149.手を差し伸ばしてくれた人へ
幸福な家族は何者にも代え難い。
其れを其れ足らしめん理由は其処にある。
人が生を授かり、初めて選ぶことの出来ない物が必ず出てくる。
親だ。僕がそれを三度目の生で知ったのは、きっと運が良かった方だろう。
- 手を差し伸ばしてくれた人へ 始まり -
「すみません、時間が掛かりました」
もう昼休憩に入るという頃、僕は一滴も残って居ないコップをカナリアに見せ付けて、これ以上この場に留まるつもりはないと無言で威圧して部屋を苦笑いされながら退室してきた。
慌てて使用人二人に合流するものの廊下の掃除は一通り終えて談笑している様子で、二人に加え通りがかったココロを捕まえたのか三人で楽しそうに会話していた。
「あら、お説教はもう十分なの?」
こちらに顔を向けてくるクローディアは上機嫌でこちらを煽ってくる。
ココロと接している所をあまり見た記憶はないが、同性で同年代、ついでに奴隷上がりという同じ境遇を考えたら僕の見えない箇所で十分親しくなっていたのかもしれない。
「はい。そもそも怒られることはしていないので……あまり」
「アメさん、叱られていた、んですか? とてもそんなヘマは……そんな酷い事をしてしまう、ような方では、無いと思うのですが……」
一瞬シャルラハローテのどす黒い部分が見えた気がするが敢えて無視。
「アメさんは違いますもんね」
どう弁明したものかと一瞬悩んだら、ココロが思わせぶりにこちらをチラチラと眺めてくる。
……まぁ別にそれぐらいは構わないか。最悪振って来たココロが緩衝材として働いてもらうことにしようと、僕は大げさに胸を張って腰に両手を当てた。
「はい、僕は他の人とは違うんです。許可を取るより謝った方が楽なので、さっさと好きに行動に移しますっ」
この世の真理かつ渾身のギャグ。
むかつく相手をぶん殴るためにわざわざ上へ許可を取るなど面倒だ。殴った後に慰謝料を払うなり、ユリアンやカナリアからキツイお説教を貰ったり、シィル辺りにでも殴られた方がマシだ。
「えぇ……?」
「…………」
クロは僕を酷く軽蔑したのか人格を疑う様子でこちらをどこか遠巻きに眺め、シロに至っては絶句している。
……親衛隊の人に告げたら半数ぐらいは同意を貰えた道理だが、当然暴力とは程遠い一般人の倫理観には反しているので当然の結果だな!
「……~♪」
見えていたような結果に助力を求めるため振って来たココロに視線を向けたら、露骨に鼻歌を歌いながら視線を逸らされた。理不尽に対する理不尽として一発ぶん殴ってやりたいが、今この場で殴って一般人二名から更に軽蔑されては敵わない。
というか今まで積み上げてきた信頼っぽい何かをこの一瞬でだいぶ崩してしまった気がする。そんなに高くまで積めていた実感はないが虚しさはそれ以上に存在していた。
「そ、そういえば、呼び方って不思議、ですよね?」
「……あぁっ! そうね!! ココロったら年下なのに、アメのことさん付けなんかで呼んで脅され……コホンッ、何か特別な事情でもあったりするの?」
癖で言葉を区切ることが多いシロが本気でどもりながら強引な話題転換を行い、それにクロが……微妙に失敗しながらも続く。腫れ物でも扱うような態度だ、自重しよう。
「そうだねー。私にとってアレンさんは師匠なんだけど、アメさんは師匠に加え恩人というかそんな感じで頭が上がらないの」
その恩人の信頼を先ほどオモチャにしてくれたのはどこのどいつだ。
堪えきれず和服の帯に手を伸ばしたら、予知されていたのか簡単に身を翻して手の届かない場所に移動されてしまった。軽く舌まで出しているので完全におちょくって来やがる。
そこで次どうやって仕返しをしようか考える前に、ココロの二人に対する口調で先ほどの話題転換がそう強引でもないことに気づく。
誰にでも丁寧なシロは置いておいて、クロからしてみれば両方タメ口を効ける僕とココロ。ただ僕はメイド先輩である二人には丁寧な言葉を使うようにしているし、僕が適当な言葉を使うココロは僕に対して丁寧な言葉を使う。
アメ、ココロ、クローディア。
この中から一名でも欠けてしまえば不自然さなどどこにもないのだが、誰か一人が存在するだけで奇妙な力関係が成立してしまう。
クロやシロからしてみれば奇妙な感覚なのだろう。自分の後輩に頭が上がらない友人が居るとなれば。
「少しでも立場が違えばこうしたモヤモヤも抱かずに済んだかもしれないのに」
クロからボソリと聞こえた言葉に僕は頭へ血が一瞬で上ってしまう。
「……なに。仕事、辞めたいんですか? 僕からも進言しましょうか?」
度の過ぎた発言だ――わかっている。
不思議な三角関係に対する発言ではなく、その真意、もし普通の少女として僕やココロと接することが出来ていたのなら――そうだとわかっている。
一瞬の気の迷いが口から漏れてしまった、本心ではない――わかっているのだ。
けれど、わかってしまっているのだ。
先ほどカナリアから聞くことのできた我が子への愛。それが何らかの形でクロとシロには届かず奴隷という立場に落ちてしまった場所から、泥水の混ざり合った流れの速い河水、そこからリーン家が引き上げてくれた事実に"もしも"なんて一石を投じる愚昧を僕は咄嗟に許すことが出来なかった。
「勘違いしないでよね、今の立場に不満があるわけじゃないの。ただリーンの家には申し訳ないって言うか」
周知されていた皮を脱ぎ去り、噛み付いてくる僕に対しクローディアは意外にも冷静な態度で真っ向から言葉を返した。
一瞬熱された心臓に冷や水が届いたが止まれない。"アメ"という存在はそうして生きてきたから、それに反する行為を見逃すことはまるで命令に従うロボットのように、エラーを吐き出した問題に噛み付かねばならぬのだ。
「……リーン家は人手を求め」
声が重く震える。
敵を殺すときよりも重く、一瞬そのような様子を見せる自分に、アレンが同僚に対し子供に対する理不尽な暴力にかつてないほど怒っていた事実を思い出し心が揺らぐ。ごめんなさい大切な人、と。
「あなた達はその仕事に対する対価を貰って生活する。どこにも不満を覚える懸念など、無いと思うのですが?」
睨めば竦み、一歩踏み出せば下がられる。
それでも、自分にも、自分達にも譲れぬものがあるのだと使用人二人はこちらを見ていた。
「わかっている。でもどこか違和感が残り続けるというか……」
歳相応の釈然としない疑問にそれを明言できない言葉遣い。
それに不条理な怒りを覚える僕から二人を守るように、ココロは何か思いついた態度で一歩踏み出して進路を塞ぐ。
「もしかしてだけど、初めに自分を買い取られたお金ってリーン家との間ではどうなってる?」
「買い取られた、お金? それって身分や身柄、人権などそういったものを、含めたものですか?」
「うん」
どうにか応答するシャルラハローテに、何時でも鯉口を切れるよう刀を腰に携えながら、二人には認識できていないだろう魔力を纏わせてココロは横目でこちらを見る。私の友人に何かするつもりならばこちらにも考えがありますよと。
「払ってないと思う……給金から引かれていないのであれば」
「私はアレンさんに払ってるよ。助力を求められて、名目上奴隷として買い取られることが決められた時にでもそう取り決めたの」
そこで何かに気づいたような様子でハッとする使用人二人。
どうやら犯した過ちを正せるようになったようで、それを見る僕の瞳が多少なりとも理性を取り戻せたことを確認してかココロは臨戦態勢を解いた。
「もしかしたらモヤモヤの原因それかも……! ありがとうココロ!」
「うん。既に引かれているかも知れないから払おうとする前に確認すること、それに本当に払うべきなのかリーン家としっかり話し合ってね」
それが河から引き上げてくれたリーン家に対する立場の違和感、か。もしそれが正しいのであれば、随分とココロに似て謙虚な精神なことで。
僕も勝手に暴走してしまって申し訳ない気持ちが徐々に……あれ? その前に何かに気づきそうだぞ?
「アメも……その、悪かったわね。私達を救ってくれた大切な家を蔑ろにするような発言をしてしまって」
「ありがとう、ございます。大切なもの、教えてくれて、本当に」
向こうから一歩、大層勇気が必要だっただろうに一歩踏み出してくれたクロとシロに対して、僕は一歩歩み寄ることができなかった……先に気づいてしまったから。
そんな挙動不審に、動揺してレスポンスの悪い僕を補助するようにココロが肩へ手を回してくる。まるで猛獣を前にした子供相手に怖くないーよとアピールするように。
「アメさんっ♪ どうですか? 今なら二人を許せたりしませんか?」
「あの、その……えっとね?」
わっしゃわっしゃと体を揺らしてくるココロに、僕はしどろもどろな言葉を漏らすだけで何もまともな文言を口にすることが出来ない。
「許すとか許さないとか、うん、まぁその辺はもうどうでも良いっていうか、少なくとも人に何か言える立場じゃないというかね?」
「……どうしたのよ?」
「どうか、されましたか?」
慌てふためく僕にクロ、シロは何事かと怯えなどどこかへ消えたのかこちらの意図を読み取ろうとし、ココロは徐々に青ざめていく僕の表情を至近距離で覗き見る。
「……僕、アレンさんにお金返してないどころか、完全に失念して払おうとすらしてなかった。人としてどうかしてるっ……!」
忘れてた忘れてた忘れてた、それどころか初めから頭に無かった。
僕って人間じゃん? 奴隷ってそれなりに高いじゃん? あ、払う相手である組織からは逃げてここに居るんだ……いやっ!? なんかヒカリが僕やアレンに関する処理や支払いを組織相手に行ったって言っていた気がする!
じゃあリーン家? お金返せばいいのリーン家? 幾らだよ、そんなに金遣い荒いほうじゃないけど、今竜に向けて貯蓄している主要な収入は僕のものだよ? その僅かな余裕から払える額なわけないよね!?
というか金利! アレンに協力してから二年、リーン家に来てから半年以上だから金利がやばい!! 財布の都合で竜が殺せねえ! こうなったら逃げるか? 事が終わるまで逃げちゃう? 何時終わるんだよ、しかも逃げる相手竜を倒すため常に隣居るじゃん、無理じゃん……。
「……くっ、ククッ……!」
「ふふふ……」
思わず覆った手のひらの向こう、見えないけれど逃げ切れない現実からメイド二人が堪えきれず笑い出す様子が聞き取れた。
「可愛いでしょ、私の恩人様。顔色コロコロ変えて、色々な方向見て一体なに見当違いなこと悩んでるのかなー♪」
後ろから手を回されて、穴が掘れない代わりに隠れている手を徐々に引き剥がすココロ。抵抗しきれない、対格差が憎い……!
「ほんとっ! 顔真っ青というか、紫? 無理、これは笑うなっていうの無理ー!」
「アメさん……ふふっ、冷や汗凄いですね、体温高いですね、呼吸満足にできていませんね。でも――クスッ、きっと大丈夫ですよ、大丈夫だと、いいですね?」
この後散々メイド二人にはからかわれ、ココロがどうにかこうにかその場を収める……収める気分になるまでは酷い目に合った。
ちなみに問題の身請け金とでも呼ぶべきお金だが、使用人は生活に問題が無い範囲で少しずつ(採算度外視ではあるが)引かれており、僕のやつはアレンと手紙でやり取りをしていた間から求められる条件を満たしさえすればリーン家が負担するという契約だったそうだ。
慌て損ということをいろいろな人と時間が確かめてくれる頃には、逆ギレする気力も無くただ安堵を噛み締めた。
- 手を差し伸ばしてくれた人へ 終わり -




