165.平穏な日常
朝起きて、パジャマに外套だけ羽織り、今日入荷された荷物の一群から痛みかけのラム肉と穴の空いたキャベツを取り出して外に出る。
「おはよう、ソシル……食べて良しっ」
飲み水を魔法で新しく入れ替え、ボウルに肉三、野菜七の比率で詰め込んだ朝食を許可を出すまで我慢したソシレに食べさせる。初めは郊外に住んでいたのでもう少し肉が多くないと不満に感じるかと思ったが、少しずつ減らしてみても特に問題は無かった様子なので今の比率に落ち着いている。
用を足し汚れた砂を処理し、糞も片付け、最後に募金箱を軽く叩いてみたら小さい箱ながらも半分程度まで貯まったような音が聞こえて皆の善意に感謝する。金銭的な問題だけではなく、たまに食事やトイレの世話あとは遊び相手になってくれているようで、一人ではどうしてもソシレの屋敷での生活を満たせないと危惧していたが今のところは皆に愛されているようで安心だ。
ソシレ本人も愛玩されるだけの存在に落ち着くつもりはないらしく、誰かが出かけるタイミングは積極的に見送りに行くし、屋敷の中だけだがパトロールか散歩かはわからないが歩き回っていることが多い。
外部の人間が出入りすることも多いが、見慣れた顔だと警戒も薄れ、物珍しさもあいまりそれなりに外面も良い様だ。
そんなこと考えたり竜に対抗するための術を模索しながら町の外周部を走り終え、基礎的な体力作りに魔力の扱い方の訓練は済ませる。
自室に戻り柔軟を終えてから洗顔を行い身だしなみを整え、メイド服に着替えてから、各武装にチョーカーを最後に付け、順調に育っているヒメヅルダケの苗床に軽く水を拭きかけたら食堂へと向かう。
「おはようございます」
「ん、おはよ」
「おはよう、ございます」
先に食事を取っていた先輩メイドであるクローディアとシャルラハローテに挨拶をし、料理を取って隣の席に座る。
今日の仕事はーとか、昨日午後にこんなことがあったーとか、二人の小物作りの話を聞いたり、僕の使用人以外の話をたまに聞かれながら朝食を終える。
そのまま仕事へ移り、客室の清掃を皆でしていたら、ユリアンとカナリア、それにエリーゼが仕事の話をしながら通り過ぎる。使用人らしく手を止めて、少し視線を下げて家長が去るのを待っていたがカナリアが僕と雑談したいらしく、対応に困っていたところユリアンが少し強引に連れ去りながら後で会いにいくからと未練たらしく声を上げながら消えていった。
仕事を予定より早めに終えることができ、客室で少しのんびりしていたらサボりすぎたのかメイド長であるオーリエに見つかり、形ばかりの叱りと共に合流するように諭される。
昼食を終えて、メイド服を脱ぎ去り私服に着替える。
今日は午後に親衛隊の訓練も入っており、余裕を持って行動できるように脱いだ服をカゴに押し込みながら部屋に鍵を掛けて出る。
訓練の前にソシレの世話。必要な物を持って庭にある犬小屋へ向かえば、屋根にも、水を入れたボウルにも、ソシレの隣や背中の上にも猫が群がっていた。
「お前、猫に乗られたままで、犬としての誇りはないのかね」
一応口に出してみるがくぅん? と当人、改め当犬は首を傾げるばかりで。
まぁ最近はいつもこうだ。街中の猫共に気に入られているらしくたまにこうしてソシレの小屋が集会所になる。
初めて見たときはエサに手を出したり、その辺で用を足していてブチギレたら、次からはソシレが注意している素振りがありしっかりと砂場で用を足していた。前世の動物よりも魔法がある分知能の発達も優れているのかもしれない……野良猫の糞を処理するのは癪だが。
中庭にぼちぼちと集まりつつある私兵の人々と軽く雑談をしながら、アレンとココロが肩を並べて入ってきたのでそちらに寄る。
最近は色々な人と関わるようになったと、この屋敷に住まうような人々は年齢差を気にはしないのだなと笑うアレンに具体的に誰と仲良くなったのかを尋ねたら。シィルを筆頭に、ツバサ、シュバルツ、ユリアンや意外にもシロの名前まで出てきた。
どんな話をするのかと思ったら、他の町や裏社会の事情をよく聞かれるらしい。アレン本人は娘のような年齢の少女と会話できることは心地が良いらしく、楽しそうにそう語る中僕はシロの見識を広めようとする精神を評価していた。
訓練は試合形式のもので、僕は当然年齢の近い同性のココロを中心に訓練を行う。
最近目指すものが出来たんです! と張り切るココロは、抜刀しながらも刀と同様の頻度で手足を直接使うような戦闘スタイルで僕に対抗したが、こちらの土俵で戦うのであれば負ける理由などどこにもなく慈悲を込めずボコボコにした。
地に伏す彼女に手を貸しながらも、目指す場所、本人が望む極地に辿り着けたのであれば、僕はいつかココロに敵わなくなる日が来るのではないかと危惧する。その見様見真似ではない徒手格闘技術はアレンから学んでいたもので間違いないだろうから、僕の代わりに率先して技術を教え込まれる天才の一人がどこまで成長するのかは予想できるはずもなかったからだ。
『そんなに頑張ってどうするのよ、必要な場所だけ頑張ればいいの。今は誰も使っていない場所とか、見えにくいところは適当に手を抜かなきゃやってられないわ。
どれだけ仕事を頑張っても、褒め言葉と一緒に追加の仕事が来るだけよ。休みは来ないし、給料は増えない』
夕方にようやく自由な時間を得て、ヒカリの私室で何時ものメンバーにそう告げ口じみたことをする。
「という意見をとあるメイドから聞いたのだけれど、どうだろうか」
「どうもこうも当然だろう」
「うん、そうだね。適当に頑張って、仕事をしているフリをしてくれていたら十分。
呼ばれたらすぐ来て、しっかりと与えられた仕事をこなす。人通りが多い場所、客室なんかはしっかり掃除する。あとは食事や菓子を美味しく作ってくれたら、目の届かない場所で手を抜いていても見咎めたりしないよ」
「そういうものか」
「ただその言葉は……クローディアのものかな? そろそろ彼女と、同期であるシャルは長年務めているから給金を上げる予定。
今までそのタイミングが無かっただけで、リーン家ではしっかりと働きに応じて見返りを払っているからね。シャルに比べてクローディアは手の抜き方が失敗することも多いから今回で少しだけ給料に差が出るの」
同期の友人と収入に差が出るとは……南無。
何度オーリエに注意されても懲りなかった分がここに来て降りかかるのだろう。上手くシロが貰っている給料を誤魔化せたらトラブルは起きないがどうなるか。
「働きアリの法則ってのがあってね。働きアリの内三割はサボっているアリが居るんだって。
働きアリなんていう勤勉そうな存在でも一定数はサボる……ってのがこの研究の要じゃなくて、その三割を間引いたらどうなるかなんだけど、間引いた後にも残った十割の内三割はどうしてもサボるんだって。
これを繰り返していたら何時しかアリの巣は壊滅。様々な研究を重ねて科学者が出した結論は『三割は職務放棄をしていたわけではなく休息していた』ようは全体が常に活性化状態ではなく、ある程度手を抜いて必要なタイミングに備えていたというのが真相だったらしいよ」
まぁ無いとは思うが僕の告げ口で加給が緩やかになってしまったのなら申し訳が無い気がして、少し前世の知識を問題が無い分だけ雑談の種にでも披露する。
「酔狂な科学者もいたものだな」
「ふむ」
真っ先に反応したシュバルツに、興味深そうに唸るヒカリ。一瞬皆で巡考して、アリの研究をする姿を想像してみる。
透明なガラスなどのケースに入れられた土、そこで巣を作る無数のアリ達。徐々に枝分かれし発展する巣は生命の誕生から終わりまで見せつけ、設置した食事に探索に出たアリが反応しフェロモンを残し、時が経つと働きアリ達が楽しそうに群れ始め女王への供物や自分達の食料だと賑やかに解体して巣に運び込む。
「……前言撤回しよう。悪く無さそうだな」
「楽しそうね、群が成長したり衰える姿を観察し続けるのは」
僕も同意見だと頷いた。
ただシロと同等なクロの給料アップには繋がらなかった、残念。
その後はカナリアが予告通りに雑談のために乗り込んできたり、エリーゼが息子のエイトを連れて遊びに来たり。
そして夜になると何故か居るエターナーとユズに囲まれて食堂で食事を済ませる。ここはレストランじゃねえぞ! といつも思うが、何だかんだこの二人と過ごす時間は居心地が良いので口には出せていない。
しっかりと魂鋼を探しているという進捗や資金の使い方を刻まれたレイノアからの羊皮紙眺め、各武装の手入れに消耗品を補充するための手続きをレイノアへのやり取りと共にインクで記してから僕はランタンの火を消してベッドに潜り込む。
あまり落ち着けはしない。同じベッド、同じ部屋で誰かが寝ているわけも無く、ヒカリの私室の方が居座る時間も長く。部屋に愛着というものが無いのだ、ホテルで寝ている感じ。
充実し、幸福な日々だけれど、竜という存在が居る限り僕の中では満たしきることはない。どうにか手札を増やせないものかと疲労で朦朧とする頭でアイディアを幾つか浮かべながら、その多くを記憶する前に意識は消えていく。
- 平穏な日常 終わり -




