117.極星の卵
アレンさんの部屋で最後の準備を整える。
僕達は今まで積み上げてきたものを、これから崩して結果を見に行くだけだ。
この施設に帰ってくることはもう二度と無いだろう。
だから荷物はいつもの装備に、遠征用の持ち物。それから二度とここへは帰らないという覚悟だけだ。
まだ夜が明けた直後、辛うじて太陽が昇り始めた時間に僕達は西の門から北へと向かう。
町は未だ目覚めておらず、施設の人間も誰一人起きていることはない……はずだった。
「ザザ」
一人の男を、いつか脱走騒ぎがあった近くでアレンさんが見つけ一歩前に出る。
「良かった、ここを通ってくれたんですね」
そう言いながら柵へと預けていた体重を自身の足へ移すザザ。
「一応聞いていた方がいいですか。こんな朝早くから三人でどこ行くんですか……ってね」
当然町を離れる仕事があるどころか、今日はいつも通り学校での生活をするように見せかけていた。
ザザが知る由もないのだ。僕達が今日組織から逃げ出す意図があるだなんて。
「……手紙か」
僕とココロは細心の注意を払いアレンさんの情報を扱っていた。
まず施設内で話題に出すことはなかったし、アレンさんの前や街中で話題に出す際も周りの人間、声量、主語を用いない会話で誤魔化していた。
アレンさんもそれは知っていて、更に僕達を信用してくれている。故に、何か情報が漏れる要因があるとすればそこしかない。
「そんなんじゃないですよ。俺はアレンさんのこと大切な相棒だと思っていたんですけど、アレンさんはその様子だとそうでもなかったみたいですね」
周りに人はいない。
朝早くから農作業をする人々も、ザザの仲間と思われる気配も。
三対一。人間一人片付けるには一分も必要ない。
「や、そんな殺気立たないでください。俺がアレンさんや、しっかり訓練をしてきたアメとココロ三人相手に敵うわけないじゃないですか」
「ならば何故今お前は目の前に居る」
増援待ちの時間稼ぎ……だろうか。
そんな僕らの杞憂をザザはへらっとした笑顔で笑い飛ばした。
「別れを告げに来るのが、そんなにおかしなことですかね?」
「……」
真意は汲めず、僕達三人は言葉も無く。
そんな警戒する僕達を見届けながらザザは、まずアレンさんへと声をかけた。
「アレンさん。俺はあなたのもとで働けて良かったと、本当に思っているんですよ。
いろいろやらかして、送られた場所で奴隷じゃなく子供の世話なんかさせられて、初めは嫌気の差す毎日でしたけど、今思えばそう悪いものじゃなかったと過去を振り返れます。
きっとあなたじゃなければダメだった。俺は人として落ちる場所まで落ちて、一歩でも大切な何かを取り戻すことはできなかったのだと思います」
ザザはそこで小さく頭を下げる。
どこまでも真摯で、純粋だろうその態度に僕は動揺を隠せない。
裏表が見えない、悟れない。そこにあるもの全てが何もかもじゃないのかと、でもそんなはずはないだろうと頭のどこかで警笛が鳴る。
「アメ」
「……」
「お前が気づかせてくれた。立ち止まっていては届かないことを教えてくれた。
俺は俺なりに頑張っていて、これからも頑張るつもりだ。だからお前も、色々と落ち着いたら前に進んでみろよな」
「はい」
僕はもう他に何も邪推できず、ただザザの言葉に頷く。
……彼が言うような凄いことを伝えた記憶に、心当たりがなかったのだけれど。
「ココロ」
「――はいっ!?」
声をかけられると思っていなかったのだろう。
ぼんやりと事を見守っていたココロが寝耳に水といった様子で動揺するのが可愛い。
「俺、結構お前のこと好きだったぜ。なんていうんだろうな、同属……いや、それはおこがましいか。まぁ何にせよお前はまっすぐで、誰よりも純粋で眩しい。
アレンさんとアメを頼む。その二人結構しっかりしているように見えて、お前のような存在が居ないとダメになっちゃうような人達だからさ」
「わ、わかりました! ココロ、最善を尽くしたいと思います!!」
本当に何をどうすればいいのかわかっているかは疑問だが、まぁ志高いことは評価していいだろう。鬱陶しいのは勘弁だが。
「俺からは以上です、お達者で」
「……お前はこれからどうする?」
僕達の後方へ歩いていき、立ち去ろうとしたザザをアレンさんは止める。
「どうもしませんよ、何も知らなかったフリして他の連中と数日後に帰って来ない! と慌てるつもりです。
……あ、必要なら少し手伝いましょうか? どこかへ行く予定と聞いているとかなんとかとぼけて」
「ふん、好きにしろ……」
「そうですか、では」
去り行くザザの真意はわからなかった。
けれど僕達がレイニスまで辿り着くまで一切、ある程度覚悟していた追っ手が来なかったことだけは確かだった。
- 極星の卵 始まり -
「ここがレイニスですか……」
「うん。ココロは来たことないんだっけ」
「そうです、何か特徴はあるんですか?」
「いや、何も?」
「え?」
「え?」
僕達は顔を見合わせ沈黙する。
発展都市と名打った辺境の町に何があるというのだ。
王都のようにしっかりとした町でもないし、ローレンのように海に面し綺麗な場所でもない。
あるのは山と、開拓途中の地域に、ゴミのように死んでいく冒険者達と、毎日を生き急いでいる人々だけだ。
物価は一番安いが収入も少なく、王都のスラムを除いて治安も悪い。誰がこのような場所で好き好んで生きていくのかと聞かれれば……僕だ。
有体に言えば十年ぶりに帰ってきて、その変わらない淀んだ空気はクソッタレ最高だの一言。叶うのならば定住する場所はここ一択だろう。
「宿を取る必要はないんですよね?」
「あぁ、こちらの事情を考慮して町に着き次第館へ向かってもいいと言われている」
ココロの問いかけに答えるアレンさん。
視界の端には未だ新鮮な花等が飾られているもともと騎士団支部があった石碑が存在しており、それが僕の胸を少しだけ苦しめた。
「貴族の皆さんってセカンドネームというものを持っているんですよね」
「あぁ」
その言葉に僕の胸が別のベクトルでざわつく。
予感というか、どこかで既に聞いている情報というか、まぁ普通に考えてあまり貴族の居ないレイニスで大々的に人を募集できるほどの家といえば限られてしまう。
「なんて名前なんですか?」
「リーン家だ」
……必然というか、偶然というか、腐れ縁というか。
条件を満たす貴族がレイニスにあるとして、そこから一つ選ぶとなればそれはもう結構現実的な確率なわけで。
気分はもう宝くじが当たったような……いや、コンテストに応募して優秀な成績を……いや、そのどれも違う。なんかそんなポジティブと言い切れない微妙な運の良さ、悪さを出しちゃった感じ。
「どうした、気分でも悪いのか?」
「いや、大丈夫です。けどどうしたもんですかねーホントネー」
アレンさんの気遣いに僕はどうしたものかと頭を悩ませる。
ユリアンがここへ来るまでの一年に満たない間に僕達三人は死んじゃって、合わせる顔も無ければあの時のアメですと宣言するわけにも僕の信条が許さず。
しかもあれから十年経っていて、その間ユリアンは立派に育っていて多分しっかり家を守っているからこうして居を構えているわけで。
真っ当に人生を歩いてきた人間にどんな顔をして情けない人間が顔を見せればいいのかもわからないし、単純に歳を取った旧友を見る勇気があるかと問われれば首を傾げてしまう。
十二だか三だっけ。それが十足すと二十台なわけですよ。完全に成長期を乗り切り、子供から大人へ成熟した男性を僕はもうなんと呼べばいいのか。
「着いたぞ、ここだろう」
そんな僕の迷いも現実は待ってくれない。
なんて残酷なんだ。竜なんて降ってくるぐらいならば、少しぐらい時間が止まっても罰は当たらないと思うんだ。
「アレン様と、そのお連れの方ですね。主より話は聞いております、どうぞこちらへ」
「あぁ、頼む」
綺麗な庭を備えている立派な屋敷に少し踏み込むと、近くで待機していたのか執事服の似合う青年がこちらへ寄ってきた。
結構格好いいと思うのだが二つ容姿に問題がある。アレンさん同様整えているのだが髪の毛が目にかかりそうなほど長いこと、そしてもう一つは死ぬほど目つきが悪いこと。
とてもじゃないが客に顔を合わせる仕事には向いていないほどの様相だ。歩き方もどこかしっかりしていて、何やら武術に精通していそうなのがより一層不穏だ。
「……」
屋敷へと無言で進み、庭とは別に二つの建物で囲むよう中心に中庭も存在していることがわかる。
小さい屋敷と大きい屋敷。何となく大きい方かと思いきや、僕達は小さい方へと案内されて室内に通される。
執事が連れているのが客人とわかるや否や、成人を迎えた使用人からまだ十前後の幼いメイドまで丁寧に足を止め軽く頭を下げて僕達が通り過ぎるのを待ったことに、隅々まで教育が行き届いていることに驚く。いや、あまり貴族事情は知らないんだけど。
「どうぞ」
コンコンッとドアをノックし、返って来た声はとても不思議な心地だった。
とても凛々しく可愛らしい。粗末な語彙で表現するなら格好いいのか可愛いのかわからないような少女の声で、少女かと聞かれれば声の幼い女性かという疑問も浮かぶ。
言ってしまえば非常に声の高い少年とも聞き取れるような不思議な声。ただそのどっちつかずの声は、僕の心にすとんと入り込んできたのだけは確かだ。
促され、入った部屋は応接室か。
あまり生活感のない室内に、一人の少女が堂々と扉より大きく開けている窓を背に座っていた。
僕達三名が室内に入ると、執事も最後に部屋へとはいり入り口の脇へと控える。
「はじめまして。私はリーン家の一人娘、ヒカリ=リーン」
座っていいものかと対応を決めあぐねている僕達に合わせてか、自身も二つ足で立ち上がりそう自己紹介をする少女。
綺麗なブロンドの髪を背中まで伸ばし、赤い瞳で僕達を見つめる。
身長としてはココロより少し高い程度か。胸は最低限抑えるだけで控えめ、どちらかというとモデル体型の理想に近い。
ただ実際に顔を合わせてみても声と同様どこか年齢は掴みづらい。そう僕達と離れているわけではないと思うのだが、あまりにも凛々しく毅然とした態度から同年代と評価するには僕達が、少なくとも僕と釣り合いが取れなくなってしまう。
そのスラリとした体も、要所要所を眺めればすぐに鍛え上げられているのがわかる。非常に健康的な体だ。
「まず私から自己紹介を」
「待って」
口を開いたアレンさんをさっそく止めたかと思えば、ヒカリと自己紹介した少女は良い悪戯でも思いついたような歳相応な表情を浮かべて提案をする。
「私はあなた達に武力のみを求めたの。それには当然礼節、主になるかもしれない私に対しての礼儀など含めていない。
そんなあなた達の個性を埋没させてしまうようなつまらないもの、私の前だけでいいから捨ててもらえないかしら?」
どこか挑戦的に、僕達の反応を楽しむようにそう言ってのける少女。
あぁ、こりゃルゥと波長が合うユリアンの血縁者だわ。
「そうか。私はアレン。名目上この二人の保護者として前を歩いているが、実際には私に劣らない武勇を秘めた子供達だ。特にこのアメとは番として自分達を売りに来た」
一度ヒカリは僕へと視線を移し、それからアレンへと戻して口を開く。
「そう。戦い方は素手を基本としたあらゆる武器や状況を駆使した武術。これで間違いない?」
「あぁ」
「経歴はただの一般人から復讐のため裏の道を歩み、身内殺しの嫌疑から奴隷商人の施設長を任された。今あなたが最も求めているのは自身の身を保障される平穏な日々」
無言で頷くアレンさんにヒカリも頷く。
「いいわ。当然こちらの出す条件を満たせば……だけれど。経歴が後ろ暗くて他より多少手間が掛かるけれど、確かな力があるのであればしっかりと私は評価しているつもりよ」
そこで話は一区切りを終えたのか、僕へと今度は視線が向く。
「あなた、名は?」
既に知っている名を儀礼のため尋ねられる。
「アメです」
「アメはこの世界をどう思ってる?」
まるで予想していない意味不明な問いかけをぶつけられる。
「ぁぇ?」
思わず腑抜けた声が出て周囲からの視線を感じる。
いや、仕方ないでしょう。僕もアレンさんと同じように能力や経歴の確認かと思えば、滅茶苦茶漠然とした怪しい質問が飛んできたのだ。
「そうね。例えばこの世界はとても狭い、そう感じているんじゃないかしら?」
「いえ、そんなことは。この国以外にも世界のどこかにはまだ人々が住んでいると僕は思っていますし、狭い国でも新しい発見はまだまだあります。この世界は、国はきっと、まだ素敵な物で溢れている」
「あなたの器はそう思っているようには思えないのだけれど」
「それってどういう……」
「それ以上は不要よ、礼は不要と告げたにも関わらずその言葉遣いをやめないアメ。あなたはこれで今は終わり」
……何か、興味を損ねるような返答をしてしまったのだろうか。
アレンさんの時より酷く終わりが淡白、それも言葉だけ見れば嫌悪されているとも受け取れるようなヒカリの言葉。
けれど声音が決してそれだけではないということも確信させている。凄く、もやもやする。
「あなたは?」
「ココロですっ」
「もう少し肩の力を抜きなさい。今あなたの前に居る人間は貴族なんかじゃなく、ただの同年代の少女なのだから」
「はぃ……と言っても、私も喋り方は誰に対してもこんなものなので……」
どうしようもないんで許してください。という語尾は僕には聞こえたが、多分テーブルを挟んで対面に居るヒカリには聞こえていないと思うんだ、ココロ。
「あなた……とても真っ直ぐね」
ココロのどこを見て言ったのか僕には検討もつかない。
目か、姿勢か、それとも別の何かか。
「はぃ、ありがとうございます……」
完全に見ているこっちが申し訳ないほど萎縮してしまっている、何も真っ直ぐじゃない、ふやけた昆布だ。
「優しさって何だと思う?」
「誰かを思いやる気持ちです」
唐突な問いかけにココロはすぐに反応をする。
なんだろう。僕以外全員打ち合わせをしていて、僕だけの反応を楽しむといったドッキリでもしているのだろうか。
「その思いやりが、本人の望んでいないものだとしても? ただの自己満足だったとしても?」
何時かの訓練……や喧嘩を通り越したココロとのあれを思い出す。
ココロも同様に思い出したのか瞳に炎を、決意を抱いてその問いかけに答えた。
「私はそれでも私が思う幸せを与えたいと思います。それがたとえ何時か、自己満足でしかなかったと自己嫌悪することになっても」
「そう。私もそう思うわ、そう思ってもいる。ココロは言ってしまえばオマケなんだっけ?」
その言葉に僕達は肯定を示す。
あくまで僕とアレンさんを主軸に、ココロは成り行きで後から強引に付け足した形だ。
最低限度な訓練の時間を作るため、ここに来るまでの時間を後伸ばしにしたがその根源は変わらず、また簡易的な経緯も既に手紙で伝えていると聞いていた。
「――こんな生半可な主賓が霞むオマケがあっては堪らないわね」
だから、その言葉がヒカリから聞けたことは、僕がココロの能力を見出しアレンさんに進言した全てが報いられるほど何かココロの大切なものが救われた、そう感じたのだ。
「挨拶も終わったことだし、これから試験を始めるわね。試験内容は――」
僕とアレンさんは息を呑む。
決して外には出てこなかった、そして全ての来訪者を追い出してきたそれ。
ずっとこれだけを目標に己を磨いてきた。
この門をアレンさんだけでも超えさせるため、その先に楽園があると信じて。
武力と言われながらも多才な能力を磨き知識を吸収し、如何なる状況にも対応できるようにと。
「――私と戦うこと。以上よ」
- 極星の卵 終わり -




