107.痛慣
「人と戦うためには、人間の弱点を知る必要がある」
「はい」
珍しく午前に訓練を行い、用事があるとこの場に居ないアレンさんの代わりに僕はココロへ対人戦の技術を教える。
町の郊外に教える立場と色々異なる点はあるものの、昔エリーゼに色々と教えてもらった記憶が蘇る。
……レイニスの人々とは違いエリーゼやミスティ家の人々はすぐ手が届く距離に住んでいる。
曖昧にだが調べた結果、僕は死んだ直後に新しい母親の胎内に居たようなので、時系列的には生まれるまでの約一年間に僕の齢は九なので、十年あの日から世界は経過していることになる。
まだまだ存命や、元気にしている知り合いも多いだろう……けれど、僕はその誰にも顔を合わせるつもりは無かった。
異世界における二度目の生という異質さを隠し通していたように、三度目の生も隠し世界に馴染みたいのもあるが、何よりも自暴自棄になりコウと二人竜に殺されに行った自分達の不甲斐なさが遺した結果を見たくない、見せられたくないその気持ちが何よりも大きかった。
「――基本的に体の中心に位置するのはわかったね? あとは実際に体に教えたほうが効率がいい」
細かい部位を口頭で伝え終え、僕は身構える隙すら与えず胸を掌底で強打する。
不意の痛みに堪えるため胸を屈み押さえようとするココロの額を膝で蹴り上げ、咄嗟に防御するため手を前に出してきた左手首を捻りながら引き寄せ肩に肘を叩き入れる。
怯んだ体の脛に足の側面で蹴り、足首に踵を落とし、最後に前屈みに倒れてきた首の裏に手刀を入れて完全に地に伏せさせる。
「……っ――かはっ……!!」
ようやくまともに呼吸できるようになったのか、肺に空気を掻き入れながらも立ち上がろうとし、痛めつけられた腕で体を支えようとして再び地面に倒れるココロの体を上を向かせて膝枕をする。
エリーゼにやられたものよりも何倍も酷いその行為に、僕は初めてココロを痛めつけた時に感じたような充足感をまるで得ていない。
あの時は自分のため、自身が信じるもののために暴れた結果だ。
今は違う。僕達が、アレンさんと共に歩むため、悲惨で非道な道で生き延びるためには必要なことをしているだけ。
……過剰に子供達へ暴力を振るうアレンさんも、こんな気持ちだったのかな。これほど虚しく、自己嫌悪に包まれるような。この。
「ほら、もうこれ以上はやらないから楽にして」
そう言いながら治癒を手伝うため送った魔力を、ココロは反射的に一瞬拒絶しながらも何とか受け入れ、急速に痛めつけられた箇所を二人分の魔力で治していく。
「どうだった?」
「……痛い、とても痛かったです」
まぁそりゃそうだ。
というかもっと具体的な、実用性のある感想を求めたのだが不意に襲ってきた痛みに堪えながらそれを求めるのは酷というものだろう。
「でも、慣れないといけないんですよね」
楽になるまではこうして待っていよう。
そう思っていたのだがココロから予想外の言葉が飛び出してきた。
「そんなことはないよ」
反射的に僕も思わず答える。
そうであるべきなのに、争いの中生きていくためには痛みに慣れることが必要なのに、僕はココロに真逆のことを求めた。
「魔法で痛みを鈍くすることはできるでしょ? なら、そう痛みに慣れる必要はないよ。
痛みに慣れれば慣れるほど、誰かの痛みに共感できなくなる。大切な人の悲しみに、涙を流すことすらできなくなる」
泣けなくなった泣き虫の、一人の少年の姿が頭を過ぎる。
「痛みに慣れれば慣れるほど、誰かの痛みに理解を示せなくなる――他者を傷つけることを躊躇わなくなる」
ここまで堕ちて来た僕自身を見つめる。
僕はもうなんとも思わないけれど、ココロに僕の様にはなって欲しくない、それだけはまだわかるんだ。
「アメさんは」
ココロはそう言って僕の頬に手を伸ばす。
上手く開けられていなかった目をしっかりと開き、痛みを与え膝を貸している上の人間に慈悲を与える。
「つらいんですよね、悲しいんですよね……?」
だから僕はそれを振りほどいた。
無理やり体を起こさせて、腐りきった場所へ手を差し伸ばす行為を止めさせる為に、ただその無条件に与えられる慈悲が鬱陶しくて。
「ほら、続きやるよ。もう少しココロが受けたら、今度は僕に実際に攻撃して見せてね」
「……はい」
少女の凄く悲しそうな表情が、僕の網膜に焼きついた。
- 痛慣 始まり -
「上からローレンで仕事を任された。ここに置いて行くのは不安なので二人共連れて行くことにする。数日以内には王都を発つ予定なので、それまでには準備を終えること。
アメ、野営の方法は教えられるか?」
午前中に別行動をしていたアレンさんが、午後部屋に僕とココロを集めてそう宣言した。
「はい、大丈夫ですがいくつか質問をしてもいいですか?」
「あぁ、もちろんだ」
「僕達も仕事を手伝う必要はありますか?」
一つ目の疑問。
僕達を放置する不安は、僕達の身を案じてのことだろう。
自分の保護下を離れることでどうなるかは正直わからない立場に僕達が居ることはわかりきっている。
「いや、重要な用件の連絡係として私に白羽の矢が立っただけだ。情報伝達以外に危険な仕事でも、人手が居るわけでもない。
二人にはただローレンまで着いて来て、用事が済むまで好きに過ごしてもらうだけで構わない」
つまりお父さん役がちょっと出張だから、僕達はただ着いて行くだけの旅行のようなものだ。
「……このような仕事は普通あるものなんですか?」
二つ目は、懸念だった。
住んでいる町を離れて仕事を行うこと自体は不自然じゃない。
ただそれが施設長であるアレンさんに任されたり、ここ最近の忙しそうな様子。
それに一人の奴隷を懇意にする、また奴隷の中から一人の少女を自分の資産で買い取る。これらが重なると途端に不穏なものへと変化する。
「正直予想外の動きではあるな。ココロはもちろん、アメの存在も上には知られている可能性が高いし、その実情を受け上層部が私に対しての対応を変化させている可能性も考えられる。
ただ今のところそうと決め付けるのは早計な段階だ。有事の事を想定し、何か起きた際には動揺を少なく対応する程度が今のところ取れる手としては最善だろう」
「わかりました。ではすぐにでも準備を整えておきます」
当事者であるアレンさんがそう言うのであれば従うまでだ。
何だかんだ組織の一部であるはずの自分は組織の内情はまるで理解していないし、自身の身を脅かされているアレンさんの目から見て非常事態に突入していないと判断できるのなら焦る段階ではないはずだ。
彼が目測を誤っている可能性もあるにはあるのだろうが、僕が何かを知ったり行動することでその手遅れな現状をどうにかできるとは自惚れられない。
準備ついでに町で息抜きしてくるといい。
そう言われただでさえ普段持つよりも多い支度金より更に上乗せされた硬貨入れを二人で大事に抱えながら部屋を出て、視線すら合わせないようにしている子供達とすれ違いながら施設の入り口まで向かう。
「すみません、通ってもいいですか?」
「ん? あぁ、構わないよ。アレンさんから話は聞いている、ローレンまで行く準備を今日はするんだってな。まだ日は高く大丈夫だとは思うがスリとかに気をつけるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
もはや形式だけとなっているような外出の挨拶を職員と済ませ、僕はココロと肩を並べて施設の外へと出る。
扉を閉め、歓楽街へと向かう裏道で近くに誰も居ないことを確認してからココロは口を開いた。
「大丈夫でしょうか、アレンさん……」
言葉に篭るは自責の念。
おそらくココロが僕の進言によりアレンさんに保護されたことで、貴族の下へ逃げるという計画に遅延が見られていることに対してだろう。
「僕達が心配することじゃないよ」
少なくとも僕自身はほぼ当初の目標通りの完成系と言っても良い段階だ。
縮地も修得できたし、不意を付くための暗殺技術、気配を消す術や毒や暗器を扱う知識も身につけた。
アレンさん特有の破壊魔法に、それを最大限活かす為に必要な体術を主にした総合武術も彼が教えることのできるほとんどをこの体に入れることができた。
あとは身につけたものを自分なりに吸収しアレンジすることと、アメ個人として高みを目指すための人として当たり前の伸び代だけ。この辺りは意識して訓練せずとも日々の経験で勝手に成長していくようなものだ。
僕とアレンさんならば今すぐにでも貴族の下へと向かうことができる。組織内でのアレンさんがどう扱われるかは時間が経つ度に悪い方へ傾く可能性を増やすし、貴族の募集が既に二年近く行われている現状も何時まで続くかわからない。
ただそれが、ココロの訓練を不十分なまま計画を起こす理由にはならなかった。
お金の問題もそう。人間の値段というものは理想よりは安いものだが、決して気軽に出せるほど安いものではない。
ましてアレンさんがココロを一人の人間として扱うと決めたからには、再度売り払ったり、危険な仕事で稼がせるわけにもいかない。当然支払った金額を忘れ、今からでも好きに生きろと捨て去ることもしない。
金額以外では責任と情がある。
奴隷から人間に戻すという人形に命を吹き込むような行為。人に生を授けた人間には、それを全うさせるだけの力を与え末を見届ける責任。
そして僕達は知っている。僕とアレンさんは知っているのだ。
ココロにどんな才覚があったのかを。それを見出し、実際に泡沫ではなく目に見えるものとしてそれがそこに存在したことを。
僕達と同じ道を歩ませるため獣すら傷つけることに心痛める優しげな少女に、刀を持たせこれから非道な道を歩ませると、歩むと決めた三人の決意。
心優しき少女を知っている。優しく、強い、傷つけることを悪と認識しながらも、その悪を自身が行う非情だと憎悪を呑みこみ、それでもどこかに皆が幸せになる道があるはずだと前を向き続けている少女を知っているのだ。
今持っている技術でも十分町の警備隊や冒険者として食っていき、アレンさんに自分自身を買い取ったお金を返済していくことは可能だろう。
でも僕達三人は、いや、僕だけでも確かに、決して譲れぬ一線を超えることは無くとも、何かが僕達を別つ時までこの少女を傍で見守って生きたいと、そう、思っているのだ。
故に、リスクを取らなければならない。
最も大切なアレンさんが猶予のない状況に追い込まれるまで、僕はココロに倒れる限界まで教えられることを全て教え続けなければならない。
矛盾していることはわかっている。アレンさんが一番大切だとわかっているのだ。でもそのアレンさんがココロのことを大切に思っていたり、ココロが僕達に報いたいと思っていることも何もかも守りたい。
そして総取りを目指した果てで、たった一つのミスを犯し何もかもを両手から零れさせたとしても、僕達はその理想を信じているのだ。
「これと、これ……あとこれぐらいでしょうか」
「やけに手馴れているね」
最後に雑貨屋でローレンに行くための準備を済ませていると、やたら手馴れているココロが印象に残る。
普段より体を拭く機会の減る郊外での生活で、体臭を誤魔化すために香水を躊躇い無く渡された資金で買ったり、衣服が破れても予備の服など一着持てれば良い程度の生活に裁縫道具は必須だ。
そういった品々を、僕が指示するまでも無く選び取っていくココロは異常だ。
これは才能が云々の話ではない、知識の問題だ。学校の授業でこういった部分は教えないし、僕やアレンさんが今まで教えた記憶も無い。
「ローレン出身なんですよ、私」
「……」
その言葉に僕は何も言わない。
施設内の子供達の間では……僕やココロを除いた間では異常な結束力が存在している。
それは大人という絶対悪が存在しており、それに害されている子供達は連帯感からかただ単純に身を守るためにか結束力を付ける。
ただそういった子供達の中でも、話題に出してはいけないタブーというものが存在していることも知っている。特に、何故このような場所に来る羽目になったかという過去、家庭環境や境遇、そういった話だ。
そしてココロは今それに類する話題を口にした。
"言っていませんでしたっけ"とそういった前置きが存在しなかったことから今初めて能動的に踏み込んできたことがわかる。
いや、そういった意図が無かったにしろ、その心の内、弱点を晒す行為は距離を詰めるということだ。
下手に地雷を踏みたくもないし、見せ付けられている地雷を踏んでその代償として仲良くなるつもりもない。故に、黙る。これに限る。
ココロは聞き流されたのを気にならなかったのか、それともこちらの心の内を読んでかそれ以上何も言わずに会計を済ませてお店を出る。
両手は買出しに出た荷物で埋まっている。その重みが明日からこことは違う場所……郊外での寝泊りや、ローレンでの生活を実感させた。
- 痛慣 終わり -




