199.公私秘書
気に入らない後輩が出来て長い月日が経った。
アイツは相変わらずとって付けたような丁寧な言葉であたし達を見上げるが、やろうと思えば出来てきたような仕事の飲み込みの早さには誤解だとわかっているのにも当て付ける嫌味のように感じてしまう。
でも、その飲み込みの早さ、たまに気に入らない時に見せる不機嫌な顔、敵を淡々と倒すその行為に慣れ親しんだ無機質な様子。そして時折見てしまったら吸い込まれどこまでも落ちていきそうな深い深い水溜りのような表情。
まだその時ではないけれど、いつかその時が来たらあたしとほぼ同い年の彼女に訊いてみたい。
ねぇ、今までどんな絶望の数々に触れてきたら、アンタのようになってしまうの? って。 ――クローディア
- 公私秘書 始まり -
「失礼します」
「あら、アメじゃない。珍しいわね、あんたがあたし達の部屋に来るなんて」
「少し重要な話で。すみませんがクローディアさんは席を外してもらって構いませんか?」
訝し気にこちらを睨み、後ろに居るシャルラハローテが頷きでもしたのだろうかやれやれと肩の力を抜くクロ。
「仕方ないわね……」
「ありがとうございます。話が良い方向に進めばクローディアさんにもすぐ耳に入ると思うので」
「約束よ」
今日は午後勤務だったのだろうクロは私服でふらふらと廊下を歩いていき、僕はその背中を見送ると室内に入りそっと扉を閉める。
朝食後に、二人の部屋。
リーン家が屋敷を二つ敷地内に持っているとはいえ限度と言うものがある。使用人用の部屋は大概二人で使うことが想定されており、当人達に問題が無ければクロとシロのように同じ部屋で暮らす人々も居る。
共同生活に問題が無ければそれだけ大きな部屋を持てるし、部屋が完全に埋まっていないがそうして助力をしてくれる人間に対してリーン家が便宜を図っているとも聞く。
そうした二人の部屋は共通の趣味である小物作り関連で埋められており、最近では路上販売に顔を出したりもしているそうだ。
「どうぞ、こちらへ」
ベッドで気晴らしに作業でもしていたものを整理し、二つ椅子のあるテーブルへと僕を案内するシロ。
やっぱりこうして見ると一室が広いものだ。僕の部屋にもテーブルはあるがここまで大きくはなく、ベッドを椅子代わりに座る必要がある。まぁ寝る時間含めても自室以外に居ることが多いので、あそこは収納と睡眠が取れれば問題はない。
「それで重要な要件、とは? ……もしかしてクビ?」
冗談めかしてそう言われ、まぁある意味ではそうであるかなと上手い事考えたつもりで沈黙してしまったのだろう。
「え、本当に?」
そう焦る彼女に僕は慌てて補足を開始する。
「いやいや、違います」
「減給?」
「でも無いです、悪い話をしに来たつもりはありません」
同僚ではなく、ヒカリの友人として少し上からの発言にシロはピリッと来たのか、背を伸ばして僕からの反応を待つ態勢に入った。
まぁそこまで構えられても困るのだが……まぁヒカリに了承は得ているし、丁寧に胸を張って。
「まず確認です。文字の読み書きできるようになっていますよね?」
「はい。少し前から、その色々と必要だなと思って、今は難しい言葉以外大丈夫、だと思います」
学んでいる素振りに、実際能力が付いていた事による推測。本人からの言質が得られたのなら十分だろう。
「8に14を足すと?」
「22です」
「かけたのなら」
「……112?」
少し自信無さ気に答えるが、ぶっちゃけ暗算で二桁の計算できるのならば十二分である。
「おめでとうございます。シャルさんにはリーン家の秘書として働く権利が与えられました」
「あぁ、はい。それはどうも……え、冗談とかではなく?」
「本気です。僕が役目を買って出たので信憑性が無いかと思いますが、既にヒカリには話を通しています。確認取ってもらい、偽りであったのなら夜道で刺しても構いません」
あくまで真摯な態度で僕は彼女と向き合い、シロは唐突に訪れた転機をどう受け止めたものかと目まぐるしく戸惑い、一つぽつりと呟いた。
「……皆さん、眩しかったんですよね」
そこからは川が流れるかの如く、だ。
多分以前までの僕との関係ならば聞けなかったような本音、ここにクロがすんなりと立ち入らせてくれたこともそうだ。
「他の町を見た時から、漠然と、抱いてきて、居場所はここじゃない、のかなとか、眩しい人達が住む場所で、何か新しくできることはあるのかな、とか。
クローディアや、この家と離れて生活することは、考えられなかった、けど、自分の立ち位置は、少し、変えられるんじゃないかなって」
そう思い、実際に勉学に励んできた経験がここにはある。
家に慣れ、僕とヒカリの違和感に上手く付き合って。
「今が、そうなんでしょうか?」
俯いていた視線はハッキリとこちらを見据え、僕はテーブルに身を乗り出して耳元で囁く。
「……その秘書、名目上はヒカリの秘書なんですけど、事実上はシュバルツの秘書ですよ」
とっておきの一言に、僕は落ちた確信を抱いて顔を離すと珍しく動揺し顔を真っ赤にしているシロが視界に入り。
「あのそれ、本当っ、いやどういう意味でっ……!?」
「じゃあ僕は用が済んだので帰りますね。しっかりと考える時間が必要だと思うので数日ゆっくりと考えて誰かに返事を出してください」
「いやあの、待って、なんで知って、ちょっと! 誰にも言わないでくださいね!?」
僕が本当に退室する気なのを確認すると、シロは慌ただしく立ち上がろうとし失敗、そして重要だと思っているだろう事柄を去り行く僕へと手だけでも伸ばし伝えて。
よく考えろと言ったにもかかわらず、返答は翌日来たようだ。
こともあろうに僕やヒカリを選ばず、シュバルツ本人へと秘書になりたいという意思を。
「可哀想なほど意気込んでいたが、お前一体何を吹き込んだんだ?」
「成すべき事を」
「……?」
どや顔を決めて見せたがイマイチぴんと来ないらしく、事情を察したヒカリがクスクス笑っていたり、後日クロからこんな事を言われた。
「あんた思い切ったことやってくれたわね……」
「すみません、クローディアさんから引き剥がすような真似をして」
「そうね。使用人から秘書に変わって、仕事が終わったらまるでとろけるような顔であたしに今日何があったのか聞いてもいないのに喋るの」
……それは大層。
「ま、こういうのも悪くないわね」
- 公私秘書 終わり -




