120.世界変わり、心躍る
「おまたせ」
「うん」
少し遅れお風呂を出た僕を待っていたヒカリは、先のやり取りなどまるでなかったかのように淡白に振る舞い……それでもどこか隠し切れない羞恥が、あぁ、完全にはコウと違うんだな。でもこれもいいな、なんて感想を抱かせた。
「とりあえず私の部屋に行こうか。少しずつでもこれからのことを話していかないと」
何となくこれで僕の人生ハッピーエンド! と思ったつもりでいたが、まだ年齢は十になったばかり。
あと何十年、何年かは知らないが少なくとも今日明日死ぬわけではなく、今後の生活について話す必要がある。
持っていた服は全部洗う暇が無く汚れていたので、今はヒカリと同じバスローブに通気性の良いスリッパをぺたぺたと廊下を歩いている。
「シュレー」
途中、ヒカリを待っていたのか例の執事が廊下に待機しておりヒカリがそう呼びかけた。
「……主、その呼び方は」
「ふふっ……いいから。私達はもう上がったから、あの二人にも湯船を楽しんでもらって」
「御意」
「その後、私の部屋に来るように。いい?」
無言で頷き下がるシュバルツに、僕はどこかモヤモヤとしたものを抱きながら再び歩き始めたヒカリを追う。
「ねぇ、あの人は?」
「ん? 執事だよ。私の……そんな顔しないで、アメが思っているような心配は一切無いから」
どんな顔をしているのだと思いつつも、僕は黙って後を続くと一つの部屋の前で足を止める。
特に他の扉と違いは見当たらない。
あえて言うのなら隣の部屋が潰されているようで、本来あるだろう箇所からドアが綺麗に取り払われていたぐらいだが。
「いらっしゃい。ここが私の私室」
そう言って案内されたのは館の二階。
入り口の対面にある大きな窓からは中庭が見下ろせ、開かれた綺麗なカーテンが遮ることなく陽光を室内に取り入れている。
テーブルにソファー。ランプなどの光源に装飾品はあるがベッドだけは無く、潰された隣の部屋への入り口が左奥へと見えている見えている辺りこの部屋は人を招くことも考えた自室に使っているのだろう。
多分応接室とは違いもう少し親しい人を気兼ね無く招き、共にのんびりとした時間を過ごせるような。
装飾で綺麗だがギラギラとしているわけでは決して無く、心休ませここに入り浸ることもできそうだと、香る柑橘系の香りがそう確信させた。
「いい匂い。アロマキャンドル?」
「うん。アメが好きだろうなって匂い、あってたみたいで良かった」
促されソファーの対面に僕も座り、何となく手持ち無沙汰だった故に空いている隣の席のクッションを膝の上に乗せて落ち着く。
「どうして僕が僕だとわかったの?」
「名前を聞いてもしかしたらって願望に、実際に会ってみての取ってつけたような丁寧言葉、戦い方、あとは一人称かな。
大体幼い子供でも自分の名前だとか、僕って自分を呼ぶ時期は短い。当然十代に乗った女の子が自分のことを僕って呼ぶなんて滅多に無いわけ。それも歳不相応な頭を持っているならば尚更」
見事な分析と推理に僕は無言で拳をクッションに沈ませる。
これは恥ずかしさを隠しているわけではなく威嚇だ。対話において舐められないということは少女である僕にとってとても大切なことになる。相手も同じ同年代の少女だが、貴族社会という荒波に生きる猛者だ。存分に威嚇しておいて損はないだろう。
「只今戻りました……これは?」
「恥ずかしいって」
「違いますぅー!」
そこでシュバルツは僕のことを考えるのをやめたのか、ヒカリの斜め後ろに定位置のように立った。
「首尾は?」
「今ココロ様を浴場に案内し、アレン様含め女性の使用人に引き継ぎました」
「十分」
特に褒めるわけでもなくそう漏らしたヒカリに、シュバルツは大変満足そうに言葉を受け取る。
「アメ、シュレーは私の事情を全て知っているの。これからここで生活していく上で、シュバルツを避けて事情を隠していくのは難しいものがある。
だからアメさえ良ければ、アメの事情それから私との関係性も、全て話して構わないかしら?」
その呼び方が大変不服なのかただでさえこの世全てを憎悪するような目つきを更に酷くさせ、ヒカリ本人を見るわけにもいかないからかこちらを見てくる男に僕もヒカリが変に気を許している感覚が気に食わずガンを飛ばしながら頷く。
そしてヒカリはシュバルツに僕が別の世界に居た男だったこと、死ぬ前は幼馴染だったことを告げる。前者はいらなかったと思うのだが、ヒカリが必要だと思うのなら仕方なく許すことにしよう。
「なるほど、理解しました」
「んな馬鹿な」
説明を終え、シュバルツがそう言ってのけた事実に思わず反応する。
誰が今の説明を受けてはいそうですかと頷くことができるのか。
「何が不服なんだ? 主がそうだと言えばそれは正しい、何も不思議なことではない」
「お前あれだろ。ヒカリがカラスは白いと言えば街中のカラスを捕まえて白く塗るタイプの愚鈍な存在だろう?」
「あ?」
「あ?」
売り言葉に買い言葉。
気づけば僕達の口調は非常に荒っぽいものに変わり、その中心でヒカリは心底楽しそうにくすくすと笑う。
「ヒカリ。この使用人凄く口が悪いよ、今すぐ変えたほうがいい」
「誰が言う言葉か。客人、それも主と旧知の仲という立場に胡坐をかき、人を見下す人間の言うことじゃないな」
「るさいっ! シュレーなんて可愛く呼ばれちゃってさ、表面上嫌々しているけれど内心実は可愛がられて喜んでいるんだろう!?」
「主の全てを認めることはできる。人にそう認識させるだけの確かな力があるからだ。ただその呼び方だけは例外だ」
ヒートアップし、今にも胸倉を掴んで殴り合いかねない僕達の様子に、ヒカリは相変わらず楽しそうな様子で手を二度叩いて口を開く。
「はいっ、もうお終い。アメもシュレーも仲が相性がいいことはよくわかったから、私を置いて二人で楽しまないで」
あくまで楽しそうに、けれどこれ以上不毛な会話を余分に続けるのであれば自分にも考えがあると決意を秘めるヒカリに僕達は大人しく黙る。
「……それで、僕はこれからどうしたらいいの?」
「そうね。しばらくはここでの生活を客人として存分に味わうといいわ。
そうしたらアメが何をしたいのか、何をすべきなのか、どうして私の元へ来ることになったのか、そういったものが見えてくると思うから」
今は話すつもりはない、そういうことだ。
僕がそう察することを確認し、ヒカリは満足気に頷いて言葉を繋げる。
「そう、アメは変わらないことも一杯ある。名前だとか、人との接し方だとか、感情的なところとか。
でも私と、コウと離れて変わってしまったところも一杯あるんだよね。少し会っただけでわかるよ、記憶の中のアメより今のアメは、色々と考えて物を言うようになったし、そもそも視線の動き方とかが全然違う」
「……ヒカリは随分変わったね、特に――」
そう僕を分析する少女に思わず指摘しようとする。
「特に?」
「……性別とか?」
「ふふっ」
「くくっ。今明らかに思わず口にしてしまっただけだろう?」
「五月蝿いよっ!」
やたら自己主張の強い使用人に僕は持っていたクッションを投げる。
シュバルツはそれを適当に受け止めて、ヒカリの座っている空いている席へとクッションを重ねた。
「さっきも言ったように厳密にはコウじゃないからね、それが今後アメを少しでも気落ちさせなければ私は嬉しいのだけれど。
何にせよアメ、久しぶり。そしてようこそリーン家へ、私達はあなたを歓迎するわ」
- 世界変わり、心躍る 終わり -




