156.月夜の下でダンスを 後半
「もはや許可など得られる状態では無いか」
独り言のように呟いた男の声が聞こえる。
こちらの方が傷は浅く動けるようになるまでの時間は短かったのだが、切れる手札は全て切ってしまった現状あとはヒカリ頼みか、相手の出方を窺ってそれに対応する方針しか取れない。実力差が大きくこちらに傾いているのならば先手を打ちたかったが、現状大きく傾いているのは相手のほう。あくまで今まで得られている結果はリスクを背負い続け、運良く都合のいい結果を手繰り寄せただけだ。
はらりと落ちた一つの布切れ。
解かれた眼帯が見せる隠されていた眼球は傷一つ無く――ただ元来の黄色い瞳とは違い青白い光を放っており。
初めて見ることの叶った男の表情は、この世全てを憎悪しているかの如く忌々しげに、されど憎む行為すらもはや憎むように諦めも込められて。
その瞳は僕やアレンが持っていた死んでいたものでもない。風貌も雰囲気も似通っているシュバルツの持つ負がオーバーフローを起こし正に反転したような歪に超越したものでもない。
その瞳は憎悪で出来ていた。全てを憎む。視界に入る人間全てを、草木を、世界を。それを感じ取る自身の眼さえも。
「往くぞ」
- 月夜の下でダンスを 後半 始まり -
まだ片胸はバラバラだろうに、その痛みを味わう憎き自分自身すら嗤いながら男は駆ける。
先ほどとはまるで変わらない迅速さに、両眼が使えるが故に立体的に景色を見ることができるという当たり前で、今まで放棄していた大きな武器を携えて。
受けて受けて受けて受けて。
反撃する機会など無い。一度呼吸を思い出したら腹部に穴を空けられた。
受けて受けて受けて。
まるでヒカリを相手にするよう。把握され、誘導され、管理され。
もはや両の腕が血に染まっていない箇所の方が少なく、対応できないほどの猛撃に魔力による装甲は間に合わない、足りないことが増えていき。
受けて、受けて……。
……背に、肩で息をするヒカリが当たった。
「ようこそ、地獄へ」
「おかしいな、地獄から来たんだけど」
軽口を叩き合う僕を見る敵の目は諦め。これで仕事は終わりだと、所詮僕達はこんなものだと。
「片目、魔刻化。僕みたいな気質」
もし僕を狙う攻撃を避けてしまえばヒカリに凶刃は突き立てられ。
「堅実で誠実。私を殺すあの気概で」
ヒカリを狙った攻撃を彼女が避けてしまえば死んでしまうのは僕で。
「私達がここにこうして在る。その存在証明を始めましょう」
退路などどこにも無い状態で僕達は笑った。
「了解。精々抗わせてもらおうかな」
可笑しい。これ以上無いほどの絶望的な状況、絶対的な相手を前にして、まだ切れるカードが舞い込む状況が堪らなく可笑しくて。
襲い来る二つの刃相手に、僕は身を翻した。
ヒカリも同様に身を翻した。
まるで一枚のカード。
僕が表で、ヒカリは裏。あるいはその逆で。
半身に力を入れて振り向くだけで、同じ動きをするヒカリのおかげで目の前の相手が切り替わる。
「っ!?」
なるほど。この程度ならば僕でも捌けると、まるでただのルールのようにゆったりと向けられるロングソードを短剣で押さえ、代わりにその手から叩き上げたくて手首へと蹴り上げる。
確かに、堅実だ。どれほど殺意の無い刃だとしても、それを手放す可能性は少しでも潰していた姿勢、悪くない。
咄嗟にダメージを与えようと、持つ剣の揺らぐ右手ではなく左手の盾で殴打の構えを取る敵。
ヒカリの姿を思い出す。剣による裂傷がほとんどで、あまり打撲痕が無かったことを。
ならば盾の扱いはヒカリの方が優れている。もう一度、体重を乗せて反転。ヒカリもそれに答え、僕の敵は再度眼帯を外した男に戻る。
僕が与えた傷に追加で切り傷が増えている。胸部は既に治りきっている頃合か、新しい傷を起点に動く。幸い僕に付いている傷は多いものの古いもので、実力差で上回る相手だとしてもその傷に割く魔力の差、それに目まぐるしく自分達の意思とは別に敵が変わる状況に少なからず混乱している現在に付け込む。
何度か背中にヒカリが存在する故に大概の回避を許されない攻防を繰り広げ、背中に居るその存在との間に存在する空気が衝撃で震えたり、服や体の一部がたまに触れ合う現実に……酷く安心感を覚える。大丈夫、信じているから。
「全く、飽きさせない。これは久しく……」
常に魔力を流し込み視覚を強化しているのだろう。
片目だけ宵闇でも僅かに目立つよう青白く光る瞳を備えながら男は微かにだが笑った。悲しいことに僕は言葉を発する余裕などどこにも無いので無言で暴力にて返すしかないのだが、それでも男はどこか満足そうに。
また時間が経った時、徐々に増える双方の傷跡が、僕のほうが先に限界近く到達した段階で体重を後ろへ伝える。
返って来た反応は、否。ヒカリは今敵を変えるつもりはない、詰まる所いま相手から送られてくる攻撃よりも酷い現実が襲ってくる可能性が高いと判断し、目の前の結果を背負え、と。
僕は背後に居るヒカリを狙った攻撃を確実に止めるため、僅かに跳んで自らの肩へと剣を吸い込ませる。
痛みはほとんど無い。予め鎮痛魔法を行使し、武器が抜き去られたばかりの傷跡はすぐさま修復を開始し、そのタイミングで後ろから体重が掛けられて、僕はそれに答えて反転。
ヒカリによる対処が不利、あるいは僕に対する対処が有利。
その双方である、恐らくヒカリの視界を防ぐため少し僕の視野よりは上を盾で覆いながら、斬り上げられてくる剣を不意に標的が変えられたことに動揺する隙に入り込み足で機動をずらす。
代わりに脇腹へ短剣を送ってみれば、どうやら魔法、あるいは大層筋肉を鍛えているようで、容易くは抜き取れない武器を見捨てて、まだ治り切っていない左肩で剣による一撃を防ぐ。
腕が根元から断たれ、舞う。
相手は驚く。僕は想定し、その腕を右手で掴み取り以前ヒカリへと行ったよう鈍器のように扱い振り回す。
もはや感覚は表面上である肌から伝わる僅かなものしか感じ取れない片腕に、盾で防ぐ奥で既知外のものを見せ付けられている敵の驚愕を強く読み取る。
武器は全身だ、片腕もげようとまだ止まる理由はない。
まずは踵で足を狙い、次に股間を蹴り上げる。動きの止まった体の腹部へ同じ足で三回目の攻撃を行った際、確かな手応えと共に激痛、そして左脚の感覚が無くなった。
右腕とは違い上段から斬りおとされたので舞うことはない、ただ重力に身を委ね道に落ちていく左脚を右脚で跳びながら認識。一度腹部へ密着するほど縮こませ敵の胸部を蹴る。わずかによろめいた敵の体に、上空へと舞う僕の体。
「ほら、敵だよ。行っておいで」
無造作に宙へと投げ出された僕の体を、二メートルほど道路から高い場所で受け止めてくれたのはヒカリ。僕の右腕、それに左脚が既に体から離れていて、立つことすらままならないのに、まだ戦えとこの子は言う。
もはや全身の感覚があやふやな体。痛みやそれを緩和するために行っている鎮痛魔法、あるいはアドレナリンとか瀕死の体が痛みを感じないように自然といろいろな成分が脳から出ているかもしれないが、ともかく、僕の敵は正しく認識できた。
ヒカリに足を掴まれ、馬にぐんと引かれる様な感覚を味わいながら、頭から負傷し満足に動けない眼帯の男に僕は投げ出される。
迎撃のために振り上げられた手を、破壊魔法を込めた手刀で斬り落としながら僕は敵の背後へ落ちていく。一度強く地面にぶつかって撥ね、二度勢いを殺しながら撥ねる頃合にはどうにか体勢を整え、頭からぶつかるはずだった壁に背中を委ね、残っている左腕で構える。
「十二分だろう、終いだ」
「了解。
久しく満たされた、また会えることを願う」
僕の敵だった男は眼帯を付け直し、上司であるだろう男性と肩を並べてこちらにそんな挨拶を寄越しやがる。
先ほどまで辺りに漂っていた殺気はどこにもなく、ヒカリも既に武具を下ろし、傷も酷いだろうに相手二人と同じように満ち足りたような表情を浮かべていた。僕は一人、最大限憎しみが感じられるように口を開く。
「この後依頼主に会うんですよね、伝言頼めますかね?」
「どのように」
年下で、武器を交えた少女にあくまでリーダー格だろう男性は真摯に答える。
その態度が声と重なり、もう遥か昔だろう記憶を掘り起こすが、喉元まで出かけた言葉は止まない。
「いっぺん殴らせろ、と」
元リルガニア王国騎士団副団長、現団長であるジーンと、おそらくその部下。
既に目隠しや拘束が解かれているユリアンと、口角を僅かに上げて嗤うヒカリに視線を向けて、どこにも問題が無い事を確かめて答える。
「確かに」
それだけ言葉を残し、自分達の物品を回収しつつ去っていくその背中が見えなくなった時点で、僕はようやく深呼吸をし、不意に吸い込んだ怒りを右腕に込めて地面を叩こうとし、肩の根元から斬りおとされているんだったと八つ当たりも諦めた。
「揃いも揃って化け物揃いじゃん……」
十年も経ち老い始めているだろうに、あの竜に立ち向かった全盛期に劣らない男性ジーン。
もう一人はどんな人物かまるで知らないが、まぁ王政が動かせる戦力の一人としてかなり重要な人間だったのだろう。僕を圧倒するならまだしも、ヒカリに負けないその姿はふざけているとしか言い様が無い。
「アメもその中の一人なんだけどね」
「はっ……」
ヒカリの言葉に思わず乾いた笑いが出た。
「僕一人だけ本気出している中、三人揃って手加減していてよく言うよ」
「気づいてたか」
「それぐらいはわかる……あーもうやだやだ、かたっくるしい思いはするし、いきなり襲われるし、王都に良い思い出はあまりないしでさっさと帰りたい」
「うん、ちょっと待ってね。今すぐ馬車で向かっても一ヶ月近く掛かるから。
にしても世界って広いなぁ、私の上にもまだまだ人が居るんだね。ワクワクしちゃうなぁ……」
くっそったれ。
- 月夜の下でダンスを踊る 後半 終わり -




