121.虚構の城壁
眠っていた意識が覚醒し、僕はゆっくりと瞼を開けて景色を取り入れる。
朝だろうか。
小鳥は囀り、陽光は優しくカーテンを開けたままの窓から室内へと入り込み室内を照らす。
何時もとは違う天井、それから柔らかいベッドに、確かに昨日経験した出来事が幻ではなかった実感を与える。
アレンさん達とリーン家へ来て、ヒカリと戦って、実はヒカリはコウの記憶を持っていて。
何にせよヒカリと再会し、しばらくはのんびりするといいと言われ雑談をあのいけ好かない執事含み楽しみ、夕食の時間を迎えて適当に食事を済ませて案内されたこの客室で寝た。
あの執事、非常に鬱陶しいが心の底から憎いって感じは無い。尋常じゃない目付きや、僕に対する口の悪さ、それからヒカリとの関係……その辺に慣れるのはしばらく時間が掛かるだろうが、多分長く、悪くない付き合いになるだろうと予感を抱いた。
ヒカリ。
ユリアンとカナリアの娘。
コウの記憶を持っている少女。
色々変わっていて……立場とか、名前とか性別とか、性格も少し違うけれど、あれは確かにコウだ。
本人が危惧しているようにこれから接していく上で、そういった差異に落胆し苦しむこともあるかもしれないが、少なくとも今は大切な何かを取り戻した幸福が胸を満たしている。
ヒカリ曰く半分はコウ。それにルゥが居ないので四分の一だけだが、その四分の一だけで、こんなにも生きたい、そう思えるものなのかと心から思う。
上を見ていた視界を、入り口である右に向ける。
――三十センチにも満たない距離に、ココロが居た。
一瞬硬直する僕に、可愛く小首を傾げる少女に僕は遅れて心臓を跳ねまわさせる。
「なななな、何黙って入ってきてるの! というか何時から居たの――!?」
「んーと、二十分ほど前でしょうか?」
長い。
「マナー違反だと思うんだけどな!?」
「えー、昨日まで一緒に寝ていた仲じゃないですか。というかあれほど『寝ているときも気を緩めないように』なんて私にしつこく言っていたのに、今まで気づかなかったってどういう了見ですか?」
「……それは」
思わず口から何かが出てこようとして、案の定何も出てこないところをココロは優しく微笑んで見届ける。
「やっと、肩の力が抜けたんですね」
「えっ――?」
「ずっとずっと気を張っていて、喪失を忘れるためアレンさんに尽くして、ようやくそれが報われたんですね」
僕の頬を撫でながら、自身の頬に一粒だけ僕を想い雫を伝わせ、心からの安堵と共にココロは笑う。
あの僅かに微笑む様子が可愛らしいと思っていた笑顔で、僕のことを想って。
「うん」
「よかった、本当に。その役目が私じゃなかったのは少しだけ嫉妬しますけど、ね。
そろそろ朝食ですよ、一緒に行きませんか?」
「すぐ着替えるから、外で待っていて」
「はーい」
そう腑抜けた返事をしながら、退室しようとする背中に思わず僕は声をかける。
「……ありがとね。多分僕達にはココロが必要だったから」
もしヒカリなんて奇跡が起きなければ、多分ココロという身近に居る存在が僕達の心の隙間を埋めてくれていたはずだ。
今ならそう素直に思える。どうしようもない喪失を、彼女ならばきっと時間をかけて、自分の傷のように涙を流しながら、共に癒してくれていたのだろうと。
「どうも」
短く、けれど心底嬉しそうにそれだけの言葉で返しココロは今度こそ部屋を出て行った。
- 虚構の城壁 始まり -
「むふー美味しいですねー」
もきゅもきゅと効果音が鳴りそうなほど口に朝食を詰め込み食事を取るココロに、先ほどの感動を返せと言いたいが僕は大人らしくその感情を呑み込んだ。
なんていったって中身三十九歳だからな……まるで自覚が足りていないけど。いろんな意味で。
「もう少し綺麗に食べた方が可愛らしいぞ」
食堂の隅で集まり朝食を取るのは顔馴染みの面子。
ココロの様子に、注意しない僕の代わりにアレンさんは適当に口を開いて注意した。あまり感情は篭っていない。
「料理が美味しいのとそれ関係あります?」
他のテーブルには親衛隊と思われる人々や、使用人の人が交互に食事を取っているのがわかる。
時折見ない顔に珍しそうに反応するが、知らない人間が屋敷に居ることもそう珍しくないのかすぐに自分達に今は関係ないと知ると興味が逸れていく。
比べられる貴族の家がミスティ家しか知らないのでなんとも言えないが、そういった親衛隊や使用人の数がリーン家の家族構成を考えてもやたら多い上、アットホームというか客である僕達とこうして同じテーブルで食事を取っていることに少し不思議な感覚がある。
「ほら、アレンさんこれも美味しいですよ。どうぞどうぞ」
「ふむ」
差し出された料理を素直に口に運び、満足気に頷くアレンさんを見てやはり美味しい部類だと自分でも自覚しつつ口を動かす。
昨日まで野営で、量も少なければ質も悪い食事しかここ一ヶ月以上取れていなかった。
食が進まない理由がない。これからこうした料理を食べられるかと思うと毎日が幸せだろう。
「どう? 美味しい?」
「うん」
唐突に後ろから尋ねられた問いに僕は頷き、追加で口に料理を運ぶと、アレンさんとココロは慌てて立ち上がりその声の主を見る。
二人や周りから怪訝そうな視線を向けられ、僕も渋々手を止めて立ち上がり振り向く。
「おはよう、アメ」
「おはよ」
僕は何時もそうするように挨拶してくるヒカリに同様に挨拶を返す。
「おはようございます」
「お、おはようございますっ……!」
次いで挨拶をする二人に、ヒカリは再び座るよう促して自身は手に持っていた料理を僕達の前へ、もう一皿を他の人達が居る場所へ運ぶ。
使用人含めその際立ち上がるような人々は居らず、ただありがとうございますと軽く頭を下げて差し出された料理を楽しむことに戻っていった。
「まぁこんな感じかしら。当家の過ごし方としては、あまり気負う必要はないわよ。無論他の名だたる人々の前ではしっかりとやってほしいけれどね」
そう言いながらヒカリは僕の左側へ座る。
右側のココロ、正面に座っているアレンさんがその様子を見て少し姿勢を伸ばした。
「大丈夫、何もとって食いやしないから。それに今日は私が食事を担当する日でもあったわけだしね。
今この時間だけはリーン家の一人娘ではなく、他の使用人と同じようなただの給仕の女の子」
「給仕がそのまま同じ席に座るかな」
「それもそうね」
僕がそう言いながら新しい料理に手を伸ばし、ヒカリも軽く流して自身の持ってきた料理を少し取り分ける。
それを見てようやく、というか感想でも求められているのか勘違いして二人も料理を自分の皿へと分けた。
「わぁ……凄くおいしいですねっ」
ココロが身を乗り出してヒカリへそう告げる様子に、僕は少しだけ椅子を引いて視線を通りやすくする。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。でも私は本職は敵わないし、この料理だって他の担当である皆と作った物だから」
「何時もこのようなことを?」
アレンさんの問いにヒカリは頷く。
「まぁ時間がある時、だけだけれど。時間が無い時も家事は自分の部屋の掃除だけでも自身でやるようにしているわ」
「それはとても高尚な……」
「褒め言葉は不要よ。別に使用人の皆が行っている仕事の有難味を実感したいとか、そういった事情があってのことじゃない。
私は私がやりたいから料理をするし、掃除程度なら自分でも行えるから欠かさずやっているだけ。特にそれを誇るつもりもないし、誰かに強制する気持ちもないの」
その堂々とした言葉に二人は完全に黙ってしまう。
「んで、料理持ってきただけ?」
それだけなら気を楽にできないから去れ、という敢えて言わなかった言葉はアレンさんとココロにも伝わっていたことが空気から伝わる。
「これから一緒に生活する人と会話を楽しんじゃダメなの?」
「まぁそういうことなら」
僕にだけコウの言葉で語りかけてくるヒカリの言葉に納得すると、今度は凛々しさに、若干の子供らしさを混ぜて二人に視線を向ける。
……多分これが目上の人だったら凛々しさだけとか、ユリアンやカナリア相手だと子供らしさ多目に変わるんだろうな。器用なことに。
「とまぁこうしてアメだけを露骨に贔屓しているわけなのだけれど、そういった事情を含めて皆の処遇は少し客人という立場で待っていて欲しいということを改めて。
決して落ち着けないのはわかっている、けれど正直私もアメの存在は許容量を超えていて、多分アメもアメなりに一杯一杯だと思う。それを上手く処理できるまでの間、二人にはもう少しだけ待っていて欲しいの。必ず悪いようにはしない、それだけは約束するから」
頭を下げないまでも真摯な態度に、自然と二人は姿勢を改めその言葉を受け取る。
「それは構わないのですけれど、一つ疑問があるんです」
「何かしら。皆を戦力として募集した理由は未だ公言はしないつもりよ」
ココロの言葉にヒカリは予めといった様子で釘を刺す。
「いえ、アメさんの"特別"が理由で、私達の、私の立場が悪いものでは無いことが保証されているのか気になって」
ココロの疑問は最もだ。
僕がアメだったから、それだけの理由で今僕達の立場は保証されているのか。
僕とアレンさんはまだしも、ココロに至ってはヒカリに対し傷一つ付けられない状態で試合が終わってしまった。
自分達がここに居てもいいという確かな証明。もしそれがあるのだとしたら僕自身も、それはヒカリ自身から受け取りたい。
「いえ、久しく私に傷をつけたアメとアレンはもとより、ココロ自身の実力も少なくとも親衛隊、私兵としては合格ね。
私としては嫌だと言っても手放したくないほどあなたには能力がある……傷を負わなかった私がそれを言っても信頼に欠けるかもしれないけれど、どうかそれは信じてほしい」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
その両眼が嘘偽りに彩られていないことを確かに見届けたのか、ヒカリの言葉に能力を賞賛されたココロは恥ずかしそうに身をちぢこませる。
「所謂試練を潜り抜けられた人間は今まで居なかったと言われていましたが」
恐る恐ると言った様子でアレンさんは尋ねる。
現状を憂う最大の疑問点、触れることで藪からヘビが出かねない問いにヒカリは。
「……? 誰がそんな事言っていたの? 私が求める能力に届かない人間でも、将来性さえあれば今親衛隊として例の募集をきっかけにこの屋敷に何名も滞在しているのだけれど」
その言葉に僕達は無言で思案する。
どういうことなのかと思考に耽り、真っ先に答えへと行きつけたのかふむとアレンさんが頷く。
三名分の視線を受けて、行き着いた答えにアレンさんは答えた。
「少女に負かされた事実を認めたくない見栄だけのある連中が、頑なに試験内容を口にしなかったのだろう」
あぁと三人で頷く。
完膚無きほどに負けて、それでもヒカリの下で働きたい。そう思えた人間はここに留まり、決して情報を外に漏らさないような忠誠の足る人間ばかりなのだろう。
「なるほど。徐々に減り行く人々に頭を悩ませていたのだけれど、そうした人々が声無き声を上げていたのね。もし今後も募集を続けるのであれば、そうした方面での対策も必要、と」
「僕達の……」
「私達の……」
思わず出てしまった言葉にアレンさんも続く。
二年間は、一体なんだったのだ、と。
難攻不落敗れたり。
鉄壁の門は、直接やり取りのできない手紙という伝達手段で守られて、僕達は見上げても視認できないハードルに少しでも近づけるよう過剰な努力を続けていたのだ。
アレンさんは僕を見出し、僕はココロを見出し、手札が増えようがそれでもまだ足りぬと己を磨き続け。
ただその結果がこうしてこの四名を今この場に集めたのだとしたら、決して不毛なものではないと理解はしているのだがどうしても呑み込めない箇所が残り、そう、僕とアレンさんの口から零れ出した。
- 虚構の城壁 終わり -




