158.誰かに祈りを
夢を見た。
熊がブレイクダンスを踊り、ミスで首を捻って逝った所をシャルラハローテが大きなスプーンを持って、亡骸を引きずっていく意味のわからない夢。
当然起きた時には瞬時に忘れた。
- 誰かに祈りを 始まり -
目が覚めて、足が動くことに改めて感謝した。
左腕はヒカリがベッドに潜り込み抱きついていたせいで麻痺していたので、血が十分に巡るようになり確かめることのできるまでの数分間は少し焦ったが。
「はい、今行きます」
部屋の扉がノックされ、未だ目を覚ます気配の無いヒカリに毛布をしっかりと被せつつ立ち上がる。
当人は着替えていたり、ベッドを僕の血で汚さないために用意していた布は見当たらないので、しっかりと僕の体を治した後にヒカリは寝たのだろう。
しっかりと両脚が体を支えることを確認。
多少貧血気味でも仕方が無いと思ったが、昨日十分食べた直後の負傷なので大事は無かったようだ。
魔力もほぼ枯渇しヒカリを頼った状況からは改善し、まだ朝早い時間帯ながらも七割程度までは回復している。少し食べて少し休んでいたら万全に戻るだろう。
「あっ――アンタッ! なに平気な顔で歩いてるのよ、もっと体を大事に……!」
僕が開けるよりも早く押し開き始めた扉から、こちらの顔を視認するなり空気を鋭く吸いながら静かに叫ぶクロ。
声量はそこまででもないが言葉に込められた力自体は強く、僕は人差し指一本でジェスチャーを行い答える。
「おはようございます、クローディアさん。ヒカリがまだ寝ているので声を抑えてもらってもいいでしょうか?」
「……大丈夫なの? 体のほうは……」
「えぇ、一度寝たのと負担を肩代わりしてもらったのでほぼ万全です。
……それ、僕の着替えですか? ありがとうございます」
問いに対する反応が悪くなかったことを仕草で感じつつ奪い取るよう受け取り、一度部屋に引き返そうとして中断。
未だ纏っているドレスはもはや綺麗な布といった有様で、当然肌着含め一度裸になって着替えたいし僕に与えられた部屋から持ってきただろう着替えには下着の類も含められていた。
客室にトイレや大きな家具など視線を切れる存在は室内には存在しない。ヒカリが完全に起きた場合若干気まずいので近くにある別の部屋でも借りよう。
「ん、もう万全か?」
入ろうとした気配の無かった室内から出てきたツバサに一瞬硬直。
武装をしている、僕よりも優れたリーン家の戦力、ユリアンがどのように昨晩の状況を報せたかは未だ与り知らぬが不明瞭かつ不測の事態に備え、最悪を未然に防ぐことを考えたら空いている隣の部屋で待機するのは道理か。
「副隊長。お勤めお疲れさ……ありがとうございましたっ」
「そう肩肘張るな。どうも杞憂だったらしいしな」
「はい、けれどそれでも」
「日も高くなってきたし、ヒカリ様ならばもう俺も不要だろう。少し仮眠してくる。風邪、引くんじゃないぞ」
通り去る彼に少しクロと共に頭を下げつつ、ポロンと剥がれる様に揺れる衣服の数々にあまりこちらを見なかったツバサの配慮を知る。
……これは流石に同性以外だと恥ずかしさを覚えるほど酷い有様だ。早々に露出の多い普段着に着替えてしまおう。
「……魔法って凄いものね。他の人のあんな傷すら治せるなんて」
軽い朝食を一緒にとって居るクロが、手を止めて僕の普段通り動いている左腕を見てそう呟く。
「ごめんなさい、あんなショッキングな様子を見せて」
「あぁっ、違うわ。別に食欲が無いとか、そういうわけじゃなくて。
ただあんな奇跡を人は魔法って手段で行えるんだなぁって感心してただけよ」
「奇跡……奇跡。確かにそうですね、人の傷まで癒せる人間は数えられるほどなので」
「やっぱりヒカリ様は特別なのね」
「……?」
どこか主を誇るように溜息を漏らすクロに違和感を覚える。
初めに昨日の光景を思い出し食欲を失せたと誤認したことに続き、どうも認識の齟齬が多い日だ。
「いえ、どちらかというと異質という表現が正しいです。先天性の才能や知恵、後天性の努力や知識、そういったものから外れてしまった例外ですね。
ヒカリは僕の傷は治せますが、他の人間の傷を治せはしないはずです」
今まで僕が知るに他者の傷を治せる人間は、僕、コウ、ヒカリ、それに故郷のお喋りなおばちゃん……あぁクソ、特徴までは思い出せるのに名前が、えっとディーア、だったか。
彼女以外は互いに殺されても構わないと思えるほどの仲。ディーアは魔法という常識が根付いていない閉塞的な村で、他者を治せるという常識を根付かせ、本来人が無意識に直接的に干渉されることを魔力で拒絶する常識、風習が無かった故のイレギュラーだ。
体の構造や魔法の原理を理解しておらず、偶然そうして開いたままの扉を猿がランダムに入力した文章で戯曲を作り上げながら通り抜けた、そんな認識が正しいと思う。
「そう? 魔法で他の人の命を助けることが出来る、そう考えたらちょっと夢があると思ったんだけどね」
理論上回復魔法をそのように扱えるようになるのは可能である。けれど対処療法としてそうならないよう事前に立ち回るほうが適切であるし、マッチで火を熾したり、水筒に水を補給できる程度には基礎的な魔法を教えたが僕はこれ以上クロやシロに対して何か追加で教えるつもりは無かった。
才能が知識を吸収する知識が無いわけではない、ただそれらを扱えるようになる必要がどこにもないだけで。
自然原理を知らなければこれから現在扱える技術を元に様々な魔法を扱えるようにはならないし、自然治癒なんかは生きたいと願うだけで以前より効率的に魔力を扱えるようにはなっていると思うから問題はないだろう。
「――ということで昨日の一件は訓練中の意図しない過剰な事故のようなもの、そう先方とは書面上のやり取りを行う手筈。皆には極秘の任務に我々三名で当たり、その結果があれだと説明している」
僕とヒカリとユリアン。
三名で屋敷の一室を占拠し、絶え間無く各方面でこちらへ近づく存在を蟻一匹見逃さないと気を張っている状態。
予期せぬ事故に僕達が対応できない事実に、極秘なんて身内へと隠す情報には胡散臭いにも程があるが、僕達が焦っているわけではない現状他者が何か動くわけにもいかず、騙しきれず疑い何があったのかを察することが出来る人間は貴族間の争う気配が無い事実に気づくだろう。
「最良ではないけれど、最善、ね……アメはこれでいい?」
詰まるところ評価はそこに落ち着く。可能であるのならば誰もを納得させられる口実を生み出したかったが、今回は不十分な口実で不都合なく動いてくれる周囲の人間に甘えよう。
「どうして僕に確認を取るの?」
「ん、気に障らないのなら、それでいい」
今思い返しても目的も手段も、手足を一本ずつもがれた事全て腹立たしいが、こちらも散々傷つけた上に、最終的には眼帯の男の腕を断つことには成功し一矢報いている。
……それで足りるかと問われれば否だが、何故だか今のところ怒り狂うほどの感情は湧きあがってこない。表層意識に浮上せず、深層意識で漂っているそれが現状で構わないと判断しているのであれば、いずれ必要な際に脳裏に描けるだろう。
「こちらにメリットは当然あるのよね?」
「あぁ。書面と共に幾つかの配慮、家を栄えさせる要因は多々あるし、無い分もこれを口実に搾り取る。
大切な娘達を傷つけた代償として釣り合うかと問われれば些か疑念は残るが、竜関連にも好きに動かせてもらう余地が生まれた」
「最後の言葉が聞けて良かったです、えぇ本当に――さぞかし見渡しの良い席で茶番を眺められて、挙句被害を被った僕達に利益が一切無いとなれば、ねぇ?」
「あぁ、それは大層滾る劇であった。自ら命を掛けて争う、その次には」
皮肉に煽りで返されて、僕は思わず対面に座るユリアンの脛目がけてつま先を飛ばす。
テーブルが僅かに揺れた様子にヒカリは、僕と暴力を振るわれた自身の父親に視線すら寄越さずおもしろそうに喉を鳴らした。
- 誰かに祈りを 終わり -




