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真相~⑤

「井ノ島と会った際、須依が動揺していたことで心配したのだろう。だから彼のプライベートな部分に触れ、これ以上心を引っ掻き回されないかと気遣ったのかもしれないな」

「彼は気付いていたの」

 驚く彼女に佐々は頷いた。

「長い付き合いだからじゃないか。いくらポーカーフェイスを装っていても、彼の目は誤魔化せなかったのだろう。須依の身を守るよう依頼してきた時の様子から、俺はそう感じたよ」

「今回の情報漏洩の件で、井ノ島君は全く関係なかったのね」

「直接はそうだ。寺畑に利用されていただけだろう。彼女は彼が経費処理をミスし、会社に損害を与えたかのように見せかけていた。慌てた彼は自分の金で穴埋めしたが、それを彼女に知られて口止めする代わりに関係を迫られていたようだ」

 SNSで井ノ島との関係を匂わせたのは、妻に知られては困る彼に対する脅しだったらしい。この辺りは佐々達が二人の関係を知った後、拘留中の寺畑を尋問し聞き出した情報だ。

「そうだったのね。あの人が詩織を裏切るような度胸なんてないと思っていたけど、それなら納得できるわ。外見や体目当てで、彼女に弄ばれていた訳ね」

「と同時に、彼のパスワードを知ることもできた。それが社内からのアクセス騒ぎに利用されたってことだ」

 全てを理解したらしい彼女は深く頷いていた。その様子を見て佐々は声をかけた。

「しばらく身柄を拘束されるから、この話は記事に書けないだろう。だが万が一早期に釈放されたとしても、勝手な真似はするな」

「分かっている。佐々君は私が抱いていた疑問を晴らしてくれただけ。そうすれば例え塀の中に入っても、犯した罪にだけ真摯に向かい合える。そうよね」

「ああ。それでは須依南海。烏森哲司に対する過失傷害及び井ノ島竜人の犯行を隠避した罪で逮捕する」

 的場に目で促すと、彼は動揺しながら言った。

「あ、あの、手錠を嵌めるのですか」

「もちろんだ。後はここまでの結果を静岡県警に伝えればいい。井ノ島の取り調べをしているはずだから、向こうからも自供がとれるだろう。もし否認するようなら、お前達が飛んでいき取り調べをするか、こっちへ引っ張ってきてもいい」

「分かりました」

 部屋を出て行く彼を見送り、大山に視線を移した。

「俺の出番はここまでだ。後は任せていいか」

「は、はい」

 彼は立ち上がって敬礼した。佐々も席を立ち、須依を見た。

「これでいいな。引き続き同じ質問を何回もされるだろうが、正直に答えろ。お前が黙っていたおかげで、的場や大山達は散々振り回された。それだけじゃない。個人的にも心配をかけたんだ。それくらいは我慢しろ。弁護士の手配が必要なら、俺から東朝の編集長に連絡をしておく。彼なら会社の顧問弁護士を呼んでくれるだろう。もう一人だけで悩もうとするな。信頼に足る人間はお前が考えている以上にいる。それだけは肝に銘じて置け」

「ありがとう。お願いします」

 彼女はゆっくり、深々と頭を下げていた。

 こうして須依が逮捕された翌日、喜ばしいニュースが飛び込んできた。烏森が意識を取り戻したというのだ。

 執務室で静岡県警から電話報告を受けた佐々は、受話器を置いた瞬間、大きく息を吐いた。医師の診断によれば、彼は大きな峠を越え、今後回復に向かうはずだという。

 幸い後遺障害が残る可能性も低いそうだ。病状が安定すれば事情聴取出来る。そうなれば少なくとも、現在逮捕されている須依の過失傷害罪は成立しないだろう。後は井ノ島の犯行隠避だが、事情を考慮すれば起訴される確率は低い。

 一方、井ノ島の殺人未遂は間違いなく起訴できる。だが彼はそれよりもっと大きなダメージを受けるに違いなかった。今回の事件の真相を明らかにする過程で、寺畑との不倫関係などを暴かざるを得ないからだ。

 そうなれば詩織は激怒し、離婚を突き付けるだろう。そうなれば彼は会社を首になるだけでなく、家からも追い出される。社会的地位や名誉や財産など、多くのものを失うのだ。

 直接須依に頭を下げさせられなかったにせよ、烏森の思惑はある程度達成できただろうし、須依も胸のすく思いをするに違いない。しかしあのお人好しのことだから、多少後ろめたい気持ちを抱いた可能性も否めなかった。

 といっても彼女は実際、井ノ島に殺されかけている。しかもその前に、伊豆で殺されていたかもしれないのだ。そう考えるとさすがに同情まではしないだろう。

 それは詩織に対しても同じだ。須依から奪った男は、所詮あの程度の浅はかな人物だったと思い知ったに違いない。

 天に(つば)を吐けば己の身に帰ってくる。十数年越しに彼らは痛感しただろう。今時の言葉で表せば、特大ブーメランが返ってきたと言うべきだろうか。

 残念ながら嘘や隠蔽、改ざんしても正当な罰を受ける訳でもなく、憎まれっ子ばかりが世に(はばか)り、正直者は馬鹿を見る時代だ。そんな中、そうした犯罪が一つでも無くなるよう日々働くのが警察の役目である。

 もちろん今回の情報漏洩事件のように政治絡みの案件で横槍が入り、まともな捜査が出来ず滞るケースはなかなか無くならない。それでも警察官としての矜持を失わず地道に歩んでいれば、やがては実を結ぶと信じていた。

 それを実践して見せてくれたのがあの須依だ。理不尽な環境に置かれても、苦しみながらどうにか前に進もうと努力し続け、特殊な能力を身につけた。

 併せ持った明晰な頭脳と、真実を明らかにして正義を貫こうとするぶれない心を持っていたからこそ、今回のような結末が迎えられたのだ。

 当然運が味方した点もある。烏森が一命をとりとめたのはまさしくそれだろう。しかし彼女が部屋を出る際、井ノ島に気付かれないようフロントに電話をしたからこそ、従業員が異変に気付いたのだ。 

 もし彼女が慌てて救急車を呼ぼうとしたならば、彼に邪魔をされるなどして時間をロスしていたに違いない。また咄嗟に、なんとか足の力を抜こうとした結果も影響していただろう。

 部屋の設備の説明を従業員から受けた後、電話でフロントに繋げる方法などを自室で確認していた点もそうだ。視覚障害者として、万が一に備え必ず行うお決まりの習慣だったに違いない。

 そうした運も実力の内である。引き寄せられる日頃からの行いや、積み重ねてきた苦労の結果ではないだろうか。

 佐々はそう信じたかった。とにかく彼女を殺人犯として再逮捕するという、最悪の事態を招かなくて済んだ。今はそれが最も大きな救いと言える。

 彼女や烏森は、今のマスコミや時代にとってなくてはならない存在だ。と同時に佐々や的場、大山達にとって大切な友人でもある。失いそうになり初めてそう痛感した。

 そこで机に積まれた書類が目に入った。やるべき仕事は山とある。赤星達の計画を立証し、押収したリストの分析を踏まえての政治家や官僚への捜査はこれからだ。

 しかし今はこの幸運を与えてくれた天に感謝したい。またこの喜びをほんの少しの時間だけ、分かち合いたいと思い受話器を持った。

 コールした先から、的場のはずんだ声が聞こえた。彼にも既に良い知らせが届いていたらしい。今後についての流れをいくつか確認して電話を切り、今度は大山の携帯を鳴らす。

 直属の部下でない者達との会話に、これほど胸を躍らせた事はなかった。事件に立ち向かい、垣根を越えて協力し合った仲だからだろう。

 彼はなかなか出なかった。それでも窓から見えた(うら)らかな青空のように、佐々の心は爽快感で満たされていた。(了)

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