179.白い少女
「アメ、お使い頼まれてくれる?」
「うん、いいよ」
思い返せば、この時気軽に返事をしたのが全ての始まりだったのだと思う。
「このお金をある場所に渡してきて欲しい」
体調が悪いだとか。
「……ここって確か治安が悪い場所だよね、後ろめたい繋がりがあるの?」
別の用事があるとか。
「人によってはそう見えるかもね。奴隷仲介業への賄賂、そんな感じに。
私達的には設備を整えて引き取られる人に少しでも不憫な思いをさせて欲しくないとか、良い人材を積極的に紹介してもらうとか、単に仕事のために必要以上の仕入れを行わなくて済むようにってお願いの寄付」
気分が乗らないだとか。
「ふぅん。じゃあ容姿で舐められてもいいわけだ」
そんな些細な事柄一つで、何もかも変わっていただろうに。
「そそ。大きなお金を、手軽な人に運んで欲しいだけだから。万が一スリにあったり落としてしまったら大変でしょう。
本来ならシュレーに頼むのだけれど、今日は別件で動いてくれているからね」
普段ならば何かがあり正常な方向へと動き続ける機構に今回は何も存在せず、噛み合ってはいけない方向へと歯車が回ってしまった。
「わかった、じゃあちょっと行ってくる」
ガシャンガシャンと向かう先へと動き続ける歯車の中。
「行ってらっしゃい」
一つ、小さなものが挟まった。
- 白い少女 始まり -
「ここか……」
念のため屋敷を出る前にもう一度ヒカリに確認し、辿り着いた住所にはレイニスの貧民街、その中でもしっかりとした造りをしている建物。
王政の施設でも中に入っているのでは無いかと思うほど貧民街にも、発展都市レイニスにも似つかわしくなく、売買される奴隷達が生活しているという話から奴隷にも色々な立場と種類があるのだなと改めて思った。僕が居た場所も大概酷かったが、あれでもアレンが人道的運用に傾けた結果らしい。
「――おいっ、さっさと動けって!」
この寒い時期でもあまり苦にはならなそうな建物で、一体奴隷の方々がどのような生活を送っているのか興味本位で確かめてみたい……そう思い、建物に入ろうとすると焦ったような少しだけ力の入った怒声。
意外にも声の発生源は建物からではなくてここから近い裏路地。特に抵抗するような声は聞こえなかったが、揉め事ならばまだしも暴行事件が近くで発生しているのであれば可能性から目を逸らして寝覚めの悪い気分を味わう道理もないか。
お金の入った皮袋、リーン家に属してることを示すペンダント、あとは普段から所持している暗器がしっかりと潜んでいることを確かめて、僕は気配を殺しながら声の元へと駆け出す。
「はぁ……まあ、しょうがねえか。近いし、背負って行くか」
「どうかされましたか?」
身を屈め、何かを担ごうと構えている男性に僕は背後から距離を詰めて声をかける。
寸前まで気配がなかった僕に対してか少しだけびくりと体に緊張を走らせながら、後ろめたいことなど何も無いように堂々とこちらを振り向いて男は口を開く。
「女、それも子供に話すような事は何もないさ。悪いことはしていないし、さっさと散ってくれ」
「事情によってはそうも行きませんので」
男の背後に居るのは、少女?
……透き通る白銀の髪質は、記憶にある白髪と違い艶やかに、それも背中辺りまでしっかりと伸ばされており。
疑問符が付いたのは人形かと錯覚するほど綺麗に手入れされた髪の毛と、栄養不足ではない程度に削ぎ落とされた筋肉と脂肪があまりにも人形じみていて。
「ったく、こちとら思いもよらない面倒な仕事に手を煩わされているというのに次から次に面倒を……お前、アメか?」
「……え?」
少女に意識を傾け過ぎていて、思わず男に名前を呼ばれてしまったことに動揺を表面まで浮き上がらせてしまう。
「ザザさん?」
「そうだ、覚えていてくれたか」
今までの緊張や嫌悪感をふっと笑って吹き飛ばしながらも、僕が平気で人の顔や名前を忘れる人間だと確かに認識している様子のザザにバツの悪さを覚える。この性格どうにかならないものかね、今回はギリギリセーフだったが。
アレンとココロ三人で王都から逃げる際、見逃され、見送られた時が最後か。不安定な施設の責任者を押し付けられたかと思えば、今の今まで何とか首を繋げていたらしい。
「体は成長……したわけじゃ無さそうだが、顔つきは随分と変わったようだな。色々とこちら側にも噂は入ってきているが、元気にしているようで良かった」
「気に留めていただいていたようでありがとうございます。ところでそちらの少女は?」
「ん? あぁ、お前なら事情を話してもいいか。とある好事家が手放した子供なんだがな、ここに来るまでは大人しく平気で歩いていたのにも関わらず、ここまで来てから唐突に足を止めて会話も成立しなくてな……」
ちょっと失礼と目礼をして、ザザの隣で屈みこみ少女の瞳を覗き込む。
ぞっとした、空っぽだった。
眼球が無いというわけじゃない、ただあまりにもその紅い瞳に虚無だけが広がっていて。
奴隷になるという絶望も、住む環境が変わることに対する不安不満、あるいは期待や希望なんかから、僕が今こうして目を覗き込んでいるのにも対して、体が反射的に挙動を目で追っているのにも関わらずそこに付随するだろう意思、感情が一切存在しないのだ。
達観や、俗世離れした雰囲気を通り越し、心が壊れているわけでもなく、初めからそこに人格なんてものが無いほどに、今僕の目の前に居る少女は――そう作られていたのだ。
「……この子、商品ですよね?」
「まぁ、そうなるな。出張というか手伝いとかそういった感じで厳密には俺の管轄外なのだが」
「ここにあるお金で足りますか?」
「アメ、リーン家の家訓を口にしてみて」
「はい。己の心に従うです」
自主的に床へ正座をしている僕を見下ろすヒカリの顔は恐ろしい。
普段敵を殺める際にもこんな様子は見せず、大概戦いを楽しみ、また仕える人間を叱る際もこうして感情を表に出すことはない。
特に僕に対して、こうして厳しい態度を見せることはほぼ在り得ないので、その在り得ないを引き出してしまった現実にこうして頭を垂れるしか僕には許されていない。
「そして今回の事は?」
「すみません。独断で、他の人に大きく干渉する考えの足りていない行動です」
「そう。だからこそ断じて私、ヒカリとして今回の行動を見過ごすわけには決していかないの」
思いつく限りの論理的なロジックが成り立つ道筋で叱られ続ける僕。
ソファーには与えられた食事を、許可されることでようやく口にちびちびと運び始めた問題の少女。どうやら空腹で動けなくなっていたところに僕が駆けつけたようで、胃に物を入れ始めると少し元気……になった気がする。
「只今戻りました」
「……ご苦労様、首尾は?」
「首尾も何も、ただ渡された金銭を取引先に渡すだけですよね?」
失敗してしまった僕の代わりに、行っていた仕事を終えた後に現金の引渡しを引き継いだシュバルツが帰って来る。
「アメ、聞いた? 渡されたお金を、相手に渡すだけ」
「はい、重要なのはそこだけですよね」
「そう。皮袋を落としたり、スリにあう可能性はあるだろうけれど、アメならそんな不注意はしないだろうし、スリなら撃退できる」
「街中では襲われる心配なんて無いですもんね」
「そこまでわかっていて、で、どうしてこうなったのかしら?」
注目を集める少女は未だ食事を続けており、視線を向けられてもまるで動じず動物園に居る獣のようにこちらに意識を向ける様子は無かった。
「それはですね、自分の境遇に似ていた彼女へ手を差し伸べたくて……」
ここで一度、ガンッと威圧するためにレイノアから新しく仕入れた一般的なロングソードが床に鞘で覆ったまま付きたてられて音を鳴らす。
以前まで使っていた厳密にはショートソードの物とは違い、今回は正真正銘大人用のロングソードだ。僕とは違いヒカリの肉体が順調に成長しているその証は、言葉を引き出すためにプレッシャーをかけてくる。
「髪と瞳の色がですね、ルゥと似ていまして……」
もう一度ガンッ。
決して鞘から抜かれることが無いことはわかっているものの、怖いものは怖い。
「雰囲気までその想起させるほど危うく類似していて」
「……そして、上から与えられた仕事とお金を利用することを悪いものだと認識しながら、彼女を買い取ったと」
「そうなります」
「アメは幼い頃人のお金で人間を買ってはいけません、そうは教わらなかったかしら?」
「……」
んなもん教わるわけあるか、そうとは言えずに僕は珍しくこちらに恐ろしい表情を見せているヒカリにビビッて俯くだけ。
再三ガンッと響かせるかと思いきや、一度持ち上げたロングソードを振り下ろさずに煮え湯を飲み込むよう唇を苦しそうにきゅっと一の字に結んだかと思いきや、ぶらりと脱力したように手を下げる。
「ヨゾラを利用したい、そう提案し生かしたのはアメ」
「……様々な利益があって、実際今まで裏切る素振りを見せずに竜信仰との決着を迎えられた」
今までとは違う声音、そして否定されてはいけない話題に移ろい僕は恐怖を押し殺して言い訳を行う。
「ソシレを、ウェストハウンドを飼うなんて馬鹿げた真似をしてみせる」
「親を殺してしまって、一人じゃ到底自然の中で生きて行けないだろう生き物を放置していくことはできない」
口にしている言葉は耳に聞こえの良いものばかり。
聞こえの悪い本質を求められるまで隠し続け、ヒカリはその内容も意図も理解したまま見苦しく足掻く僕を止めようとはしない。
「ココロも聞いたことにはアメがアレンに、自分と同じ立場にしたほうが良いと進言したそうね」
「必要な協力者だと思っていた。実際は不要だったけれど、今は別の形で人々に幸福を振りまいている」
「そもそもスイとジェイドの前例」
「死に逝くだろう子供二人を、そのまま見過ごす理由なんてないよ」
「そして、今回」
「ぐへへ、魔力量がどんどんマシになるぜ」
悲痛そうなヒカリに、僕は少しでも場を和ませる、あるいは矛先を自分というものに向けさせるよう半分ほど冗談の言葉を口にする。
様々な人との交流を広めることで魔力を保存する器は、僅かにではあるが成長してることは確かだった。
「無茶、しないでよ。
大切なものの重さに押しつぶされるなんて、幸せな死に方じゃないから」
擦れんばかりのか細い言葉に、ようやくヒカリとして許すことは出来ない、その言葉の意味を思い知る。
リーン家の一人娘として、貴族の立場として部下に当たる人間の意図的な尋常じゃない失態を許せない、そう言っているわけじゃなかったのだ。
どんどん手を伸ばして、抱えて。既に両手で守りきれる量なんて超えていて。最悪の状況が訪れた際の僕を心配し、ヒカリは本気で叱ってくれていたのだ。
「……ごめん」
その友人としての言葉にヒカリは肩の力を抜いて、シュバルツへロングソードを投げ渡すと私室から立ち去るように扉へ向かう。
「少し頭を冷やしてくる。その子の代金はアメの給金から月々差し引いて、世話に保護者も全てアメが行いなさい。
シュバルツは戸籍の申請に、求められて気が向くのであれば助力もしてあげて。アメもその子を幸せにするためならば私も他の誰でも全て利用する勢いで全力を尽くしなさい」
「御意」
「わかった」
ばたりと音を立てて扉が閉められた事を確認し、シュバルツは肩の力を抜いて口を開く。
「珍しく主からあれほど叱られたんだ、俺から今更注意することは特には無い。既に一度俺から同様の注意はしていたわけだしな。
既に抱えてしまったものだ、必要ならば手を貸そう。いま特に望むものは?」
「今はいいかな、しばらくは一人で様子を探ってみる」
「そうか、ならば俺は書類の準備に取り掛かる。今日からお前がそいつの保護者、言うなれば母親だな」
二つほど年下の十歳ぐらいだろうか。
体格は平均より劣っているが僕ほどではなく、ただ注目を浴びてもヒカリが怒っても、今こうして母親ができてもまるで興味を示さず、ようやく終えた食事の皿を前に呆然と佇む少女。
「あ、いや、一つだけあった。この子、名前が無い」
「ん?」
好事家から買い取った、取引を終えるまではザザはそうとしか言ってなかった。
何となく不利益な情報を契約が成立するまで黙っていた様子だったが、僕はそれすら呑み込もうと無視を決め込み実際に金銭を渡した後で事情を詳しく聞きだすと、その好事家とやらは色狂いの類ではなくこの少女を人形のように扱うタイプの物好きだったようだ。
突然変異……突如色素欠乏が発生した子供が産まれ、偏愛することになったにしては髪質に艶がある。ルゥはルゥで髪は白く、瞳は紅く塗られたような独特な色合いだったがまだあちらの方がアルビノの状態に近い。
なので親の特徴を引き継ぎ、可愛らしく産まれたが故にお人形さんを求めている金持ちに引き取られ、飽きた際に奴隷として売り払われた、そう推測できる。名前を付けるタイミングも、意識も最後まで産み親にも育て親にも存在しなかったのだろう。
「なるほど、だからこの様子か」
性奴隷として心が壊れたわけじゃない。初めから人形として心を持たないよう調整され造られて来たのだ。
食事は許可を与えれば存分に食べる様子を見せるようにゆっくりと食べるし、トイレには粗相をしないよう自分で向かうことも出来る。
面倒がかからなかったり、見苦しい振る舞いをしないよう最低限生き物としての常識は植え付けられているが……そこまでだ。自分から何かをしたいとは思わないし、与えられる行為に何かプラスでもマイナスでも感情を覚えたりしない。
「名付けか、大任だな」
「だから何か一言でもいいからアドバイス頂戴……!」
人事のように責任を被せられる前に逃げるシュバルツに懇願し縋りつく。
「名は体を表す」
「お前の名前どんな意味だよ」
「さぁな。そうした疑問を持ち尋ねる前に親はこの家に殺されていたからな」
酷く複雑で重たい過去をどうでも良さそうに告げる執事にこれ以上頼ることは諦めて、自分の名前の由来を思い出す。
コウと二人、村を植物のように育んで。
僕は水で、コウは陽光で。
そうなって欲しいという願い。人によっては生き方を決められたり、望まれているようで苦痛に感じるかもしれないが、少なくとも僕とコウはそう故郷の人々から愛されていることには幸福を覚えていた。
望むもの、名は体を表す。今と、これから。
「カレット」
「意は」
「ガラスを再利用する時にね、バラバラにして混ぜ合わせ別のガラスにすることがあるの。このバラバラにした状態の、言ってしまえばガラス屑をカレット、そう呼ぶの。
まだこの子の心はバラバラで、人としてのガラスの形をまともに保てていない。ガラスのように危うく、繊細で、だからこそ美しい。もし一枚のガラスに成った時、この子らしい色合いや造形を綾なせるようそう願って」
未来を決めるわけでも、今を否定するわけでもなく。
「ソシレの時とは違い響きも意味も十分じゃないか。俺はその名で国へ申請してくる、しばらく席を外すぞ」
「よろしく」
ヒカリに続いてシュバルツも部屋から出て行き、僕はソファーにぼーっと座り込む少女の隣へと座り手を掴み取る。
「これから君の名前はカレット。僕はカレットの保護者のアメ……まぁ友達ぐらいでいいかな。よろしくね」
「……」
自身の体に触れられたことでこちらに視線を向ける少女、カレット。
言葉を発するわけでもなく、首を傾げたり表情を歪める様子もない。そんなカレットに僕は、これから精一杯尽くしていこう、そう心に決めたのだった。
- 白い少女 終わり -




