172.そこへ歩むまでの道程
「今日も来てくれたんだ」
「……呼んだのはそっち」
僕の開口一番の言葉を憎々しげにヨゾラは睨む。
「でも来るか来ないか決めるのはそっち。命令はしていないし、最悪命令しても最後にどう行動するかは自分の意思。違う?」
別に生死を握っているつもりはない。
もし反抗したくなればどこか遠くへ行ってくれと告げているし、またこうして屋敷を訪れてくれたのは何か思うところがあってのことだと僕は信じている。
「今日はあの子の所へは、行かないの?」
返答が無い事を良いことに無言で屋敷へ案内しようと歩き始めると、ふとヨゾラは立ち止まりそんなことを行ってのける。
「会いたいの?」
「……」
上手く自己表現ができないのだろう。複雑そうに、単純に見るならば恥ずかしそうに口を噤み目を泳がせるヨゾラ。
これ以上虐めるのも悪いか。
「行こうか」
今度は呼ぶまでも無く、こちらから出向こうと歩き出す背中から僕を追い抜いて影が過ぎ去る。
本人は早く歩いたつもりはないのだろうが、歩幅の小さい僕に合わせることを忘れればまぁこうなるか。慌てて元通り意識し、ゆっくりと歩く彼女を意識しながら犬小屋を見る。
「……居ない?」
「警備中か、誰かに遊んでもらっているのかも」
まぁ呼べば来るだろうと思い、指を口へ運ぼうとしこれは良い機会だと思い改める。
誰かと共に居るならば自然と会話を振れてヨゾラに刺激を与えられるし、単にパトロールもとい散歩中でも屋敷内を二人で歩き周れる口実になる。
「少し歩こうか。近くに居るかも」
「うん」
わざわざ歩く面倒に難を示されるかと思ったがそうでもないらしい。
とりあえず手近に存在した、洗濯物を庭に干しているメイド達に近づく。
「こんにちは、クローディアさんとシャルさん」
「どうしたのよ? 友達?」
朗らかに笑うクロにようやく打ち解けてきた実感を改めて覚える。
初めてのほうなんて人目の無い場所で好き放題言われていた酷い有様だったが、ようやく友人と呼べる間柄に落ち着いてきたのかもしれない。二人の食べ物の好みや、趣味として小物作りに励んでいる姿も彼女らの自室で眺めさせてもらう機会もたまにある。
「えぇ、そんなところです」
「そっか。あたしクローディア、見ての通りただの使用人だけどよろしくね」
「私はシャルラハローテ、です」
僕の時とは大違いな自己紹介に眩暈を覚えつつも後ろを見ると、ヨゾラも軽く会釈をして自己紹介をすることに決めたようだ。
「ヨゾラ、名前。仕事は、その、冒険者」
「あら、戦えるなんて凄いじゃない。それで今日は遊びに?」
一度止めた手を再び動かし始めながらも、意識と声はこちらへ向け続ける。
対してシロは自己紹介に含みがあった所に気づいてか、少し目を細めながらも僕が隣に居ることからかあまり気にしないことにしたようだ。
「うん、そう。屋敷の事を知りたい、そう思って」
嘘じゃない。あわよくば竜信仰者に利益を齎す敵の情報を得たいと考えている可能性もあるがその言い回しは嘘じゃない。
「使用人の立場としてお二人はどうですか?」
明確に話題の方向性を定めた僕の言葉にクロは人差し指を口元に当ててうーんと唸る。
「理想の仕事場じゃないかしら。あたしは恩もあるし、他の仕事をあまり知らないからよく言えないけど、十分な給金貰えてご飯も美味しいし体調悪い時は休んでも怒られないし……血を見る機会が多いのは難点ね」
あたし達はこの前王都に行った時に慣れたけど、とクロは笑って見せた。
対してシロは。
「ほとんど同意見、ですけど、私は少し不満、というかあくまで個人的なものなんですが、恩を返す方法も、使用人以外の在り方で存在するんじゃないかな、と思っています。
使用人も悪くはないんですけど、他に私ができる仕事があるんじゃないかなと、この前初めてレイニスを出た時に思いました……あぁ、すみません。何だか偉そうでっ……」
「大丈夫ですよ、ヒカリに告げ口等したりはしないので。というか機会があれば上の人に相談してみても良いと思います」
「……はいっ、ありがとうございます。そうしてみますね!」
なるほど。半年以上前に町を出た事がしっかりと影響を及ぼしているのか。
クロは今の立場が十分なで、ショッキングな光景に慣れて。シロは別の生き方があるのではないかと。
「あんたそんなこと思ってたのね。アメなんかじゃなくて真っ先にあたしに相談しなさいよ」
「あうぅ……ごめん……でもクロ、難しい事わからないじゃない」
「あたしがバカって言うの!? ……まぁ確かにあんた自身がわからないことはあたしにもわからないけどさ、話相手ぐらいにはなるわよ。
それに今更離れ離れで暮らすなんて嫌なんだからね」
誰かに話す自分を認識することで、自分の中で整理を付ける事ができる事態はままある。
たとえ相手がクロの言うバカだとしても、明言の難しい気持ちを話すことでそのバカが行う問いかけを再度自分に投げつけられるし、バカを鏡のように自身を鑑みることができるのだ。
……まぁこの辺を意識し認識できていないからクローディアという少女は愛すべきバカなのだが。
「そろそろ行きますね。ソシレどこに行ったか知って居ますか?」
僕達を放置しいちゃいちゃし始めた二人に名分を思い出して尋ねると、シロは指笛で吹けばどこからでも駆けつけて来るよね? みたいな視線を口には出さず一瞬向けてきて、それに気づかないバカ……もといクロが思い出すように悩む姿を皆で眺める。
「あぁ、しばらく前にエイトとエリーゼさんが連れていた気がするわ。敷地内を散歩でもしているんじゃないかしら」
「わかりました、ありがとうございます。お仕事頑張ってくださいね」
適当な返事を投げつけてくる二人に挨拶をしつつ、ヨゾラと二人で屋敷を囲む塀をぐるりと回る。
「ごめんね、時間かかちゃって」
「ううん、いい。凄く、興味深い話が聞けた」
そっかと僕は何食わぬ顔で内心したり顔で笑う。
どういった意味での興味深いかまでは知らないが、しっかりと二人の話を聞いてくれたことが確認できただけで僕としては成果になる。
この調子で色々な人と話をできたら……そう思い、建物の側面に回ると二人の姿が見える。
「アメ」
誰よりも聞きなれた声が耳に響き、僕はその声の主に手で挨拶をして隣に居る彼女の母親に頭を下げる。
「こんにちは、カナリア……様」
「ふふ、こんにちは。お客様?」
「いえ、友人です」
辛うじて出てきた敬称にカナリアは微笑みつつ、僕が紹介をするとヨゾラは少し動揺を見せながら挨拶を済ませる。
当然立場上ヨゾラの存在は知っているはずだが、名前を聞いたときでもカナリアはそんな気を少しも見せずに微笑みを崩さなかった。
「……二人で何をなされているのですか?」
好奇心を堪え切れなかったのだろう。
腰を地面に下ろし、手や服を土塗れにしている貴族二人にヨゾラはそう問いかけた。
「ガーデニングよ。ちゃんと庭師の方を雇っては居るのだけれど、こうして一部を私達が趣味として触れるよう残して貰っているの。
今は秋に備えて花の入れ替えね、ほら」
開花を終えた花を掘り返した際、土から出てきたのかミミズを嬉しそうに手に乗せてこちらに微笑みかけるカナリア。
周囲には季節の花と、今収穫できる野菜なども育てている。ルナリアが昔行っていたものとは一段階ランクが上がっているが、恐らくヒカリが故郷で野菜を育てていたコウの知識を活用しての事だろう。
「やはり草花は良いですか?」
「そうね。人と同じように様々な顔を見せてくれる」
何時か聞いた言葉とは真逆のものに笑いが込み上げそうになる。姉妹でも思うことは違うのかというのと、今ではルナリアもそう思っていそうで。
「それで、どうしたの?」
「ソシレ探してる」
ヒカリの問いにそう答えるとカナリアは良いことを思いついたかのように笑顔が咲き、一つのキュウリを根元から切り離してこちらに手渡してくる。
「ソシレのおやつにでもどうぞ」
「ありがとうございます、普段我慢しているので尚更喜ぶと思います」
人から与えられたもの以外は基本的に食べてはいけない、特にこうして行われている家庭菜園を荒らすとは言語道断なので厳しくしつけたところ、ソシレは目の前に美味しそうなものをただ垂らされるぐらいならば初めから視界に入れないようにと決めたようで、余程の事が無い限り菜園の近くには寄らなくなっている。
「カナリアさん。貴族の心構えってありますか?」
去り際、そう問いかける。
「私はもう嫁いでしまったからあまりそういった感覚は無いのだけれどね」
そう流されるかと思えばそうでもないらしく二の句が続いた。
「あの人のためになりたい、守りたい、そういった感覚は常にあるわ。
そうして産み出したこの子や、屋敷というコミュニティー。そこに集まる人々の顔や名前、生き様を私は知っている。リーンという家を守りたいわけじゃなく、その中に住まう人々を私は、守りたい」
静かで優しい、けれど力強い覚悟。
ヨゾラという存在に対しての宣戦布告だったのかもしれない、けれど。
「ありがとうございます」
彼女はお礼を告げた。
誰よりも人間らしい誇りを持つ女性に、ヨゾラは敬意を払ったのだ。
「いえいえ。
今日はゆっくりしていってね、ヨゾラちゃん」
今日は僕とだけ会う約束だったヨゾラを連れ、ヒカリと目礼だけで挨拶をしながらその場を去る。
歩きながらも何かを考えている少女と、僕ともはや交わす必要のある言葉は無かった。
屋敷の裏側には流石に誰も居らず、中庭を経由しようと渡り廊下に足を運ぶと先輩メイドの皆様が中庭に視線を向けており、軽く挨拶を済ませると屋敷二つで囲んだ中央には私兵の人々が訓練に勤しんでおり。
見学ついでに隅を通ると皆僕が見慣れない顔を連れているのが物珍しいのか一声だけでも挨拶を交わしてきて、軽口を叩きながら笑いながら邪魔にならないよう歩みを進め、挨拶をしてきた中には当然アレンにココロ、フェルノの姿もあった。
どうやらココロは今の所良き上司として振舞えているようで、フェルノもまた今までとは違う身の引き締め方で訓練に励んでいた。アレンはその二人を我が子のように見守り、引っ張る時は勢いよく率いている。
そして菜園の反対側、屋敷のもう一つの側面。
「隊長殿ぉ! 中庭では部下の皆様が頑張っておりますよぉ!」
煙の上がっていない喫煙所。
いい歳をした女性二人が建物の影に隠れて雑談を楽しんでいる。
「知ってるよん。だからこうして隠れてるわけ」
「ルナリア様ぁ! 対面では妹様があなたの趣味を引き継いでいますよぉ!」
いつか僕に挨拶をしてから、こうしてたまに屋敷へ顔を見せに来るようになったルナリア。
「知っているよ。顔を合わせると気まずいからね、私が今日来ていることはアメも内緒。いいね?」
なんも良くねえ。
二人して何してくれているんだと、思わず部外者であるヨゾラに振り向いてしまったら、事情をある程度察してしまったのか苦笑いを顔面に貼り付けている少女がそこに居た。
「見ない顔だね」
「見ないも何もお前さん顔知っている人間がどれだけ居るのさ」
「それもそうだね」
「あたしも知らない顔だけど!」
やや早口に告げられたオチにルナリアは笑いつつ、僕達は毒気を抜かれつつ、今までのように挨拶を済ませる。
「……ということでシィルさんには隊長のなんたるかを語って欲しかったんですがやめておきます、というかそんな問いかけを思いついた事そのものが失敗でした」
「そだね。あたしほど隊長が相応しくない隊長も居ないだろうに」
「そんな人間がどうして隊長に登りつめたのさ? やっぱり私が紹介したから?」
「まさか。
初めはあたしも下っ端スタートさ。気づいたら隊長なんて場所まで祭り上げられて、あーやだやだ」
嫌なのは今お前の仕事を押し付けられて、必死に中庭で自由極まりない私兵連中を纏めている副隊長のツバサだ。
「つまり力こそ正義ってわけだ」
「まぁこの私も勝てない相手が居るんだけどさ、お譲とか」
そのヒカリもテイル家のイルに、もしかしたら騎士団団長のジーンも無理か。
「戦闘が発生するたびに思うよ『あれ、あたし要らないんじゃね?』って。なんじゃあの化け物! 護衛する必要ないじゃん! あたし達守られる側じゃん!!」
「しっかり給料分働いてください」
「うん、それはやってるよ。誰かを守らなくて良い戦闘は思う存分暴れられるし」
そう言いながらもシィルという人間は、戦況が劣る箇所に介入し上手く戦場をコントロールすることにも長けている。
この辺りさり気無くしたたかに行う辺りが隊長としての威厳や立場を保っている理由の一つなのだろう。たぶん。きっと。そうだといいな。
「お二人のように生きるコツはなんですか?」
僕の質問に、シィルとルナリアの二人は視線を交わし。
「「自分に素直に生きること」」
予め打ち合わせでもしていたのか――あるいは二人が冒険者だった頃から続く合言葉なのか、そう笑う彼女らに釣られて僕達も知っていたと笑った。
「んで、結局元の場所に来ると」
もし同じ方向に向かって館をぐるりと回ったのなら、例えソシレを連れてエリーゼ達が雑談をしていたとしても、後から追い雑談をしていた僕達が追いつけないのは摂理か。
洗濯物を干していたメイドコンビはとっくに姿を消しており、代わりにエリーゼとエイトが近くに居る猫達と遊び、そして犬小屋でのんびりとソシレは転寝をしていた。
近づく僕の匂いでソシレは体を起こし、エリーゼ達もこちらに視線を寄越す。
最近この二人とはあまりコミュニケーションを取らないので少しばかり他の人より距離を感じる。エリーゼは親衛隊の顧問からすら徐々に距離を置いて、こうして会うたびに背が伸びて近い未来僕を追い越しかねない息子であるエイトと接する機会を増やしているからだろう。
「こんにちはエリーゼさん。エイトもこんにちは」
「うん、こんにちは!」
「御機嫌ようアメ、そちらは?」
「ヨゾラ……アメの友達の」
少し気難しい顔でそう挨拶をしたヨゾラに笑いを堪える。
「こちらは親衛隊顧問のエリーゼさんです」
「今は名ばかりだ。カナリア様を守っていた頃の熱意や力は身を潜め、過去の栄誉に甘んじながら今は家庭と……たまにはこうして屋敷の平穏に手を貸すだけで精一杯だな」
エイトの頭に手を置きながら、優しい瞳でソシレを眺めるエリーゼ。甘んじるというが、全盛期はそれだけの働きをしたと僕は聞いている。
ミスティ家で隊長として死力を尽くし、非常に危うい状態であるリーン家に嫁ぐと決めたカナリアについていく。
長年勤めていた家から離れるとはどういう覚悟があったのだろう。色恋沙汰など目もくれず、自身を押し殺して他者に尽くす中、何度死という一線を超えそうになったのだろう。
そう考えると今こうして、のんびりと屋敷で過ごすだけで生きていくのに十分な給与を与えられている現実を誰が責められようか。
「お姉さん、くるしいんですか?」
その皺が増えてきた表情から何かを読み取ったのだろう、筆舌し難い表情を浮かべたヨゾラに純真な子供ながらにそう尋ねるエイト。
「苦しいよ。でも大丈夫、今日だけでも結構良くなってきた。そう思う」
「なら、よかった」
僕はそんなヨゾラにキュウリを手渡そうとし、エイトの存在を思い出して咄嗟に二つに折ってから二人にあげる。
「ソシレに食べさせてあげて、きっと喜ぶから」
エイトは喜びを隠さず、ヨゾラは喜びを隠しつつ、手渡しで手を傷つけないよう伸ばすソシレの舌にキュウリを乗せて二人で微笑んだ。
うちのワンコは普段食べられない近くにある食材に嬉々とし被りついたが、あまりにも瑞々しく味が無いからか消化不良な顔をしていたが。
- そこへ歩むまでの道程 終わり -




