134.音の鳴らない銅鑼を鳴らす
「二人共、そろそろ起きてはいかがですか」
隣の部屋が開く振動に意識が浮上し、扉の前に立つ気配に目覚め、ノックとシュバルツがそう僕達に告げる音で目を覚ますことに決めた。
並んで寝ていたヒカリを見ても僕より若干遅いながらも既に覚醒しており、僅かにでも明晰に意識を持っている僕が返事をする。
「すぐ行く」
ヒカリの服装は寝室着。
流石に長時間ここで過ごすと決めた段階で楽な服装に着替え、まぁ人に見られても問題ない服装なので落ち着くまでこのままでいいだろう。
対して僕はいつもの普段着。露出が多く、動きやすいという服は寝るにも適している。若干肌寒いのが問題だったが、隣に湯たんぽ代わりの存在が居たので問題なしだ。
「うわっ、もう日が高い……」
というかこれ日が天辺から落ち始めているのだろう。
未だ少しふらふらしているヒカリを定位置に座らせ、寝癖の付いた髪を手櫛で適当に解しながらシュバルツが用意してくれた軽めの食事を横目で見る。
なんというかヒカリがこんな様子、言うなれば惰眠を貪った後のような反応をしているのは少し意外。
もしかすると久しぶりにただ睡眠を貪ることを決めた精神状態に陥れたのかもしれない。もし僕が理由で、その推測が正しいのだとしたら少し嬉しい……これからそういった平穏な日々からは更に遠ざかるのだけれど。
「ヒカリはどうして髪を長くしているの?」
「……動く時、風を受けて靡く感覚が気持ちいい、の」
その言葉に僕はそっかと、曖昧な反応で食事を取る。
僕もヒカリのように背中まで髪を伸ばして……もとい伸びていた時期があったが、特に良い感想など無く、動く時に邪魔、手入れが面倒と嫌な記憶しかないので共感はできない。
「今日はどうされるので?」
まずはヒカリの紅茶を淹れ、次に僕の紅茶を淹れ終えた時点でシュバルツはそう尋ねる。
今日も良い塩梅だ。百点満点とはいかないがその日の気分や言語化の難しい好みでシュバルツがその点数にこれ以上近づくことは難しいし、彼より技術の劣る僕がその日時々に自身が求める理想を生み出すこともできない。まぁ実質百点というわけだ。
「食後落ち着いたらアレンとココロを呼んで五名で会話をすることがある。あの二人も、ようやく自分達がどこに居ていいかわかる日が来たのだから」
- 音の鳴らない銅鑼を鳴らす 始まり -
「失礼します」
珍しくヒカリの私室ではなく応接室で僕達はアレンさんとココロが訪れるのを待っており、その立ち位置もテーブルの向こう側にヒカリ一人、中間にシュバルツ、僕は今挨拶をして入ってきたアレンさんに、無言で続いたココロと同じ入り口に近い場所だ。
「手身近に済ます、悪い話ではないことも保証する」
「……」
効率を求め、不躾とも取れる口火の切り方をヒカリは取った。
僕はもちろん、アレンさんやココロにも嫌悪感を示した様子や、これから何を言われるのかという不安感を見せた様子もない。多分僕が色々な人々と関わるように、ヒカリもまたこの二人と関わり、あるいは他者からどういった人物かを聞かされることで信頼の置ける人間だと判断しているのだろう。
「リーン家は親衛隊とは別に、武力のみを求め人材を長年募集していた。厳密には私、ヒカリ=リーンが独自で動いていたもの」
そこで彼女は一度呼吸を整える。
これは紛れもない宣戦布告だ。僕とヒカリによる、ここには居ない存在に対しての。
「それは十三年前からここ、発展都市レイニスの西に生息している炎竜を討伐する、ただ一つの目的のために」
誰かが息を呑んだ気がした。
何十名の戦い慣れした人々が全滅にあい、その襲撃に怒り警告として訪れた炎竜が何千、何百名の命を一瞬に奪った。そんな馬鹿げた存在に挑むことになる、その事実に。
……あるいはそれ以前に、一つの村が成す術も無く滅んだ事実を知る人間のものか。
「国により二桁に及ぶ人数での竜への敵性行動は禁止されている。これは人間が、人類という種が竜に敵対していることを示さないことである。逆に、二桁に満たないのであれば、国は竜に干渉することに何も規制をかけていない。故に、私はあの竜を限られた人数で討伐したいと、長年想いを募らせ進んで来たつもりである」
諦念。
誰もがヒカリの言葉から諦めの感情を感じていた。僕もその一人だ。
「けれど、アメと出会い、私は方針を変更した。あの竜は、私達二人のみで討伐を果たす」
諦めたのだ。
許された戦力の中、限界を用意し竜に挑むことを。
「――無謀ですっ!」
ココロが声を荒げ、自身に宿を与え少なくとも身分の上であるヒカリに異議を唱える。
「たとえ国に許された限界人数である九名を先鋭で構成し、最新の装備と技術、九名全員に優れた武力が有されていたとしても、騎士団に熟練の冒険者を含めた何十名で挑んでも敵わなかった現実がある! 本来アレは何百何千の人々が犠牲になりようやく倒せるような存在。数が全てとは言わない、けれどそれに二名で挑もうとするのは死にに行くようなものですっ!」
それを見咎める様子をシュバルツはしない、むしろ今初めてこの話を聞かされた彼は、ココロ、そしてアレンさんが表情に浮かべているものと同等のものを吐き出せず呑み込んでいるようだ。
「だから?」
「――っ!」
その真心に溢れたココロの非難を、ヒカリは冷静に返した。
だから、なに? ではない。彼女は少女に言葉の続きを促したわけではない。
だから、どうした? だ。
真意を汲み取り、ココロはこれ以上何も言えなくなる。初めから他者の意見を聞き入れるつもりなど毛頭もないヒカリに何も言えなくなる。
「アメは、どう考えている」
誰かが誰かに怒り狂い掴みかからんと、あるいは嗚咽を漏らし泣き始めんと、そんな雰囲気が室内に漂う。
その中でアレンさんは僕にそう尋ねた。
「何百何千の犠牲で得られる勝利という認識は間違っているでしょう」
「……」
「何百何千でも竜には届かないと僕達は考えています。けれど万の戦闘を重ね、たった二人でも一度ぐらいは勝てるとも推測しています。
可能性が零ではないのであれば僕達は挑み続け、全滅や片方の死が訪れる日も遠くはないでしょう。その時に討伐を諦めるか、それとも続けるかは残った人間が考えて、どちらかが欠けてしまえば二人という拘りを捨てると決めています。
もしそんな状況で、竜に挑もうとする酔狂な人間を集められた場合、僕達が遺した足跡を利用して、あるいはそんなもの関係なく何十何百年後には人が竜に勝てたりはするんじゃないでしょうか」
まぁ僕達が拘っているのはあの炎竜を二人で殺す、その一点だ。
別の竜に興味はないし、あの竜が手の届かない場所へ逃げてしまうのなら本当にお手上げでしかない。
その時はその時で今ここにある幸福を享受しようと思っている。今はまだ手の届く範囲に居るので、戦う以外の選択肢は頭から消えているのだが。
「正気か?」
アレンさんは問うた。
ヒカリの表情を見る。
彼女の顔に浮かぶ感情は使命を果たさなければならない使命感、義務感、何時か僕達が浮かべていた死に場所を求めているもの、己の力を信じて竜を凌駕し英雄になろうとする心。その何れも秘めていなかった。多分、僕も似たような表情を浮かべているのだと思う。
「本気ですよ」
まるで冗談を言うように、少し不敵とも取れる笑顔を浮かべてアレンさんに僕はそう返した。
その表情を見てココロは、僅かにクスリと笑ったあと肩の力を抜いて先までの緊張を無くして口を開いた。
「……英雄になりたい、誰かに強制され死に場所を求める、そのような表情をしているのなら私は必死に、それこそ力づくでも止めようかと思いましたけど、お二人のその表情を見てしまってはとてもじゃないけれど止める気なんて失せてしまいました。
まるで悪者ですよ。幼い頃許されていた我が侭を、大人になっても貫き通して、好き勝手暴れよう、そう決めている悪い人達」
「そうよ、私達はただ我が侭を言っているだけ。
ただ考えなしに竜を倒せるなんて思っちゃいない。何年も準備に費やし、実際に挑んで敵わなそうであればまた機を窺うわ」
ヒカリの言葉に僕は頷き、ココロとアレンさんは仕方無さそうに頷き、シュバルツが最後に何時ものことだと諦めたように主の意思を尊重しようと決めたのが何かおもしろかった。彼は何時もヒカリに振り回され、きっと慣れたように主の身を案じる感情を呑みこんで来たのだろう。
「アレン、ココロの両名は望むのであれば親衛隊に配属。他の竜討伐隊候補として集めていた人員も本人らが望むのであれば親衛隊に定着。
実際の討伐は私達二人で済ませるつもりだけれど、下準備に手が足りないようなら皆に声をかけるつもり。そして私やアメ、あるいはこの二人共が死した場合、可能であれば遺志を継ぎ竜に挑んでくれることを私は望むわ。以上」
「了解」
「わかりました」
そうしたアレンさんとココロの返事で、確かに長い長い戦いの幕が開いたのだと思う。
実感はよくわからないし、戦うと決めたのは十年以上前のあの日だった気もする。それかヒカリと夜更かしして話し合った昨日か。
- 音の鳴らない銅鑼を鳴らす 終わり -




