192.地獄の梯子
記憶の中の僕が言う。
「テイル家との戦闘で死者が出たせいでこれから戦闘が激化する」
記憶の中のココロが答える。
「私達にできることがありますね」
記憶の中の僕が尋ねる。
「……無茶なことは考えないで。争いを収めることなんて誰にもできない」
わかっているとココロは言った。
「そうでしょうね。もはや一個人や数名の動きじゃどうしようもない段階になってしまった。
でもそんな中で一つあるんです、私達にできることが」
その答えを僕は知っている。
「死なない事はできる」
何を当たり前なことをと呆れた気がする。
「耐えて……堪えて……絶えず……。
味方を守って、自分も死なずに、終わりの時が来るまで持ちこたえるんです」
前線に駆り出される少女にそれが可能なのかと疑問に思った、今でも思っている。
「凄く厳しいだろうね」
夢想家もいい所だ、あり得ない都合の良い想像に願望。
でもココロはそうして今まで生きてきた、一見不可能と思える道を歩いて来た。そんな彼女に感化されてか、僕は思わず口にする。
「それでも」
思い出の僕とは違う言葉に、ココロは優しく微笑んで可愛らしい笑みを送ってくれた。
そんな彼女を、守りたい。そう心から願ったのだ。
- 地獄の梯子 始まり -
初めに感じたのは硬く、下水道のように嫌なぬめりを備えている床。
次に体内の酸素が足りておらず、空気を掻き込むように口を開いたら右胸に尋常じゃない痛みを感じて横になっていた顔を上げる。
回復魔法を走らせながら、何かが腐ったような酷い臭いを周囲から感じつつ、温色系の薄暗い電球が照らす室内を見渡す。
「っ……!」
どこかもわからない室内の隅、先ほどまでは呼吸を肌で感じ取れるほど近かったイルが僕より遅れて失っていた意識を取り戻すのが見えた。
左手には短剣を握ったままで、数秒でも僅かに動くのが早ければ息の根を止められると獣のように宙を跳ぶ。
ただ相手の反応も早く、意識を取り戻した直後に襲い来る僕という脅威に確実な対応をするために中腰で盾を構えて、半ば転ぶように体重を乗せて体当たりをしてくる。
その盾の頭を右手で掴み上方へ弧を描こうとしたが、片腕で体重を支えようとした段階でほぼ治っていない右肺の傷が悲鳴を上げてそのまま元居た壁まで吹き飛ばされる。
「これで――!!」
これで……死ぬのか? 仲間は見当たらない、敵も見当たらないが最大の強敵であるイルは僕に殺意を向けていて。
死ねない、強くそう思った。振りかぶる盾刃は僕を仕留めるため、こちらはようやく取り入れた酸素も壁に叩き付けられた衝撃で吐き出してしまい、右胸から出血は止まらず上手く右手も使えない。それでも死ぬことはできない。
遺跡に入り込めば狭い通路で人数差を誤魔化せると思った、相手はそれを予期し陣形を崩すために無茶して僕と共にゲートを潜ってしまった。まだだ、出来れば転移先が戦闘継続など無理な無茶苦茶な空間だったり、逃げ回るのに最適な立体的な構造をしていたら良かったがただの小部屋だ。まだ、何かあるはずだ。可能性は低くも、生き残るための術がどこかに。
デンッと何かの音が響き、今までオレンジとも赤とも似つかない薄暗い照明が室内を照らしていただけだったが、唐突に白く輝く光源が発生する。
初めの印象は病院だった。
はっきりと照らし出された室内はハサミやら薬品のケースやらが乱雑に散らかっており、今点いたばかりの照明は手術台のような台座の真上でそこに眠る人には明るすぎるほどの光を放つ。
是非とも手術し即座に治るものならば僕がそこに寝たかったのだが、あいにくと言っては何だが先人がそこにはおり……どう見ても手遅れと呼べるほど内臓を零し頭部は半分剥き出しの死体が眠っていた。
死者でも目が覚めるほど明るい光は実際にそれを起こしでもしたのだろうか。腸と思わしき内臓を垂らしながら、血液か何かよくわからないどす黒い液体を撒いて起き上がる死体。
片目が無い表情が一瞬こちらを向いたが、僕に飛び掛からんと動き始めていただろうイルへと機敏に反応し、五メートルほど距離があるにもかかわらず物理法則を無視して彼女へ飛び掛かった。
「なにっ!?」
動揺しながらも僕から一旦標的を死体に移し、肩から斜めへと腐食している肉体を盾刃で両断。
痛みなど感じていないのか未だ頭部へ付いている残った片腕でイルを掴み、彼女は冷静に腕を切り払った後に細切れにされて残った頭部を蹴り飛ばす。
何か知らんがよくやった死体! おかげで僕は何とか対処できるほど動けるようになったぞ。位置関係的に出口はこちらの方が近いので、一度隙を作り退出に手間取らなければ悪あがきできる可能性が出てきた。
上手く動かない右手に短剣を持ち替え、損傷具合を隠すと同時に満足に動く左手を空ける。
その時、不可思議なことが起こった。
いや、死体が動くのも十分不思議で、それが瞬時に長距離跳んだのも不思議なのだが、残った頭部がなんの脈絡もなくイルの首目がけて飛んで行ったのだ。
魔法の気配も、頭部だけで勢いをつけようとした様子もない。見えない糸を付けられていて、部屋の外から大きな人々に操られているような動きをした頭部は察知することに遅れたイルの首に噛みつく。
「くぅっ!!」
傷は大した事無いが死体に噛みつかれたことによる嫌悪感か、少し悲鳴に近い声を上げて右手で頭部を引き剥がそうとし……未だ僕が関節部に刺し込んだ傷が治りきっていなかったのだろう。
左腕に装着したままの盾刃を足元に解除し、ようやく頭部を振り解くと念入りに二度と動けないように靴の裏で磨り潰した。
「あの、提案があるのですが」
「……何でしょうか?」
反応が返ってきたということは可能性があるということだ。
左手で十分に充電し標的を定めつつ、イルはその中で強者の余裕を見せながら解除した盾刃を悠然と装備し直す。
「遺跡内部に未知の化け物。
今回は一時休戦、少なくとも元の場所に戻るまでは争いをやめませんか?」
「私に益があると思っているんですか?」
「はい。当然このまま戦えばほぼ確実に僕は大した抵抗もできずに死ぬことになるでしょう。
ただ僕を倒した後あなたはこの遺跡深層からどう脱出する予定ですか。どれだけ構造が広いかもわからない、見たところ大した荷物も無いようですね」
「……」
無言で僕の話を聞き、それに合わせて放電はしないものの口を動かし続ける。
「先ほどのような化け物が他にも無数に、それも様々な種類が居るかもしれない」
「あなたにそれが何とかできると?」
「全ては無理でしょう。ただ盾が一枚増えて、少しでも肩の力を抜いて休息できる時間が生まれるはずです。
それに遺跡に関しては少々知識がありまして、この遺跡に関してはまだ調査中だったのですが推測はできます」
「……信憑性に欠けますね」
「噛まれた場所、痒くありませんか? 酷い色になっていますよ、体に異常は?」
事実だ。
ただ噛みつかれただけではなく、青紫へと嫌な色に歯形を中心に首元は変色を始めており、イルはそれを確認する術を今は持たない。
「ふむ」
一つ息を付き、盾刃を下すイル。僕はまだ動かない。
「乗りましょう。契約の詳細は?」
「少なくとも一時休戦ということで治療を進めたほうが良いのでは?」
「感謝します」
そこで僕は左腕を下して、イル同様殺気も抑える。
共闘関係に持ち込めればあとはどれだけ恩を売れるか、それが僕が長く生き延びる道だろう。
……何にせよ助かった。イルを一人でどうにかするか、この施設内の化け物全て相手にするのであれば迷わずに後者を取る。それもその最大の問題であるイルが不確実ながらも味方に来るというのであれば尚更だ。
「解毒魔法が効かないんですよね?」
「そうみたいですね、傷口はどうなっていますか?」
「歯形が消えず、そこを中心に青紫に変色しています」
「……」
思わず絶句したのは動揺のためか。
解毒も効かない、傷口も塞げない。挙句皮膚の色は見えないながらもかなり酷い状態、無理はない。
「室内を探索したいです、動いても良いですか?」
「えぇ。何か考えでも?」
「僕の推測が正しければその傷を癒す手がかりがどこかにあるはずです」
一瞬疑念の目を向けられる。既に遺跡を探索していて、知っている情報で自分を罠に嵌めようとしているのではないのか? と。
少し考えればわかる矛盾を孕んだ思考を振り払い、イルは僕と少し距離を取ってから乱雑な室内を荒らし始める。
「どのようなものを探せば?」
「兎に角目立つものを。
手を動かしながら教えてください、噛まれてからどのような変化が体内に発生していますか?」
「……少し思考が鈍いですね、靄がかかったように」
少し返答が遅れたのは弱点を曝け出す行為に躊躇ったせいか。
「なるほど。破壊衝動などはありますか?」
「えぇ、確かにそうかもしれません。
戦わない、そう決めたにもかかわらず体は血を求めているようで」
「僕を見てください」
「……?」
視線が交わる。傷口は徐々に酷く広がっている。
「美味しそう、そうは思いませんか?」
「――っ!!」
その反応で十分だ、あとは目的のものが見つかればこの施設に対して確証が得られる。
「あった!」
白い下地に、赤いマークでラベルがされている液体を入れた瓶。
「目的の物はそれですか? 私の方にも似たものがあった気がします」
目ぼしい物を手元に並べていたイルは僕が掲げる瓶と同じものを見つけこちらに見せてくる。
目立つ特徴で二つも存在すればほぼ間違いない。僕は急いでキャップを外すと、針などはどこにもなく飲料型の薬品だと判断する。
「飲んでもらってもいいですか? 出てきた場所が場所なので躊躇うかも知れませんが」
一度僕を見て、手に持っている瓶を見て、床に散らばるグロテスクな死体を見て、最後に傷口を見ようとしてイルは迷わずにキャップを外して口を付けた。
余り多くない量をすぐに飲み干し、僕が傷口を確認するとみるみるうちに歯形は消え去り色も健康な肌色に戻り。
「治り……ましたか?」
「どうぞ」
一応効果を実感しつつも傷口を確認することができないせいか、不安気に尋ねるイルに僕は手術用のトレーと思われる板を鏡代わりに渡す。
「ふぅ、良かった」
完全に気が抜けて腰を下ろすイルに僕も距離を離して続く。
推測がどこまで正しいのか、その想定が前時代の文化にどれほど通用するのかわからなかったが何とかなったようだ。
「一応尋ねますが元々そういった趣味は無いんですよね?」
「あるわけないじゃないですか」
ならば食人趣味、人の肉を食べたいという欲求は後天的に植えつけられるもので、先天的にある欲求を増幅するものではない、のだろうか。
「それで、この施設はどのようなものだと当たりを付けているのですか?」
「研究施設だと思います、情報が少なくて確証は得られませんが」
多分ホラーゲーム、それもゾンビが出るタイプの体感型ゲームだとは思うが、僕はそういう設定だと嘘ではない返答を返した。
- 地獄の梯子 終わり -




