137.灰燼から生まれいづる
「やぁアメちゃん、仕事? お疲れちゃん」
「え、あ、はい。ゴミ、ありますか?」
リーン家の屋敷は分煙だ。
僅かな建物一つずつにだけある喫煙所と、室外で許された箇所だけのみ喫煙が許されている。
その屋敷の喫煙室に赴くと、シィルが一人紫煙をくゆらせ寛いでいたので思わず動揺して反応してしまった。
大体喫煙所はコミュニケーションの場になっており、入る前から人の気配は感じ取れるのだが今回は完全に声が聞こえなかったから油断していなかったのか、あるいはシィル本人が卓越した隠密技術を備えているのか……後者ならば能力のみで親衛隊隊長を任されているのは伊達ではないのだろう。
「いんや、昨日屋敷中のゴミかき集めてたでしょ。ほら、灰皿の中も空っぽ」
そういえばそうだった。
そのかき集められたゴミを、少し早く動けるからと今朝一人で全て片付けたのは他でもない僕自身だ。
「それにしても相変わらずえっちな服装だね、お姉さん興奮しちゃう♪ ほれほれ、奉仕してもらおうかねぇ」
空いている手で僕の体を抱え上げ、器用にもそのまま布のない脇をくすぐるシィル。
「あははっ……って何してくれてるんですか。やめて、やめろっ!」
一向に終わらないセクハラに痺れを切らし、僕は踵をシィルの足へと振り下ろす。
服の上ならばまだしも、肌を直に触られれば洒落になっていない。
「もー、そんな格好しているほうが悪いと思うんだけどなー」
そう言いながら煙を吸い込み、溜まった灰を灰皿へと落とすシィル。
「タバコ、吸うんですね」
文明の発達具合が前世より劣っている分タバコ自体も、タバコから受けた影響を緩和する術が無いことも軽視できない。
ただそれは魔法を扱えない人々に限っての話だ。
能動的に魔法を扱えさえすれば体に影響を及ぼす毒は全て排除できる……と一般的には言われている。
それでも魔法を扱えない人々には害はあるし、そうした人が不調を訴えることを避けるために分煙や禁煙、それに加え女性は胎児への影響、単純に体臭を気にするせいで喫煙率が少ないイメージだったので、こうして身近な女性がタバコを楽しんでいることを見ると少しだけ物珍しい感慨がある。
「うん。煙が肺を満たす虚しさ、吸った分だけ落ちる灰。堪らないね」
その言葉が真実だとするのであれば、彼女はタバコというものを少し穿った楽しみ方をしているようだ。
「ルナリアのやつはこれがわからないって言うんだから人生損していると思うんだよなー」
「はぁそうですか……ルナリア? え、どこのルナリアですか?」
戯言を適当に聞き流し、この場から去ろうとした僕の耳に飛び込んできたのは懐かしい名前。
「ん? どこのって、奥方の姉、ミスティさん家のルナリアだよ」
「どういう関係なのですか?」
呼び捨てどころか、何かその名前を呼ぶときに懐かしい、まるで古くからの旧友を口に出すような反応を見せたシィルに詰め寄る。
「おおぅ、珍しく積極的だね。
そもそもあたしがここに来たのがルナリアの紹介でさ、ここに来る前は二人で冒険者をえーっと何年ぐらいだ?
まぁそんぐらい適当につるんでいて、妹が嫁いだ家が兵隊欲しいって言っているらしいからあたしがここに来た感じ」
「とうの本人は」
驚いたようにまともに開かれたシィルの瞳も、すぐに何事もなかったかのように瞼で覆い隠された。
「さぁ? 最後に連絡取ったのも大体その時期だから、年単位で顔を合わせていないことになるね。
ま、どっかで生きてたらいいね。冒険者に興味が湧いたからって貴族の家飛び出してさ、実際長い間前線で生き延びるって存在自体がおもしろいわ」
それから少し、シィルが語るルナリアとの思い出を黙って僕は聞いていた。
曰く身の丈ほどある剣で獣を両断し、二人して一振りで何匹同時に屠れるか競い合ったり、基本女二人で生活する中言い寄る男も少なからず、二人してその気を見せてはもどかしい部分でとんずらしたり。
商人の護衛が暇で次は別の仕事を受けようと依頼主の前で盛り上がり、報酬を減らされた腹いせに商品を幾つかばれないようかっぱらったり、はたまた無報酬で袖の触れ合った人間の人助けををしたり。
金が溜まれば武器を新調したり、遊び歩き、たまに未発見の遺跡がどこかに無いかと何週間も野営を続けた。
どれもが無茶苦茶で、楽しそう。そう思える二人の生活。目を瞑ればまだ幼かったルナリアが瞼の裏に映る。今はもう二十代後半か、何にせよあのルナリアならやりかねないような武勇伝、それに今もどこか一人で暴れまわっているのだろうという確信。
「それはもう退屈しない日々だったなぁ……うん、思い出したらまた二人で冒険者という日々に戻りたくなる」
「いや、立場考えてください立場」
思わず止める。
ミスティ家の長女に、リーン家親衛隊の離脱のきっかけを僕が行ったと知られればそろそろカナリア辺りに真剣に怒られる。
「ウソウソ。立場はどうでもいいんだけどさ、ここでの生活も気に入ってるんだよね~。
確かに刺激は少ないけどさ、周りはおもしろい家に釣られて寄ってきたおかしな連中ばかりでさ、これからなんて誰かさんが爆弾を抱えてきてくれたおかげで楽しみで仕方ないよ」
爆弾を見る目で見られたら、流石に肩を竦めるほか無くて。
ガチャリと後ろの扉が開く音に僕は感謝するほどだった。
「ん、アメか。一服か?」
「いや、僕が吸わないこと知っているでしょう」
思わずそんな冗談を言ってのけるアレンに突っ込んでしまう。
「アレンさんこそタバコ、吸うんですか?」
施設に居た時は他の大人達が所構わず吸っている中、アレンさんが吸っている所は一度も見ていなかった。
「最近、な。結婚する前は吸っていたんだが」
結婚し、ようやく落ち着けるようになるまでは吸わないようにしていたということだろうか。
妻と娘の死を受け入れることができた、もしくは決別の意思をしっかりと抱くため。
「よー新入りのおじ様! まさかあたしを連れ戻すためにここへ来たのか!?」
シィルは演技がかった口調でアレンに対峙するが、その当人は既に懐からタバコを取り出し煙を吹かしている。
「まさか。お前が消えていることに気づいても誰も探すつもりなど無く、今はもう休憩の時間だ隊長殿」
仕事中だったのかよ。
「なんだと。こうしちゃいられないねぇ、あたしは今の内におやつ食べてこなきゃ!」
そうしてシィルは火を灰皿に押し付け、喫煙室を飛び出して去っていった。
まるで僅かに見えた重い空気から逃げ出すように。
「……アレンさんはどうしてタバコを吸うんですか?」
「格好良いと思ってな」
誰かタバコそのものを楽しんでやってくれよ。
- 灰燼から生まれいづる 始まり -
「ん、アメか」
ヒカリの私室へ入るとシュバルツが一人書類と睨み合いをテーブルで行っており、来客を迎える様子も無く視線をこちらへ向けただけでそう言い放った。
多分この部屋へノックをせずに入るのは僕とヒカリだけなのだろう。そして部屋の主は見当たらない。
「ヒカリは?」
「主は諸々の処理だ、しばらくは帰って来ないだろう」
「そっか」
「……座らないのか?」
ヒカリに会いに来たわけで、その当人が居ないのであればこの部屋に留まる必要もないかと悩んでいると、シュバルツがあたかも座らないのが不自然な反応を見せたので大人しく対面のソファーに座ることにした。
いい歳をした青年と二人きり。不快感や居心地の悪さを覚えることもコイツには無く、ドキドキしたりといったプラスの感情も胸にはない。
あるのはただヒカリから押し付けられた事務仕事を、僕という存在がここに居ることで妨害しかねないのかというあまり重要ではない懸念。
……使用人、というかメイドの面々にはこの口や目付きの悪い執事は結構人気らしく、僕が親しそうに接することを羨む人も少なくなかった。
という事はこの状況、何か優越感とかに浸り誇れば良いのだろうか? いや、ないな。本人にその意図が全く無いのもそうだが、女として生きるのは慣れてきたが、女として異性を意識しろというのはまだ僕にはレベルが高い。
「どうした、人の顔をずっと見て」
「いやぁ、女の子に人気なようじゃないですか」
何も考えず思っていたことが口から出る。目的も意図も感情も無い。
「そうらしいな。俺みたいなろくでなしはお勧めしないのだが」
同様に何の感慨も動揺も見せないただ事実を述べている返答。
こういった会話に意味が無いわけではない。時間潰しにはなるし、ふと話題がおもしろい方へ発展した時には少しは楽しめるだろう。現に今シュバルツは、作業を行っていた手を少し止めて再び口を開いた。平行作業を行えないほど何か思うところがあったということだ。
「こういった斜めに構えている点含め、年頃の少女には魅力的に映るのだろうな」
「さぁ? どうだろ」
年頃の乙女……ではない僕は何も言えず、適当な返事をしながら靴を脱いでソファーに寝転ぶ。
肘掛に頭と足を乗せようとした所、身長が足りず片方が叶わないと知り大人しく上半身だけを乗せることにした。
自身の敬う主人の部屋で、自室で行ってもはしたなく見咎める様子をシュバルツはただ興味深そうに見ていただけだった。多分ヒカリが怒らない行為は彼も怒らないのだろう。あるいは人の目が無ければ構わない、本人が自称した通りろくでもない人間性には問題と映らないのか。
「そういえばどういった人生を歩んで、今ここに居るの?」
「……言ってなかったか」
「うん。元? はテイル家に仕えていたぐらい」
その言葉にシュバルツは一旦作業を中断することにしたのか、書類をたたみこちらを見据える。
僕は特に何もしなかった。話が長くなるというのならば尚更楽な姿勢は崩したくない。
「幼い頃にテイル家の私兵だった親を失ってな、それからはテイル家に暗殺者としての技術を叩き込まれて育てられた。
そして実際にここへ送り込まれたあの日、二年前か。丁度この部屋で完膚なきまでに叩きのめされてな、主が遺言を残すために与えた時間で俺は女々しくも独り言を続けたわけだ。
『自分よりも幼い貴族の少女に負けた俺の人生はなんだったのだ、このような人の下に仕える事ができたのならどんな人生だったのだ』と」
「ふむ、それでヒカリがその言葉を拾ったと」
「あぁ」
どこの世界に自分を殺しに来た人間を手中に収めようとする存在が居るのだろうか。
そして長い間テイル家に植えつけられた強迫観念のような殺害欲求を抱いた相手に、死の瀬戸際とは言え仕えたかったと告げさせるほどの魅力を見せた等。
「でも条件があったんだよね」
無条件にはい、じゃあ今から私の下で働いてね。そう告げるほどヒカリは馬鹿ではないはずだ。
何か取り決めがあって、今こうした信頼関係を築くまでに至ったに違いない。
「あったよ、一つだけな」
そう言ってシュバルツは上着を脱ぎ、白いシャツのボタンを外して袖を大きく捲る。
思わず見えたものには息を呑み、横になっていた姿勢を正して体を起こす。あまりにも酷い火傷がそこにあったからだ。
一部は黒ずむほど焼きつき、火傷をしている部位全体も損傷が酷く、固くなった皮膚が肉の代わりに抉りこみ、骨や筋肉をよく見えるほど阻むものなく触れている。
その火傷跡が小さな手のひらの形をはっきりと残していたのもそうだが、魔法を扱える人間が敢えてそれを残し、どこか愛おしさや誇らしさを見せる表情で今傷跡を撫でている様子に恐怖を抱いた。
「まぁ拷問だな。主の手のひらから熱を送り、この腕を炙るような火刑。
主は言っていたよ『私の知る人間は、その痛みに堪えて見せた』と。今ならばそれが誰かわかる」
十分に見せたと身だしなみを整え、こちらへと視線を向けるシュバルツ。
「……それ、どのぐらいの時間焼かれたの?」
「さぁな。数分の段階ではなかったことだけは確かだろう」
「初めてウェストハウンドと戦ったとき、自分の腕を燃やして時間を稼いだけど、一分にも満たない短い間だったよ?」
今度はうつ伏せに体を寝かせながら視線はシュバルツの方へ向け発した僕の言葉に男は心底おもしろそうに笑う。
「命の危機に瀕したといえど、自らの腕を燃やす人間がどこに居る?」
「一目惚れした人間に信頼されるために、一時間前後も拷問に堪える人間がどこに居るのさ」
問いかけを敢えて問いかけで返した。
狂っている。素直に僕は目の前の青年を見てそう思ったし、多分彼の瞳に映る僕もそう思われていることだろう。
「さぁな。望んでいる神が目の前に降りて来た……いや、お前は無信仰者だったな。この例えは不適切か。そうだな、世界が裏返ったとでも言うべきか。
まるで自分の体がベロンと捲れ内臓を吐き出し、白かったものが黒くなり、天と地が覆るような感覚をその時に得たのだ」
「まぁ言いたいことはどっちの例えでもわかるけどさ、それでもそんな長時間堪え続けるって流石に無理でしょう。僕も痛みに強い自負はあるけれど、体が燃え続けるような感覚は十分も得れば死にたくなるよ」
「その瞬間は完全に飛んでいたのだろうな。今思い返して見れば永劫にも思える時間を、必死に目の前に居る存在に認めてもらうため何とか堪えていた記憶しかないが」
永劫にも思える苦痛。
思わずレイニスを目指した冬の行進や、三度目の生を得るまでの不思議空間での時間を思い出した。
ただその二つも、実際に劇的な苦痛を伴う一時間と比べたら大したことがないように思えてしまう。
いや、隣の芝生は青い的なやつで、味わったことのない苦痛は想像するだけで恐ろしいのだろうか? 意外と同じ経験をしてみれば二人共の感想は似通ったものだったりするのかもしれない。
「まぁそうした時間を得て実際に手元に置くことを許され、主以外にも何とか信頼されるに至っている。が今だろうか」
「テイル家に名目上は所属している的なことを言ってなかったっけ?」
「あぁ、合っている。俺が裏切り者としてテイル家に処罰されないのは情報を定期的に流しているからだな。あるいは主の近くで信頼を勝ち得て、寝首を掻かんと期待しているのか」
「情報は渡しているんかいっ」
思わず聞き流しそうになった事実に上体だけ起こしツッコむ。
「調べればわかるような事柄だけ……ではないかも知れないな。何せあからさまにマズイ情報以外は適当に望まれるがままに渡しているせいでよく区別が付かない。何にせよ主なら俺が齎した災いにも全て対応するだろうさ、現に今まではそうしてきたのだから」
無茶苦茶な理論だが、あの実際に殺す気概で戦ったにも関わらず死ぬ気配がまるで見えなかった無茶苦茶な存在にはそれも通用するのだろう。
あの理外に位置する存在は置いておいて、シュバルツが流した情報が元で、例えば私兵の動きがはっきりと伝わった結果待ち伏せされて誰かが死ぬ、なんてことは避けようと心に誓った。
- 灰燼から生まれいづる 終わり -




