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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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132.希望と絶望を抱く部屋

「そうだ」


 繋いでいた手を放し、開いた手のひらを胸であわせヒカリは思い出したかのように口を開く。


「これからある程度の段取りを決めようと思ったけど、私の部屋、行こうか」


「……いいの?」


 僕は尋ねながら寝室へ視線をやる。

 同じヒカリの部屋。この部屋である私室に入った際、ソファーやテーブルを挟んで左対面に位置する扉。僕は入ったことがないどころか、ヒカリは出入りする際、決して中を見せないように注意を日々払っていた。聞けばメイドの誰も入った事がないらしく、常に傍にいるようなシュバルツも、果ては両親でさえ数年前に入ったきりで今現在の中を知る人間は誰も居ない。

 リーン家の屋敷に存在するブラックボックス。コックのレシピ帳や、金の流れが細かに記載された手記よりも遥かに、そう、普段身分や立場を気にせず傍若無人に、けれど決して誰も傷つけることのないヒカリが人をよく入れる私室の奥で隠している寝室。誰もが親しさを覚えているヒカリが隠す存在に好奇心を抱き、誰もが決して探ろうとはしない、一体何があるのか想像もつかず、立ち入った場合ヒカリがどう反応するのかが恐ろしくて。


「アメだからいいの」


 このいいの、は"僕だから仕方ない"ではなく"僕がいいの"の、いいのだ。

 もしかして、という可能性に行き着く。

 ユリアンとカナリアが最後に立ち入った時期、もしそれがコウの記憶を馴染ませた頃合ならばヒカリも一応人の子だ。自身に流れ込んでくるコウの記憶に、これからの生き方に気持ちの整理を付けたいのならば――鮮明に流れ込んだばかりの景色に、自分の寝室を重ねたはずだ。


 先導し体を半分ほど扉に隠したヒカリに、僕は一つコクリと頷き後へ続く。

 隔絶された寝室ではじめに感じたのは匂いだった。今は無い故郷の村、春先になると冬の終わりを歌うように咲き誇っていた花の香り。恐らくヒカリが普段使っている香水か、部屋で焚いている香料が人の気が多い隣の部屋より強く感じたのだろう。

 次に感じた匂いは炭の臭い。何年も、そう何年も染み付き、あるいは何度も上塗りされるせいで隠し切れない臭い。


 貴族の一人娘の物とは思えない簡素なベッドに、衣装棚。僕とココロが住んでいた部屋の方が幾分かマシに思えるほど。

 残りは文字だ。視界を埋め尽くさんばかりの、手の届く箇所全てに書き散らされた文字。

 床に、壁に、家具の横に。

 何も知らない人間が見たら一瞬そういう意匠だと錯覚するだろう。模様のように見える、見えてしまうほど書き尽くされた文字。

 遅れてそれがなんであるか理解し、次いで身を震わせる。

 まるで呪詛のように部屋を埋め尽くしたそれが、どんな呪いよりも純粋な意味を持っているのかを理解し恐ろしくて堪らなくなる。研磨された祈りが、憎悪を込められ唱えられる呪いに匹敵する現実から逃げ出したくなる。


 それを詳しく見ても言いかとヒカリに視線で問うたら、無言で頷く彼女の表情に特筆する感情は無い。

 このような光景を作り出し、今の今まで寝泊りしていた自身が恐れられるかもしれないと微塵にも思っていない。

 何時か僕達が……アメとコウが文字を学ぶ際に作り出した光景を再現、単純に圧倒的な文字数を書き終えた事実、あるいは単に不穏な様子を見せる自身を誇るような歳相応な感情も一切無い。

 敢えて言葉にするのなら、今ヒカリの顔にあったのは納得だけだった。僕がここに居ること。何年も誰も立ち入って居ないだろうプライベートな部分に位置する僕を、その辺の家具や文字のように受け入れていた。多分、僕自身も同じような感情を顔に浮かべていたのだと思う。


"コウの食べ物の好み"


「なんじゃこりゃ」


 ただその表情も長くは持たず破顔した。

 なんというかその、もっとこう感情的なものとか、論文に書くような理屈で埋め尽くされていると思っていたので、肩透かしとも呼べる文字に力を抜かれた。


「あー、丁度見た場所が悪かったね。まぁそれはコウが重点的に食べていた物を洗い出して、好みに部類される食べ物をリストアップしたもの。

私とどれほどの差異があるかも確かめたけど、五分五分ってところかな。やっぱりこういった部分は体に染み込んだ経験というか、知識として得た記憶や思い出だけでは共感が難しいところかもしれない」


"犬肉は、不味い"


 サーッと流し読みして大体合っていたのを確かめたところ、最後に今までの文字とは桁外れな適当さでそう書き殴られていた。


「食べられないの?」


「食べられないことはないけど、記憶にはコウという存在が無いから、感覚が無くて味覚はもちろんあの冬の行進に味わった飢餓という苦痛も味わえない。

ただ食料不足がどれほど恐ろしいかはわかっているつもりだから、理性で嫌がる体を従わせて他の人よりは率先して食べられると思う。アメ以下、冒険者以上、かな。もしかしたらお父様と同じぐらいかもしれないね」


 こっちを見て欲しい、そう言われ少し長く整った文章を、ベッドの近くで見る。


"十年分。

私はずっとそこにいるはずのコウの気持ちを推測したり、ヒカリをコウの居場所に当てはめて過ごした。

私がアメやルゥに抱いている好意は確かなもの。たとえコウの感情を推測し模倣した紛い物の感情だったとしても、私は確かに幼馴染二人へと、今ここに居るヒカリとしても好意を抱いているのだ。

ジェイドとスイは居なくなってしまった。他の皆はまだこのレイニスに居るかも知れない。だが私は、何よりも二人へと会いたくて堪らない日々を過ごしている。

もうこの世には居ないだろうことは周りの人々から聞いているし、私の頭へとコウの記憶が流れて込んでくることが何よりの証明に過ぎない。

けれど、もし。何かの間違いで誰か一人でも生き残っているのなら、私は。"


「これが、大体七歳に書いたもの」


 文字は古く、必要な箇所はあとから補修されたように色が変わり、あるいは何度も書き直されもしたのだろう。


「どんな、気分だった?」


 どちらとでも取れる質問。

 僕とルゥ、二人を幼馴染と感じる感情についてか、あるいは。

 長年付き合っている人間しかわからないほどの仕草や声音のニュアンス、それを一ヶ月にも満たない付き合いの、コウの記憶を持っているヒカリは読み取り正しい方へ読み取る。


「とても、つらかった。もちろん嬉しい記憶は一杯あったのだけれど、今までヒカリとして歩いてきた人生を別の男の子で否定されるような、丁寧に積み上げてきた技術や知識をこんな近道で蹂躙してしまう罪悪感。

性別が違うという点でもいろいろと困るのに、挙句流れ込んでくる記憶は両親が子供だった頃友人として過ごした人物。ただでさえ頭や気持ちが滅茶苦茶なのに、縋りたい幼馴染二人にコウは、周りの人の口ぶりから長い間見ていなくて死んでいるようで……」


「ありがとう、悲しんでくれて」


 届かなくて悲しい。コウの記憶がそれほど重たいということは、彼の存在が人一倍確かな証拠で。


「……これは私が勝手に抱いている感情だから、アメにお礼を言われるものじゃないよ」


「だからこそ、だよ」


 純粋に零れた感想を、ヒカリは恥ずかしそうに受け止めた。


"十二年分。

ようやく全ての記憶が、コウの最期までの記憶が流れ込んできた。

ルゥの死は恐らくリーン家が原因の私怨で起きた結末だろう。

寂しさはある、けれど、怒りはない。

皆が自身を信じ、最善を選んだ結果の不幸な結末か、あるいはルゥ自身が自らの死を受け入れがたいものとして認識していなかったことが原因か……もしくは我らリーン家の正当性を主張するために自責を避ける感情、単にそれ以上の憎悪を向ける対象が存在しているからか。

ある村が滅んだ。血縁や経験もなく、ただの記憶しか受け継いでいない私が言うのもなんだけれども、あの村は確かに私のもう一つの故郷で、家族がいたのだ。

ある兄妹が死んだ。健気で素直な二人、親しくなった彼らの未来は、アメ達三名とこれからというところで断たれたのだ。

お爺様などの家族、それに多くの無辜の民。直接的な繋がりなど無く、その本来の価値は私には理解できないのだろうけれど、それがきっと無限にも思える可能性を秘めた大切だったことだけは想像できる。

そして、コウにアメ。自ら死に急いだことは誰の目にも明らかだ。けれど二人を襲った、()とアメを襲った今までの苦難を知ってなお、間違いと指摘することはできてもその選択を非難できる人間がどれほどいるのか。

今、私は怒りを抱いている。十二年分過ごし、その間に失われたものに対しての正しい怒りを私は抱いている。

故に、剣を取ろう。

脅威を排除し幸福を願う国民の一人として、因縁ある竜を排除し名声を得る貴族の娘として――そして何より、コウの意志を引き継いだただ一人の人間として。"


 おそらく八歳前後の記述、完全にコウの記憶が流れ終わった後の標し。

 胸に湧き上がる感情はなんだろう。コウと同一ではない事を明確に示している記載を見ても僕は、隣にいる少女を見てなおコウの想いは確かに生き続けている嬉しさを感じる。

 思うところが無いと言えば嘘になる。できるのであればヒカリは僕と同じように、生れ落ちたその瞬間からコウの記憶を持っていたら、そう思ってしまうこともある。

 ただこの少女は、戸惑い苦しみながらもコウの生き方、人生を受け入れ、客観的に分析し、そして記憶を自分の物として大切に扱うと決めた。

 コウの記憶だけでも残っていた、言い換えれば半分ほどコウが生きていた。それに加えてヒカリ。コウを受け入れ、良い感情も悪い感情も己が手足のように振るう少女が、僕は大事にしたい、そう思ったんだ。


"あぁ、夢ではないのだろうか。

私はアメに、再会することができたのだ。

長年その存在に焦がれ、もし会えることができたのなら、そう思いながらベッドで意識をゆっくりと落とした数は数え切れない。

けれど一つだけ疑問が湧いてきた。竜を排除する必要は、未だそこにあるのかと。

国民として貴族として、私は確かに竜を排除する意思を掲げてきたつもりだ。そうした経緯を得た今、人間として抱いている意志が揺れている。

十中八九、いやそれ以上の確率で敗れる戦いに、私は自らを最前線に置いて戦うことができるのだろうか……アメに誰かを竜に奪われる喪失感を再び味あわせることになるかもしれないのに。

アメならば戦うと言った私の意志に賛同し、共に竜へ挑んでくれるかもしれない……その時、アメを失った際、私はこの体で再び味わう喪失感に堪えられるのか。

私の中の悪魔が囁く。敵わぬ戦いならば挑むことをやめ、再会を果たせたアメとこれからの日々を築いていけばいいと。喪ったものの大切さを等身大に理解しながら。

――私はその問いを、アメに求めようと思う。

残酷で無責任な行為だと自分でも思う。けれど私は、アメが選んだ選択肢ならば悔いなど無くその道を歩めると思っている。

どこか私の心が、多分コウの部分が囁いてる。この文章を部屋を、アメが見ることになる日はそう遠くはないと。

きっと苦難に塗れた道程を、歩むことに決めて。"


 その推測は正しかった。

 そして悪魔の囁きが僕の頭に何度目か今響いたが、この程度で揺らぐほど浅い呪いでも無い。

 だから、僕の口から出てきた言葉は。


「流石にこれは見られて恥ずかしくないの?」


 言ってしまえば日記に入る文字群。

 それも内容から僕がここに来てから書かれたものだと推測でき、今脳内で考えていることを曝け出すような、心臓を物理的に開いて直接触れるようなものだ。


「……ちょっと恥ずかしい。ただ必要なこと、そう思ったから」


 珍しく照れているヒカリを見て、僕は思わず笑ってしまったのだ。


「でもさ」


 そうヒカリは遮り、僕は笑い声を止める。


「いろいろ頭の中で整理して、こうして書き出して考えてみたけど、アメに初めて会った時、『あぁ、この子アメだ』そう思ったら、何もかもどうでもよくなっちゃった。多分アメが言うようにここが大切なんじゃなくて」


 一度自身の頭を二度こつこつと指で叩き。


「ここで考えることが大切なんだろうね。本当に大切なものは全部(ここ)が決めてくれる、これから前に進む時も、ずっと」


 初対面なのに昔馴染みで。

 アメじゃないのに、アメだとわかって。

 コウじゃないのに、ヒカリはそう知ったんだ。


 理屈なんてどこにない、頭で考えず感情で動いているだけかもしれない。

 無意識下で処理しているそれを言語化できないで……言葉にする必要もない大切なことだから大丈夫なだけかもしれないけれど、なんにせよ間違っていても他者に共感してもらえなくとも、僕達にはそれでいいんだ。



- 希望と絶望を抱く部屋 終わり -

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