131.約束の時
夢。灰の海の底の夢。
ここに訪れる何か明確なきっかけがあったわけでも、ここへ来て何かが起こるわけでもない。あるいはきっかけを起こすと決めたから、ここに来ることになったのか。
なんにせよ燃え尽きた大切なそれらは何時来てもここにあって、僕はそれを少しだけ掬って頭上を見上げる。
あぁ、空が見えないな。
- 約束の時 始まり -
「ねぇ、ヒカリ。約束の時を迎えよう」
僕の言葉にヒカリはシュバルツへ視線をやり、彼は黙って部屋を退室することに決めた。
一瞬だけ目が合い、頑張れ、そう言っているような気がしたのは僕がそう望んだからか。
「もう、いいの? まだ一ヶ月も経っていないけれど」
「うん」
珍しく午前中なのにメイド服を着ていない僕を、各所へ今日は休むと申請した動きを見てか同様に仕事をせずに向かい入れ僕と対峙するヒカリ。
「一つ一つ、言葉にしていこうか。まずは私達の問題」
多分互いが考えていることはほとんど想像できている。
それでも口に出して念のため共通するこれは、言うなれば儀式のようなもの。
「私は厳密にはコウではないのだけれど、一緒に肩を並べて生きていくことに思うところはないのか」
そう尋ねるヒカリの表情に、何時か浴場で見せた憂いは無い。
これは僕達が前に進むための第一歩、前座にしか過ぎないからだ。
「それは素直に言うと今でもよくわかっていない」
そんな大切な一歩を、僕は誤魔化しのない素直な発言で踏み出す。
「今、僕の目の前に居る少女はコウではないし、コウの記憶が無いただのヒカリでもない。
じゃあコウとヒカリの半分ずつの存在かと言えばそうと断ずることはできず、そう言い切れないほどにヒカリはコウの人生を愛しているんだと思う。
彼が歩いた道程があまりにも輝いて見えたから、彼から見えた日々があまりにも素敵過ぎたから。
だからヒカリは空いたコウという空白に自分を重ねて、少しでもコウが感じていたものを共感しようと分析を重ねて。
――結果誰よりも、コウという人物を理解しているのだと思う。僕より理解しているのは当然で、もしかするとコウ自身よりも彼という存在を理解しているほどに。
そんな存在と一緒にいてさ、僕は驚くほどヒカリという存在を受け入れている。
コウに似た代替品なら誰でも良かったのか、気づけばコウの死を完全に受け入れていたのか、ヒカリという存在をコウと気づかず錯覚しているのか。
……何にせよ、心に空いた穴が、ヒカリでしっかりと埋まっているのは間違いないんだ。
多分、頭で考えるんじゃなくて、心で感じることが大切なんだと思う。
そうした事実を受け入れて僕とヒカリの関係をコウは死んでいてなんとも思えないだろうし、もし何か思えたとしても多分コウなら僕の幸せを祝ってくれる。
僕も僕がそんな薄情かも知れない思考回路を自責するつもりなんてどこにもないし、あとはヒカリがそんな僕を受け入れるだけかという問題だけで」
吐き出す吐き出す吐き出す。
独白する余地など作らないほどに、言葉にしてヒカリにぶつける。
互いが既に察しているだろう事実を、言葉と想いとしてぶつけるために吐き出し続けた。
「うん、私もそう思う。アメはそう思っている、コウもきっとそう思ってくれる、私もこうした関係が間違いだなんて思っていない」
「次にヒカリが何を目標にアレンさん達を、武力を求め人を集めていたのか」
ヒカリの答えに、僕は代わりに出るだろう問いかけで話を進める。
先に進みたくて堪らない。今まで堪えてきた分、僕達は二人で前に進む。
「皆からは何も聞いていない?」
「一応ね。でも何か隠して僕を見ているのはわかるし、僕達が来てから慌てて親衛隊として役割を変えた人々が居ることもわかっている。
まぁこれは簡単だね。竜を殺す、それだけだ。
ヒカリにコウの記憶が流れきったのは八歳の今から二年前の時。どこかの貴族が武力を求めていると言っていたのもの大体その頃。
誰よりもコウを理解し、共感してしまったヒカリは竜への憎しみを募らせて、再びあのふざけた存在と戦うための人生を歩むと決めた。
……一応二代上のリーン家に甚大な被害を与えた一人娘として思うところがあったり、単純に竜を倒して貴族としての名声を上げたい気持ちも入っているかもしれないけれど」
「竜を倒すために必要なものは?」
僕の言葉にヒカリは触れない。
無視は、僕達の間で全肯定の意を持つ。そんなもの当たり前だ、と。
そしてこの問いかけは今行っているやり取りの中でもかなり核心的な部分だ。
僕が満足の行く答えを持っていない場合、全てをふいにしかねないほど重要な問いかけ。
その問いに、僕は躊躇わず返答した。
「上質な武具や、特別な能力。それに優れた人員に、運とか……まぁそんなわけじゃないよね。
それに繋がるための大切なもの。ルゥが死ぬ間際僕に伝えてくれた、空白に込められた言葉」
怒りで復讐は遂げられなかった。
なら、どうするか。
心が駄目なら、頭を使おう。 復讐という目的のために、心を殺そう。
故郷を失くした寂しさを殺せ、仲間を守れなかった後悔を殺せ。引きちぎられたコウに対する悲しみを殺せ、二度目の死の際抱いた絶望を殺せ。
心を殺し、思い出せ。辛い過去を忘却の彼方から引きずり出せ。
ルゥは最後になんと言った?覚えているならいい、コウには確かにそう言った。
でも僕には、何も言えなかった? 違う。何も言わなかった? それも違う。
言っていたじゃないか「 」と。
足りなかったのはそれだ。仲間の死を想像し、それを受け入れることそのものが。無意識に死に場所を求め、自身の力量を把握せず、未知の相手に挑んだから。
だから、負けた。
だから、勝てるはずだ。
仲間の死を想定し、相手の力量を推測し、自分達の技術を磨き、それを元に戦略を立てる。
これなら勝てる、零じゃない確率で勝てる、千回の命があれば一度は勝てる。きっと、もう生き返ることはできない。きっと、1/1000は引けない。
それでもやる、復讐とはそういうことだ。遂げれないからやらないわけじゃない。
それでもやる、竜を殺すというのはそういうことだ。奇跡に挑まなければならない。
想像する。
もう一度目の前で大切な人を失い、自身も燃え尽きることを。
想像した。
その悲しみを押し殺しながら千回繰り返すことを。
大丈夫、千でも万でも、挑み続けよう。
たとえそれだけの命を与えられたとしても、きっと何度も泣き叫び諦めるだろう、もうやめよう、と。
想像した。それでも、諦めた数だけ立ち上がり続けるだろう自分を。
立ち上がるたび足を掬う竜がいるのだ、転ぶ痛みが消えない限り、怒りの炎は消えない。
足りなかったのは現実を見つめる力ではなく、想像力。
ただそれが、竜に挑むために必要な僕達の武器。
どんな戦い方をしてくるのか、追い詰めるまでに必要な手順だとか、あとは必要なものを推測し、揃えられるまでの過程を想像する単純なもの。
ルゥがここに居るなら言ってあげたかった。ごめんねって。
幼い頃から想像しろとずっと彼女は僕達に言ってきた、物事が何故そうなるかを説明される前に、自分の頭で一度未知に叶わずと知ってなお挑めと。
僕達を支えながらも、決して引っ張ることはしなかったその生き方も根源にそれがあったのだろう。
竜を倒すと決めてからの日々。一度これではまるで足りないと僕に働きかけてきた日もあった。その日も無駄ではなかった、からっぽじゃ、なかったんだ。
そしてどれだけ伝えても伝わらず、これ以上伝えるべきだと知ってなお、伝えたくないという自身の矛盾に食い千切られようとした時、ルゥは罠である依頼を利用することにした。自身の命を利用して、たった数回口を動かすためだけに死闘を繰り広げた。
ルゥが死んで、それでも理解できず、続いて死んでいった僕達。
未熟だった、愚かだった。きっと死んだ後、永劫にも思える思考のみを許された地獄が与えられなければ――自分がその空間を望まなければ、今ここまで辿り着けなかった。ルゥが全てを賭してまで伝えたかったそれを、僕は理解できなかった。
僕の言葉にヒカリは満足そうに頷き、僕は歩み寄り並び立つ。扉よりも大きく開いた窓から、一つ下の階である中庭を見渡せる。
今は誰も訓練などに使っていないようで、穏やかな空間に小鳥は囀り、草花は陽光を浴びて風に身を押され踊るように体を揺らす。
争い、もしくは争いのために踏みならされた地面にさえ目を瞑れば、平穏、その一言がそこに集約されている。
――だから僕達はそれを眺めながら話を進める。万が一を危惧し、あるいはそれすらを無視して自ら戦乱を巻き起こすため、その平穏に身を委ねる人々を守るために、戦禍を好んで生み出そうというのだ。
「ねぇ、ヒカリは空が気にはならない? 僕は空が気になって仕方ないんだ」
多分あの竜は刺激さえしなければ人間に危害を加えたりしない。
でもその万が一を、真っ先に僕達の故郷は受けたのだ。
「気になるよ、凄く」
昔は幸福を実感した時、竜が降ってこないか心配だったけれど、今の僕は少し違った感情を込めて空を気にする。
あぁ、そこに居ればいいのにって。そうしたら、あの憎い存在の首を落とすこともできるかもしれないのに。
「瞳、紅くなったんだね」
「うん、髪の色はほとんど同じなのに。アメは碧いほうが好き?」
「どっちでもいいよ。ただその色はルゥを思い出す」
「……ルゥは死んだよ」
「うん」
「コウも、死んでしまった」
「……うん」
「アメも死んだ、でも生き返って今ここにいる」
「コウも、いるよ。半分ぐらいだけど、僕の目の前に」
「ありがとう」
「くすっ」
「……ふふっ、おかしいね」
「うん、おかしい。みんな、みーんな竜のせいで死んでしまった。故郷も、スイとジェイドも、僕達も。
なのに、諦めきれない、竜を殺すことだけを求めて止まない。一人と半分だけの思い出のために、一人と半分も血の繋がりなど残っていないのに」
「じゃあやめる? 一応こうしてまた出会えたんだしさ、何もかも忘れて新しい生を楽しむ?」
「冗談、それこそおかしい。どれほど愉快でも、間違いだけはできそうにないよ」
「うん。たとえそれが常識として間違っていたとしても、世界や周りが認めなくとも、私達二人だけはそこに進み続けよう」
僕達は手を繋ぐ。
共に地獄を進むために。
- 約束の時 終わり -




