177.数年前の思い出と
リーン家の屋敷には書庫と言うものがある。
文明が発達していない国における書庫と聞いて、イメージとしては埃やカビ臭いイメージが強いが厳密にはそれは間違いである、正しくは想像できうるよりも酷い。
貴重な紙や、羊皮紙ですらそれなりに値が張る代物で、素材となる皮は獣を命懸けで人の手が届かない野で狩るか、スペースの狭い空間で牧畜、それも使えるほどの皮を取れるとなれば魔力を有しても攻撃性の薄い羊や山羊に限られてしまうからだ。
そうした値の張る紙に何が刻まれているかと言えば、帝王学とも呼べる人の心やお金の動かし方といった貴族の流儀が書かれた文学書だったり、リーン家のお金の流れが詳細に刻まれた帳簿だったり、お金を持っている人間が好きに書いた小説や漫画と呼べるもの、あるいは資産はそれほどでも無いにしろ才能だけで量産されるか、単に生産量が少ないものの貴族の目に止まった娯楽書籍。あとは何に使うかもわからない資料用と銘打たれた文字の羅列が刻まれた怪文書じみた連中。
あまり軽々しく人の目に曝すわけにはいかない物品が多いこともあれば、屋敷内でもまだ識字率の怪しい人々に読めもしない文字の書かれた紙を適切な管理、扱いを行える期待も薄く、リーンの名を冠する三名や、余程信頼の置ける使用人数名、あとは僕がたまに整理しようにも虫に食われない最低限の管理は出来るが、流石にそれ以上は無理な程度には数が多い。
「ゲホッ……ぐふっ。埃溜まってた……」
「その辺はなんだっけ?」
「わからん、タイトルすら読めん」
「うん、そんな物が集められていたと思うから長年放置されているんじゃないかな」
そんな悪条件化の中、窓は無いにしろ廊下へと続く扉を気休めとはわかりながらも漁る僕とヒカリ。
標的は主に怪文書で、何かしら竜に繋がる手がかりがあれば。そう思い優先すべきことが無ければこうして二人暇つぶしを兼ねて書庫を漁ることもある……一人じゃ虚しくて気が狂いそうになるのでまず行わないのだが。
一つ取り中身を覗いて見てもタイトル同様の言語で記述されており、恐らく戦争以前で扱われていた言語か別の国から取り寄せられた物、あるいは単に誰かの黒歴史ノートか。
解読してみれば何か有益な情報が齎される可能性もあるが、この世界の単純で慣れ親しんだ言語とは違い法則性の見出せないそれは二人で取り掛かってもだいぶ月日を取られそうだ。優先順位は限りなく低いと見て良いだろう。
その隣、表紙に何も書かれておらずタイトルを読み取ることの出来なかった本を取って開くと、どこかの誰かの日記帳のようで王政に携わっている人間の物とはわかるが基本的に愚痴や良いことがあったと端的に記されているのみで、論理的な思考や閃きの助けにもならなそうだ。これの元の持ち主が判明したのならば、書かれている内容から弱みを握り何か利益を得られそうではあるがこうしてリーン家の書庫に日記が存在している辺り書籍の劣化具合からも当人が存命かも怪しい。
「やっぱりこんなものかなぁ」
一角に集められた本は竜に関する記述があった絵本から資料、想像塗れと思われるフィクションに竜信仰者が書き記したかと思われる竜が神格化された神話。
エターナーや、エターナーがユズの宿に寄贈していたものをこちらに移したのだが特に真新しいものは無い。以前渡された物と、自分達の経験が一番の情報と実感だけがあった。
「これ興味深かったよ」
何やら僕だけ歩き回り、ヒカリは椅子に座って読み耽っているなと思ったら一冊の本を手渡してくる。
隣には真新しい書籍達。エターナーが遊びに来るついでに、家に収まりきらない不要な本を押し付けてきたものだ。
竜に関して有益な可能性があると予め伝えてくるし、こうして彼女自身の価値が低く優先的に家から追い出されてくる書物に当たりは少なく、おもしろいや有益ではなく興味深いという言葉選びに不穏な感覚を覚えながらも表題を見る。
"カステルの崩本"
崩本。
造語、だろうか。カステルというのはスペルから固有名詞と識別できるので、崩壊した本、そう捉えるのが正しい。カステルとやらがどう関与してくるのかわからないのでなんとも言えないが。
一抹の望みはある、けれど一抹の望みしかない。
でも僅かにでも可能性があるのなら本を一冊読む程度の時間だ、惜しむ必要はないだろう。少なくともヒカリは興味深いと僕に勧めてきた、最悪楽しめればいいし、楽しめなくとも途中で読むのをやめてもいいだろう。
- 数年前の思い出と 始まり -
「やーこれは本じゃないね」
カステルの崩本を斜め読みし本を閉じ、隣で黙々とエターナーから押し付けられていた本の内容を確かめて分類していたヒカリに呟く。
本の内容は非常に単純だった。
作者自身がコンセプトをハッキリさせていたのだろう、章タイトルと書き始めに重さを偏らせ、そこから続く文章は碌に推敲された様子も無く趣味を丸出しに殴り書いたものだった。
なので前半を少し読み、不要と思った部分はさっさと読み飛ばし、あっという間にページが無くなる。
カステルの崩本、これは悪魔を殺すための本だ。
悪魔を殺せるのは悪魔しかいない、悪魔になるためにはどうしたらいいか、悪魔になったあとどうするのか。魔法や竜が存在しようとも調律者同様悪魔なんてこの世界には存在していない、少なくとも普遍的な存在ではないし、そしてこの本には悪魔を見つける手段を書かれてはいなかった。
故に、最後のページにはこう書かれていた。
"以上をもってこの本は、本の役割を果たさない事を証明し終える byカステル"
「本じゃない何かは役に立たなかった?」
悪魔を殺すのが僕達の目的ではない、僕達が殺すのはあくまで竜だ。
この本に書かれている悪魔を竜に例えたら、崩本は少しでも本の役割を果たしたのかもしれない。
「悪魔の血を飲むなんて傑作だと思う、中々ぶっ飛んだ考え。多分竜を殺すのならこれぐらいの発想とかが必要なんだろうね」
存在しない悪魔の血を飲めと、この本は言う。
竜は存在する、だからその血液を取り込めば尋常ならざる力を得ることができるかもしれない。
ファンタジーでは良くある設定だが、いざ自分達がその立場に置かれてみると思いつきもしなければできるともやってみようとも思えないのは摂理か。
「その辺に死体が転がっていたらいいけど」
一番の問題はそこなのだ。
たとえ相手が存在していたとしても、殺したい相手の血液を入手するなんてとてもじゃないけど無理。まして現状はどうやって現実的に傷をつけるかすら想像もつかない状態だ。魔砲剣なら撃つことで解決するのだが、弾丸を二つ三つ持つだけでも限界だ。勝つことを視野に入れて接敵するのは構わないが、実験のため効果があるかもわからない血を求め傷をつけて瓶か何かに採取を行い保存、それから逃げ遂せる。
相手の攻撃を回避できなければ死んでしまう現状、一度の攻防で見えない可能性という残機を無闇に減らしたくは無い。
「でもまぁ娯楽としてはおもしろかったかな」
「みんながそう思っているから世に残っているんだろうね」
今回は読み流したけど、いつか気が向いたら息抜きに読んでもいいかもしれない。
きっとこれを書いたカステルという人も笑いながら文章を綴っていたと思うから。実用書としてではなく、娯楽書として笑うために。
本を必要な場所に収めて整理し、ようやく新鮮な空気を吸える喜びを想像しながら退室しようとすると一つの本が目に止まる。
"竜の絵本"
背表紙に書かれた薄い本は竜関連の書籍を纏めた場所ではなく、ユリアンが個人的に気に入っている書物を纏めた区画に収められていた。場所が場所なので気づくのが遅れたが、竜に関するものであれば家長にでも話をつけて整理をするべきだろうと中を開く。
思わず、息を呑んだ。
文字の特徴も、挿絵の個性も、本を構成する紙や革、インクだって記憶のものとは違う。けれど、それ以外は記憶通り、この世界に来て初めて読んだ、文字を学ぶきっかけとなった本そのものだった。
恐らくここ数年で作られたものでは無い。もっと前に、当然交流が無かったか薄かったエターナーから再度与えられたものでもないとしたら。
「この本……作ったんだ」
理由は一つしか思いつかなかった。僕以外にもう一人、あの村で肩を並べて本を開いた記憶を持つ少女に問いかける。
「……うん。アメにとってこれが大切だった本のように、私にも思い入れがある本だから」
僕が、僕に……じゃない、僕達、だ。僕達の、思い出。
「よく、作れたね」
僕にとってはもう十年以上前の物。
流石にもう書き出せるほど覚えてはいなかった、これがあの本だと気づくことはできたけどとてもじゃないけれど僕にはできそうになかった。
だから素直に賞賛の言葉が口から零れた、零れて、しまった。
「記憶力、いいから」
"自分のこと以外は"
ヒカリ自身は続きを言わなかった、でも何が言いたいのかは手に取るようにわかる。わかる……のに、それでも零してしまったのは、思い出が自分のものだけだと錯覚してしまったショックのせいだ。偶然そう考えただけかもしれない、けれど無意識でもヒカリとコウを別の人間と考えているのかもしれない、そんな事実に。
ヒカリはコウの記憶を持ちながらコウの容姿や内面だけを知らない。ヒカリはコウの記憶を既に自我が成立しきった頃合に得始めた。ヒカリとコウは限りなく同一人物ありながら、違う人間なのだと断言できる、できて、しまう。
「アメは一杯、三人分の人生分記憶があるし、その時は今から十数年も前でしょ。私はそんなに記憶はないし、コウの記憶が流れ込んできたのはまだ数年の話だから」
代わりに出てきた気にしないでという言葉に、ヒカリを慰める言葉を返す必要はなかった。わざわざ僕が言葉にすることを伝えても響かないだろうし、僕が何もしなくても彼女なら独りで立ち直れるはずだ。
でも何かをしたかった、だからいつものようにそっと手を繋ぐ。思い出のコウとはそうしていたのだから。
数年前に知識や記憶を取り入れ終えたのであれば、それに付随する喪失も僕とは違いヒカリには数年前の物。稀有な状態だが同じ記憶を抱く者同士として、何年前かという乖離を埋めるように手を握り締める。
「大丈夫だよ。思い出の中にはつらいものもあったけれど、幸せな記憶もたくさんあったから。
それに本来許されなかったのに、在りし日のお爺様を私は知ることも許された。こうしてアメと再会する事だって、できたんだ」
感慨深く呟く表情に憂いは少ない。
出会いが別れを携えるように、喪失もまた獲得を孕む。
その事実を改めて実感するように、僕達は繋いだ手のひらが汗をかくまで離さないで無言で肩を寄り添わせていた。
- 数年前の思い出と 終わり -




