174.遠い未来へ捧ぐ詩
「ただいまー」
「主にアメ。帰ってきたばかりで悪いですが、早急に目を通していただきたい書類が」
レイニスにようやく帰り、気の抜けた返事でヒカリが私室に入ると僕達を見て中に居たシュバルツが声を強くして呼びかけてくる。
「なに、アメが王様を殴り飛ばした話より大変?」
「……。……は?」
ヒカリが発した言葉が理解できなかったようで、沈黙、硬直。こちらに視線を向けて冗談かどうか尋ねてくるシュバルツに僕は頷いたあと小首を傾げる。
瞬間、詰め寄ったシュバルツが僕の肩を掴んで前後に揺らす。
「お前っ……お前は何をやってくれているんだっ! 一国の王を!? 殴り飛ばした!! まさか人目のある場所じゃないだろうなぁ!?」
「あういぇあぁぁーー」
前後に揺れる小さく貧弱な体は、脳もぐわんぐわんと揺れ視界が定まらず抵抗していないからか口を開いても言葉にならない音が吐き出されるのみで。
「まぁそっちは大丈夫、茶番みたいなものだったから。召集の会場で行われたこともあってその際王様が意図的に漏らしただろう発言でお父様が様々な商談の機会を得ている」
国を束ねるような名立たる貴族を前に契約だの、使用人が王を殴って許すなど散々やってのけたし、幾らでもそれを利用して国や、他貴族へ協力の要請や圧力をかけ商談や契約を得ることも余裕なのだろう。
僕としては一年ぶりにようやくあの惨状、ユリアンも丸め込み、ヒカリに何となく察せられながらも僕だけ本気で戦い満身創痍になったあの戦闘の鬱憤を拳に込められたので結構スッキリしている……殴り飛ばす程度は予想の範囲内だったようなあの幼姫の反応は癪に障るが。
「主がそう言うのであればこの場は納得しておきますが……お前という奴は、何時かとんでもないことを仕出かすかと思えば。この前も街中にソシレを連れて来たり、暴力沙汰を起こして牢に入れられていたな。
日常的だったか……いや、あまりにも飛躍し過ぎだろう。くそっ、俺の感覚が麻痺しているのか」
「えへへー」
「曖昧に笑って誤魔化そうとしても無駄だからな。そしてほら、もう一つ好き放題やってくれた行動の結果がここにある」
話の流れ的にヒカリではなく僕に手渡すのが適切だったと思ったのだろう。
ソファーにどっさりと座るヒカリとは違い、僕は渡された書類を立ったまま読み進める。
「……ふーん」
「なんて書いてあったの?」
「読み上げるか、要約か」
「後者で」
「ヨゾラがヘマしたので三日後指定の場所で戦争しましょう」
- 遠い未来へ捧ぐ詩 始まり -
「シュバルツは屋敷で待って居ればよかったのに」
およそ六十名。最低限の警備に残す以外ほとんどの私兵を連れ、僕達は竜信仰者から届けられた手紙に記されているレイニスの北西。人目が十分に無くなり、大人数収容できる平原を目標に僕達は向かう。
手紙には僕達の行動によりヨゾラが洗脳されたこと、指定された地点にてヨゾラの今後に処断を決めること、もし首謀者であるヒカリが同席を拒んだ場合は子供二人を殺めた事実に、人道に反した非倫理的な手法によりリーン家が人格の矯正を行う存在だと広報するなど散々書かれていた。
ただ書かれていなかったのは暴力的手段に出ないという宣言、ヒカリに同行しても良い人数の指定、そして処断に立ち会う竜信仰者の数。
相手は僕達にとってヨゾラの生死や今後などどうでも良いと思っているはずで、回りくどいが餌として僕達を誘き寄せて決着をつけよう、そう言いたい訳だ。
「いや、主とお前が居ない間、事情を深く知る俺が彼女をよく見ておくべきだった。こういう形で竜信仰者側と向き合うことになったのは俺にも一因がある」
今回戦力を大きくわけたせいで、僕達が不在の間屋敷が襲われてユリアンが危ない、などは確率が非常に低いと見ている。
こちら側には統一された明確な信仰はないが相手は竜信仰者。今回の相対がどんな結果を生むにしろ、悪用加担どちらか行ってしまえばリーン家とテイル家にはただの私怨ではなく宗教観の問題が絡んでくる。
「ううん、僕がそもそもヨゾラを引き入れなければこんな形にはならなかったんだ」
とどめを刺さず生かしたのも僕。
そもそもリーン家が、ヒカリが竜討伐を掲げたのも僕と再会したことが原因。
そして恐らくだが今回王城に呼ばれたときに僕が暴れたことにより、竜信仰者の間では『使用人が王に噛み付くことを防げない貴族』そうリーン家にレッテルを貼られた。僕達一行が帰るよりも早く情報が伝達し、本来ならばもっと小規模で行われるはずだった決着が悪魔相手に行う聖戦にまで昇華された。
「そんな弱気なこと言わないでください」
ココロがそう言いながら横から顔を覗かせる、その隣にはフェルノにアレンも連れて。
「アメさんはアメさんらしく、いつも通り自由気ままに進めばいいんですよ」
「……そうして皆を巻き込んでも?」
「自分達は望んでここに居ます」
フェルノがそう頷くが未だ割り切れない。
背後を歩く人々の顔も合わさり、こんな大勢を巻き込んでしまうのかと改めて実感が僕を突き刺す。
「なら、やめるか? 竜の討伐を?」
アレンの言葉にハッとする。
行き着くところは結局そこだ、そしてそこだけは譲れない。胸を張れ、そう言われているんだ。
「着いて来て下さい、僕達の我が侭のためにも」
皆が頷いてくれることを確認して、前を向く。
そう、死地だけではない、あの世や地獄までも、必要とあらば付き合ってもらう。
人、人、人。
郊外でこれほどの人数が集まるとは何が起きているのかと、事の大きさに眩暈がしそうだ。
えっと、レイニスの人口が六万前後で、以前と違い二大勢力としてイオセム教に並ぶ竜信仰は何%で、うち何名が戦えてここに集まっているのだろうか。わからない、ざっと見ただけでも二百は超えており、目算するだけ無駄だ。
「ヒカリ=リーン。
ご要望通りこうして参上したわよ」
強化された声量でヒカリは声を張り上げ、別に宣戦布告でも何でもなく単に一個人のような挨拶で到着を知らせる。
「少し人数が多いね。アメ、二人であれを崩すよ。私が動くから」
先ほどとは違いボソリと呟かれるような普通の声で、数歩下がった僕にそう伝えてくるヒカリに頷く。
「これよりヨゾラの処断を行う!」
挨拶に返答も無く、まるで言葉など届かない獣と交わすものなど何もないと言わんばかりに本題に入る。
群集が分かれ、人々の間から出てきたのは二人の男女に腕を掴まれるだけで簡単に拘束されたヨゾラ。
頬の肉は落ちておらず、服装も普段着であることから特別酷い扱いはされていないようだが、虚ろな目からどれほど傷心しきったかは察することができた。
「本来ならば洗脳され、我々の未熟さ故にそれを解くことのできなかった存在は、残念にも慈悲無く首を落とす扱いだが、お前は我々を支えるナガレ様の孫」
ナガレ。
文脈に、ヨゾラとの会話を思い出し祖父が神父の立場に居ることに思い至る。
どうやら随分丁寧な扱いをされる立場に居るらしいが、少なくとも声を発している人間やその近く、あるいはこの場に居合わせてすらいないのかもしれない。
「最後に窮地における奇跡を信じ、お前の目が覚めることを我々は祈ろう」
そう告げ、ヨゾラを拘束していた男女は人々の中に消えていく。
残されたのはただ一人。
三百人近い人々の視線を浴びて、どちらの群れに紛れる事もできずに取り残されたヨゾラだけ。
「ははっ、ハハハッ……!」
思わず笑い声が零れ出す。
何が洗脳だ。端っからそんな非現実的なこと信じていないじゃないか。
ただの圧力をかけて、追い詰め自分達に有利になるよう一人の少女を集団で虐げているだけではないか。
あちらに戻るのならば良し、こちらに来るのであればまとめて殺戮を。そんな所か。
笑い声を上げ、注目を集めたのだろう。隣や後方からだけではなく、正面、それも一人置いて行かれたヨゾラからも視線を向けられ、一つだけ、言葉を送ることにした。
「君の友人を二人殺したのは間違いなく僕だ。それでも隣を歩むと言うならば、僕は喜んで歓迎しよう。
僕の罪を忘れて友人として付き合うなり、僕の罪を忘れず寝首をかくチャンスを窺うなり好きにしたらいい。
信仰を尊重するならば、それもまた良し。以前言ったとおり目の前に再び現れない限り、わざわざ背中を追いかけてまで殺しにはいかないよ」
僕の言葉を邪魔する者は誰も居なかった。
誰もが聞き届け、一番聞いて欲しかった少女は確かに頷きもせずに言葉を受け止めると、竜信仰の方向を見る。
誰か自分に声をかけてくれる人間を、いや、今声を聞きたい誰かを探し、この場には居ないことを知ったのだろう。
一歩だけ倒れるように、伏せた視線を上げた後にこちらへと踏み込んだ。
「残念だ……」
悲痛な竜信仰者の声がした。心からの純粋な悲しみを、隠すことも無くそれほど大きな声量でもなかったにも関わらずこちらにもしっかりと聞こえ。
「彼女を友と自覚する者は動け!」
ヒカリの開戦の合図と共に僕は真っ先に動き出す。
魔法による、声量を上げるだけじゃなく言葉を魔力で作り、直接人に届けるコウの法。
「総員、構え!」
敵の声が聞こえる。
それを上書きするよう、脳に直接ヒカリの声が響く。
「今動いた人間を友と思うものは動け!」
耳だけにしか響かない竜信仰者の声とは違い、まるで体の芯が震えるような錯覚を覚える少女の言葉に、僕の背後から更に数名動き出す気配を感じる。
「もう一度……続け、続けっ、続け――!!」
ヨゾラの友人である僕が、僕の友人であるシュバルツ、ココロ、フェルノ、アレン、皆が。
友を背中に引き連れて進行を始める、響き渡るヒカリの声を信じて駆ける。
「この戦闘、決して相対じするものを殺めるな、刃を交える者を友の友と自負しろ!
傷つけど殺めることは無く、傷つけられど決して死するな! 不可能と思える戦果を挙げて見せろ――我が家族達よ!!」
大気中から溢れんばかりの熱が奪い取られ、竜信仰者達の頭上で炎竜撃のような炎の塊が渦巻く。
魔力の根源は信仰者全員。後の事考えずここら一帯焼け野原にする気か――だがこの流れは一興ではある。
《その御心を表せ!》
炎竜撃とは違い、圧縮されずそのまま巨大な炎の塊として放たれた炎撃。
まだ正面には数歩歩き呆然と腰を下ろしてしまったヨゾラに、背後には後を追いながらも真っ先に反応した僕よりも遅れて続く人々。幾つか炎撃に魔法が跳んで行くのを見るが、個人が、それも弾速を重視し急ごしらえで作られた魔法が敵うわけも無く、勢いを僅かにでも殺している気配も無く散っていくばかりで。
当然、殺めるなと宣言された戦闘で人間を的にどう影響するか不安定な遠距離魔法など放てる道理も無く。
「お待たせ、ヨゾラ」
僕は一人で、ヨゾラの隣へ辿り着いた。
「一人じゃ、無理……どうして逃げなかったの……?」
「それを証明するために」
更に前進し、ヨゾラより先に僕へと着弾する位置取り。構えるのは何も持っていない両手だけ。
直径十メートルにも渡る炎の塊、一度着弾し爆ぜでもしたのならば辺り一帯は炎の海になるのは目に見えていて。
僕は久しく感じる大物に覚悟を決めながら、両手を差し込んだ。
まるで全身が炎に焼け付いたような嫌な感覚。指先はあまりにもの高温で指が溶けたのではないかと錯覚するほど熱く、中心点に近づいてしまえばどれだけ魔力で体を覆っても持たないと判断。
慌てて手を引きながらも、必要な情報を割り出した。
大勢で詠唱を行ったせいで込められている魔力の方向性が不安定だ。敵を倒したい、それは一致して辛うじて炎の魔法として発現しているだけで、何かふとした拍子で散り、そう爆発なんていう炎竜撃の真似事を意図せず行ってしまう危ういもの。
裏切り者であるヨゾラに対する感情も、自身が信じる神に対する想いや、命を賭して戦おうとするほどの理由さえもバラバラで。嗚呼、脆弱な逃避は信仰にすら成り得ぬのか。
故に、破壊するなど容易い。
炎球に突き入れた両腕から、膨大な魔力に反発でかき消されないよう直接内部へ魔力を注ぎ込み、それぞれ異なる魔力で出来た魔法を分解するなど普通の魔法より容易に行えた。
ただ三つに球体を割ったものの、一つは空に、一つは後方に信じて飛ばして、もう一つ残った塊は自前の魔力でどうにかするしかない。
三分の一に分かれたにもかかわらず尋常じゃない、約七十名分の魔力を分解分解分解。ヨゾラのように丁寧な対応でもなく、本来の破壊魔法のような正道でもなく、ただ接着剤で強引にくっ付けた様に隠れている継ぎ接ぎを浮き彫りにし意味の無い魔力の塊に還すばかりで。
「あああぁぁぁっ!!」
遅れて襲ってくる痛みに叫びながら、目の前に存在する炎の塊を消滅させることに成功した。
腕に装着した魔道具は残っているものの衣服は肩まで燃え尽きて、腕は酷く焼け爛れ、指先は一部黒く焦げており。慌てて回復魔法を走らせるものの中指二つと薬指一つが零れ落ちて。
あぁこれだから炎の破壊なんてやりたくないんだ。これ落ちたやつ持って返っても再生に何週間掛かるんだよ。
「まさか、人の身で」
「炎竜様の、御心が……」
動揺し、迫り来る僕達の軍勢に魔法を撃ち込むことを忘れた人々の声が聞こえる。
「あぁそうだ! 人の身で、だ! 竜を殺そうってんだ、この程度の炎がなんだ。この程度じゃあの日町を襲った炎に追いつけなどしないぞ!!」
それに、炎竜撃に挑もうとするのだ。この程度で死んで堪るか、雷なんて危険なものも扱っているんだ。
僕の叫び声に半数ほどの敵が動揺するのがわかった。当然だ、竜信仰者の多くは竜の被害者であり、未だ畏怖の対象を崇拝にすり替えて心の平穏を保っている連中ばかりだ。
動揺しなかった連中を死なない程度に殴りつけてやろうかと腰を上げると、再びココロが横から顔を覗かせて僕へと飛んで来る土や炎の魔法を迎撃する。
「アメさんはもう十分やりました、今はあなたの成すべき事を。
フェルノ、魔法を射たり足を縫い付けて、余裕があれば武器を弾きなさいっ!」
「……っ!」
「痛みを恐れないで、前に進んで。
大切な人を傷つけさせないために、主義や立場の違う正義を斬る。相手を倒す度に痛みを感じられなくなる。そのジレンマが、何よりもあなたに助力するだろうから」
凛々しくそう背中を見せ僕達を狙う魔法を迎撃するココロに、フェルノは渇を入れられたのか険しい表情をしながらも脅威度が高いものから順番に攻撃しているのだろう。複数の矢を同時に射出する後ろで魔力により矢を生み出し続け、順番待ち状態になっている矢を追尾させてフェルノが僕と並ぶ。腕はともかく目や脳は足りてんのかよそれ。
「おねーさん頑張っちゃうぞ~♪ ほんとは内臓とか見たいんだけどね、お譲が殺すなって言うなら血だけで我慢するかー!」
「おい待てシィル! ったく、また人の話聞かないで……アメ、良くやった! あとは任せろ!」
もう追いついた隊長と副隊長がそう言って駆けていく背中を見て、ようやく僕は一息を吐いて落ちた指をポケットにしまう。
「待たせたなアメ、とんでもないものを押し付けやがって」
「三倍頑張ったので許してください、信じてましたよ」
あの炎塊がそのまま後ろへ流れていけば被害が出ただろうに、期待通りに僕と同じ魔法を扱えるアレンと互いに真っ黒な拳を合わせる。
悪戯娘を見て笑う父親のような顔をしていたが、僕の指が欠けていることに気づくとすぐにあたふたと動揺し始めた。
「アレンさん、二人の護衛任せますね! 前線に出ます!」
ココロがそう言い放ち駆け出すのに続いて、顔や名前を知っている親衛隊の人々が挨拶を行いながら前線に躍り出る。
「アメ! 俺はやっぱりお前の事は最高にイカれているやつだと思っていたぜ!」
「ヨゾラちゃん、また後で色々お話しようね!」
「あとは頼んだぞアレン。早く片付けないとうち等のお譲が欠伸をしてしまう」
「まさか一人でなんとかするとわね。あとは私達に任せて見せ場を譲りな」
様々な言葉が僕達を覆い付くし、力量で勝るとはいえ一人辺り三人、それも殺めず魔力か栄養が尽きるか、心が折れるまで立ち止まらない敵が密集する死地へと躍り出る。
士気の差は明確に分かれたが、その内何名が帰って来れないだろうか。
「ヨゾラ仲良い人結構できてたんだ。良かったね、仇である僕以外にもできたのは健全だと思うよ。
ちょっと下がってて、ほら、アレンさんも僕の後ろへ」
「いや、私もフェルノに続いて前線に出ようと思うのだが……」
「まぁまぁ、そろそろだと思うので」
「何がだ?」
「僕の今回最後の仕事」
疑問符を浮かべたままのアレンを無理に押しやったところで、一つの声が未だ混濁としてる戦場を透き通る。
「いくよアメ!」
ヒカリの声は戦場の反対側。
姿は見えないがシュバルツも傍にいて、密かに二人で回りこんでくれていたのだろう。
「いいよ!」
彼女と同様に声を魔力で作りつつ、体の芯まで、戦場の反対側まで届け切る。
欠けた指を持つ両手で地に両手を押し付け、魔力をここら一帯の地面へと半球状に流し込む。
誰かが気づいた、僕達が何か大掛かりな魔法を扱おうとしていることを。
数名が妨害しようとした、同じく気づいた僕達が愛する人々がそれを阻止した。
本来詠唱する際に一人で展開する魔法陣を、二人で寸分違わず同じ魔法を同時に行うことで双方から描く。
青白い光が地面から発し、大きな魔法陣となってそこに現れる。細かな意匠にも、その時々の気分で変わるそれを僕達は互いに擦り合わせ同じ意味を持たせて刻み続ける。
先ほどの炎球と同じシンプルな魔法、とてもじゃないが一人では描ききれない魔法陣。だが、複数人が一人一人魔法陣を展開して魔法を作り上げる贋作に劣る道理はない。妨害する間も与えない。
《行こう、あの空の向こうまで》
僕が唱える、ヒカリが合わせる。
《あの空の下で、待っているそれは》
ヒカリが歌う、僕が作る。
《《今、生きてゆく意味をそこに顕せ》》
複雑な魔法陣を、何百もの模様を、何もずれることなく僕達ならできる。
そして消失。消えていく魔法陣と共に、地面が二メートルほど陥没した。
僕の足場も当然崩れ落ち、土で魔法を扱うときと同じように抉り出した、穴から余分な土は宙に意味も無く浮かび上がる。ただ地面を抉るためだけの魔法。抉った土で何をするわけでもなく、けれど僕達はそれに意味を見出す前提でこの魔法を思いついた。
跳躍し、手近な土塊に目がけて飛び移る。これの繰り返しだ。
「ははっ、これは痛快だな!」
「最高の意趣返しだと思うんですけど」
「確かに」
僕がどうするのかを見ていたのだろう。後方からアレンが同じように足場へ飛び移り、徐々に前へ前へと進んでいく。
完全に浮いた地面が落下するまで約二十秒。この時間でどれだけ戦場を荒らすことができるのか確かめようと視線を向けると、咄嗟の事態に対応できず落ちていく敵の数が既に身動きの取れない者を除いて約半数、対して僕達は指の欠けた片手で数えられる程度。
二十秒だけだが、人数差は完全に覆した! 今の間に武器を破壊、足を破壊、時間が無くて敵を地面に投げつけるだけで。
「壮観じゃない?」
着地した足が、減った魔力の多さにふらりとよろめいて、体を預ける相棒の背中に笑う。
「僕達がやったんだよ」
見渡す限り死人は零で、まだ戦える人間もこちらのまるで削れていない戦力や、土砂崩れのように雪崩れ込み固まりきらない地面を見て戦意が喪失したように呆然とするばかり。
「動けるものは敵味方関係無く動け! 地中に生き埋めになっている人間が居ないかを探せ! 負傷者は自身の治癒を優先しろ!」
ヒカリの声が響き渡り、地中を念のため探索し始める皆。
数名ほど怪我をしていたのか、単にマヌケだったのか地中から窒息する前に掘り返される人々が居る中で、もう一人、静かに声が響き渡った。
「これはこれは。遠目で見ていたもののあの人数差でこの有様は酷いのぉ……」
皺枯れた声が響き、まるで救世主を見るような目で消沈していた敵の視線が輝く。
「同じ何かに尽くすものでありながら、その中でも自分というものを抱いて戦いに勝った者」
姿は老人、背中には二つ槍。
「対して地に伏し、また何かに勝負を委ね空を仰ぎ、ただ口を開けて甘い奇跡を望む者」
誰もが震えた。ある者は己らを責め立てる様な言葉が発せられていることに気づき。
ある者は意味には気づかず、ただ自分達に救いが与えられることを期待し。
そして親衛隊は、これほど気迫に塗れ姿が見えなくなりそうな老人が居るものかと現実を疑った。
「でもな、儂は守ると決めたからの。
負け戦と知ってなお、最後まで抗い生き恥を晒すとしようかのぉ……」
ヨゾラの祖父ナガレ、二槍流の極地に至る人間は既に武器を構え。
「さて、孫娘を誑かした人間はどこかのぉ。任せられる存在か確かめねば」
僕と、視線が合う。
なるほど、と僕は震える。
ようやく点と点が繋がり線と成った。ヨゾラに見た既視感、あれは以前の僕に重ねているものだと思ったが、ナガレの姿に見覚えがあって全てを思い出す。
あの日、偵察の意味を兼ねて竜信仰の教会に訪れた際、声をかけた相手はヨゾラで、対応してくれたのはナガレだったのだ。
偶然、じゃない。一度会っているからこそ、僕はヨゾラを殺し損ね、今その祖父に敵と見做されているのだろう。
「待った待ったー! 決闘する雰囲気? ならアメちゃんじゃなくてあたしとしようよっ!」
場に似つかない気楽な雰囲気で、シィルは僕とナガレの間に割って入る。
答えたのは意外にも僕の背中に居る人間だった。
「待ちなさいシィル」
「やだ! お譲の頼みでも聞かない! あたしこの人と真剣勝負したい……!」
両手を頬に添えるよう組んで、飛び跳ねるように駄々をこねるシィル。
「負けてかませになりたいか、勝って主人の見せ場を奪うか」
「はい! 黒星増やしたくないのでシィルちゃん不戦勝を選びます!」
即答だった。軽快に引き下がり、ゴリゴリと地面で擦らせながらフレイルの鎖を伸ばしきって移動するシィル。
これで決闘、誰も入れない雰囲気を作り出したし、邪魔者が入るようなら自分が相手になるぞというアピールにもなる……どこまで考えてのことかは知らないのが不安を煽るが。
「さて、邪魔者は退いてくれたしやりましょうか。
正式に誑かしたのは私の後ろに居るアメですけれど、許可したのもその場に居たのも私なので代行しても構いませんよね?」
「貴女を切った後に、その少女も切って良いのならば」
「構いませんよ」
躊躇わず頷いた僕に、二人は構える。再度、横槍が入った。
「待ってお爺ちゃん! 勝負はもうついているのっ、これ以上無意味に争わないで!」
「ええぃうるさい黙ってろ! 男の理屈なんだよっ!」
思わず僕は駆け寄り、ヨゾラの頬をぐいっと引っ張ると二人に頭を下げる。
今度こそ決闘が始まった。
初めはヒカリが不利だった。
それほど槍捌きが巧みで……万全の僕でも瞬殺される勢いで、ヒカリが必死に避けて防ぎ、往なし切れない槍撃が肌や衣服を裂くたびにその技術がどれだけ卓越しているのかを表しており、全盛期ならば騎士団長であるジーンと同格だったのではないかと疑う物だった。
これならば未熟なヨゾラが、短期間であそこまで武術を磨けたことにも納得がいく。間合いを活かし、手足を扱う脳の様に二つ槍を連動させ、力強さすら成人男性に見劣りせず、また俊敏さも獣のように。
その勢いも衰え始める。いや、体力も人並み以上にはあるのだろう。ただ、最高の防御に最高の把握という武器を備えたヒカリに、序盤で勝負を付けられなかったことが何よりも致命的なだけだ。
徐々に槍の間合いから踏み込まれることが多くなる。動きは衰えていないにもかかわらず、むしろ調子を取り戻してきたように速くなっているのに、それよりも正確にヒカリが防御し、的確に攻め、その分だけナガレは柄で迎撃したり、足や魔法の、槍に比べてしまえば本当に小手技に見えるような次手を打つ頻度が多くなる。
「――知り終えた」
そして、終止符が打たれる。
大きな得物を二つ扱っている隙を様々な技術で覆い隠し、ヒカリはそれらを薙ぎ払ってようやく一点、そして致命的な胸の位置まで辿り着く。
剣の柄をそこに当てて。
「これはこれは、敵いませんな。その若さでこの域を通り越してしまうとは。
どうぞこの命、あなた様の好きにしてください。
……アメという少女よ、孫娘を頼みましたぞ」
「わかりました」
まぁ適当に友人程度にしか付き合わないだろうけれどと、例え柄ではなく刃が心臓に突きたてられても致命的な攻撃ができるだろう振りかぶられた二槍による双撃をゆっくりと下ろしつつ、膝を突くナガレに頷く。
何となく流れた雰囲気に、事前に察する事で今度こそヨゾラの口を手で塞いで黙らせる。うるさい。
「命惜しくないと言うのならば、例え死する事より恐ろしくとも生き延び彼らの事を支えなさい。
落ち着いたのならば後日、一緒にゆっくり食事でもしましょう」
「是非にも」
殺さないでとでも叫ぼうとしたのか、もごもごと口を動かすヨゾラの動きが止まる。
こうして、娘を嫁に出すような覚悟で醜いと知りながら戦った老人と、男のロマンを知ってしまっているヒカリの戦闘は幕を閉じた。
- 遠い未来へ捧ぐ詩 終わり -




