詩織との接触~②
彼女もマスクをしているらしく声はこもっていたが、久しぶりに生で聞く懐かしい響きに、須依は何故か怯えた。軽く頭を下げて三和土へ進むと、後ろで扉が閉められた。
「お邪魔します。私はこういうものです。仕事上のパートナーとして、彼女と一緒に行動しています」
烏森が名刺を渡したようだ。記載された肩書を見たからだろう。
「東朝新聞の記者さんですか。ということは彼女の同僚なのですね」
「いえ、彼女は会社を退職して現在フリーになっていますから、厳密に言えばかつての同僚というのが正しいですね」
そこで須依は自分の名刺を差し出し、付け加えた。
「烏森さんは以前いた部署の先輩で、昔も今もお世話になっているの。彼は私より先に障害者となった方なので、そういう意味でも色々教えて頂くことが多くてね」
その言葉を受け、彼は左足を見せたのだろう。驚いた彼女が息を呑む気配を感じた。それでもすぐに気を取り直して言った。
「どうぞ靴を脱いでお上がり下さい。足元に気を付けてね」
後半は須依に向けられた言葉のようだ。しかしその物言いから、蔑みの感情が読み取れた。先程察知した感覚は間違っていなかったらしい。どうやら彼女は須依に対し、怒りと嫌悪感を持っている。
その原因は、客間らしき空間へ通され椅子に座るよう促され席に着いた途端、理解した。
「あなた、昨日あの人と会ったらしいわね」
昨夜帰宅した後、井ノ島が話をしたのだろう。それを聞いた彼女は憤慨しているらしい。その証拠に須依が答えない内に責め始めた。
「どういうつもりなの。十数年振りに突然会社に押し掛けたと思ったら、会社で起こった問題について根掘り葉掘り聞いたようね。大学の同級生だった事を利用して、マスコミの取材規制をかいくぐるなんて卑怯でしょ」
「ちょっと待って下さい。会社の受付でご主人に面会を申し出た際、同級生だとは言っていませんよ。彼女はただ名前を告げただけです。その上でご主人は、突然の訪問にも関わらず会ってくれました。何か誤解されているようですね」
烏森の言い分を聞き動揺したようだ。井ノ島は自分に都合がいいよう詩織に説明したのだろう。まさか須依が自宅を訪ねるなんて、想像もしなかったからに違いない。
それでも須依に対する憎悪が勝ったと思われる。
「そんなことはどうでもいいわ。会社での事件だけでなく、私は元気にしているかとか、子供達がどうとか家庭内の状況まで聞いたそうじゃない。何が目的なの」
彼女の激しい剣幕が、かえって須依の頭を冷静にさせた。当初感じた恐怖心は無くなり、強い反発心が芽生えたからだろう。淡々と答えた。
「目的は一つ。事件の真相を明らかにする。ただそれだけ。その取材中に竜人さんの名が出てきた。だからどう関係しているのかを確認する為、会って話を聞いたに過ぎない。プライベートについて質問したのは、本題に入る前の単なる雑談。でも話を聞いた後、事件に関わっている可能性が出てきた。だからわざわざここへ来たの」
「彼の下の名前を呼ばないで欲しいわ、馴れ馴れしい」
「どうして。今はあなたも井ノ島なのだから区別しているだけ。さんをつけているだけでもいいでしょう。別に昔と同じ呼び捨てをしたっていいけどね」
須依の挑発に彼女は唸った。言い返したいのだろうが、かつての親友が盲目になったのを機に、恋人を奪った立場としては分が悪いと悟ったらしい。そこで話を戻した。
「事件に関わっている可能性が出てきたからここへ来た、とはどういう意味よ。私が何をしたっていうの」
「詩織が直接何かをしたとは思ってない。警察が今回の事件を調べる内に、竜人さんのパソコンで漏洩した機密情報にアクセスした形跡を発見したというのは聞いているよね」
「それがどうしたの」
「彼はアクセスしていないと、警察の事情聴取で否定している」
「当然よ。あの人がそんな馬鹿な真似をするわけないでしょ」
「彼がしていないのなら、警察から疑いがかけられるように誰かが仕組んだ。つまり個人的な恨みを持つ人の仕業かもしれない。だったら彼の仕事上のトラブルを含め、私生活に関わる点も疑うのは当然でしょう。それは警察も同じはず。事情聴取で何を聞かれたのか、竜人さんから知らされていないの」
心当たりがあったらしい。彼女は沈黙した。須依と会った件もその日の内に報告している位だ。警察に疑われていると知れば、どういう話をしたのかを確認しているに違いないとの読みが当たったのだろう。
彼は詩織の父によるコネ入社だ。もし何か問題を起こせば、義父の顔を潰すだけでは済まない。プライドと世間体を気にする彼女からも大いに叱責を受ける。それを恐れ、自分は全く身に覚えが無いと、詳細な弁明を強いられると想像するのは難しくなかった。
須依は口を噤んだままの彼女に尋ねた。
「竜人さんは何て言っているの。誰かに恨まれている覚えはないの」
「ある訳がないでしょう。部長にも可愛がられているし、アクセスした時間帯にいた部下達からも、比較的慕われていたはずだから」
「だったらあなたはどう。恨まれているかもしれないと思う人はいないの」
想像もしていなかったのか、呆れたように彼女は答えた。
「何を馬鹿なことを。私が恨まれていたとしたら、会社の事件なんて関係ないでしょう」
「そうとは限らない。社内の人間が竜人さんのパソコンを使ってアクセスしたのでなければ、彼が主張しているように外部の人間が、社内からアクセスしたように見せかけた可能性があるからね」
「それがどうだっていうの」
意味を理解できず尋ねた彼女に、須依は説明した。




