176.かくも人はこう在りけり
竜信仰者との敵対が一時保留となったあの戦闘。あれから日々は過ぎ去り、冬に入って秋までに見せていた威勢はどこへやら。元より竜信仰者と知っていたヨゾラを快く親衛隊の人々は受け入れ、残った懸念であるテイル家との戦闘が徐々に激化する中季節が移ろったことによりそうした動きも鈍重に……そうして人々を観察する僕も同じだった。
「いやーこれはダメですよ、ココロさん」
「そうでしょうそうでしょうアメさん。秋から楽しみにしていましたがこうして冬に使うとまた特段に違った趣があるというもので」
僕達が足を突っ込んで蕩ける様に伸びているのは炬燵。
前世のそれより温度があるわけではないが、一年をかけて他の季節や天気が良い時に日に当てて、吸収した陽光を放出する特殊な鉱物を背の低いテーブルに厚みのある布をかけて熱を逃がさないようにしている。
「はい、緑茶」
「どもー」
「ありがとうございます」
そうして緑茶を人数分淹れてくれたのはヨゾラ。もう一人フェルノもココロの部屋に同席しコタツに足を入れているのだがリラックスしているものの、唯一の異性ということでか口数は少なくのんびりすることにしているようだ。
緑茶の仕入先を教えてくれたのもヨゾラであれば、コタツという存在を季節という話題にココロに伝えたのも彼女だ。
どんどんこの部屋の和室化が止まらない。ただでさえ畳が敷かれて室内に入る際靴を脱ぐ異例の部屋だというのに、その室内には猛々しく愛玩用の刀が幾つか飾っており、ベッドは無く布団がしまわれていたり、部屋の隅に照明用の灯篭が飾られている。
「ヨゾラ、最近どう?」
「慣れてきた。優しいから、みんな。
戦う術も、お爺様から教えて貰う事を今までより吸収できていると思う。どうしたの、突然」
適当な言葉で些細な話題でも引き出そうと思ったのだが、僕の問いかけが余程不思議だったのかしっかりと答えた後に首を傾げるヨゾラ。何か変だっただろうか。
「単に出会った当初より自分が関わることが減って、目が届かない部分が不安なだけですよね」
ココロの分析にそうだなと内心頷く。
「私とこうして一緒にいる時間も少しずつ減っていますもんねっ、一般以下の世界からこんな場所まで引っ張ってきたくせにっ」
少し、反省。
甘んじてコタツの中、からかう様に軽く蹴ってくる足を浴びることにする。最近なまいきだな、コイツめ。別にそういった立ち位置は構わないのだが、近寄ってくるのなら敬語をやめろ……とは人には言えないか。
ココロに、ヨゾラ。僕が手を伸ばさなければ今近くに居なかった人はまぁそれなりに居て、日々竜討伐の活動が激化しているわけではないのだが、単純に僕一人という人間に対して関わりを持つ人間が徐々に増えるせいで相対的に一部の人との距離が一時期より離れている等はある。縁が切れていなかったり、誰も亡くなっていない事実と考えれば良いものだがまぁ嬉しい悲鳴というものか。ただ僕がきっかけになったからにはその後のケアもしていきたいというのは身に余る欲望に分類されるのだろう。
ちなみにもう一人……もう一匹僕がきっかけで近くに居るソシレは冬でも犬小屋で頑張っている。毛皮と未熟ながら扱える魔法のおかげで本人はそれほど苦にしていないが、室内に入れることは流石に気が引けて、使い古しのタオルを気休めにあげてみた。当然防寒用というか僕の臭いがする物体として重宝されているようだがまぁ本人がそれで幸せなのなら重畳だ。
「私達は大丈夫ですよ、もう常にアメさんの手を借りないと生きることのできない未熟な存在じゃない。必要なら手を貸すことのできる場所まで来ました……たまに助けてと言うかもしれませんが」
「……」
先までのふざけた態度を改めそう静かに告げるココロに、一度ゆっくりと同意するように頷いたヨゾラ。
どれだけ自身を過大評価し、どれだけ彼女らを過小評価しているという事実に自分を責め立てる。驕るな、されど等身大にものを見ろ。大丈夫、きっと他の人にはちゃんとできているのだから。
「はひぃっ!?」
何となく生暖かい視線が居心地悪く、正面に居るフェルノの膝を足で突く。
コイツ気持ち良く転寝してただろ、僕を異性と見られないのは理解できるが他に二人居るのだからもう少し緊張とかしてもいいのではないか。
「フェルノは……性欲あるの?」
「アメさんっ」
本来出てきそうだった質問が、煩悩に塗れて覆い隠されるとすぐさまココロから肩を叩かれる。
「……じゃなくて、少しは人の目気にしないようにできてきた?」
顔を赤らめる様子の無い絶句から、どうにか日々を思い返して言葉を選ぶフェルノ。
「難しい、ですね。性別の事は周りの皆さんがあまり気にしないせいか意識する機会は少なく、代わりに新人故の至らなさに劣等感を覚える事が多いような……仕方の無いことだとわかっているんですが、先に問題視していた前者を直視することが少なくなって一つずつ片付けているのではなく先送りにしているのではないかという懸念も」
聞いてみれば意外と深刻そうな現状に、僕は一番身近で助力もしているだろうココロに目を向ける。
「専門家では無いので詳しくはわかりませんが、少なくともこの屋敷に来たばかりの頃と比べて徐々に笑っている様子が増えているのは確かですよ?」
「ならなんでしょうか。もしかして自分、欲張りなんでしょうかね」
アハハと愛想笑いを浮かべるフェルノに、何か語れるものがあった気がして必死に記憶を掘り返す。
「……昔、凄い人が人の欲求を五段階に分けたんですよ。一番低次元で、満たされて当然のものが生理的欲求。食べたいとか、寝たい。そういったものですね」
マなんとかさんの、ピラミッド型に提唱された図形があやふやに脳裏へと浮かぶ。名称も出てこなければ、どこで僕がこれを知ったのかも思い出せない。だいぶ記憶の劣化を自覚するが、幸い今必要な意味は覚えているのでそれを必死にわかりやすいように言葉にする。
次の次元が安全的な欲求。敵を排除したい、単に最低限の屋根などがある場所で寝泊りしたい等。
次に移るのが社会的な欲求。グループに入りたい、フェルノの場合理解を得られなかった今までの環境とは違い、しっかりと自分の仕事、役割を求められている親衛隊というポジション、あるいは単にリーンという家はここを大方満たすことができているのだろう。
だから、四段階目に移っている。承認欲求、誰かに認められたい、三回目が社会における居場所であるならばこちらは社会における名誉といったところか。ただここまでしっかりと満たせることの出来る人のほうが少ない、そう思う。僕だって他人の評価に怯えることからまだまだ離れることができていないのだ。
もしこれを満たせたのなら、最後に自己実現の欲求が出てくる。自分らしさを、才能を個性を発現し、自身というものを確立できる状態。
「あーなんとなくわかりますねー」
「ということで何か不足を満たされた場合次に何かを求めるのは人として自然な感情なので、気ままに貪欲に生きましょう」
思い当たる節があったのか、思考に集中し適当な言葉になってしまったココロの返事に、残ったフェルノとヨゾラも興味深そうに聞き入ってくれたのを確認し僕は小難しい話をそう締めくくった。
「ふむ。そうした精神医学が発展していたり、二十前後まで勉学に励むことの出来る世界ではさぞ高尚な人間ばかりだったのだろうな」
こんなことココロの部屋で話してきたーとヒカリの私室で同じ内容をもう少し上手く纏めて伝えると、シュバルツがまるで嫌味なくそんな言葉で相槌を打つものだから思わず僕が嫌味塗れで口を開く。
「いや、そんなことはなかったよ。大概こうした知識は大衆には届かなくて、届いても理解できなかったり自分には関係の無い話だと思い込んだり。
幸福度はともかく、社会的水準が高い僕の住んでいた国ですらこれだし、当の僕自身も今の今まで記憶の片隅にあったかも怪しいし」
「んー、ある程度でも数字が無いと想像つかないね」
さっきの部屋とは違いコタツも、暖房器具も特にはないので膝掛けで足を覆い、共に体温を与え合っているヒカリがそんなことを言ってのける。
「精神を病みながらも治療を行いながら社会に出ていた人、社会に出られないほど精神が病んで国や家族の庇護下で治療に専念している人、あとは単に働きたくなくて遊んで生きている人。医療技術が無駄に発展して、働けはしないけれど生きている老人が多かったのもあって、割と十年、二十年先の未来が怪しいと社会問題にはなったかな」
「技術や文明の発展が人間という獣を支える礎には無条件でならないということか」
「そうかもね。社会的水準が世界的に高いにもかかわらず、幸福度は低くて自殺者は上から数えた方が多かった国らしいから」
「自殺、ね」
あまり馴染みの無い言葉だ。
多分この世界にも鬱を患っていたり、自ら死ぬ人は少なからず居るのだろう。ただ、それが前の僕達のように絶望し冒険者として死に場所を求めたり、武器や戦う術を持たずに郊外へ赴き誰に知られることも無く獣に食い殺されるせいで意識できるほど身近な言葉ではない。
「国が最低限の生を保証しているのが良くも悪くも出ていたのだろうね。低次元で、誰もが本来自分で掴み取る場所を無条件で与えられて、必ずしもステップを踏む必要は無いらしいけれどそうした下地を作れていないのに上の次元へ上の次元へと欲求がずらされてそこで自分が何かを掴める可能性なんて低く。
気づけば満たされなくて、自分が何を欲しいのかわかってなくて、もう手遅れな場所で自分の命の大切さすら忘れてしまう。与えられなくても構わない状態に陥り、与えられなくなる前に自殺って手段を取るしかない」
「数字は?」
再び問いかけられる具体的なもの、今度はもう少しまともに答えられる。
「武器や人間より乗り物が何十倍も多くの人間を世界で殺していた」
この世界で人が死ぬ場合は、魔法が使えない人が病気や事故で成す術も無く死んでいったり、獣に襲われることが多いだろう。
普段僕達は人と人が戦いあう世界で生きているが、今の所テイル家とは競技の様な形で落ち着いている戦闘を除いても、ほとんど人が誰かを殺めるなど獣が原因の死因に比べたら遥かに少ない。
「その五倍以上、僕が居た国では自殺者が居たと言われている」
「社会的水準が保たれて、争いが少ないアメの生きていた国で五倍も他の死亡要因より自殺が多かったって事?」
「そう、だったと思う」
口にしてみて改めて尋常じゃない自体だなと遅れて理解する。え、僕の記憶間違ってない? なんかの授業でそう習った気がするけどソースが間違っている?
「……何にせよ今はまだそう嬉しい悲鳴を上げられる時代ではないようね。戦争前とは言わないけれど、アメが暮らしていた世界ほど文明が発達してから改めてその時代に生きている人々がどうにかしてくれることを祈るしかないわ」
まったくだ。何千年掛かるのだろうね。
極僅かな道程以外、山と海に囲まれているという戦略シミュレーションでは詰んでいる様な地形をリルガニアはしているが、十年以上掛けて未だそうした空間を僅かにでも広げるため北へと開拓したスペースに第四都市が作られる気配はない。
魔法なんて存在がある世界でも、能動的に使えなかったり個人が起こしえる事象の延長線でしかないためこうした大規模な工事などは人の手や馬に頼るほか無く、早く鉄で出来た乗り物が普及でもすればいいと思うのだが科学の発展は魔法なんて存在が中途半端にあるせいで遅々として進まない。
そう言えば五段階に分けたピラミッド、確か提唱した人が六段階目を発表していたんだっけ。
……言葉が出てこない。漫画風に言うのならば無我の境地。他一切を顧みず、ただ目的遂行のための存在に成る。
僕は竜を殺したいという私欲のために生きている。ただ、そうした我欲が時として動かす体を鈍くすることも多々あるのは疑いようの無い事実だ。
完全にそうした悟りの境地に辿り着きたいわけじゃない、僕が今の僕であるのは欲望のままに動いた結果であり、最果てに辿り着くために自身を押し殺すのは本末転倒である。
ただ何か、そう、何か条件付で良いから、そんな真似事を出来る材料が既に手元にあるのに、僕は後の日で遅れてやってきた出会いでようやく、手札を増やす機会を得るのだった。
- かくも人はこう在りけり 終わり -




