126.その子誰の子エリーゼの子
「ねぇ、ココロ。ここでの生活はどう?」
午後は空いているとの事で、ココロと町案内ついでに服や日用品を買い足すため二人で雑踏を歩く。
「とても素晴らしいものですよ。しっかりとした食事や部屋を頂いていますし、こうして自分のために使うお金も十分貰えて」
ココロはそう言って両手に抱える荷物を揺らす、腰に付けている刀と共に。
「……でも、どこかもやもやがありますね。ここが自分の居場所じゃない、そんな感じが」
もやもやとやらが溜まっているだろう胸を見下ろし、少し憂いを帯びた瞳で空を見上げるココロ。
その様子に僕は少しだけ申し訳なさを感じながら、正とも否とも言えない言葉で返す。
「大丈夫。多分新しい環境に入って、戸惑っているだけだと思うから」
「そう、ですよね」
僕の隠している物を見てか、それとも自分の中に抱えているもしかしたらを確かなものに変えている最中なのか、皮だけの返答を最後に僕達は無言で歩みを続ける。
必要なものは十分に買った。足りなかったら屋敷で借りるか、改めて買い足しに来た方が良いだろう。
……なるべく早く屋敷へ僕は帰りたい。未だそれは定められておれず、生前見知った顔と再び合間見えた際どうした反応をすればいいのかわからない。
ただそうした自身の選択を待ってもらっている人間の一人、ココロに対して少しでも詫びたいと久しぶりにあの食べ物を探し屋台を漁る。
探し物は砂糖を焦がしたような香ばしい香りに誘われ、僕はすぐにそれを見つけることができた。
「四つください」
「はいよ、30リルな」
僕は財布から銀貨を三枚取り出し、多少歳の食ったおじさんにそれを手渡し串焼きを三本貰う。
相場を考えるにまた安くしてもらったようだ、小さい子供が好きなのか、あるいは単にこの料理を食べる客の反応が好きなのか。
何にせよそんなやり取りで哀愁を覚え、もしかしてあのお店の人とは以前会っていたのかなと、些細な期待が胸を過ぎり心地良い後味と共に消えていった。
「はい、ココロの分」
「ありがとうございます、とてもおいしそうな料理ですね」
人混みが少ない場所で荷物を降ろし、二人で二本ずつ串を持つ。
「うん、おいしいよ。ほら、冷めないうちに食べちゃおう?」
僕はそう言いながら串を一本口に運ぶ。
突き刺されこんがり焼かれたそれは口内に運ぶと甘く焦げた香りを充満させ、パリッとした表面を歯で砕きながら甘くプリッとした中身を飲み込む。
「うわぁ……とても不思議で甘い料理ですねー!」
「うむ、そうだろうそうだろう」
頷きながらもう一本口へ。
僕が探したところこの料理は王都やローレンでは一度も見かけなかった。
レイニス特有の食文化なのかもしれない。一番物資の少ない町、それ故どんな材料でも食べる必要があるのだろうか。
「ただ焼かれているだけみたいですけど、これなんなんですか?」
「虫」
「へぇ、こんな美味しい虫もあるんです……って自然に何食べさせているんですか! 虫!?」
「虫」
慌て思わず落としそうだった残っていた串を宙で何とか拾いつつも、十分噛んで飲み込んだ物の正体を改めて認識してか気持ち悪そうに口元へ手を当てるココロ。
当然他の都市では食べないどころか、冒険者ですら飢えて虫を食べることすら稀だ。未だに僕はこの虫がどんなものかを把握していない。
「食べないなら僕が貰うけど?」
「うぅー。食べれるんですよね? 他の人も食べているんですよね? ちゃんと売れるようなものなんですよね? ……なら、頑張って食べます」
「怯えず一口で行ったほうがいいよ。僕も断面は見たくない」
何とか涙目になりつつも、美味しかった記憶だけを思い出し正体を忘れ口に運び、しっかりと無事に飲み込むことのできたココロ。
内心してやったりだぜー! と踊っているのがばれなければいいが。
他人にこのような行為をするのがこんなにも気持ちがいいとは。日頃からやるものではないが、たまにはいいかもしれない。
「でも、良かった」
口直しにか果実水を手に、一息ついたところでココロはそう呟いた。
僕は唐突に吐き出されたその謎に、首を傾げ説明を促すだけで。
「こうしてアメさんと友達のような時間を過ごせるようになるなんて」
「普通に友達じゃない」
「以前こうして二人でリルガニアを歩いた後、私を満身創痍まで痛めつけたのはアメさんですよ?」
少しだけ面白い悪戯に目を輝かせるようそう返してくる彼女に僕は何も言えない。
本当にあの時のココロは虫の息だった。四肢は砕かれ血溜まりの中、常人ならば死んでいてもおかしくない状態の少女に傷を増やす僕。
脱走騒ぎの際好き勝手暴れてしまったことを思い出しても未熟さに羞恥を覚えるのに、それを遥かに上回った非道な行為は何度思い返せど凍った背筋を屈し土下座したいほどで。
「友達って言ってくれましたよね。それならこれからは普通に接してもいいんですか?」
そんな非道を振るわれた少女は目の前で笑う。僕に笑顔を向け、恨みや憎しみといった負の感情を一切見せずにただ笑う。
「……あの時はごめん。もちろんいいけど、そんなに割ける時間は多くないし、僕達正反対な性格だから多分そりがあわないと思うよ?」
「たまにこうしてのんびりできるだけで十分ですよ。それに真逆の性格のほうが仲良くできるとも言うじゃないですか」
その理屈は恋人や夫婦関係ではよく聞くけれど、友人関係ではあまり聞かない気がするがどうだろう。
「でも、ここを超えるかどうかは、もう少し待ってね」
「はい」
僕が手で二人の間に一線を引いて念を押すと、ココロは穏やかに頷いただけだった。
「じゃあ、また機会があったら虫食べに来ようか」
「……それは少し待って欲しいです。というか私達の関係を虫ありきみたいに言わないでください」
慌てて制止するココロに、僕は思わず笑みを零し、ココロも釣られたようにくすくすと笑い始めた。
そっか。僕はこうして穏やかな時間をココロと過ごしたり、お茶を楽しむことすらしていなかったんだ。
僕は自身の変化と今確かにある幸福を実感しながら、冬が終わり花曇の空を見上げた。
- その子誰の子エリーゼの子 始まり -
ココロと別れ夕食までの間、ヒカリの私室へ向かう途中の廊下になんかめっちゃ可愛い子がいる。
四歳ぐらいの小さな男の子が、必死に自分よりも大きなほうきを使い何とか汚れを綺麗にしようと頑張っている。
なんかめっちゃ可愛い。やばい、やばい可愛い。
「こんにちは。お手伝い?」
僕の身長も大概低いが、流石に年齢が半分以下の小さな子供よりは十分に大きい。
少し身を屈め視線を合わせてそう喋りかける。
「うん! こうしておそうじして、しよーにんの人たちが少しでも楽になれるようがんばってるの!」
喋ってもめっちゃ可愛い。すごい。
「そっか、お駄賃とか貰ってる?」
「がんばったらおかあさんが少しくれるよ。いっぱいためて、おかあさんにプレゼントするの」
喋れば喋るほどめっちゃかわええ。
少年よ、それでいいのか。せっかく貰ったお小遣い、お母さんにプレゼントとして返したら絶対泣くぞ。僕なら号泣だ。
「いくらぐらい?」
うーんと、そう言いながら両手を使って数え始める男の子。
掴んでいたほうきが手から離れ倒れそうになるのを黙って受け取りつつその様子を見届ける。
……喋らなくてもかわええ!
「これぐらい!」
そう言って提示された金額の半分を僕は男の子にそっと差し出そうとして、流石に初めて会った子供に金銭を渡すのはマズイと思い踏みとどまる。
「これは……?」
「頑張ってるみたいだからご褒美」
幸いココロと町を歩いていた時に見つけ、興味を惹かれ買っていた飴玉が幾つかポケットに入っていたのでそれを二つ手渡そうとする。
「もらえない」
「どうして?」
知らない人から物を貰ってはいけないと教わっているのだろうか。
「がんばったぶんはおかあさんからしっかりともらうので、ひつよーいじょうにはもらえないのです」
あばばばばば。
今すぐ抱きしめて匂いでも嗅ぎたい衝動が込み上げてくるが何とか抑える。
知り合いに事案を知られ、道の隅に落ちている生ゴミを見る以下の視線とか絶対に堪えられない……今でもあまり尊敬されている部類ではないけどな!
「ふむ、いつも頑張ってお手伝いしているんだよね?」
「うん」
「じゃあ今日だけはいつもよりもっと頑張るってことで、受け取ってもらえないかな」
「……もっと?」
何か期待を込めた様子で尋ねる少年。
「うん、もっと!」
僕はその様子を認め、両手を広げてそう返す。
「わかった! もっと、もーっと!がんばるってやくそくするね!」
本当は飴玉を食べたかったのだろう。
堪えきれず、僕と同様に両手を広げて歓喜極まる男の子。
「じゃあお姉ちゃんとの約束だ。疲れない程度に頑張って、お母さんに早くプレゼント買ってあげられると良いね」
指切りをし、飴玉を渡す。
僕が去るときには出会ったときよりも更に頑張ってほうきを動かしている男の子を名残惜しく見ながら、僕は当初の目的であるヒカリの部屋へと向かった。
「なんかこっち来る時にすげーかわええ男の子が居た」
「お前の語彙も凄いことなっているぞ」
そう言いながらソファーにもたれかかりリラックスしている僕にお茶を淹れてくれるシュバルツ、うるさい。
「顔も部屋に入って来たときから凄いことなっているけどね」
ヒカリの言葉に僕は慌てて鏡の前に行き、緩みきった表情を揉み解し整える。
「それで誰の子? 初めて見たんだけど」
ここに来て確かめられた年齢は、若くとも使用人として働いている八歳程度の少女が限度だった。
身寄りがない子供を無条件で引き取っている感じではなかったし、住み込みで働いている誰かの息子辺りという立場だろう。
「多分想像するにエリーゼかな?」
「……。……は?」
「だから男の子、エリーゼの子じゃないかな?」
言っている言葉が僕に確かに伝わっているかを、優しく微笑み確かめるヒカリの様子に少し冷静に思考を回せる。
「エリーゼって、あの? ミスティ家親衛隊隊長の、あの?」
頭に浮かぶのは無骨な女性。
ミスティ家に滞在していた頃僕は訓練でよく蹴飛ばされるほど武勇に優れ、また人格も高潔で素晴らしい人間だったが、お洒落にあまり気を使っていなかったり、微妙に気が回らなかったりで残念美人といった人物だ。
「うん、リーン家に嫁いだお母様が心配でこっちに移動してきた。アメが来た時は休暇のタイミングだったから、顔を合わせることがなかったのかもね。そろそろ私にも挨拶に来たりして」
「え、親衛隊隊長って二人いるの? エリーゼって名前の隊長が二人?」
「なんだそれは」
僕の言葉にシュバルツはくくっと笑い声を漏らす。
「いやいやいや、だってエリーゼさんなんというか女子力無いじゃん。とてもじゃないが結婚できる姿なんて想像できないじゃん」
「それはエリーゼに対する侮辱で、エリーゼの旦那さんにも不名誉な発言だね」
言葉ではそう言うが、全然責める様子の無い感じでヒカリは口を開く。
聞けばレイニスに来てから物好き……もとい波長の素晴らしく合う男性と交際を初め結婚に至り、無事に子供も生まれたそうだ。
「その女子力で言えばお前も大概だと思うが」
「シュバルツにそんなこと言われても」
ぶっちゃけどうでもいい。
「うん、むしろアメの方が女子力低いよね」
テーブルが僕の顔に迫ってきた……否、僕の顔がテーブルへと向かっていったのだ。
額に衝撃。カップが揺れ、僕だけのお茶が零れる音がするが今はどうでもいい。
「……ぼく、そんなにひどいかな」
「酷いというか、女性的ではないな。中性的とでも言うのか、人として魅力が無いわけでは無い」
顔を上げ、シュバルツが零れたお茶を黙って拭いているのを認識。
ヒカリが沈黙を守り、衝撃の影響を避けるついでにカップを両手で持ち上げ上品にお茶を飲んでいるのも認識。
その二つの認識が、一つの答えを導く。
「待って、一つ言い訳させて欲しい」
「ふむ」
「ほう」
二人が相槌を打ったのを確認して僕は叫んだ。
「お前らが女子力高いんだよ!」
ヒカリはコウだった時からやたら家事ができていた。そのせいで僕は彼に甘えてしまってそういった方面を磨くことを諦め……機会を失っていた。
シュバルツだってそうだ。口は悪いが気配りもできる、家事も上手。女子力とは少し違うが、彼がそばに居る事実は男の記憶がまだ強く根強い僕の存在が霞むには十分すぎる要素だ。
「相対的に見て、周りの人間がそういった方面に優れているが故に僕の本来の価値が等身大に見出されていない。以上!」
僕の言葉にふふっと笑うヒカリに、少し溜息をついて口を開くシュバルツ。
「そういった部分が女子力を低いというのだ。憤るのは構わないが、もう少し言い回しや表現を感情的にしてみせろ、理屈っぽいのは男の特徴だ」
「男女差別はよくないと思いますー!」
「区別だよ、アメ。狩りに出るのは男の役目、命のやり取りをする仲間の間で交わされる言葉は最低限の事務的なものでないと困る。
家や町を守るのは女の役目。コミュニティーを温め、外から帰ってきた男達も癒すためには他者の言葉に共感し、感受性豊かに生きないと」
「知ってるよ! そこまで知っていて僕は言ってるの! うんっ! その、えっとさぁ!?」
頭と胸が熱いもので満たされ、上手く言語化できずそう発言したのをシュバルツが鼻で笑う。
僅かに冷静な僕の部分が、その反応にあまり嫌悪感を覚えなかったことに僕は嫌悪感を感じた。
「今の言葉遣いは悪くなかったな。何にせよ女の身でありながら戦いの最中へ身を置くのも、その能力がある人間が採る選択肢としては珍しいものではない。だからお前はきっと、そういった部類の人間に分類されるのだろうな」
「髪が黒かった時はもっと感情的だったんだけどねー。気まぐれで親しい人に迷惑かけたり、知らないところで命張ってでも他人を助けてたり。今でもこうして感情的になる時は人一倍早く暴走するんだけど」
ヒカリの言葉に僕は冷水を体の芯へ差し込まれたような感覚を覚える。
先ほど急に湧いてきた理不尽に対する怒りのような熱い感情の代わりに、今度は熱したそれが途端に冷たくなるほどの発せられた言葉の意味から最後に連想し思い出す記憶まで、あらゆる情報が僕を酷く落ち着かせる。
「死にたくなるほど、考える時間だけはあったから」
ようやく口から発せられたそれは、自分自身あまりにも冷たすぎて震えそうなものだった。
「話を聞くだけならば、とても幻想的で安らげそうな空間なのだけれどね」
茶化すわけでもなく、話を逸らすわけでもなく、僕の感情を緩やかに良い方向へと向けさせるためそう言ったヒカリに続き、僕は今自分が感じている感情の確認のためにも、三度目生まれるまでの胎内で過ごしていた様子を口にする。
決して目に刺さりはしない極彩色の世界。大きなシャボン玉の中にいて、無数のシャボン玉が自由に記憶を運んでくれて。
飢えも、寒さも、暑さも、痛みも、何もなかった。ただ無限にも思える長い時間と、否応にでも思い出せるつらい記憶、あとは眠れない事実がそこにはあっただけで。
確かに僕は眠っていて、産まれるまでのあいだ精神世界のような空間でその時を待っていた。
本来ならば多少暇な程度で、気が狂いそうなほどの期間ではなかったのだろう。目に見えない苦痛で主観時間は狂いきり、一年にも満たない睡眠の無い壊れた永劫の中、僕は何度自死をイメージし、決して自分を傷つけることのないその世界を呪ったのかは数え切れないのだが。
「そうした経験を得たのが大きく自身に影響を与えた、と」
「拒否権無く迫られ、仕方無くやってみたら必要だとようやく気づいて、まぁそんな状態で三度目をスタートしたら性格というか価値観も変わった日々を送るよねって」
二度の生では得られなかった。
恐らく死しただけでもこれほど早く会得することも叶わなかった。
相性も悪く、憎々しげに宿るそれを手放すつもりはないと確かめ、僕は吐き出しそうだった言葉を呑み込んだ。
- その子誰の子エリーゼの子 終わり -




