127.親衛隊の流儀
「ここはこうしたほうが楽で、簡単に汚れが落ちるのよ」
「あ、本当ですね。すみません、まだまだ教えてもらう必要が多くあって」
僕は浴場で老いた女性に軽く頭を下げる。
……老いたと言っても六十代前後だが、この世界の平均寿命はとっくに通り越しており、街中を見回してもあまりここまで歳を重ねた人は見ない。魔法を能動的に扱えなければ病で何時か死に、魔法を扱えるほどの人間ならば戦う生き方を選び前線で死に、そのどちらを選ぶでもなく、もしくは単に幸運だった人々も仕事をせずとも養ってくれる子供達、あるいは自身で十分な貯蓄を蓄えていなければ老後のサポートまではしていない国の支えもなく人知れず飢えて死んでいく。
この女性、オーリエと言うのだが、少なくとも今は夫や娘息子の気配は無く、メイド長という肩書きを持っているものの老い始めた体を頻繁に動かすわけにはいかず、実質的には親密なリーン家に形ばかりの給金を渡され生活を許され、調子が良かったり人手が足りない場合は使用人として、それ以外の場合はこうして誰かの仕事を傍で眺め、雑談ついでに最低限のアドバイスを与えてくれるお婆ちゃんといった感じだ。
伊達にこのような世界の条件下で生きているわけではなく、人格面でとても優れて……まぁ包容力が兎にも角にも凄い。
教えるアドバイスも決して本人の許容量を超えることはないし、誰かがミスをしても無言でサポートをし後で角が立たないようにこっそり注意していたり。あまりにも目に余る態度ならばしっかりと叱るのだが、決して感情を前面に出した怒るって感じではなく、気づけば意固地になって自衛している当事者の良心に語りかけ自然と謝罪の言葉を引き出しているほどだ。
圧倒的な武力、才能、カリスマ、その何れでもなく単純な人格のみで僕は珍しくこの人は凄い、そう思い尊敬し他の人相手とは違う気の置き方を心の中で抱いている人物の一人だ。
「いいのよ、これは知識というよりも慣れの問題だから。もしど忘れしてしまったら尋ねやすい他の人や、またあたしに聞きに来るといいわ。初めて教えられたことを一度でこなす事は難しいでしょう?」
僕の特殊な立場を知りながら、この世界の御年寄りがそう笑う。
確かに一度教えられただけの物事を、すぐに自分のものにしてマスターするにはかなり難しいものがある。
メモをできる環境さえあれば自分の時間で復習を重ね、表面上は一度で学びきることは可能だろうが、生憎気軽に使える紙は使用人である僕は気軽に持てない代物だし、無論類似する機能を持つ代替品も高価なものばかりだ。流石に木の板にインクを染み込ませたかさ張る物を持ち歩けるほどの余裕は無い。
「ありがとうございます……では、これ以降誰かに頼らずこなせる様になれば格好いいですよね?」
「ふふっ……本当にできたら、ね。これからに期待してもいいのかしら?」
僕が少し挑戦的に笑うと、オーリエも乗りかかり悪戯っぽく笑う。
気づけばそんな笑みは消えていて、僕達の間にはただやり取りが微笑ましくてくすくすと言う笑い声が木霊すだけだった。
「……でも」
そんな笑い声も、オーリエの発したその言葉で気づけば消えている。
神妙に発せられたそれに僕は申し訳程度掃除のために動かしていた手を止めて、次に続く言葉を黙って待った。
「あなたみたいな歳……いえ、十分な大人ですら相手の目を見て、感謝と謝罪の言葉を告げられる人間は少ない」
ありがとう、ごめんなさい。
それが言えない人間は多い。
エリーゼの息子であるエイトのような年頃の、本当に幼い子供の間は言えるだろう。
けれどそれから少し進むと、子供は反抗期に入ってしまう。今まで歩いてきた年月の分だけ、その僅かな価値観を守るために、自分の価値を落とすことを恐れるのだ。
謝罪の言葉で非を認めることならまだしも、誰かに助けられ、それに素直な感謝を示すことすら子供はできない。
反抗期がようやく終わる頃、それは大人になり、世間体というものを意識する頃合でもある。
そこからは坂道を下るだけだ。歳を取れば取るほど、人は徐々に頑固になる。今まで積み重ねてきた大きく多大なものを少しでも守ろうとするため、まるで子供のみたいに見えぬ攻撃に駄々をこねる様身構えるのだ。
「その希少で大切にすべきそれは大事に抱いていて欲しい、けれど、あなたは……」
一見老体の説教に見えるそれは優しく伝えられ、そして無慈悲にも続く。
僕は……僕は? しっかりとした相手と場合では素直になれる僕は一体?
きっと答えが出るまでの僅かな時間での自問。オーリエからその答えが発せられる前に、脱衣所のドアが開閉する音が耳に入る。
「……素直になれない仕方の無い子達が帰ってきたようね」
下ろしていた腰を上げ、言葉ではそう言いながらも声音や表情はまるでわがままな孫達の相手をするのが楽しみで仕方ないように浴場のドアが開くのを待つオーリエ。
少し意味深な会話の続きが気になったがそれを抑えて、僕も同様にまだ掃除している最中の仕事を一旦手放し来訪者が顔を見せるのを待つ。
「ただいまーっと、あたし達の仕事は終わったわよ!」
「しっかり、終わらせました、はい……」
午前の仕事が終わった直後だろうに元気そうに入ってくるクロに続き、何かやましいことでもあるのかと問い詰めたくなるような腰の低さで浴場へ入ってくるシロ。
二人の……というか僕達三人に午前の仕事として与えられた仕事は、数部屋と廊下、それとトイレ掃除にここの浴場だ。
その仕事が割り振られていることを知った二人は僕が口を開く暇すら与えず、いや実際には何も言うつもりは無かったのだがそれぐらいの手際の良さと理不尽さで僕に後者二つを押し付けて去っていった。顧問役なのに。
廊下はそれなりに広い上、人目が付くので頑張る必要があるが、客室でもリーン家の人間でもない使用人や私兵の私室に至っては、部屋主が今はまだいいと一言言えば洗濯物を預かり係りの人間に渡し、あとは適当にベッドメイキングをして家具に不備があれば対応するだけで済む。
それに代わりトイレに浴場は生理的なもので皆が使用し、更に言えば汚れを落とすために存在する場所だ。汚れとしっかり対面し戦い、加えて大人数が住む屋敷となれば最低でも毎日清潔に保たなければならない。労力も当然責任感も他の箇所より要求されるというのが僕の意見だ。
「お疲れ様、二人共」
「――あらあら~? アメはまだ終わっていないの? オーリエさんにまで手伝ってもらったのに?」
その言葉には流石に僕も眉を顰めた。
厳密にはここへ来るなりオーリエの労いを無視し、延いては上司である彼女を僕と共に侮辱する発言をしたからだが。
当然その視線も、発した言葉の持ってしまった本質も当人一人にだけは把握できておらず、未だ自身に与えられた仕事を終わらせることのできていない僕の姿を双瞳に収めることで忙しいようだ。
「そう、二人は完璧に終わらせたのね?」
「えぇ」
「はい」
僅かに反応が遅れたクロに、相変わらず小さいながらもすぐに答えたシロを認識したのは僕だけではなかったらしく。
「じゃあ、クローディアはあたしと一緒に確認しにいきましょうね」
「なんであたしだけなのよ!?」
「大丈夫。ただ念のため、確認するだけだから」
「ならシャルも……いたいいはいっ!」
駄々をこねるクロの頬を掴み、有無を言わせぬ気迫で浴場から去っていくオーリエ。緋色のサイドアップテールが、少しでも抵抗し留まろうとしてか最後に大きく揺れて浴場から出て行った。
残されたのは呆然と立ち尽くすシロと、まだ半分程度しか作業の終わっていない浴場……あぁ、これは自主的に残業かなぁ。今日は午前中しかメイドやらない予定だったけれど、経緯はどうであれ与えられた仕事を、それも他の人が手際良くこなせればギリギリ間に合ったような仕事だ。
追加の手当てを寄越せとは騒ぐつもりはないが、お昼ご飯、僕の分を残して貰うようにしてもらわないと。以前誰かが伝え残っているものだと思っていたら、訓練で腹を空けきった私兵の連中に根こそぎ食われていて、一人寂しく厨房を借りて簡単な料理を作った記憶は新しい。
「……?」
ギリギリまでは掃除しようと作業中の箇所へ腰を下ろすと、僕の続くようもう一つの存在に首を疑問の代わりに傾げる。
「……ア、アメさんの立場とかは納得いかないことが多いですけど、やっぱりこういうのは間違っている、そう思うので」
声は僕の存在そのものに怯えるように震え、視線は決して合わせることもなかったがそれはシロのものだった。
こういうの、とは面倒だったり人が嫌な仕事ばかり押し付けていることを指しているのだろうか。
今日のようなことは何も今回ばかりではない。僕がメイドを始めて数日、なるべく嫌な仕事はこちらに押し付け、可能なら僕と別行動を選んでいたことは誰の目にも明らかだった。
「ありがとうございます、シャルラハローテさん」
おそらく今こうして手伝ってくれるのは贖罪の為。自ら犯した罪に対し罪悪感を覚え、それが自分以外にも見咎められる前に善行を成して逃げようという消極的なもの。
僕を未だ敵視するのも複雑な感情が交じり合った結果。幼く制御しきれない、誰もが同じ立場なら僕に抱いても仕方の無いそれに相方が身を委ね、結果振り回され自身でも消極的に敵意を抱いているもの。
そのどちらも能動的に行った結果じゃない。受動的に、動かなかった結果発生した出来事や感情に振り回されているだけ。
特に僕はそれが悪いとは思っていないし、これを機に何かが変化するとも思っていない。けれど、こうして一時的ながらも肩を並べることを許してくれた少女に、心から感謝の言葉が出ただけだ。
「長いのでシャル、で、いいです。皆さん、そう呼んでいるので」
「はい、クローディアさんの居ないところでは、ですよね?」
「……はい、もうしばらくは」
その日、僕がそう名前を呼ぶことは無かった。既にシロという略称が定着しているからだ。
それから僕達の間で話題が弾むことなどはなかったけれど、どうにか昼前には与えられた仕事を終わらせることができた。
オーリエとクロが帰ってくることは無かった。多分、シロ一人置いていくことで初めからこうなることをオーリエは予想していたのではないかと、メイド服を脱ぐ頃合で僕はようやくそんな可能性に辿り着いたのだった。
- 親衛隊の流儀 始まり -
「どうぞ」
コンコンっと扉が叩かれ、部屋の主であるヒカリが答える。
いつも通り午後から話し込んでいたため座っていたソファーからシュバルツは立ち上がり、使用人らしく主の後ろへと戻った。
少し遅れて扉が開き、一人の女性と男の子が部屋に入ってくる。二人を迎えるためヒカリは立ち上がり、僕だけ座っているのもなんなので適当にシュバルツと肩を並べて立つことにする。
入ってきた男の子は以前廊下で掃除をしていた子だ。名は確かエイト。なら隣に立っているのはエリーゼか。
最後に会った時は老いを感じて来たと言っていたが、まだまだその肉体は十分過ぎるほど鍛えられており、また以前はしていなかった化粧で最低限ながらもしっかりと顔色を整えている。
体を動かす必要が無く汗で落ちないからか、それとも普段からするようになった故添い遂げる相手を見つけられた、もしくはその相手に少しでも良い印象を持ってもらいたくて化粧を覚えたか。
まぁ何にせよ元気そうでよかった。隣のエイトも堂々と立つエリーゼに習うようしっかりと背筋を伸ばしてヒカリを見ているのが可愛らしい。
「お久しぶりですヒカリ様。頂いた休暇を満喫した報告をこうして改まって伝えに来ました」
「しっかりと顔を合わせるのは久しいわね。ローレンはどうだったかしら、レイニスには無い良いものが沢山あればよかったのだけれど」
「えぇ、それはもちろん。どの町よりも美しく、独特の活気を持つ街並みはただ家族で歩くだけでも楽しめました。
そして祭りに海、その双方も充実した時を過ごせ、今この場で語り始めると日が落ちきってしまうほどです」
「そう、それはよかったわ。ここレイニスも居心地は良いもののそうと感じる人間は少数派。
三つしか都市が無い国だけれど世界はもっと広い。私や他の皆にも時間があるときにはローレンの思い出を語り、ここ以外の都市にも興味を持って一つの都市に囚われないようにしてあげてちょうだい」
エリーゼが深く頷いたのを確認し、ヒカリはエイトへと歩み寄り視線を同じ場所まで下げる。
「どう? 海は凄かった?」
「うん! 青くて、大きくて、それとしょっぱかったの!」
「そっかそっか、あれで甘ければもっと素敵だったのにね」
ヒカリはエイトを抱きかかえ、勢いをつけてくるくると回りながらそう言った。
その言葉は少年に合わせるためのものじゃなく、心の底から言っていると僕は雰囲気から感じ、キャキャキャと回る視界を楽しそうに笑う二人に、コウも同じ感想を抱いたのかな、そう思った。
「こちらの少女が例の?」
四度ほどくるくる回ったあと床に下ろされ、少しふらつきたたらを踏む息子をエリーゼは受け止めながら僕へと視線を向ける。
「えぇ、聞いているだろうけれど名前はアメよ。今は事情があって少しの間特殊な立場に置いているけれど」
「アメです、よろしくお願いします」
既に見知った人間に再度挨拶をする不思議な感覚。
ちぐはぐな状況のシュールさに……一方的に親近感を覚えている事実に対し少しの寂しさ。
「アメ、か。これから長い付き合いになりそうだ、よろしく頼むぞ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、エリーゼさん」
どこか感慨深く僕の名前を呼んでくれたと思ったのは僕の願望か。
その名に殿という敬称が付くことはもう二度とないだろうけれど。
「そうだ。今から時間があるのなら、エリーゼも一緒に親衛隊へ顔を見せに行かない? まだ正式にアメを紹介していなかったから」
「えぇ、私は構いません」
その言葉にヒカリはシュバルツへも視線をやる。
「シィル、ツバサの両名も今日は屋敷に滞在していたと記憶しています」
シィルにツバサ。
名前だけは聞いたことのある親衛隊の実質的トップ。
エリーゼが一線から引いてなお名誉顧問として訓練の際には皆を率いることが多いが、実際に何らかの活動を行う時にはこの二名が隊長と副隊長として動いていると聞いていた。
「アメは……何時でも大丈夫か」
「うん」
確認しようとして、そう中断するヒカリ。
僕は基本的に何時でもなんでもできるように準備している。心構えも、武装も。
寝ているときに襲撃なんてされたら、流石に武器も無く応戦するしかないけれど少なくとも抵抗もできず死ぬなんてことはないはずだ。
「私は少し準備をしてくるから、シュバルツ。あとの事はお願いね」
「御意」
「では中庭で」
そう言ってシュバルツはエリーゼとエイトを連れて外へ。
ヒカリは未だ僕が入った事のない寝室へ向かい、一人残されて特にやることもない僕はのんびりと少し寂しくカップに残った紅茶を飲み干すことにした。
そして中庭に集う六名。
ヒカリ、シュバルツ、エリーゼに僕。あと二人は顔は知っていた男女。
「あらあらーエリーゼさん久しぶりですねぇ~あなたが居ないとあたしの仕事が多くて多くて、それはもう大変なのでこうして帰ってきてくれるのはとても嬉しいんですなー」
開口一番おちゃらけた様子で喋るのは長身の女性。
肌はこんがりと焼け、もしくは単にそういう血統なのか褐色で、しっかりとした筋肉が露出の多い服から窺える。
肩までかかる程度に伸ばした黄金色の髪に、眠そうにあまりしっかりと開けない両眼は深い緑色の瞳を携えている。
「シィル、お前そんなこと言ってエリーゼさんが居ない間、面倒な仕事は俺に任せて逃げていただろう。
毎月、毎週、毎日言っているが、いい加減立場というものを自覚してくれっ」
女性をシィルと呼んだからこの男性はツバサというのか。
シィルほどではないが適度に伸ばした黒い髪に黒い瞳。
この世界では珍しい日本人スタイルだ。大概様々な血が混ざり合い、髪や瞳の色はこれほど純粋なものは珍しい。
「あれー? そだったっけ? あたしはしっかりと体を動かしていた記憶があるんだけどなぁ?」
「体しか、動かしていないの間違いだ。頼むから頭を使ってくれ」
「それなら大丈夫だよ。なんて言ったって毎日千回は頭突きの練習をしているからね、最近岩だって砕けるようになった、次は山を崩すのが目標!」
二十近い良い歳をした女性が子供のような冗談を口にし、ツバサは心底呆れたように手を額に当てる。
なんというかこの一瞬で二人の人間性というか、関係性も垣間見た気がする。
実力は優れているが掴みどころのない隊長のシィルに、それをサポートするため振り回され、余計な仕事を背負う苦労人タイプのツバサ。
「二人共変わらずで何よりだ。けれど今はヒカリ様と、紹介すべき人間が目の前に居ることを忘れては困る」
昔のエリーゼなら怒り狂って説教でもしていただろうに、丁寧に諭すようそう告げたのは家庭を持ったからだろうか。
「ヒカリ様、ご機嫌麗しゅう!」
「挨拶が遅れてすみませんヒカリ様、コイツはあとで注意しておくので……」
まるで悪びれた様子の無くふざけた態度を改めずビシッと敬礼しとんでもない挨拶をするシィルに、ペコペコと頭を下げるツバサをヒカリは微笑ましそうに見る。
「あまりきつくは言わないで頂戴ね。こうした漫才が見れなくなると思うと胸が苦しいわ」
そう言って僕に視線を向けてくる。
「初めまして、アメです。よろしくお願いします」
「君がアメか。へー、ほー?」
ここで初めて僕を注視するシィル。
厳密には冗談めかした会話が行われている最中も、二人からは僕を警戒しているような気配が見て取れていた。
「ま、じゃあ始めようか。お譲からは親衛隊として活動するための最低限を教えるように伝えられていたのですよ」
そうして会話が始められたのを見て、ヒカリはツバサを連れて少し離れた場所へと移動し、持っていた剣を抜刀する。
しっかり戦闘用のドレスアーマーに着替え、剣と盾を持っていた辺り初めから訓練をするつもりだったのか、あまりにも自然な流れを見るにこうした風景はここの日常なのかもしれない。
「まーまー基本は十二分に出来上がっているみたいだし、あたしらから教えられるのは連携や独自の戦術に決まりごと程度かな……あ、それと、もひとつあったんだった。お譲、言ってたよ。あんたさん血の気が多すぎるってね」
「単純な方が面倒が少ないですし、そもそも戦いとはそういうものでしょう」
「あたしもその意見には共感するよ、うん。目玉焼きの焼き加減程度には」
どの程度かさっぱり伝わってこない比喩表現は初めてだ。
お前の好みは知らないし、僕の好みも知らないだろう。ちなみに少し火が通りきっていないぐらいが一番好きだ、舌に黄身が僅かに滑る程度が。
「でもさー、野盗やならず者ならまだしも、貴族間の争いともなれば面倒なもので、その辺の野盗を皆殺しにして愉しんで許されるとは別なものなんですよー。
もちろんお譲が居る場じゃ互いに命を賭けて戦わなきゃいけないけどさ、もし居ない状況で戦闘する必要性が出たらどちらかの陣営がある程度傷ついたら互いにその時点で退くの、わかる?」
リーン家が他家よりもこうした大きい戦力を抱えるのには理由がある。
十年経ってもなおミスティ家を助ける際に発生したテイル家との禍根は未だ消えておらず、隙を見せれば末席であるヒカリを狙う動きが絶えないからだ。
まぁ本人は殺してもしなないような人間だが、多勢に無勢という言葉がある。しっかりと訓練された人間三名にも囲まれたら、流石のヒカリも命を落としかねない。
直接屋敷に乗り込んだり、街中で物騒な真似はしないらしいが、何かの機会で郊外に出る際は細心の注意を払わねば万が一が存在する。
ただそのヒカリが必ずしも戦闘が起きる場に居るわけでもない。
情報が完全に抜けているわけではないし、私兵が動いた先にテイル家が向かってみたら当の本人は居ないこともある。
じゃあ顔を合わせて今回は縁がなかったということでーと解散するわけにもいかず、互いの戦力を削ぐため、という名目上無用な死者を出し恨みを買ったり、その逆が発生することを避けながらも傭兵として雇われている以上仕事をするフリをしなければならない、といことだろう。
「わからないよねー。あたしもよくわかってないもん。ゼリーみたいなアメの頭じゃわからないよねー」
「一応尋ねますが褒めてないですよね?」
「褒めてる、褒めてるよ? あたしゼリー好きだし、プリンのほうが好きだけど。
まぁ復讐は誰かが飲み込まないと止まらないってやつ? いや違うか、必要の無い殺傷は行うべきじゃないんだよ、人間はさ。給料貰っている以上文字通り死ぬ気で戦う必要はあるんだけどね、必要の無い場所では手を抜くの。あたし達はそうしているし、相手もそう。お譲もちゃんと把握していて、でもみんな口にはしない暗黙の了解って奴。
……はーっ。すごいっ! あたし今凄い良いこと言ったと思わない? 褒めて褒めて?」
たまに遭遇するタイプの人間だと僕は早速認識し、初対面にもかかわらず適当にあしらうことに決めた。
「はいはい、凄いですね」
当然そんな僕の言葉に不快感をシィルが覚えた様子も無く会話は続く。
「まぁそういうわけで、あたしはちゃんと一度でも教えたよ。一度で覚えられるなんて到底思っちゃ居ないから、必要なら二、三人殺っちゃって適当に覚えていってね。ちっちゃな狂戦士ちゃん」
一人でも不用意に殺すと互いに大きな不利益が発生すると今教えられたばかりなのだが。
「――じゃ、始めようか?」
そしてシィルは少しだけ目を見開いて握るチェーンを鳴らす。
その先には人の頭より大きい鉄球が付いていて、鉄の棘も相まり簡単に僕の頭などトマトのように潰せるだろう。
視界をずらすとヒカリがツバサと訓練……というかもう既に蹂躙の段階に入っていた。
ツバサの武器は珍しく両刃剣と呼ばれるもので、普通の長剣とは違い柄頭からも同様に刃が伸びているもの。
扱いが難しく自身を傷つける可能性すら高いそれをツバサは難なく操り、独特の戦い方でヒカリに対抗していたがすぐに押され始めていたのは何となく知っていた。
メイドをやって気づいたが、この屋敷、二つの建物に囲まれるよう中庭が存在しているのだが、外部からは見えないよう隠されているどころか、建物にある窓は基本外側を向いていて、室内からこの中庭を見ることのできる場所はヒカリの私室等数えられる程度に限られている。
普段見えないだけで、今こうして物好きな人間が観察できるようにはなっていて、見慣れた視線が幾つかの窓からこちらを見ているのがわかる。
そんな場所に、ヒカリとシュバルツが武装をして来て、紹介されたシィルとツバサが武器を持っていれば僕に望まれていることは一つなわけで。
「あの、それで殴られたら僕潰されるのですが」
「そんなヘマをする人間はここにはいないよ♪」
寸止めしてくれるという優しさか、それとも死んでしまえば居なくなるということか、真意の読み取れない表情に若干恐怖を覚えながら僕は構えた。
- 親衛隊の流儀 終わり -




