144.何かを信じざるを
クエイクの話を聞きに来た教会から外へ出て、手で屋根を作りながら空を見る。日はまだ茜色に彩られておらず、まだ僕が町で動けることを示していた。
シンにクエイク。
この十年間で亡くなった二人を確認し、顔か名前しか知らない人間はともかく顔も名前も覚えている人間の所在はこれで全部確かめられたか。
かざしていた手を降ろし、次の目的地へと足を向ける。
宗教といえば竜信仰。万が一今後僕の姿が目立つことを考慮して、知識を蓄えるならば今を置いて他にないか……気は乗らないが。
概要や基本的な理念は知っているし、わざわざ文字通り真逆を向いて信じる存在へと触れる必要はあるのかと問われれば疑問だが、直接肌で感じ見聞きする情報は何物にも変えがたく、今後どういった次元まで目立つかは予測できないが、僕とヒカリの顔を知られ出入り禁止でもされようならそうした経験は以降得られなくなってしまう。
思わず不安から服の下に隠している武器に手が伸びるが、深呼吸をしせっかく隠しているにもかかわらずそれを悟られるような行為を止める。
何より今は竜信仰の教会が敵地というわけではないのだ。求められるのは軽率な発言をして相手の信条を軽視しないこと、それにえらく趣味が違うからといって相手に殴りかからない自身の冷静さ。必要なのは決して戦うための術ではない。
- 何かを信じざるを 始まり -
事前に訪れると決めていた教会に、僕はドアノブを大きくガコンと音を意識して立て足音を出しながら後ろ手に扉を閉める。
中に居た人間の僅かだけが僕に視線を向けて、すぐさま条件反射で振り向いた首を下か前に戻した。
室内の様子は若干照明が暗めだが、デザインとして意図し落ち着ける造りになっていると判断できるもので、お香か何かが焚かれている室内は単純に安らげる空間となっていた……僕の知識に無い麻薬か何かを焚かれているのでなければ、だが。
他に知っている教会と大差は無く、大人数が座れる長椅子に長年愛されているのだろう少し古ぼけた竜の石造を祭られた祭壇、ステンドグラスは無くどことなく匂いと共に"和"を感じたのは日本人だった僕に対する皮肉か何かだろうか。
「すみません」
「……?」
部外者臭さを全身から出して、入り口付近で一向に佇んでいたにもかかわらず誰にも声をかけられないことに痺れを切らし、修道女だろう少女が荷物を抱え近くを通りかかった際にこちらから声をかける。
「あの、僕、ここ初めてで……説明できる大人の人とか居ますか?」
外見年齢に沿うようなたどたどしい口調を演じ、そう尋ねるがこれまた人選を失敗したかと反応の鈍い少女相手に後悔した。
「……うん、わかった。少し待っていて、連れて来るから」
「はい、お願いします」
少し独特な区切り方で言葉を配置する少女が去っていく姿を見送りながら、椅子を勧められなかった事実に当てつける様二本の足でしっかり立つことにする……見た感じ十四、十五程度だし、そうした細かい気配りは人によって難しいよね!
内心そう自分に言い聞かせながら他の選択肢……乾いた笑顔で会話をする人々や、怒りも悲しみも感じさせず呆然と俯いている人間よりは悪くない選択だっただろうと諦めた。
「お待たせしました小さなお客様。この老いぼれが必要とのことで」
イオセムの教会とは別ですぐさま訪れた酒臭くのない老人に、僕は一目で怖気が走るような感覚を覚えた。
この男性は違う、のだ。他の人間のように死んだ瞳をしていなければ、達人とも呼べる域に達しているヒカリやシィルの纏う武人特有の気が僕を飲み込み押し潰さんと感じられた。
「はい、お爺さん。ここの事や、竜信仰ということに僕は疎くて、少し詳しい人に話を聞いてみたいなぁと」
思わず開いた瞳孔を悟られたくなく、目を細め愛想笑いをすることにだいぶ勇気が必要だった。
幸いにも目を閉じてすぐさま返事は来たし、その言葉も好意的なもので救われた気分だったが。
「なるほど。そういうことでしたら奥へ行きましょうか、そこならば音を気にせずとも良いですし」
「わかりました」
そこで僕は始末されたりしないですよね? なんて僅かに抱いた疑問は口に出さず、先導する老いたにしては背筋の伸びている背中を見て既視感を覚える。
該当するタグを脳内で漁りつつ、人の本能として間近に存在していた事例から思い返していた脳が反応を示す。
あぁそうだ、さっき声をかけた女の子が似たような歩き方をしていた――とても長く、重い何かを得物とするようなそれだけでは収まらない独特な重心の置き方。
槍や戦斧であれば基本的な重心は後ろ足に傾け、必要な時しっかりと両脚で大地を踏みしめる。逆に極端に軽い得物、短剣などであれば重心は前に置き咄嗟に自ら身を動かすことのできる体勢を整える。
今目の前に居る老人と、先ほどの少女は両の足に同等の重い比重を割き、尚且つ咄嗟に動けるような身軽さも兼ね備えている。はっきり言って非効率だ、重い得物で相手ではなく自分が動く前提の姿勢も、実戦に堪えうるだけの両属性を学ぶ労力など。
……そこまで考えようやく思考する意識を振り払う。別に戦いに来たのではないのだ、こうして殺気立ってしまう必要はどこにもない。それに日常での身体制御から戦闘時の動きを予測してもだいぶ大きい的を射るアバウトなものになる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
案内されたのは丁度人が居なかったのか休憩室のような場所。
簡単な調度品に囲まれ、木製の長時間は座れなさそうな椅子を勧められ腰を下ろす。
「緑茶は飲めますかな?」
「えぇ」
老人は意外にもすぐに腰を下ろすことは無く、棚を簡単に漁り真っ先に目に付いたのか珍しい飲み物の名を口にした。
ココロがレイニスへ来てから普段着ている和服に刀もそうだが、基本西洋的な国であるリルガニアにおいて和風な文化は色が薄く探せば見つかるが探さねば見当たらないような珍しい部類に入る。やはり竜信仰はそういった和の文化を受け継いでいっている希少な存在なのだろうか。
「どうぞ」
「頂きます」
暇で室内を観察していた様子を止め、魔法で簡単に淹れられ出された緑茶に口を付ける。
コップの縁に唇を当てて一度、香りを間近で確かめ二度、舌が液体に触れて三度、口の中で緑茶を転がして計四度、毒が含まれていないかを確認する。
……先ほど殺気立たないようにと意識したばかりだがこればかりは仕方ない。自分が用意したものや、ヒカリの私室で食べるもの以外は基本的に無意識にこうして警戒してしまう。一度毒でえらいことになってしまったし。
「どうですかな、味は」
「普段飲まないものでとても新鮮です、香りが独特である種の心地良さも覚えますね」
特筆して美味しいかと問われれば否だが、悪くない部類。
勝手に懐かしさを覚えているのも加点の一つか……前の世界では緑茶なんてあまり飲む機会は無かったが。
「それは良かった」
心底満足気に頷き、自身用にと用意したコップへと口を運ぶ老人。僅かにではあるが無言で緑茶を楽しむ穏やかな時間が流れ、一頻り楽しんだ後相手が口を開く。
「それで、どういった事を知りたいので?」
「概要や簡単な教えを信じる人々の口から直接聞いてみたいなぁと」
「ふむ」
僅かにそうして相槌による時間が過ぎるのを僕は黙って見届ける。
「我々が信じるものは竜、そしてこの建物は同じ志を抱く同胞が集まる教会。掲げる宗派名は単純に竜信仰と銘打たれておりまする」
話の触りを僕は無言で頷き先を促す。
「竜を信じるということは、竜が成す全ての行為を世界にとって良い物として解釈することにあります」
「二百年ほど前の戦争、その勃発も良いものだったと?」
「えぇ。伝え聞く伝聞が正しければ、人間という種はこの世界を容易く壊せる能力と、欠けた倫理観を備え、自然の摂理を自らが都合の良い方へと軽い気持ちで歪めていたことが窺えます」
「そうした行いを戒めるために戦争が発生し、そうした理念や能力も持っていない関係のない人々まで犠牲になった」
「死して然るべき人々だった……そうとまでは言い切りませんが、度の過ぎた物事を正すためには仕方のない犠牲だったでしょう」
ここまでは特に大きな異論は無い。
世界を、大陸や惑星といった次元ではなく、宇宙や想像も付かぬそれ以上の枠組みで人間が好き放題していたと僕は見ている。
それが事実であるのであればあくまで僕の主観ではあるがやり過ぎている段階に到達しているし、人種といった枠組みが壊れていたのであれば人間という種を抑えるには超常的な調律者と呼ばれる天使や神などに分類される上位的存在や、自然界で今なお頂点に君臨し続ける竜という人とは別の存在が干渉するほかない。
「竜が俯瞰を続けるというのであれば世界は正しく動いているのでしょうし、生きるために不要な殺傷が行われた場合は食物連鎖という単純な循環が壊されないために必要なものでしょう。
食物連鎖の三角錐、その頂に佇む存在が全てを見渡し、制御することこそ世界の歩むべき道筋。それが竜信仰の礎です」
「……愛するものが、その礎の土台にされたとしても、ですか」
「えぇ」
その重い同意には老人の酷く複雑な感情、言わば愛憎とも呼べるような歪な物が見え隠れした。
「竜の判断が間違っていた場合は」
「同じ竜という種が互いに正しあうでしょう」
「――人という種が抗える余地があるにもかかわらずっ、試みる前に諦めることは竜を信ずるという行為に含めるのですか!?」
一線を踏み越えた問いに、対面する老人は冷静にコップを鳴らしてテーブルに置いた。
「お茶が、冷えてしまいましたね」
その言葉に、僕は冷水を心臓に注ぎ込まれたような感覚を覚えた。
手のひらの感覚がなくなるほど強く握られた拳の指を一本一本意識して解く。
ここで新しいお茶を要求できるほど冷静さは欠いていない、冷めた緑茶とは違い僕の心は火照り止まないのだから。
「……取り乱してすみませんでした、今日のところは帰ります」
それだけを告げ、視線を老人へ合わせられないまま僅かに温もりを残している緑茶を流し込むよう飲み干し席を立つ。
「人は弱い生き物です」
「……?」
見送りのために立ち上がる気配のない老人を置き去りにし、さっさと部屋から、建物から出よう、そう思っていた背中にそんな言葉が投げかけられ、思わず振り向く。
とても、優しい瞳がこちらを見ていた。
「あなたのように戦う術も、不可能に立ち向かわんとする歪ながらも強い志しを持っている人は少ない」
だから、祈るのか。
心を殺し、仮面を被り傷を舐めあい、もう二度と自身に災いが襲わないようにと災いそのものに。
「どころか、半端ながらもどちらかすら有する人ですら少ない」
そう言われ、思い出す。
街中を歩く人々を。
郊外で護衛をつけて商売に勤しむ商人を。
その商人を守りきれない護衛、町に馴染めず護衛や獣に散らされていく野盗、私欲のために命を賭ける冒険者。
町を守る警備隊も、国を守る騎士団も、主を守る貴族の私兵も。
あるいは竜を倒し名を挙げようとする幼い子供、世界を守ると誓って止まない夢想家。
――そのいずれかを、一つでも僕は責めることはできるのだろうか。ただの妄執に狂った復讐者でしかないのに。
「それでも、目指すのですか?」
胸を張った。
「それでも、不可能へ立ち入ろうとするのですか?」
瞳を見据えた。
「それでも、誰かの信ずる神を堕とそうと言うのですか?」
頷いた。
「はい、それでも」
「ならば願うは、どうか我々の目が届かない場所で」
- 何かを信じざるを 終わり -




