155.月夜の下でダンスを 前半
「ふぅー美味しかったなー」
胴を締め上げるコルセットが若干食い込み苦しいほどには、気づけば場の空気にも慣れて身分、見た目相応に人の目を気にせず色々な料理を楽しんだ。
家畜化できている鳥に変わり牛肉や豚肉……なんてものはバッファローや猪の様な姿で郊外にて熊や狼と一緒に襲ってくる連中は城でも易々と食べられず、いや食べても前世と比べたら癖が強くてそんなに美味しくないのだが。乳が出なくなった老いたヤギではなく、若いオスのヤギの中でも身のついた美味しい肉だったり、レイニスではあまり食べられない鳥や海鮮物はたくさんあった。
「そうだな。やはりレイニスでは食品の流通が問題か。逆にそこを抑える、あるいは発展のきっかけを作れたのだとしたら利益は……」
と珍しく貴族の鑑みたいに利益のことを考えるユリアンを背に、ヒカリと二人でミスティ家の家に向かって肩を並べて歩く。
「アメ、初めの方は全然食欲無かったのにね」
「やっぱり、うん、慣れる」
「普通慣れないから」
なんてクスクス笑うヒカリに、夜空を見上げてみればレイニスとは違い夜でも光源が多くて星はよく見えなかった。
軽く雑談をしながら歩みを進める帰路。
他の貴族の人達は帰る屋敷まで馬車なんか用意しているようだったけれど、僕達は三人とも戦えスリなんて怖くなかったし、何よりも少し火照り食べ物を蓄えた体を冷ますにはこの寒空の下でミスティ家の屋敷まで歩くというのは悪くない選択肢だった。
「あれ、お父様は?」
異変が起きるまでそう時間は掛からなかった。
ヒカリと共に振り向いた背後、夜も更けて人通りが僅かな街中に、ユリアンの姿はどこにもなかった。
- 月夜の下でダンスを 前半 始まり -
「探知する。アメは違う方面で」
「やってる」
凄みを感じさせるヒカリの抑えられた声が鼓膜を響かせる。
近くを歩く足音は五月蝿く、半径十メートル以内にユリアンと思わしき足音は見当たらなかった。
肌を撫でるヒカリの魔力。霧状に散布され、曲がり角には能動的に一つ一つ魔力を走らせるのを確認しながら、僕の鼻は遥か後方でユリアンの匂いが止まっていることを確認した。
「あそこの曲がり角、お父様の緊急信号痕が残されてる」
おかしいと、何かが脳裏で囁く。
一つ一つ組み立てていけば何が狂っているのか把握できるはずなのに、ユリアンが残したリーン家で使われているコミュニケーションに使われる魔力痕が最大限の危険を発していることを確かめたらそんな暇すら無い可能性を知る。
借り物でしかないドレスのスカートに切れ目を入れてどんな動きでも対応できるようにし、その動作の際に衣服で肩の動きが鈍った時点で咄嗟に両脇にも切れ目を入れる。
もし何らかの脅威に立ち向かう可能性が発生した場合はヒカリではなく僕が最大戦力だ。武具の無いヒカリではどうしても第一線から退き僕よりも戦闘能力が劣る、普段とは違い必要ならば完全な肉盾としてヒカリを運用することすら視野に入れるべきだろう。
「一応尋ねるわ、何者?」
大通りから脇道に入り、人の目も簡単には届かないだろうという場所で三名の人間と相対峙する。
一人は黒い布で目を被われ、後ろで手を縛られているのか背中の方へ腕を組んでいるユリアン。
残る二人の片方は月光で輝かせた短剣をユリアンの首元でチラつかせ、残った一人はそれに並ぶよう姿勢を正しながらこちらを見ている……のだと思う。あまりにも入念に外套にフードで全身を覆っているせいで表情一つどころか内側に着た服装の特徴一つ捉えられないが。
「……」
無言でこちらを見ている人間は首を横にゆっくりと振り、ヒカリはその返答をわかっていたように次の言葉を吐き出す。
「ならば目的は?」
その問いに対する返答は先ほどのものより変化があった。
恐らく私物か、壁に沿うよう置かれていた箱からショートソードと盾を取り出しヒカリの手前で止まるように投げてくる。
「ふぅん、真意はわからないけれど決闘と言ったところかしら? 戦うのは私だけ?」
「……」
再び横に振られる首。
「短剣二本を。それに彼を安全な場所まで移動させて、そうしたらあなた達の意図に乗ってあげる」
ユリアンに刃を向けていた人間はゆっくりと壁沿いに彼を誘導し、もう一人の男は僕へと短剣二本を投げてくる。
一度も両名ともの視線が切られることは無く、ヒカリがロングソードとして扱うような大人用ショートソード、それに今僕が手にした短剣がよく馴染む良い物で怒りに似た熱い何かが足元から頭まで込み上げてくる。
「殺傷は厳禁。不慮の事態に備えて両名とも生け捕りにする」
「わかってる」
まるで意味のわからない状況に展開。
入念な相手方の死体からその答えが見つかるなんて思っておらず、必ず生け捕りにして死にたいと思うほど体に訊かねばならない。
「参ります」
「……」
ゆっくりと歩き始めたヒカリに応じるよう、先ほどから武具を投げていた人間は自身もロングソードと盾を手にして歩き出す。
「まったく、丁寧な配慮痛み入る」
「……」
叫びたくなるような声を何とか抑え、僕も歩き出すとユリアンを拘束していた人間もこちらへ向かってくる。
両名ともおそらく成人男性ほどか。立ち振る舞いから相当争い事に手馴れていることは読み取れる。
体格不利、能力不明、状況不利。
ユリアンという人質が未だ動かないのは魔法を扱えなくなる魔道具、魔力枷で拘束されているのか、状況が読み取れないことから不要に動かない判断、あるいは近くに相手の増援が潜んでいるのか。
何にせよ応じないわけにはいかず、相手が用意した舞台の上で精々足掻くしかないようだ。
舞台そのものすら壊してやる――そう意気込んだは良いものの刹那に早く接敵したヒカリと相手の応酬が非常に高次元のものに纏まっていて、僕は自分の相手から目を離してはいけないと悟る。
片方は逆刃に、もう片方は正しく短剣を握る僕とは僅かに違い、二刀流を正しく構えて向かってくる相手。どうやらヒカリ同様先手は譲ってくれるようで、牽制にと突き出した右手の短剣は容易く薙がれ。反撃に繰り出される剣を左手に持つ短剣の柄で叩き上げ見てれば、もう片方の刃は僕の目を掠りかねないほど近くを通り。
どうにか咄嗟に避けつつ左半身による当身で体を持ち上げてみれば、しっかり入ったにもかかわらずまるで手応えの無い感覚に襲われる。本来ならば衝撃で繰り出されない反撃を片手で防げば、せっかく詰めた距離は僕よりも遥かに優れる体格であっという間に離されて――遅れて腹部に強い衝撃。
次に感じることができたのは背中が壁に当たったのだろう腹部に負けじと劣らない痛みに、揺らぐ意識。
ここで意識を手放してはいけない。それどころか一瞬でも相手に自由を与えてはならない。
傷の修繕にも、痛みの緩和にも魔力は使わず、ただ意識を保ち二本の足で立つ為だけに魔法を行使する。
認識できたのはふざけた現実だった。
僕の相手はヒカリやユリアンなどまるで眼中に無いらしく、ただゆらゆらと立ち上がる僕を退屈そうに短剣を回しながら眺めていた。
「……そんなこと、しちゃいますか」
どうやら本当に相手が望んでいるものは決闘そのものらしい。
あくまでユリアンの身柄や、勝負の行方は二の次。
「ならばお望みどおり――」
動きづらい靴を両脚とも脱ぎ去り、今から破けるだろう質の良い靴下で石畳を踏みしめる。
短剣も片方は投げ捨てる。僕の本懐は徒手格闘、普段から常時使おうとしてる武器は短剣一本のみ。
服はどうしても動きづらいし、暗器やらが無いがまぁ誤差だ。あらゆる状況に備え、最善を尽くせる生壊術、どうかその身に叩き込ませて自慢でもしてみたいものだ。
「――全力でっ」
太股を伝う液体の感覚が、内臓をやられるほど強い蹴りだった事を実感しつつ、回復魔法と同時に手の空いた左手で照準を定める。
閃電が発生する直前、一瞬魔力の集まりと、帯電により青白く光った腕が魔法を行使する前に、相手は危険を承知で縮地にて距離を詰めてきた。
当然後ろめたい行為をする中、雷の音による注目は避けたいのだろう。
元々ブラフとして展開していた左腕の構えは即座に解き、僕は背まで足が突き出ん勢いで無防備に宙を駆ける相手の腹部を蹴る。
「乙女の腹を蹴ってんじゃねえ!」
迅速に宙から近寄り、迅速に来た方向へと蹴り飛ばされ引き返して行く敵の体を今度はこちらから縮地で追走する。
共に地に足の着いていない無防備な状態、されどダメージはこちらの方が前で、尚且ついま相手は僕の攻撃に軽い混乱状態。体勢有利、攻撃の機会だ。
「ぐぅっ! よくやる……っ!」
そこでようやく聞こえたのは二十台に乗ったばかりか、痛みのせいか擦れ、あるいは元来そのような声なのだろう。
今にも擦り切れんばかりの、されど深い男の声が言葉を途切るタイミングを呼吸時と判断、不利な状態からも負けじと転じ送られてくる反撃を捌き一撃叩き込み、一撃袈裟斬り、一度打ち付け、最後に容易な的であった太股へと短剣を突き立てたところで敵の足が地に着いたことを把握し距離を取る。
「全く忌々しい。くだらない仕事かと思いきや、見た目不相応に随分と手馴れていやがる。つくづく俺の勘も嫌な方へばかり当たるものだ」
ふとももから短剣を抜き取り、傷を治しながらそんなことを吐き捨てる男。
僕も幾らかかすり傷に、腹部の傷を治しきるためにしばし距離を保ち対峙。ヒカリの方を流し見ると若干彼女の方が優勢らしいことが見て取れた。
「お褒め頂いて光栄です、できればそのくだらない仕事とやらを早々に終える事が今回互いにとって――」
「おい、おっさん!」
無視かよ。
適当に口を開いていたがそれはそれで腹が立つというもの。
訝しげにそのおっさんという声で呼ばれたもう一人の敵へ視線を向けると、一瞬繰り広げられていた攻防が均衡する。
「この状況ならば、もう少し進んでもいいんだな?」
「許可する」
まるで戦闘をしている最中とは思えないほど静かに告げられたその男性の声は、遠いどこかで聞いたことのあるようなもので。
ふとももから抜き出し、こちらへと武器としてではなく返却目的に無造作な放り投げられ方をして飛んで来る短剣に、そっちの物なのに返してくれるんだなぁとふぬけた感想を覚えたところで。
「――っ!!」
弛んでいた糸をピンッと張り詰めたように、全身の神経が痛いほど反応し、尋常じゃない速度、それも縮地などではなく単純に肉体強化のみで成し遂げられる動きに、咄嗟にその速く動く体を押さえようと手を伸ばし、男の――眼帯には被われていない黄色い裸眼が視界全てを覆うような感覚の後、目の前には何も無かった。
時間と次の時間が繋ぎ合わされる僅かな時間、脳内がエラーを吐き出しまくる。
何故あのような動きが実現できる? 既知。
直前まで動的な動きはほとんど無く、ヒカリや返される短剣に注視、それに加え今の今まで手を抜いていたのだとしたら、縮地を上回る速度で行動していると錯覚するのもあり得なくは無い。
そして相手はどこへ消えた? 答る、これも既知であると。
視認できない速度で移動? 魔法で認識障害等が発生している? 全て否だ……!
誤認に錯覚、全て相手が能動的に行ったとなれば僕の視線の動きが最大限硬直したタイミングでどうにでもできる!
下ではない、幸い身長は同年代よりも遥かに劣っている。上でもない、そうであるならば敵が消失する寸前に、深く被ったフードの内側を認識できる事象に説明が付かない。
つまり極至近距離に不意を打ち潜り込む事に成功したにもかかわらず、正面からの攻撃を選ばずに不意を衝くための、僕が行う暗殺者特有の小手先だ。
右か左か。今、短剣を取ろうと伸ばしている手は左で、相手は少なからず僕達のことを調べている。けれどまだ戦闘は始まったばかり、それも正面からの攻防はこちらが不利。
ならばリスクはまだ背負わず、定石である身体の構造上抵抗手段が少なくなってしまう僕から見て左側。ここに賭ける、自分の命を。
動き出した時間、一歩を踏み出す猶予すらない瞬間に僕は短剣を取ろうとしていた左腕を全力で魔力を纏わせながら薙ぎ、無事相手の刃が肌を通さずに冷たい感触だけを伝えてくる現実に少しだけ安堵しながら、こちらへ飛んで来ている短剣を右手で掴み取りもう一つの凶刃を防ぐために鋼と鋼を交じらわせる。
相手に動揺は無く、次も僕の周りを回るように姿を消すだいの大人。あまりにも速い、けれど再び見失うほどではない。
今までより一層動きにキレが出始めた動きを、受けて、避けて、反撃し。
後手に回っている自覚に焦りながらも、不自然に浮いた片手が剣の柄で頭部に打撃を狙って来る甘い攻撃に付け込む。被弾覚悟で、こちらも掌底で返した。
「かっ……!」
手応えは、あった。
頭部を強打され揺れる視界の中、不意の激痛に堪えかねたように後ろへ跳ぶ男を見送る。
十分効果はあったのだろう。翻弄することに気を取られ、今の今まで隠していた破壊魔法は重い相打ち覚悟の一撃で確かに骨と筋肉を引き裂いたのだから。本当は片方の肺を潰すつもりだったが、辛うじてそこは守られてしまったようだ。心臓や脳などの壊れてしまえば即死しかねない箇所以外ならば、十二分に魔力を送り込んでも問題はないのかもしれない。
こちらの敵が徐々に能力を披露しているように、あちらの相手も同じ動きで、ヒカリはそれに合わせて自身の力を出しているようで、既に剣戟の音色は楽器を奏でる上品なものから楽器そのもので殴りつけているような歪な物へと変わり果てていた。
僕は常に全力だというのに酷い話だ。本当に、酷い。
- 月夜の下でダンスを 前半 終わり -




