170.何時か訪れる結末と
「いらっしゃい、ヨゾラ」
「……どうも」
ヨゾラと戦って……飼うと決めて、一週間ほど経った。
あの日、別れる際、次にこの日この時間に屋敷を訪れるようにとだけ言って、それから今まで顔を見せてはいなかった。
時間通り、正直来るか来ないかは半々だったが、来てくれたという事はこちらに益を成す可能性が僅かにでも顔を見せた。単身敵地に乗り込むような険しい顔つきで、武器こそ持っていないものの内心は与り知れない。
「こっちに……~♪ ソシレ」
門を開け中にヨゾラを招きながら、指を手に当てて笛を吹いてソシレを呼ぶ。
庭の隅から満面の笑みでこちらに駆け寄り、僕の前に座り何用かと期待してこちらを見上げる。
「この子、ソシレって言うの。屋敷で飼ってる。
良ければ挨拶代わりに頭を撫でてあげて、噛み付いたりはしないから」
僕の取ってつけた噛み付かないと言う言葉に疑問と恐怖を浮かべながら、恐る恐るソシレの顔に手を伸ばすヨゾラ。
この子は人の怯えというものをよく理解している。ここまでありありと見せ付けているヨゾラには黙ってされるがままにする、そうして屋敷の人々ともゆっくり打ち解けてきた。
「どう?」
「……ちょっと怖い、けど可愛い。
どうしてウェストハウンドを?」
「僕がこの子の親を殺したから。必要も無かったのに、戦う必要の無い相手を」
はっとした表情を浮かべてこちらを見るヨゾラ。
気づいたのだろう、自分と同じ境遇ということに。
「……それで、善人のつもり?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
自分で振るった鞭で大切な人を殺め、飴を被害者にあげる自作自演の善人かもしれないし、内心ほくそ笑んでいる根っからの悪人なのかもしれない。
ただ僕はこの子に謗るから取ったソシレって名前を付けて、この子の名前を呼ぶたびに不要な殺生を思い出す。そうした日々で複雑だけどソシレと一緒にいたら楽しいって思うし、多分この子もこの屋敷に自分の居場所を作ってそれなりに幸せだと思う」
親の仇が傍に居続けることを除けば。
そう脳裏で走らせた単語を口に出してしまったのか。あるいは単に表情に出た憂いを、ソシレはザラザラとした舌で舐め取り、僕はべとべとして臭い唾液をハンカチで拭った。
「行こうか……。
ソシレもまたね」
僕が去るまで見届けるつもりだろうソシレをその場に放置し、ヨゾラと共に建物の影まで入る。
「格好、メイド服なんだね。露出多いのは、御当主様の趣味?」
「ううん。
そういえばそんな噂聞いたことないな」
そこで僕は一度ヨゾラに振り向きスカートを下着が見えない程度にたくし上げる。
「僕の趣味。動きやすいし、武器も持てる」
太股に付いた短剣や投げナイフが自分を痛めつけたものと思い出してか、単純に僕が色気を出すようなポーズをするのが滑稽なのか、ヨゾラは苦笑いを浮かべただけだった。
「……あぁ、一応やっておいた方が良い?
いらっしゃいませ、お客様。ってね」
スカートを上げる手を指先に変えて、恭しく下げた頭が上がった頃には呆れたよう無言で肩の力を抜いたヨゾラが視界に入り、僕は再び前を向いて歩き出すのだった。
- 何時か訪れる結末と 始まり -
「入って。ここが今日の密会、リーン家と竜信仰の使者であるヨゾラの会談場所」
ドアを開け、少し時間を要して入ることを決めたヨゾラの後に続いて僕も応接室に入る。
珍しくヒカリの私室ではない。エターナーやユズと会話する時も、なるべくこうした部屋を用意するようにしている。
「失礼します」
「いらっしゃい」
緊張し入室したヨゾラを迎えたのは緊張など見せず……むしろのほほんという表現が適切な様子で椅子に座り僕達を見ているヒカリ。
その斜め後ろにはシュバルツが控え、ただでさえ怖い表情を更に険しく鋭利にしてもはやこちらを睨んでいた。
「どうぞ、座って」
「……はい」
男性、それも尋常ならざる存在が同席するとは思っていなかったのか、ヒカリに勧められた斜め前の席に座ることを躊躇ったヨゾラを置いて、僕は扉を閉めてから彼女の正面の席に座る。
「どうも」
「……。
座らないのか?」
無言でこちらに紅茶を淹れてくれたシュバルツは、まるで僕の存在など見えていないようにヨゾラに声をかける。
「座る、けれど」
「帰りたければ今から帰っても構わない。俺はもちろん、主やどこかの阿呆も止める事はないだろう」
「シュレー、せっかく来てくれたのだからそんなこと言わないで」
「……主が決定したことならばまだしも、アメがほぼ独断で決めたようなこと。
事情を聞いてみれば耳を疑いたくなる話な上、こうして実際に言われるがまま当人が訪れた現実に今度は目も疑いたくなる」
こちらが一枚岩ですら無い事を見せ付けられ、渋々座りそうだったヨゾラの動きが更に鈍くなり思わず口を挟んだ。
「うるさい黙れ。それ以上言うなら当分僕も名前を愛称で呼んでやる、いいでしょヒカリ」
「シュバルツ、黙らないべきよ。
ここはあなたが気に入っている愛称で呼んでくれる人間を増やすに限るわ」
「……ふぅ。どうぞ」
僕とヒカリのやり取りにこの場でこれ以上揉めても良いことはないと判断してか、あくまで丁寧に紅茶と茶菓子を出してからシュバルツは会話が聞こえるギリギリまで距離を離し、そこでようやくヨゾラは与えられた席に座る。
「ということで改めましてアメです」
「ヒカリ=リーンよ」
「ヨゾラ、です」
自己紹介をしたものの会話が続かない。
本来ならヒカリが勝手に進めるものだが、この場は僕が主軸だ。
「周りの人にはなんて説明した?」
「二人が戦闘の際殺められたこと、私が交渉を申し出たところ了承を得たと」
「実態は?」
「……二人は尊い犠牲だったって、私も良いところまで追い詰めたんだなって褒めてくれた。そして交渉の場で、少しでも情報を引き出してリーン家相手に有利に立ち回って、敵を倒そう、そう意気込んでいた」
どう伝えたかは知らないがそう解釈されるのは自然か。
「……私は」
「ん?」
一つ一つ問いかけて行こうかと思ったが、思わぬヨゾラの一言に声を漏らしてしまう。
勝手に口を開いたことに対して嫌悪感を示されたのかと慌てて萎縮するヨゾラに大丈夫だと伝えて続きを促す。
「……私は、尊い犠牲だなんて思っていない。もちろんツカサとユラギは大切な友達だった、本当に大切な。
ただ一人になってずっと考えた。アメと戦っている最中、何度も言われた気がしたら。考えろ、そう、ずっと。
考えて、考えて。考えて考えてっ! 気持ちが悪くなって自分も死にたくなるほど考えて――ヒカリを倒すなんて意気込んだのは未熟だと痛いほど思い知った……人を殺すって、人間が死ぬって、ここまで冷たくなるんだなって、二人を埋めた時怖くなった」
恐怖に恨み、怒りに……少しだけ温かい何かを込めた瞳でこちらを見るヨゾラ。
実力差だけでも、人と人の争いの本質にたどり着いただけでもない。その双方に触れて、辿り着いてしまった者の末路な瞳。
「敵だなんて、竜神様を脅かす存在なんて人間性の欠片もない、リーン家の人達をそんな集団だと思ってた。
ただここに来て、初めて知った。ここに住まう人達は普通の人で、こうして椅子を用意してお茶も出してくれるって」
そこで初めて出された紅茶に口を付けるヨゾラ。僕とは違い毒を警戒している様子はまるでなく、でも僕とヒカリの異常性は知っていて、それでも他の人々は大差が無い事を理解したのだろう。
「ねぇ、あなた達は私に、何を求めているの?」
「亀裂の解消……とまではいかないけど、衝突と被害者の減少は望んでいる」
「討伐は、諦めないのよね」
「それだけは無理」
今からでも討伐を諦めさえすれば、竜信仰者がリーン家を敵視することは少しずつ減り、明確な攻撃も無くなるだろう。
両陣営の犠牲は予め防げる。でも僕達はそれだけは選ばない。
「何故? ヒカリの、お爺様や屋敷の人々が、一斉に竜害と呼ばれるもので亡くなった事は知っている。
ただ顔も見たことのない血縁者、その人々の復讐、そう想像してみても私にはまるで確証が湧かない」
何時か現国王、リンカーネート姫に尋ねられた問いと同じもの。
その時のヒカリは適当な言葉で誤魔化したが、僕は少しだけ自分達を曝け出すことにした。
「大切な、本当に大切な人達が居たんだ。優しくて温かくて、一緒にいるだけで幸せ。そう思える人達が」
故郷の家族や周りの人々。
スイとジェイドの兄妹に、僕とコウ自身も竜の犠牲か。
どうにか吐き出せた言葉を、ヨゾラは噛み砕く。僕達がまだ産まれてもいない唯一の竜害、それだけを知りながら、僕とヒカリの様子からそれだけではなかったのだとゆっくりと咀嚼する。
「そう。私と、同じね。私も両親と……友人二人を喪った」
「両親は竜に?」
「うん」
「なのに奉るんだ」
「敵いは、しないから。あまりにも強力過ぎる存在は抗っても勝てはしない、なら祈った方が良い」
「信仰者の言葉では無いみたい」
「……何時かお爺様がそう教えてくれた。人は太刀打ちできない存在に自然とそう頭を垂れるのだと。
その時はお爺様が嫌な事を言っている、そうとしか思えなかったけど、今はそうじゃないかもしれない、そうとも思う。
周りにいる人と、ここに居る人、顔つきが全然違っていて」
応接室に来るまでに色々な人とすれ違った。たまに僕の友人か、それとも客人か気になって声を掛けてくる知り合いも居た。
「それが悪いことかと言えばそうでもないんだけどね。
竜害にあった人、あの日竜害を見た人。ほとんどの人は忘れようとしている、神にしようとも、敵としようともせず、まるで世界から居ないように振舞って、傷が痛まないように気をつけて」
「それでも、挑むの? とてつもない存在と知りつつも、竜の傍に居る人を殺めながら」
「百や千に一度は勝てると思っているから。
英雄になりたいわけでも、一攫千金を狙っているわけでもない。ただ僕の、僕達による醜い復習劇だよ。誰も幸せになんてなれない、ね」
そこで一度僕はコップに口を付ける。
ヨゾラの表情は、どこか悲痛なものを見つめるような悲しいもので。
「友人の仇として僕達に復讐する? 竜よりよっぽど弱いと思うけれど」
「……そう考えたこともある。ただやっぱり私にとって二人は竜みたいに敵わない存在で、それに一度だけじゃなく二度負けた上で見逃されているから今更どうにかしたいとは、たぶん思わない。友人を奪われたことは死ぬまで忘れられないし、憎いと思うけれど」
「もしつらくなったら逃げ出したらいいよ。僕も今更始末したい気分にはなれないし、こうして話してそれでも無理、どうにかなってしまいそう。そう思うのならどうにかなる前に僕達の目が届かない場所で静かに過ごすか、勝手に死んでいて欲しい。流石に近くに居ないのなら、わざわざ裏切った人間を探してまで追おうとは思わないだろうから」
「いいの?」
問いに無言で頷く。多分そんな結末は訪れないだろうが。
将来来るだろう未来は僕達が望む都合の良いものか、復讐心を忘れられず正面から再び命の奪い合いをする時だ。
「お爺さんは竜信仰者?」
「そう。だと、思う。一応神父の役割をしていて、皆の前に立つ事はあるけれど結構古い考えだって非難されることも少なくないみたい。
さっき言ったような考えを持っていて、信仰者の多く、それに私は自分が守らなければいけない、そう思っているみたいだから。
教会のお手伝いだけじゃなく冒険者の仕事をやりたい、そう伝えたら槍の使い方を教えてくれたのもお爺様」
「聞いている限りはとても素敵な人だと思うわ。あなたの槍の才能も、磨けば必ず光る」
「ありがとう、ございます」
今まで黙っていたヒカリが唐突に口を挟み、相手が貴族だったことを思い出してか、単純に自分や親族を褒められたことが嬉しかったのか丁寧な言葉で応答するヨゾラ。
頬は赤く染まり、態度からも口だけのものではないと読み取れた。
「……本当は」
「はい」
自然と出てきた本音が、ヨゾラに受け止められる。
「本当は時間を掛けて教えていくつもりだった。自分の頭で考えて、世界を見て、何をしたいのか考えて。そう教えてあげたかった。
一度目街中で考え無しに襲ってきた三人を見て自分を見失うぐらい暴走してしまったのも、二度目約束どおり躊躇いも無く命を奪えたのも、自分で考える頭を持たず、周りやなんとなくで生き方を決める、そんな様子が気に入らなかったから。
……僕もね、昔そんな様子で、とんでもない失敗をしたことがあったから自己嫌悪みたいなものかな。
ただ今日改めて会って、しっかりと考えて今まで見て知ってきたものを整理しているヨゾラを見て安心、違うな、素直に、凄いと思った」
「……」
ヨゾラは僕の言葉に黙って耳を傾けている。
相槌すらなく、けれどしっかりと聞き届けられている言葉に僕は続けて言葉を紡ぐ。
「これから会うたびに、ゆっくり、何度も丁寧に怒らずに伝える。そう決めていたのだけれど、うん、これからは色々なことを教える、知ることの出来る機会を作るだけで良さそう。
……そうした日々を得て、結局僕達に抑えきれない復讐心を抱いて戦うことになる。そうした結末も、悲しいけど当然の事だって思えるだろうから」
「はい。よろしくお願い、します」
ヨゾラは初めて僕達に笑みを見せ、シュバルツは黙ったまま納得したようにふんと鼻で溜息をついた。
「過酷で、残酷に、望む些細な平和すら満足に叶わない世界だけど、その中で自分達が散るにしても、何を想って死ぬまでの軌跡を描けたか、それは作れると僕は思うんだ」
- 何時か訪れる結末と 終わり -




