118.光
私と戦うこと。
ヒカリは試験内容をそれだけで告げると。
『シュレー、私は準備をしてくるから案内をお願い。あと、お父様お母様にも声をかけて、決して損はしないものが見れると』
そう言って一人先に退室していった。
「あの、シュレーさん? あれって一体……?」
残されたのは言葉を失った僕達と、シュレーと呼ばれた執事のみ。
「シュバルツです」
「……」
「主は私のことをシュレーと呼び、からかう事が多々あります。どうか本来の名であるシュバルツとお呼びください」
シュレー。
……。
…………。
……可愛い。おいしそう。
と思ったのが顔に出ていたのか、今にも両眼に映っている人間を殺しかねないような表情で僕を睨んで……いやただ見つめてくる。
「で、シュバルツさん。あれって本当なのですか?」
「えぇ、言葉通りに受け取ってもらって構いません。主は今まで戸を叩いてきた人間全てに自ら相手をして、全てに勝利を収めてきました。
一応致命傷……殺めることを前提とした攻撃だけは禁止にされているのですが、あまり皆様が気になさる必要はありません。私が知る限り、アレは殺そうとして殺せるような存在ではないので」
自慢でもない、ただ淡々と事実を述べるその口調に僕はぞっとする。
「皆様武器は如何いたしますか。こちらで一通りそろえてはいますが」
「このままで構わない」
そう返答したのはアレンさん。
ココロは帯刀したままここまで通されたし、僕達も暗器を仕込んでいるうえ肉体が武器のようなものだ。
如何なる状況でも最善の戦闘能力を、が売りだ。そこを精一杯アピールするためにもこのままが一番だろう。
- 光 始まり -
「嘘やろ……」
「……」
僕とアレンさんの目の前には、ココロが容易く往なされた圧倒的な存在が映っていた。
初めはココロもじゃあ戦います! と言える訳が無く、渋々戦っていたようなものだがヒカリという少女はドレスアーマーと言うのだろうか。最小限の装甲に、後は可愛らしい衣服、長いコートの内側に至っては僕と同じような短いスカートをそのまま穿いているような状態だ。
そんな状態で下着が見える不安などしばらく打ち合えばすぐに頭から消え、ココロが徐々に熱を入れられるように段階を踏み煽り、より凶悪な攻撃をしかけ最終的にはココロの全力を引き出していた。
戦い慣れした大の大人相手にも負けないほどのココロ。
複数のハウンドや、ウェストハウンドも二、三匹なら往なせるほど成長してきた才能の塊。
その少女を、ヒカリというお嬢様は無傷で屈服させたのだ。
竜を擬人化させ武器を持たせたらこのようなものになるのか。
なんというか圧倒的、理不尽の具現化だ。衣服も際立った貴族の一品ではなく、武具も市販の長剣に盾。
特殊な技術を使っている様子も無く、絶対的な腕力が存在しているわけでもなく。
ただ巧みに扱う剣と盾、それだけで勝てないと確信させるほどの存在がそこには居た。
その存在が今度は僕達を手招く。
剣を盾と同じ手で持ち、空いた片手で中庭を指す。
どうぞこちらへ、じゃない。ようこそ、ここがお前達の墓場だ。そう言いかねない。
ココロとの連戦。疲労なんてない、むしろ準備体操を終えた万全の状態。
二人がかりで構わない。ハンデですらない、それで対等な場所へ立てるのなら御の字だ。
「始めましょうか」
そう宣言した少女はどこまでも不気味だ。
周りには疲労で体を引きずりながら隅へと移動し、それでも立ち続けるのが厳しかったのか建物の影へ倒れるよう腰を下ろすココロと、それを何時ものような光景と見つめる執事のシュバルツ。
あとは良いものが見れたと楽しげに頬を緩ませる娘に呼ばれたユリアンと思われる男性に、多分隣に立つのは妻のカナリアか。
二人共立派に育った……とか感慨を抱いている場合じゃない。今その娘である存在に僕達は徹底的に打ちのめされかねない。なんて化け物を産んでくれたんだ。
「アメ、ここで認められなかったら俺達がどうなるかわかるか?」
その言葉に僕は無言で頷く。
「組織からは狙われ、仕事も後ろ盾もなく生きていかなくてはいけない――だから全力でやるぞ」
「どこまでですか?」
「どこまでもだ、二人掛りで挙句何でもありときた。命以外全てを賭して、命以外全てを奪い、力を証明するぞ」
「……はい」
深くもう一度頷く。
この尋常ならざる存在に僕達は一矢報いねば、アレンさんの未来はここで絶たれかねない。
それを避けるためには、それこそ不可能を可能にでもしなければならない。
「お話は終わり? なら、行くわね」
そう緩やかに駆けて来るヒカリにアレンさんが前へ出る。
前衛後衛もクソもないだろうが、体格で優れるアレンさんを先にぶつけ、その動きに合わせて僕が合わせた方が色々と効率が良い。
まず何にせよ僕かアレンさんが極至近距離に潜り込めなければ意味がない。
短剣ほどではないが長剣も至近距離で十分戦える、盾も鈍器として認識したほうがいいだろう。
それでも手が届く懐に潜り込み、掴んで引きずり倒せばこちらのものだ。
ココロ相手には力を引き出すよう徐々にエンジンをかけていた。外道ながら僕達はそれを利用させてもらう、エンジンが掛かる前に一瞬の隙を作り、そこに最大限の武力を叩き込む。
薙がれる長剣の腹を叩いて軌道を逸らし、距離を詰めようとするアレンさんが盾で抑えられているのを確認しながら僕は魔力を練る。
水分に、あとで怒られるかもしれないが中庭の土。
このような行為がここで何度も繰り返されたのか、随分と人々の足で踏みならされたのがわかるその大地を僕は抉り取り武器へと変える。
徐々に加速する攻防に、僕は氷と土の槍を周囲に展開しながら自身も駆ける。
どれでもぶっ刺さればいい、どちらかが肉薄できればいい。人数差にアレンさんという決定的な体格差まであるこちらとしては、今維持されている均衡を崩せたのなら流れを掴むことが叶う筈だ。
そうした攻防の中、一人の人間が肉薄することに成功する。
他でもない――ヒカリだ。
僕が動き始めたのを見て、少女は迷わずアレンさんへと自ら飛び込んだ。
その間合いという絶対的アドバンテージを捨てる行為にアレンさんは反応が遅れ、僕が飛ばした土の槍へと突き出される。
大きく太股を裂かれ動きが止まるアレンさんを横目に見ながら、僕はしてやられた分を取り返すため手を伸ばす。
少女が嗤った。
剣は構えるその場を動いていないにも関わらず、何か別の物が動くのがわかる。
僕の、腕だ。
僕の、右腕が、赤い雫を一本の線から噴出させ、ゆっくりと骨まで両断され自然落下していく。
完全に、相手の手の内だ。
間合いを調整する意図も利用され、エンジンが掛かっていない段階で緩急を付け、一気に状況を傾ける意図も。
極限まで集中しているつもりだった。でも、自然と手加減をして振られるその剣の速さと、かつてないほど迅速に一刀した剣は僕の目には不動に見えた。既に僕の右腕を両断し、元の場所へ戻しているというのに。
「ああっ! アアアア゛ッッ――!!」
痛みを緩和せず心に注ぎ、先に出し抜かれた悔しさを心に注ぎ、それを威嚇のためだけに口から吐き出す。
ふざけたことを成さなければ成らない。このふざけた存在に対抗するためには。
僕は迷わず、左手で落ち行く右腕を掴み取り、それを鈍器としてヒカリへと振るう。
前回偽竜に切り飛ばされた右腕。
今度は違う。相手も人間だし、これを機に劣勢に立たされるつもりなど毛頭もない。
一瞬自身の腕を鈍器として扱う僕に驚いたような表情をこちらに向けながらも、どこか嬉しそうにそれを盾で受け止め、止血されていない腕から吐き出される血液が少女の綺麗な衣装を汚す。
背後から質量を持った風の塊が僕を追うのがわかる。
鈍器を振り回し隙を窺う僕に、アレンさんが傷を治して追いついたのだ。
彼も僕と同じように右腕を突き出し、ヒカリは同じようにその腕を断ち切ろうとして視認が難しい速度で剣を振る。
けれどその剣もアレンさんの腕の中ほどで止まり、剣を振る人間の動揺を誘う。
捲られた袖から見える色は赤と、そして青だ。魔刻化されたその腕が、今全力でアレンさんの魔力を食いながら速度のみを求め威力はさほどでもないだろう一刀を食い止める。
強く薙がれたにもかかわらず、その右腕は止まることを知らず少女を掴まんと伸ばされる。
僕も今は荷物でしかない右腕を捨てながら、二歩分ほど遅れて下がるヒカリを追うアレンさんに続く。
このままでは分が悪いと思ったのか、ヒカリは唯一の刃物である長剣を地面に突き刺し、アレンさんの足と共に縫い付ける。
「――もらったっ!」
逃がさす僕はヒカリに肉薄し、左腕でその胸元を掴み取ろうとすると盾を持った右腕であちらからも握り締められ、咄嗟に膝を蹴り上げるも僕の動きに合わせて左膝を蹴り上げて威力を殺される。
長剣を捨てた左手が僕の首元に伸びるものの、僕は右腕を捨ててきたばかりで肘から先へ付いていた暗器も腕と共に置いてきた。
「腕があったら、何か変わっていたのかしら?」
僕の首を掴み、自身の少し上まで視線を上げて少女は僕にそう尋ねる。
言ってやりたかった"無くてもどうにでもなると"でも僕の喉は呼吸をままならないほど強く握られていて。
「――っ」
僕の腹から、ヒカリの胸、肺の部分へとロングソードが生える。
追いついたアレンさんが、視界を遮っている僕ごと少女を貫いたのだ。
初めての傷に驚きながらもヒカリは二歩、三歩後ろへ跳んで距離を開け始める。ようやく開放された僕はヒカリが胸の傷を治し始めているのを確認し、自分も腕を取りにいき腹の傷を治すと同時にまだ温もりが十分残っている腕を感覚が戻るまで繋ぎ合せる。
「目的のためならば仲間ごと貫く、ね。それがあなた達のやり方かしら」
ヒカリはそう尋ねながら、自身の胸からあふれ出た雫を少しだけ指先に濡らし口元へと運ぶ。まるで希少な飲料を、楽しげに味わうかの如く。
「いえ、必要ならばやるだけです。例え逆の立場だとしても、僕は仲間ごとあなたを貫いたでしょう」
僕の返答にか、それともその液体の味にか、少女は大変満足した様子でこちらを見る。
「そう、よかったわ。実際に奴隷として、戦うための道具として人を扱うあなた達じゃなくて。流石に血も涙も無い様な人間ならば、手に余る」
ヒカリはそう告げながら構えをとる。
失った武器を補充するつもりなど毛頭無く、このまま盾と己が身一つで戦闘を続けんと。
「あくまで私個人の意見なのだけれど、目的のためならばそれに賛同する人間が犠牲になるのは致し方ないことだと私は思っている――それが人に余る目的ならば尚更」
僕の腹部の傷がある程度塞がり、腕も繋げ終わっているのを確認し、口を閉ざすと一息つく間も無く突撃してくるヒカリ。
標的は僕だ、だから防戦に走る。こちらは二人なのだから狙われていない方が攻撃に集中するのが適切。
当然アレンもその意図を汲み取る、剣を捨て視界外に回り拳を振るう。
そして、彼が僕の視界から消えた。
ヒカリの片足が、宙に浮いていた。
蹴り飛ばしたのだ。目視せず、今まで剣と盾だけで戦っていた人間が。
――その手段はジェイドのものだ。剣だけではない、全身を武器に戦うその術。
頭に何か思考が走る。言葉にできないぼんやりとしたそれ。今まで見てきたものがここで繋がり、何か今の戦いには余計なものを描き出そうとしている。
驚愕に体を縛っている余裕はない。踏み込めば届く距離、片足が浮いている人間には両脚が地についている人間のほうが有利だ。
踏み込み拳が届く前に、ヒカリはもう片方の足でこちらの頭をなぎ払う。
唯一地に着いている足での蹴り、その程度は予測でき対応できる、そして片足での蹴りは威力が乏しい。
――その戦い方はルゥのものだ。時折彼女は戦いを無茶な様子で踊って見せた。
体勢上両手を使うことはできず、完全に無防備な状態。その一撃を安易に受け止め、足をへし折ろうとした時に僕とヒカリの間に独特な魔力の流れを感じる。
懐かしい。
そう感じ取った瞬間、それがなんであるかを言葉にする前に反撃をやめ距離を取ることを選択。
独特な魔力の流れが集まった場所に光が爆ぜる。爆発だ。
――その魔法はコウのものだ。轟音を伴うそれは彼の印象が網膜と鼓膜へ焼きついている。
爆発の魔法を扱う人間は二人目だ、そしてそう認識してしまった時間をすぐに後悔する。
爆発の威力はかなり控えめだった、それこそ目くらましにしかならない程度に。
その僅かな瞬間でアレンさんは再び距離を詰め、盾で頭部を強打され意識を失ったのかゆっくりと崩れ落ちる。
僕がそれを認識し攻勢に出る前に追撃が来る、距離が離れているのにもかかわらず魔力の流れは感じなかった。
盾だ。
持っていた盾を、彼女は攻撃のために僕に投げつけてきた。
――その判断力はスイのものだ。状況をよく観察し、それが最善だと判断したら型から外れてみせる。
五月蝿い、五月蝿い五月蝿いっ!
頭を過ぎる言葉にならない雑念が僕思考を鈍くさせる。
勝手にそうであってほしいと今目の前に居る存在に思い出を重ねて懐かしさを覚えているだけだ。そんなもの、未来へと続く道を進むならば捨ててしまえっ!
盾の投擲も威力なんてどこにもないただの牽制。けれど当たるわけにはいかないし、受け止めるなり避けるなり選択しなければならない。
僕は後者を選択した、身を屈め盾が頭上を通り過ぎるのを感じる。
しかしその最低限の動作にも隙は生まれる。その隙をヒカリは攻撃のチャンスに変える、あまりにも動きが、速い。
容赦なく振り下ろされる踵を受け流しつつ、盾を投げ捨てたおかげで空いた手で行う打撃を払う。
けれど巧みにそれを往なされ、捻じ切るように腕を掴まれ僕が先に地面に押し倒される。
受身の取りようのないそれに苦痛の声を漏らしつつ、首を捕まれる。
おかしい。
腹に傷を負ってから、ヒカリの動きが露骨に変わった。
今までは見てから対応するような動きだったのにもかかわらず、今では次に何をするかを予測され誘導されている錯覚すら覚える。
もはや力量を測るためではない。もはや、これは……
「これで終わり?」
地面に組み伏せられ、アレンさんは意識が無く。
剣と盾を捨てた少女に、僕は自分の領分で未来予知のように行動を圧倒され。
「まさ……か」
貴族のお嬢様相手に二人がかりで、しかも格闘戦でも押し負ける。
そんなの、許してたまるか。
もはや形振りなんて構っていられない、まだ一つだけ手が残っている。
僕が今の今まで、三度目の生を授かり、絶対に使おうとしてこなかった魔法。
過去を思い出してしまうから。
ただそれだけの理由で、表面上不要だとか、目立ちたくないとか色々と理由をつけアレンさんに押し隠してきて。
でも今はそれが必要だ。
今、目の前に居る敵をどうにかしなければ、僕は、アレンさんの未来はここで閉ざされてしまう。
長い、本当長い間。
復讐を遂げた後、醜くも家族の分まで生きたいと願い、関係のない他の家族を不幸にしてまで生に縋りついてきた男を僕は知っている。
復讐を遂げ、他者を不幸にする自責に堪え……そんな男性に僕は分不相応にももう一度活きたい、そう願って。
ここまで来たのだ。
あと一歩。目の前にいるコレさえ超えることができたのなら、僕達は――っ!!
《夢幻舞踏》
だから僕は唱えた。
その夢幻が、現に変わると信じて。
「……くっ」
ヒカリが漏らす苦悶の声。
苦痛に喘げるのは今のうちだ、これから痛みは加速するのだから。
この化け物じみた少女には雷すら有効的ではないかもしれない、でも完全に効かない事はないだろう。
雷に慣れた僕と、夢幻舞踏の影響を受けていないアレンさん。
痺れでも残り、アレンさんの意識が戻ればこちらの勝ちだ。
「アメ――」
少女が僕の名前を呼ぶ。
徐々に増している痛みに堪えながら、愛おしさを込めて。
押し倒されている体を持ち上げられ、抱きしめられた。
「――私、コウだよ」
その一声で、魔法が止んだ。
- 光 終わり -




