133.話をしよう、この夜は長いのだから
「主、こちらにいらっしゃいますか?」
扉をノックし、シュバルツがヒカリを呼ぶ声がする。
「えぇ、どうかしたかしら?」
「流石に長過ぎるもので。もう昼も随分過ぎました、可能であれば昼食を取って頂ければ、と」
もうそんな時間か。
いろいろと話していたせいでかなり時間が経ってしまったようで、窓のないこの部屋では時間もわからない。
まだまだ話すことはあるが、そうした脳を働かせることを意識すれば尚更食事は取るべきだろう。
「そうね、頂こうかしら。その前にシュレーも見る? この部屋。酷いものよ」
「……よろしいので?」
扉を開けて顔をあわせているだろうに、シュバルツは一歩下がり丁寧に中を見ないようにしているらしい。
「えぇ、今日でこの部屋の役目も終わり。すぐに普通の寝室へ変えていくことはできないけれど、これから徐々に模様替えしていくつもり」
ヒカリの手により開かれた寝室へシュバルツは入ってきて、一瞬ここがどこなのかを忘れたかのように目を見開く。
その後辺りを見渡し、目に入るものだけでこの文字群が何を意味するのかを理解し、何かを発しようと口が何度がパクパク動いてすぐには言葉が出てこなかった。
まぁそれが普通の反応だろう。
故郷の人々が文字の練習のため落書き帳として汚された僕の寝室を見て驚いたように、そんな反応を示すのが正常だ。
あのルゥでさえ僕の部屋には驚愕……いやまて、なんかアイツすぐに奇抜な言動に移った気がするぞ。
「なるほど、これは人に見せたくはありませんね」
そこでようやくベッドに座っている僕に気づいたのか、こちらへ視線を向けるシュバルツに片手を顔の横辺りまで上げてパクパクと何度か手のひらを開き挨拶する。
「やぁ」
「――感謝する」
気軽に挨拶した僕に対し、シュバルツは神妙に軽く礼をしながら真摯な声音で対応した。
なんというか気まずい。人との距離を見誤り、空回りしてしまったようなコミュニケーションの失敗を感じる。
「これほどの想いを主に与えてくれたこと、そしてこの扉を開かせてくれたこと。本当に、感謝する」
簡潔にそれだけを思い込め伝えると、背中を見せて立ち去ろうとするシュバルツにヒカリは声をかけた。
「行くの? これからアメといろいろ確かめたり、考えて、それはシュレーにもある程度必要だと思うのだけれど」
「えぇ、無粋な真似はしません。あとで隣の部屋に昼食を運んできます。
もし俺に必要なことであれば後日に伝えてください。今日だけは、どうかお二人でこの時を」
- 話をしよう、この夜は長いのだから 始まり -
「今、何時だろう?」
ヒカリの言葉に僕は扉を少しだけ開け、左側に見えるカーテンを捲り外を眺めて寝室に戻る。
「わからん。凄く、暗い」
夕食は取った。
ただ小腹が空いている辺り深夜も随分深けている頃合か。
かなり話し込んだ自覚はあるが、まだもう少し喋り足りないというのは今決めておく必要があるものらに対してではなくただ感情的なものか。
「ふわっ……眠いね」
その言葉に目を擦り答える。
貴族の家と言えど無駄遣いは厳禁。夜間の行動は光源の維持に資源を使うため、必要が無ければ屋敷全体は二十二時頃には眠りに就く。
当然二時か三時かはたまた四時なのかはまるでわからないが、しっかりとしたリズムで生活している日々での夜更かしは睡魔をしっかりと誘う。
これが郊外で寝泊りしている場合や、仕事のため夜動くともなれば事前の準備、緊張を孕んだ心構えと眠くなどなくなるのだが、真剣な話を含んでいるとは言え僕達の姿勢や気持ちはリラックスしたもの。
最低限決めることは決め終えたし、あとはもう自室に戻り解散でもいいのではないか。
"コウのアメが抱く幸福論"
「何これ」
寝ぼけた頭のせいか、キャンドルが淡く照らし出した意味のわからない文字の羅列に自分とコウの名前が使われていることに気づいて少しだけ目が冴える。
「あぁ、それ? コウってアメの幸せを願っていたでしょ」
「まぁそうだね」
タイトルだけではなく内容を見ようとしたら、どうやらヒカリ自身が説明してくれるようで僕はベッドに戻り靴を脱いで体を横にしている彼女へと並ぶ。
「ただこれ記憶の初めの方と、最後の方を比べてみたら行動が少し変わっているんだよね」
「どゆこと?」
「初めの方はアメが間違ったことをしようとしているなら自分で止めようとしたり、まぁアメが不幸になりそうなら修正しようとした感じ?
ただ後半はアメが変なことをしていても指摘しようとしなかったり、果てには傷心して二人で死にに行ったものだしね」
ヒカリも随分睡魔が回っているのか視線を合わせようとも努力せず、珍しくらしくない、言わばちぐはぐとした論理的ではない言葉遣いで考えていることを直感的に喋っている。
「まぁその気持ちはよくわかるんだけどさ、改めて成長というかその変化を冷静に見たら興味深いところもあるのかなーと」
「ふむ」
親しい人間が不幸に向かっているのなら普通は止める。
ただ後半のコウやルゥ、あとリーン家はそういった本人が望んでさえいればどんな行動も許容するタイプだ。
「この最後に真っ当な行動原理ではっきりと動いたのが、お父様と初めて出会ったあの日……我ながら物凄く不思議な字面を口走った気がする。
まぁいいか。あの日、ルゥがリーン家に協力すると決めて、それにアメが反対した時コウが珍しく真正面からアメに対立した、だろうこの時。ここを境にコウは徐々に価値観を変えていくことになったみたい」
「対立しただろう? あぁ、そっか。コウの言葉は記憶に無いんだっけ」
「ぅんー。まぁ大体の内容は他の皆が行った言動から推測できているんだけどねー。
とりあえずこの日を境にコウは変わり始めた。望む不幸を幸福へ変えようとする精神から、望む不幸は不幸のまま飲み下そうというものへ。
ルゥに、お父様、一応お母様もかな。このみんなといろいろ話して徐々に価値観が変わっていったのだと思うよー。もしかしたらアメに直接歯向かった事で、何か自責の念でも抱いていたのかもしれないけど」
記憶があれど、その人物から見える景色はあれど、思考や言葉、外見が見えることは無く。
思いのほかその事実はコウとヒカリを隔絶するに値するほど大きなもので……それを乗り越え、ここまでコウを再現、理解したヒカリはやっぱり凄いと思って。
「そっかー」
「うん、どうでもよさそうだね。私も結構どうでもいいけど」
コウが好きだと言っていた花の香り。
その匂いを部屋から、シングルベッドの隣で漂わせているヒカリから感じて、僕は遂に諦め意識を手放した。
- 話をしよう、この夜は長いのだから 終わり -




