129.地獄を歩む
「ねぇあんた、昨日シュバルツのやつに抱きかかえられてどんな気持ちだった?」
「……」
中庭で暴れまわった翌日、珍しく僕と共に仕事をすることを選んだかと思えば、クローディアはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて僕に近寄ってきた。
まぁ君たち昨日見ていたもんね、そりゃ弄るネタができたら近づくわな。
シャルラハローテの方も気になるようで、掃除をしている部屋の角から顔を出して僕の表情を見る。珍しくオレンジ色の髪から、青紫色の瞳がハッキリと見えたのはそれだけ気になるということなのか。
「どうしたの、黙ちゃって……あ、もしかして嬉しかったの? ねぇ?」
嬉しいなんて気持ちは湧かないが、触れられたことにより特に嫌悪感も無い。スキンシップとしてみれば少し行き過ぎているが、互いに傷つけあった直後で動けない僕を落ち着ける場所まで移動してくれるのは素直に嬉しい。
まぁヒカリは抱きかかえられ運ばれてくる僕を微笑ましく見るだけでなんとも思っていないようだったが、それでシュバルツ相手に嫌悪感を示しているのであったのなら僕も嫌な気分になっていたかもしれない。
「負けて死なないだけマシかな、と」
結局のところ細かいことを考えず、適当に口から出るままに言葉を発するならそこに帰結する。
勝てば殺せる、もしくは奪いたいがままに好き放題すればいい。負ければ死ぬ、成す術も無く奪われるままで、そこに人権なども含まれておらず。
「……」
僕の一言に好奇心を表面に出していた二人の表情が一気に曇る。
それを見て、もう少し双方にとって心地の良い返答が出来たら、そう思ったが仕掛けてきたのはクロの方からだし、この程度あまり気にすることはないのかなとぼんやり考えていたら意外にも会話は続けられた。
「いつも武器を持っているのよね」
その言葉に僕は無言でスカートをたくし上げる。
煙玉は一個しか残っておらず、投げナイフの毒もまだここで再度付与できる環境を整えられていないので普段より欠けている武装が多い。
けれど短剣は何時もと変わらず、右の太股に装備してあるし、両腕の魔道具も壊れていないので付けたままだ。
こうして確認するということは、今までしっかり隠し通せていた証拠であり僕にとって少し誇らしいことであった。
「……シィルやシュバルツにあんたが負けたのはわかっている。でも、その負けって基準の中でも、あたし達から見てあんたは戦うための力をかなり持っているってわかった。
だから、そんな様子を見たから尚更わからない。どうしてあんたが今客人という身分で、使用人の真似事なんてしているのかあたし達には」
シロの方を見ると彼女も同意見の様で、僕の目を見てしっかりと頷いた。
なるほど。本題はからかう方ではなくこっちだったか。始めに精神的優位性を取って、その後どうなるかわからない会話に備えたかった、そんなところか。
「それが今、僕に与えられた仕事なので」
「左腕、剣が貫通していました、よね。全然痛がっている様子は、無かったんですが」
シロの言葉にこの二人は魔法を扱えないのだと理解する。
「魔法を使えば痛みを緩和できるし、それにあの程度なら魔法を使わずとも我慢できるので」
「……シュバルツに何か言われてあんた、怒ってたわよね凄く。ううん、怒ってたなんて可愛い物じゃない、あの様子は本当に、どうかしてた。自分を巻き込むことを前提に行う攻撃なんて――人として壊れている」
「……」
少し過去を思い出す。
今まで感情に身を委ねて戦った回数。重要な局面では何時も、ヒカリが、コウが言うにはぷっつんしている状態が大半だった気がする。
「今まで、ずっとあんな生き方をしてきたんですか?」
「そうですね」
シロの言葉に思考が被っていたこともありすぐに返答してしまう、その言葉は空白を確かめるようなもので。
適当に誤魔化すべきだ。頭のどこかで何かが囁く。多分それは理性と呼ばれるものなのだろうけれど、あまりにも声が小さすぎて僕の心までは届かない。
「これからも、あんな生き方をしていくの?」
クロの言葉に少し思案する、この言葉は空白に色を塗るようなもので。
今、ヒカリに求められている答えは恐らくそれだ。でも、今目の前に居るクロにそう尋ねられた時、自然と湧き上がってきた言葉は一つだった。一つだけ、迷わず真っ直ぐに、僕の心から肺に届き、音として喉から発生し口から吐き出された。
「はい、そうです」
絶句し、何を伝えればいいのか戸惑い、ようやく出てきたクロの言葉を僕は聞き届ける。
「……あまりにも悲痛で、悲しい生き方だとあたしは思う。それこそメイドの真似事をやめて、本当に使用人として日々を過ごした方が良いとあたしは思う」
「ありがとうございます」
「え?」
心の底から出てきた言葉に、二人はとても驚いた様子で僕を見る。
「あなた達のような無辜で、心優しい人々が傍居るから、僕は心置きなくその道を進むことができる」
「……気味が悪い。まるで御伽噺に出てくるような悪魔や妖精が目の前に居るみたい」
そこで会話は終わりなのか、僕に背を向け仕事に戻るクロと、憐憫の視線を一瞬だけ向けて逸らすシロに僕は思う。
それが人として当然の感情だと。
どうかこれからも争いとは無縁の世界で二人には、僕のような、僕達のような人間相手に嫌悪感を抱いたままこれからの人生を歩んで欲しい。
- 地獄を歩む 始まり -
「あの子達とはよくやっているかしら」
メイド長であるオーリエと、中庭ではなく表にある庭で長椅子に座りゆったりとした時間を楽しむ。
今の僕は私服で、客人という立場。けれど言葉や態度は変わらない、確かな本質は決して揺るがない。
「よく、わかりません。最初の頃とは違う感情を向けられているのはわかるのですが、それが良いもの、真っ当なものなのかは」
「そう、ならきっと大丈夫だわ。あの二人は本当なら我が侭を言いたい年齢だけれど、立場からそう言える相手がほとんど居なかったの。
あたしに、それからアメ。こうして素直な感情を見せられる相手が居て、子供らしく成長していけるあの二人の本質は素敵なものだから」
きっとこれからよくなる……いや、なるようになると、僕と同じ我が侭を言われる被害者仲間であるオーリエは笑う。
なるようになる。
それが良いものか、悪いものかは誰も知らないが、きっと誰もが今できる最善を尽くし、皆が向かう未来を迎えるのに後悔は必要ない。
「オーリエさんは、リーン家との付き合いが長いのですか?」
好きなように生きる。
リーン家の家訓だ。少なくとも前代からは謳われ、今ユリアンも謳うもの。
この家訓をただの我が侭、無秩序ではないと理解できる人間はこの家に惹かれる人が多い。
使用人の割合はあまり多くないが、私兵の人々は己の武力を振るうため、命を盾に戦うため、自分なりの考え方、矜持、哲学を持ってここに居る人々がほとんどだ。
ただ、好きなように生きる、それを全うしている人々の中でも、その先の本質まで至れている人間は少なくなる。
他者の生き方も受け入れる。自身と他者の理想の齟齬、性質の違う生き方が生み出す様々な顛末の結果。
だから僕は問うた。今目の前に居る女性に、この家との付き合いは長いのか、と。
あまりにも振る舞いや考え方が染まっていたから、毅然と貫くそれが自らが積み上げてきた人生経験以外の要因も担っていると思ったから。
「あたしのひいお婆ちゃん、少なくともその頃からあたし達一家はリーン家に仕える使用人として働いてきたと教えられてきたわ。
戦争が終わった頃、混乱する世界をまとめるために頑張ったリーン家が、貴族として名を挙げたと言われているその時からだったかもしれない」
よくある伝聞。
尋常じゃない前時代の文明が、紙媒体を満足に量産できないほど破壊し尽くされ、戦争終了がたった二百年程度と考えたら、想像以外で語れる情報が何一つ無いという異常な今、人々の口から己やそれに関連する人々を賛美する聞こえのいい情報だけが残っていくありきたりな文化。
ただそれを自負と共に語るオーリエの声音に、若干の憂いを感じて地雷を踏み抜いたような感覚を覚えた。そして僕は視線のみで手を伸ばす。きっとそれは温かで、大切なものだと思ったから、単に触れたかっただけなのだ。
「十三年ほど前のあの日、竜がレイニスに降って来た時、リーン家の方々に屋敷に居た使用人らもまとめて吹き飛んだ。
あたしは現役を退いて、王都で送られてくる仕送りでのんびりと暮らしていたから避けられたのだけれど、あたしの息子は丁度屋敷に居てね」
「……」
「まだ幼かった頃のユリアン様は戦う力も持っていなくて、それを守るため息子は嫁を探す暇も無くし守るための力を学んで。それが、功を奏したのだろうね。
竜害が発生した時、跡形も無く消えていく人々や建造物に対し、運良く気づけたのか、元々魔法を扱う技術が優れていたのかはわからないけれど、息子はユリアン様を守ることが叶った」
自身の半身を溶かすことで。記憶が掘り返される。
そして死の瀬戸際、守りきれたユリアンに対して進言したのだ。この隙をテイル家は逃さないだろうから、なんとしても助けを求め血を守るのだと。
「そんな無茶な目標を叶えるためにユリアン様は実際に動いて、奇跡的にも力を貸してくれる子供達に出会って、カナリア様の実家であるミスティ家まで辿り着けたと聞いているわ。
……そういえばその子供達の名前に、アメ、なんて名があったと記憶にあるわね」
何を考えてそう付け足したのかわからないオーリエに、僕は曖昧に微笑み返すだけ。彼女はそんな僕を見て、触れないようにしたのか、単に深い意味を持たず興味が向いた話題を振っただけなのか、再び話の本筋に戻った。
「それからは再びレイニスへ居を構えようとするユリアン様が、直接あたしの家に出向いてくださって、誰かの上に立つ人材が必要なのだと、息子の最期と共に想いを伝えてくれたのよ」
ユリアンか自分か。状況から見てどちらかしか生き残れない状況だったのだろう。その状況でオーリエの息子はユリアンを助けることを選んだ。
息子を盾に生き延びた貴族から、家を建て直すため老い始めた体に鞭を打ち再び働いてくれないかと相談される。
事実だ。第三者から見てみれば実利のみを求め人の心を理解していない暴挙。けれど、これが当人達の間でどうなる? 今目の前に、こうして過ごす日々や、過去を思い返して満足気に微笑むオーリエに何の意味がある?
「空が、気になりはしませんか?」
僕の言葉の意味を一瞬考え、オーリエは深く頷きながら素直な感想を漏らした。
「きっとその光景を直接見ていたのなら、気になっていたかも知れないわね」
僕は立ち上がる。
もう十分にオーリエとの穏やかな時間は楽しんだ。
「行くの? きっとその道は、誰も想像できないほど過酷なものだと思うわ」
「はい。守りきれなかった者達のためにも」
今でもあの光景を鮮明に覚えている。
跡形も無く消し飛んだ人々、跡形があった故に苦しみ死に行く人々を、立ち止まっていれば助けられたかもしれないのにルゥを守るために僕達は走って逃げた。
部下を失い悲痛な叫びを上げるジーン、妹の下へと必死に駆け寄るジェイドに、左腕しか残らなかったスイ。誰が、忘れることなどできようか。
「ねぇ」
一歩踏み込んだ僕を止める声がして、片方の目だけオーリエの姿を捉えられるように頭を傾ける。
「きっと居たわ。助からないと知りながら、生き延びるほうがつらい地獄を災禍の元へ歩む存在に、幸あれと願う誰かはきっと。
少なくともわたしの息子はそうだった。どちらかしか救えないと知りながら、自身ではなく仕える者の未来を願ったの。
けれど誰も恨みはしないわ、歩むことを止め、今そこにある幸福に身を委ねることを決断したとしても。誰も」
その言葉に僕は笑ってやった。誰に強要されるものでもない、自分が望んで災禍へ進むのだと。
「だから、ですよ。僕は結果的にでもそういった誰かのためになるような生き方をしたい。
たとえ独りよがりで、無意味で無駄で。傍にいる人を無闇に傷つけるだけかもしれない」
そうして生きてきた。
迷惑をかけて、理想を求め遠くへ手を伸ばし、手の届く大切な人を失い続け。
「それでも、行ってきます」
二歩目、三歩目踏みしめ、もう僕は歩みを止めない。
「行ってらっしゃい」
そんな僕を、オーリエは優しく座ったまま見送ってくれたのだ。
- 地獄を歩む 終わり -




