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一階に降りたときにはもうラックはいなかった。
私がつい夢中になってレシピ本を読んでいたその間に、ラックはとっくにお昼ごはんを食べ終えたらしい。いまはお友達と外へ遊びに行っているんだとか。ってお母さんから聞いた。
ラックを叱ろうかと思ってたけど、もういいや。
「はいどうぞ。今日のお昼はメヌー豚の照り焼きでーす」
お母さんがテーブルにお昼ごはんを並べて用意してくれた。
「うわあ、おいしそう!」
私の心からの声が口から飛び出す。
メヌー豚の香ばしい匂いにつられてテンションが上がってしまった。このままよだれも口から飛び出そう。じゅるり。
「冷めないうちに召しあがっちゃってくださいな」
「うん、いただきまーす!」
さっそくフォークでお肉を刺して、大きく口を開けてひと噛み。そしたらすぐに口の中に肉汁がじゅわあああぁっと広がった。
「はぁ……おいしい……」
幸せ。
頬に手を当てて、幸せという名のお肉を噛みしめる。
私は食べているときが一番幸せだ。
「ノノアちゃんっていつもおいしそうに食べるわよね。お母さんも作りがいがあるわ」
「だって本当においしいんだもん。はああぁぁ……」
おいしすぎていくらでも食べられる気がする。
「それよりノノアちゃん、おじいちゃんの部屋はもう片付いた?」
お母さんが私の対面のイスに座りながら、私に話しかけてきた。
私は口の中のお肉を飲み込んで、ピンと背筋を伸ばす。
「あの、そのことなんだけどね。……ちょっといい?」
「なあに?」
「あのね、部屋を片付けるのはいったん保留にして、おじいちゃんの部屋を私に使わせてもらえないかなーって」
「おじいちゃんの部屋を?」
お母さんが首をかしげて不思議そうに私を見てくる。
「うん。さっき部屋の整理をしているときに、ちょーっと気になるものを見つけちゃってね。その気になるものがなんなのか、ある程度判明するまでは部屋を使わせてほしいなー、なんて」
「気になるもの?」
「そう、気になるもの。なんかのレシピ本なんだけど」
と言って、私は部屋から持ってきたレシピ本をお母さんに渡した。
お母さんはパラパラとレシピ本をめくって中を見ている。
「変なレシピねえ」
「でしょ? あ、お母さんはこの素材のこと知ってる?」
私は11ページ目を開き、ラッセンの根っこの挿絵を指をさした。
「知らないわ」
「やっぱ知らないよねー」
私よりも長く生きてきたお母さんなら何か知ってるかもと思ったんだけれどな……。
「お父さんなら何か知ってるかもしれないわねえ」
「あ、たしかにお父さんなら何か知ってそうかも」
私のお父さんは物知りだ。いつも私が知らないことを教えてくれる。
あとでお父さんが家に帰ってきたら聞いてみようっと。
「てかさ、おじいちゃんって本当はどんな人だったのかなあ?」
「どんな人って?」
「実は裏で何かをやっていたとか、実は何かを作っていたとか。ほら、このレシピ本っておじいちゃんの筆跡でしょ? ってことは何かを作ってたってことでしょ? たぶん料理じゃないものを作ってたと思うんだけど……。お母さん何か知らない?」
私が質問すると、お母さんは「そうねえ……」と言い、上を向いて熟考しだした。
お母さんは基本的におっとりとしていて、おだやかなのんびり屋だ。
我が家がなんだかんだ明るくてあたたかい家庭になっているのは、お母さんのあたたかな空気感のおかげといっても過言ではないと思う。
そんなお母さんはしばらく考え込んだあと何かをひらめいたのか、手のひらをぽんと叩いて口を開いた。
「むかしおじいちゃんがこっそりと教会のシスター様にちょっかいを出してね、それが神父様にバレてこっぴどく叱られたっていうのは知ってるわ」
「え、なにそれ初耳なんだけど」
また新たなろくでもない話が出てきた。
「詳しく知りたい?」
「いやー、別にどうだっていいかな」
「あら残念。面白いのに」
お母さんがしょんぼりとする。
「他のまともな話はないの?」
「他ねえ……」
そしてお母さんがまた熟考しだした。
私はその間にお肉に食らいつき、完食。
おいしかった。
「ごちそうさまでした。.....あ、そうそう、何かを作ってたことについては知らない?」
「うーん。知らないわねえ」
なるほど、知らないか。
もうこれ以上は聞き出せそうにないかな。
「あ、そういや話が逸れちゃったけど、おじいちゃんの部屋は使っていいってことでいい?」
「そうねえ……。変なこととか危ないことに使わなければ、部屋は使ってもいいんじゃないかしら」
「そんなふうには使わないって」
「それならオッケーよ」
お母さんが指で丸印を作った。
よし、これでおじいちゃんの部屋はひとまず確保。
お父さんに話を聞くのも今日のうちに終わらせといて、あとは地道に調べていこう。レシピのこととか、おじいちゃんのこととか。