178.棚から赤い何か
「こんにちは。
すみません、わざわざそちらにご足労おかけしてしまって」
僕は軽く頭を下げながら開いたままの門を中に入るようレイノアに促す。
未だ魂鋼について手がかりは無く、稀にではあるがこうして直接顔を合わせ具体的な現状に今後の方針を尋ねることもある。まぁ送られてくる書類に、人柄を信じるのであれば確かに日々活動していることは伝わってくるので、これを口実に顔を合わせたいだけのようなものなのだが。
「構わないさ。金を貰っているくせに成果を上げられず、依頼主を頻繁に招いているのも申し訳が立たないってものだ。
それに貴族とやらの、お前達の住んでいる家がどういうものか気になる……うおっ」
視線の先にはハッハッと舌を出してこちらへ寄ってくるソシレ。嗅ぎなれない臭いで気になって走ってきたのだろう。
「大丈夫だよソシレ、僕の知り合いだから」
「噂には聞いていたがこうして街中でウェストハウンドを見るとどうしても驚くな」
「今の所誰かを襲ったことはないので良かったら頭でも撫でてあげてください、喜ぶので」
というか郊外へ散歩に連れ出す際もあまり遠くまでは行かないので最後にコイツが戦ったのは僕達と出会った時ではないだろうか。
特に戦闘用として訓練したり運用は考えていないので、完全に牙が鈍っている気がする。万が一の時に自衛や、戦えない人々の盾にはなって欲しいがもう手遅れな段階なのかな。
「普段エターナーやユズの奴はよく足を運んでいるようだな」
適当にソシレの頭を撫で終えたレイノアを応接室に案内する途中、幾人かの使用人や私兵とすれ違いながら廊下や扉の開いていて中を覗ける室内を一通り見終えた頃にそんなことを彼は呟いた。
「えぇ。特に用が無いのにもかかわらず、僕達に顔を合わせもせず喫茶店か何かのように屋敷を使っている有様にはたまに眉を顰めますが」
言葉の真意が掴めず、とりあえず同じように神経の図太い行動を行う人数を予め減らそうと僕はそう下の評価から持ち出して返答を行う。
実際のところリーン家としてはどうでも良いらしく、使用人の人々も幾人かは友人のように接しつつ茶等を出しているようなので僕から思うことは無い。
「そう気を払うな、何も同じように振舞おうなど考えちゃいないさ」
「そうですか」
「ただな、家が裕福で、そこで住まう人間が精神的に余裕を持っているというのは羨ましい限りだ。これからも精々繁栄していくといいな」
「はい」
そうした人々の平穏を一番ぶち壊そうとしているのが僕とヒカリなのだから世の中ままならないってものだ。望むのであれば少しでも犠牲は抑えて活動していきたいのだが、要である竜討伐の二名に一人娘であるヒカリが含まれているのだから救いようが無い。
「邪魔するぞ、お譲様――うぉっ、護衛か?」
「いえ、ただの執事です」
応接室に入ると同時に驚いたように顔つきの険しいシュバルツを見るレイノア。
シュバルツ自身もそうした反応を取られることに慣れている、そして僕達の事情を知っている相手とのことで己の主が口を開く前に淡々と、けれどどこか物悲しそうにそう告げた。
「まぁ僕みたいなポジションですよ」
嘘だろう? と言った様な表情でこちらを見てくるレイノアにそれだけを告げて、テーブルの対面に回りヒカリの隣席に着く。
僕は竜を倒したい、シュバルツはテイル家出身。結果二重スパイのような立ち位置でテイル家相手と遭遇を避けたく、満足に実働部隊として動けないシュバルツはその分事務処理や家事に長ける……いや、戦闘も僕より強いと思うのだけれど。
「この屋敷に入ってから驚いてばかりな気がするぜ」
「町に腰を落ち着けてからはそうした刺激も無いでしょう? 商人たるもの常に新しい刺激を与えられた方が良いでしょうに」
「生憎若い頃にそういった類は嫌と言うほど味わっていてね。その頃味わった経験が今でも活きるし、これよりも上を望むつもりは毛頭も無い」
「欲の無い人」
「面倒が嫌いなだけだ」
挨拶代わりにそんなやり取りを行い、クルクルと回して遊んでいたカップを止めてヒカリは本題に入る。
「そろそろ二年だけれど、魂鋼についての手がかりはまるで?」
「あぁ、無いな。成果を上げられていないことは申し訳ないと思っているが、現状雲を掴むような話だ。
ただようやく"無い"ことは理解してきた。現状の手段ならば情報すら期待が薄いのでアプローチの方法を変えようと思っている」
「と言うと?」
「結果が出たら伝えるさ。今までは俺の管轄内で様々な方法を試していたが、今度は管轄外も攻める。必要資金が過剰に増えることも無いだろう。
それよりもお前の親御さん……ええと、ユリアン様だったか。彼が以前魂鋼を数ヶ月で入手した経路は知っているか?」
情報が無い事を情報にする姿勢、それにすぐさまこうして別のアプローチで動く様は好感を持てる。こうしてリーン家の屋敷に直接足を運んだ理由の一つにこの問いがあったこともあるのだろう。
「元々リーン家が所有し、他家が預かっていたものを再興の為に返してもらった、と。
顔を知っている貴族に声を掛けて周りはしたのだけれど誰も所有していないそうね」
「なるほど。ならば外部の担当は俺だな」
「よろしく」
会話を最小限に済ませ、少し一息吐いた所で話題は一旦移ろう。
「そういえば竜信仰者との戦闘の戦果、凄かったらしいな」
「何度確認しても驚くよね」
両陣営死者ゼロ。
再三竜信仰者側、そしてリーン家側に確認を取ったが変わらない事実がそこにはあった。
「人数差はあれど個々の錬度の違い、アメが行った炎の破壊による更なる士気の差、そして主と共に行った奇策が成功した点。
そう何度も行えるものではないが、奇跡と呼べるほど偉業でもないだろう。人が多い故に事故死の確率は高かっただろうが」
褒めるわけでも貶す訳でもない客観的に成果を見たシュバルツの分析。
「実際奇跡ほどではないにしろ運の良い偶然を狙って引けたわけだ。そしてあの演説に至る、と」
「……見てたんですか?」
「まぁな。知り合いが街中で騒ぐってなら様子ぐらい見させてもらうさ」
そこでレイノアはヒカリを見てクックと笑う。あのふざけた演説を思い出しでもしたのだろう。
「身内からしてみればおもしろい劇、外部から見てみれば物騒だったり頭のおかしな連中、敵からしてみれば大層恐ろしかっただろうに。
本来ならばああいった演説は厳粛に行うべきなのだろうが、ただ俺はあの塩梅悪くはないと思うぜ」
レイノアはもう一段階顔を崩して笑い、釣られてヒカリも笑ったところで脇に置いていた荷物をひょいっとテーブルの上に持ち出す。
「魂鋼は無理だったが、もう一つの頼み物は手に入れることが出来た」
勿体つけることなどせず、せっせと解かれていく包みの奥に眠っていたのは一つの物体。
宝石のように赤々としているにもかかわらず、どこか鉱物とは違う自然的な色合いで。まるで風に曝され欠けてしまった様なレンガのようなそれは。
「恐らく炎竜の甲殻、その一部だ」
「へぇ、それが本当ならやるじゃない。予算の申請が無かった辺り、偶発的に出会えたような物らしいけれど」
「俺も寝耳に水だ。恐らく竜信仰者からの提供だ、明言はしなかったがな。
大方俺やそっちが探していることを耳にしながらも、御神体かなんかで祀っていたこれを当然渡すつもり等無く……ただ例の戦闘で心変わりしたといったところか。
恐れおののいて保身の為に俺を介して差し出した、そんな様子はあまり感じられなかったな。死者無く敗北を許された事実に対する礼儀か、何か別の想いでも託したのか。何にせよ頼まれていた片方は手に入った、金はもちろん不要だ。勝手にあちらから持ってきてくれて俺としても手間が省けて助かる」
「本物ならね」
少し僕達で検分を行い、質が炎竜の甲殻でほぼ間違いないと確かめつつも確証を得るために動く。
被害を少なくするために椅子へ甲殻を移動し、ふとももから取り出した短剣で床が揺れるほど強く突き立ててみても鉱物とは違う感触で弾かれてしまった。
「じゃあ次は私の番」
壁に立て掛けてあったヒカリのロングソードで、軌跡が見えないほど素早い挙動で彼女は薙ぐ。
技の刃。
性質は僕の破壊魔法に近い。速さのみを求め、叩き切るのではなく刀を扱うように表面を、魔法による防御が難しい速度で切り裂く。上手くいけば魔力装甲など鼻で笑いながら僕のように腕は飛ぶし、失敗してしまえば武具で受け止めると最悪ヒカリの手から剣が飛んでいく。
「ふむ、相当硬いわね」
当然動かない対象、それも魔力を有していない単純に物理的な硬さだけでその刃を跡すら付けずに往なす甲殻。
「シュバルツ、あなたの方が力が強いでしょう? 強引に叩き切ろうと試みなさい」
「御意」
そっと渡される剣を受け取り、僕達三人はその様子が見えやすいよう横から距離を離して眺める。
「ふんっ」
最上段まで掲げ上げ、力強く剣を効率的に扱える体の運びで振り下ろされる一撃。
ギンッ! と鈍い音が響いて、僕とレイノアの間を折れた刀身が走り抜けて壁に突き刺さった。
「……おいっ、また肝が冷えるとんでもない経験をした気がするのだが」
「気のせいですよ。当たるようなら僕が守ってあげたので」
ロングソードは半ばから折れ、甲殻はそれでも傷一つすら付かず。
「すみません主、得物をダメにしてしまって」
「大丈夫よ、そろそろ買い替え時だったしね。
にしてもここまで来ると本物のようね、あとは如何に魔砲剣以外で破壊できるかを模索するのがアメの目標、と」
一瞬できるだろうかと弱気になってしまった心に叱責を入れ、動かない標的で試すことが出来るのは竜を直接相手に模索するより何倍もマシだと考えを改める。
この魔力が通っていない甲殻では、相手の魔力に切れ目を入れて内部から分解する原理である破壊魔法は通用せず、竜の身に纏われた甲殻は人の身で関与できるほど脆弱な魔力なわけが無く。少なくとも一つ、これを貫くことの出来る手札を増やす必要があるわけか。
「レイノア、あなたの所で武具を扱っていたりしないかしら。今まで市場に流通しているものを適当に買っているだけだったから、屋敷で使う一般的な武具を質の良いものがそちらで取り揃えられるならば専属契約したいのだけれど」
「……まいど。職人を探して見繕っておくさ、羽振りも良さそうだしな」
シュバルツが壁に刺さった刀身を抜き去る所を眺めながら、レイノアはそう呟いた。
後で刺さった場所を隠せるよう家具を移動しておこう。
- 棚から赤い何か 終わり -




