるなんて。
「それはそうなんだがな? 俺も最初はそう思ったんだ。思ったとも」
「最初……“は”?」
眉を上げて問い返すと、ルーカスは気を取り直すように、小さく咳払いをひとつした。
「ほら、これはあくまで国際交流であってだな……」
「言い換えただけだろ、それ」
「細かいことを突くな!」
即座に言い返してきたが、勢いはない。完全に防戦一方だ。
「と、とにかくだ。俺ひとりでカイルを説得するのは無理だと判断した」
そこまで言ってから、ルーカスは俺の方を見て、勢いよく顔の前で手を合わせた。
「ロイ! 頼む! 一緒にカイルを説得してくれ」
全力で頭を下げるルーカスを、俺はしばらく呆気に取られて見下ろしていた。だが、徐々に頭が冷えてくると、ばらばらだった点が、ひとつずつ線で繋がっていく。
エドガーの、やけに上機嫌な様子。
この場には不釣り合いなほど豪華な菓子。
そしてさっき、部屋を出る間際に交わされた、あの怪しい耳打ち。
(……ああ)
「お前」
俺が低い声で呼ぶと、ルーカスの肩がびくりと跳ねた。
「エドガーに買収されたな?」
「なっ!?」
声が裏返った時点で、もう答えは出ていた。
ったく。対価はなんだ? 執務を減らしてやる、とかか? いや、そんなの別に、買収されなくてもこいつはいつもサボってる。
「ち、違う! 買収なんて物騒な言い方をするな!」
「じゃあ何だよ。その歯切れの悪さ。おい、なんでさっきから胸元を押さえてる? そこに何か入ってるのか?」
「なっ!? は、入ってない! ソフィア嬢のチケットなんて入ってないぞ!」
ルーカスが「しまった!」とばかりに、慌てて口を押さえる。
(わかりやす)
こいつ、普段は冷静で頭もキレるのに。推しのこととなると、なんでこうなる。カイルの弱点がユナなら、こいつの弱点は推しだな。そのうち国が潰れなきゃいいが。
「で、でも! でもな!」
急に声を張り上げ、ルーカスはまくしたてるように言い出した。
「カイルにも、そろそろいい相手がいてもいいだろ? 俺たちもう十九だし!」
「まあ、それは認める。俺もつい最近、同じようなことを考えたしな」
「だろ? あいつ、あんなだけど、密かに色恋に興味はあるみたいだし」
そこまで言ってから、ルーカスは急にきょろきょろと周りを見回し、俺の方に顔を寄せてきた。
「だって俺がこっそりお気に入りの本貸してやったらな、真っ赤になりながらも、ちゃんと持って帰ってたぞ」
ルーカスは悪巧みをするいたずらっ子のように、声を殺して笑っている。
(おい、あの犯人お前だったのかよ。ユナに見つかって死ぬほどテンパってたぞ)
そして調子がついてきたのか、ルーカスの口調にさらに熱がこもった。
「考えてもみろ? ヘタレなカイルには、強制的とはいえ恋人ができるチャンス! しかもそれが聖女ならなおさらだ。自国でポーションが生産できて、エドガーはご機嫌!」
身振り手振りを交え、どんどん話が大きくなってくる。エドガーが上機嫌なのは、正直どうでもいいが。
「いいこと尽くしじゃないか!」
最後は、自分の理屈にすっかり納得した顔で俺を見た。
なんだか上手いように理由をこじつけている気もするが、それでもこいつのすごいところは、その有無を言わせない説得力だ。若くして王座についた貫禄というのか、オーラというのか。それとも、こいつの話を聞いて「悪くないな」と思い始めている俺が単純なだけなのか。
「それにユナだってその方が喜ぶだろ?」
ソファにふんぞり返り、最初とは打って変わってすっかり寛いだ様子のルーカスが、皿のトリュフをひとつつまみ、ぽいっと口に放り込む。そのまま、どこか愉快そうな目で俺を見た。
「あいつだって好きな男くらいいるだろうしな。うるさい兄貴の束縛を緩めてやろうという、兄ごころだ」
なぜルーカスがここまでニヤついているのかはわからないが、こいつなりに妹分のユナを気にかけている、ということなのだろう。
「それはそうだ。まあ今のところ、ユナに好きな男がいる気配なんてないけどな」
俺がそう返すと、ルーカスは一瞬、何とも言えない顔で言葉を失った。やがて、「あ〜……。これはこれは……」と意味のわからない独り言を零しながら、ずるずると背もたれに身を沈めていく。
(なんだよ。相変わらず意味深なこと言いやがって)
俺がそれ以上突っ込めずに黙っていると、ルーカスはふっと鼻で笑い、気を取り直したように体を起こした。
「いや、ちょっとユナに同情しただけだ。ま、それはおいおいということで!」
さっきまでの含みはどこへやら、ぱん、と軽く手を打つ。
「じゃあ、お前も協力してくれるな?」
俺は小さく息を吐いた。
「ああ。だが、どうやってカイルに見合いを了承させる? 絶対に一筋縄じゃいかないぞ?」
「そこなんだよな〜」
「考えてないのかよ」
「そう言うなって。だからお前を呼んだんだろ?」
ルーカスは天井を仰ぎ、ソファの背にだらりと体を預けた。
「俺だって、あいつを騙して連れてくるような真似はしたくはない。できるなら、自分から『見合いしてもいい』って言ってほしいんだよなぁ」
「……お前に良心の欠片でも残っていて安心したよ」
推しと引き換えに友達を売るところは完全にヤバいやつだが、それでも最後の一線だけは越えないあたりが、いかにもルーカスらしい。
と、そこまで真面目な顔で言っておいてから、ルーカスが、急に思いついたようにこちらを向く。
「ほら、例えばさ。めちゃくちゃカイル好みの女を揃えるとか!」
前言撤回。やはりこういうところもルーカスだ。
「あいつの女の好みなんて、知らねーぞ」
突き放すように返すと、ルーカスは「だよな〜」と、少年のようにケラケラと笑った。国王の威厳はどこへやら、子どもの頃から変わらない、ルーカスの素の顔だ。
結局、その後も名案が出るはずもなく。話はいつの間にか雑談に流れ、気づけば紅茶だけがやたらと減っていた。
「失礼いたしますぞぉ」
ふたたび軽やかなノックの音がして扉が開き、今回の騒動の元凶が、ご機嫌そのままに顔を出す。
「ロイ殿。お茶のおかわりは、いかがですかな?」
「いや、もうじゅうぶんだ。ありがとう」
「左様でございますか。では……」
エドガーは一歩だけこちらに踏み寄り、微笑みを浮かべたまま、視線を俺とルーカスの間に滑らせる。
「作戦会議の方は、順調に進んでおりますかな?」
「進んでるように見えるか?」
ルーカスが即答すると、エドガーはわずかに目を瞬かせたが、すぐに何事もなかったかのように、再び口角を上げた。
「なるほど。難航中、と」
「当たり前だろ。相手はカイルだぞ」
ルーカスが小さく息を吐く。エドガーがちらりと視線を寄越したが、俺も肩をすくめるしかなかった。
「もう普通にカイルに話して了承してもらう以外ないだろ。俺たちも説得はするが、拒否されたらその時は素直に諦めろ。無理強いするつもりはない」
「ええ、もちろんでございますとも」
エドガーは胸に手を当て、深々と頷いた。その表情だけ見れば、実に殊勝だ。
「シャイな勇者殿が簡単に首を縦に振らぬことくらい、わたくしも承知しております」
「ならいい」
ルーカスがそう言って紅茶に手を伸ばす。
「その場合は……」
エドガーが、やけに穏やかな声で続けた。
「わたくしが、全身全霊をもって頑張るだけでございますな!」
(ん?)
思わず無言でルーカスを見ると、ルーカスもゆっくりとこちらを見返してきた。言葉を交わさずとも、きっと俺たちの頭の中は同じなはずだ。
(こいつ、絶対碌なこと考えてないな)
俺は、カップの底に僅かに残っていた、冷めきった紅茶をぐいっと飲み干した。




