138.初めまして、ひさしぶり
「アメ、暇? なら今日こそ行くよ」
もう一人、ヒカリの私室へノックをせずに入ってくる存在がやってきて、はしたない体勢を責めることも、にべもなくそう告げられた僕は余程酷い顔をしていたのだろう。
僕は咄嗟に返答できず、代わりにその表情をよく見ていただろうジュバルツがふんと鼻で笑っただけだった。
「大切な事を十年後回しにしたら十年の心配になるけれど、今終わらせるとね十年の思い出になるんだよ」
「……それが上手くいったらの話ね。失敗してしまえば後悔が十年分増える」
どこに行くかは言葉にされずともよく理解されている。
早々に訪れなければならないと理解しながら、僕はそれを避けるようにヒカリが会話をそちらへと動かすたびに話題を逸らしたり、その場から離れていた。
今日も上手いこと避けれたと安堵していたところでこれだ。シュバルツが何か合図などを出している様子はなかったので、ヒカリは僕が避けていることを知っていて逃がすつもりも無くこうして入り口に立ちふさがっているのだろう。
「わかったよ……」
これ以上抵抗しても無駄だと悟り、僕は大人しく靴を履いて歩ける態勢を整える。
そもそも明確に互いの間で言葉が交わされたことは一度もなく、何が今日"こそ"なのか本来はさっぱりなのだが僕達の間ではそれが通用する。
それと多分シュバルツも理解している様子だ。僕とヒカリの間の関係を理解しているのではなく、敬愛する主に興味が注がれるせいでついでに僕の分析も進んでいるのか。
「俺は不要ですよね?」
「えぇ。会いに往くのは私達の旧友なのだから少なくとも今回は必要ないわ」
僕はヒカリと肩を並べ、一度だけ振り向き言葉を発した。
「そういうことだから事務処理頑張ってね、シュレーちゃん」
「……自責に溺れて来い、ろくでなし」
僕の八つ当たりに同じ穴の狢を見るような視線をいただけた。多分間違っちゃいないと思う。
- 初めまして、ひさしぶり 始まり -
「エターナーは居る?」
「あら、今日は午後から休みよ彼女。タイミング悪いわね」
ヒカリの質問に案内所の職員が答える。
相変わらず王政の施設とは思えないタバコや飲食物の臭いが反対側の壁から漂ってくるし、今目の前に居る職務中におしゃべりを楽しんでいる女性も以前よく見ていたあの二人と変わりがないと思う。よく顔を覚えていないけれど。
いつもむっつりとした表情で一人座っていた職員はカウンターの席には居なかったが、奥のテーブル等の調度品が集まっている箇所にはそれらしき人物が居たので人材もあまり変化がないのだろう。流石に十年以上経っている人々の顔なのであまり自信はないが。
「おっしゃ、今日はそういう日じゃないのだろうから帰ろうよ――」
「――速やかに伝えるべき用件なので、どうにか今日中に連絡を取れないかしら」
僕の逃げ口実を遮りヒカリは強引に話を進める。
相手のおしゃべりな女性は少し口を噤み、ヒカリの瞳の奥を覗き見る。
あくまで身分を明かさず事を進めようとしているヒカリの容姿に見覚えがあったのか、それともどれだけその僕というふざけた存在を携えている少女の言葉に真剣さが篭っているか汲み取ろうとしたのか。
「彼女が懇意にしている宿があるの。よく空いている時間はそこで時間を潰しているようだし、もしかしたら今日も居るかも。ただそこに居なかったら流石に本人の了承を得ずに自宅の場所を教えるわけにはいかないし、また明日にでもここへ来てね」
「わかったわ。宿の名前は?」
念のため確認。そのように聞き出した宿の名前を僕達は耳を素通りさせ、礼を告げて案内所を出る。
向かうは街の西。冒険者用の施設が密集している箇所だ。
「懐かしい場所。偶然、それとも因果と言うべきなのか」
聞いた名前は慣れ親しんだもの。
そこに向かうまでの道程や、街並みも所々変わっているものの大きな差は見当たらずそう呟いた。
「それを言うのなら必然じゃない? 送り出した子供達、それもアメにはエターナーは特に親しい様子だった。そのみんなが帰ってこなくなって、みんなを知る人々が集まる場所やその残り香がある場所に惹かれるのは」
ヒカリの言葉にしばらく無言で歩を進める。
エターナーの気持ちはどうだっただろう? 考えるまでもない。もう既に考えたくないのに、考える必要がないほど想像してしまったことだ。
僕達が騎士団支部へ向かったあと死んだと思っていたときで既にかなり憔悴しており、スイとジェイドは死んだときでもかなり傷ついており、その後僕達は竜に立ち向かって死んだ。
エターナー自身竜に思うところがあることは十分日々触れ合うことで理解できていた。その竜にアメとコウは殺され、ルゥは自身が仲介した偽の依頼で死んだ。
帰郷する前一度ユズと出会ってしまっている。そこから僕達の状態に様子、依頼主の動きを脳裏に描けば自身を中心に何が起こってしまったのかを知るのはそう難しいことではないだろう。
「苦しい?」
無言で胸に手を当てているヒカリに僕は尋ねた。
「うん」
そう返って来た。
僕も胸は苦しかった、けれどヒカリが感じているそれとはベクトルが違うのは既に理解していた。
「懐かしい、私でもそう思う。記憶にしかなかったその人々、今から会いに往くと考えたら嬉しい、そう感じているんだと思う」
不十分な記憶を引き継いだだけでもそう思える。錯覚じゃないよって僕は言いたかった、魂はあるんだって。
「僕はつらいよ。自分達が行った結果がそこにある、そう考えてしまったら」
「大丈夫だよ、アメ」
慰めるどころか不安を零してしまう僕をヒカリは責める様子もなくそう言ってくれた。
「アメは物語の主役なんかじゃない。アメが居なくとも世界は回る、みんなは生きている」
きっと、皆は支えあって生きている。
僕が居ないところでも笑って泣いて、多分顔を知っている人間でも僕が救えるような人々の方が少なくて。
「……なら行かないとね。主役じゃ決してやらないような悪巧みを目指す第一歩に」
僕は物語の主人公じゃない。
好きに生きて、好きに殺して、不条理の中死ぬような人間だ。
竜を殺したいなんて夢もただの醜い復讐でしかない、英雄になりたいなんてこれっぽちっも思っちゃいない。
まだ消えきらない不安を押し殺し、ヒカリに精一杯不敵に微笑んで力強く大地を踏みしめた。
そんな気持ちも宿の扉を潜る頃にはほとんど消えており、僕はヒカリの後ろへ隠れていた。
背が低くて初めて良かったと思う。こうしてヒカリの背中に隠れたら僕は彼女が見ていいよって許可したものしか見なくて済むのだから。
「ほら。アメが行かなきゃ」
僕が思い描いたただ甘えさせてくれる優しい存在は現実に居るヒカリに即死させられ、前が見えるように体をずらすどころか引っ張られて前に押し出された。
「いらっしゃーい。お二人さん?」
僕は、自分が思っていたよりも現金で、直情的な人間だと改めて理解した。
来客にオレンジ色の髪が遅れふわりと浮きながら僕達を迎えてくれた女性、出てきた裏に近いカウンターの隅へと座って黙々と本を読み風景に馴染んでいる、まるであの日から姿が変わっている様子のない機械的、あるいは人形的な表情を浮かべている女性。
僕は知っているのだ。その人達の名を、感情を表に出すのが苦手なだけで人並み以上に感受性豊かなその本質を。
「ご、ごめんなさい……客ではないのですが、そちらの女性に用があってここへ訪れました……」
声は震え、舌は回らない。それでも、それでも僕は言葉を最後まで吐き出す。必要だったから、そうしたかったから。
しどろもどろだったのも自責からではない。ただ目の前に、親しかった人々が再び元気な姿で顔を見せたら溢れんばかりの感情を抑えるのに手間取っただけだ。
そんな挙動不審な僕を優しく見つめ、ユズは女性が座るカウンターテーブルを無言で二度コンコンッと叩いた。
それだけの動きで女性は没頭していた本から顔を上げ……おそらく既に何年、十何年と慣れ親しんだ合図だったのだろう。目の前に居るユズへ視線をやり、その彼女が僕達を見ていることに気づきこちらへ視線を向けてくる。
「あっ、あの――!」
声が霞み、遂には消える。
あまりにもあの日から女性の姿が変わっていなかったから。あの日とは違いあまりにも穏やかに、この宿へ居付いている様子を見せたから。あの日とは違い、特別な視線を僕に向けることはなかったから。
背中が優しく押された。
その手も震えていたと僕は感じた――故に、踏み出せた。足はそのままに、次の場所へと。
今背中に居るヒカリは僕が引っ張らなければならない。あの日々コウをそうして連れていたように、今、コウとは違い誰にも共感できない自身の感情を整理しきれず苦しんでいる彼女を守るために。
僕は、呼んだんだ。女性の名前を、十何年ぶりに、初めて。
「エターナーさん! ある日、女の子から貰った本っ! 魔法の基礎や、その応用として雷について書かれていたその子手書きの本! 誰かに渡したり見せたりしたことありますか!?」
一番シンプルで、それでいて不安定な手法。
正直あの本をエターナーが自分の手元から移動させている可能性は十分にあった。この五分五分ともいえる可能性に負けたら、僕達はまどろっこしい手順で前に進むしかない。
「え、えぇ。そういった本はありますけど、誰かに渡したり見せた記憶はその少女以外にはないです。
そもそもどなたかは存じませんが、どうしてあの本の存在を知って……」
「"どうか僕と同じように雷で踊ることがないことを願う"」
エターナーの言葉を遮り僕は詠った、一つの文を詠った。
ユズは黙る。何が起きているかわからないために。
ヒカリは黙る。自身の感情を整理するため、僕の行く末を見守るためだけに。
エターナーは黙った。何が起きているかを理解するために。
僕も、黙った。あたりを包む沈黙が、失敗の証ではないのかと怯えてしまって。
「……僅かに文面が違うもののそれは、あなたは、彼女の……?」
認められた。
僕が口にした文章は正確ではなかったのだろう。
けれど本質は違えていないと知り、エターナーはかつて見せていた親しみを半分だけ見せて僕を見る。
彼女の知り合い? 友人? 恩人? そんなところで止めない。僕はもう半分も奪い取ってみせる。
「僕、名前アメって言います。初めまして、エターナーさん。あの日から十年以上経っているのに、お変わりが無い様子で」
ユズと違い、一切の老いや成長といった様子を見せない女性を呼んだ。
僕は、抱きしめられた。
はらりと一つ流した雫を散らしつつ、駆ける様に、跳ぶ様に、踊る様に、まるで鳥から抜け落ちた一枚の羽根が、窓を開けたとき風に吸い込まれ本来在った場所へ還っていく様に、僕に近寄って優しく抱きしめたのだ。
「初めまして。そして、お帰りなさい、アメ。あなたは随分変わってしまった様子で」
何時かとは違い、抱きしめてくれる彼女を僕からも少しだけ優しく抱き返した。
同じように泣くことのできない自分に申し訳なさを込めながら、エターナーが落ち着くまでの少しの間。
- 初めまして、ひさしぶり 終わり -




