106.心混じりて命は散る
「前方に四匹? です」
訓練をしていたままの足で害獣の被害にあっている区域に近い森へと入る。
しばらく歩いて獲物を探し、ココロは無事に反応を見つけたようだ。
「うん、あってるよ」
ココロの探知魔法の結果に、そう返す自分にルゥが重なる。
初めて狩りに出たとき、彼女が怯えている僕を見ていた感情はこのようなものだったのだろうか……いや、違うな。絶対に。
彼女も随分と変わっていた人柄ではあったが、少なくとも壊れているのか狂っているのかよくわからない僕の様では無かった筈だ。
獣と戦う。
僕は思う、問題ないと。今まで何度も戦ってきた相手、状況や状態は万全。
彼女は思っていたはずだ、問題ないと。全力を賭して敗れ死するのならそれもまた良いものだと。
獣を殺す。
僕は思う……いや、思わない。今更死体を積み重ねても僕は何も思わない。
彼女もそう思っていたのかはわからない。けれどもしかすると、罪悪感やプレッシャー全てを受け入れた上で何食わぬ顔をして日々を過ごしていたのかもしれない。
「四ならアメと二人でやれるな?」
「はい」
アレンさんの言葉に僕は頷く。
ウェストハウンドならまだしもただの体躯の小さいハウンドだ。
手を抜いて六匹相手もできたし、この程度なんて事はない。
二匹、状況やココロの状態が悪いのであれば三匹引き付けておいて、最低でも二匹彼女の手でやらせよう。
「近くで見ている。危なくなったらすぐに助けに入るから、あまり気負うなよ」
アレンさんはそう言ってココロの肩をぽんと叩き、木々の中へと消えていった。
別に彼女が傷つくことに怯えているわけじゃないのは皆が知っている。それでもその言葉と態度に、ココロはふーっと深呼吸をして刀の柄に手をかける。
すぐには抜刀しない。
敵が見えていないからではなくて、鞘の中で魔力が渦巻き、初めて抜刀した時にのみ強烈な一撃を叩き込めるからだ。
「怖いのならココロは何もしなくていいよ。そこで僕が傷つきながら、手を汚していく様をただ見ているといい」
準備を終えたココロを確認し、何か僕からも気の利いた一言を送ろうと思ったが口から出たのは限りなく悪意で満ちたそれ。
僕はまだ心のどこかで今朝見た夢の恨みを忘れていないのかもしれない。
「――大丈夫です、私もやりますから」
やらなければならないでもなく。やれるでもなく。
やる、のだ。自らの意思で、その暴力を。殺るのだ、命を殺めるために。
「行くよ……っ!」
そう宣言したものの間が悪く相手から仕掛けてくる。
……間が悪いわけではないか。ずっとこちらを警戒していて、アレンさんという成人男性が居なくなったら残るのは僕達少女二人。美味しい夕食に他ならないだろう。
視認できたのは案の定四匹のハウンド。
異常な様子を見せている個体が居るわけでもなく、この世界で言う雑魚四人衆だ。
「せいっ!」
こちらに噛み付こうとしてきた先頭一匹目の鼻っ面を殴りつける。
出鼻を挫くとはこういうことだと、先ほど感じた間の悪さに僕は言いたい。
破壊魔法は縛る。
完全に肉体だけで相手をすることにしよう。流石に魔法や武器をまともに使わず殴り殺すとなると分が悪くなるが、その分はココロに頑張ってもらうとしよう。できるのであれば、だけれど。
助走を付け噛み付こうとしてきた一匹目が、もつれ込むようにこちらへ寄って来るのを避けつつ二匹目の顎を下から蹴り上げる。
筋トレだけでなく柔軟もサボらなかったおかげか、ほぼ垂直に顎を蹴り上げることができた自分の体に感動しつつも、その渾身の一撃とも呼べる蹴りをくらった隙をすぐに覆い隠しこちらへ攻撃してくるハウンドを身を翻し避ける。
人間ならば顎に下から一撃をくらえば脳天まで響いて倒れそうなものだが、まぁ顔が横に長い犬だし脳に大した影響を及ぼさなかったのか。体温管理か、僕達の味を想像して出していた舌でも噛み切ってくれればよかったのだが、それも叶わなかった様子で。
「――シッ」
ハウンドを避けながらココロを見ると、口の隙間から空気が漏れ出すような音と共に、居合い切りを行い一匹目の顔を深く斬りつける姿が見えた。
「はあぁっ!!」
そのまま双方が前方に駆け抜けるかと思えば、ココロは反転し下から切り上げるように抜刀した刀を最上段に移動。
軽くステップをしたかと思えば、傷の痛みで反応できていないのかそこに居たはずの彼女目がけて駆け続けているハウンドに追いつき首を叩き落した。
大量の血と共に、落ちる犬の頭。
自分が成した事の事実を、感触と共に命を奪う事実の凄惨を見せ付けられた少女は一瞬の硬直を力付くで振り払い、近寄ってきたもう一匹のハウンドに腰に付けた鞘を帯から解き噛み付こうと開かれた口に挟み込んで傷を避けた。
待って、聞いてない。そんな戦い方できるって。
最低限戦えるとは言ったが、その最低限は刀を両手で持って、だ。
右手に鞘を、左手に刀を持って戦う戦闘方など僕は教えた記憶はないし、アレンさんが教えているのを見たこともない。
これは予定変更だな。さっさと僕の分である二匹を片付けて、恐らく戦闘という極限状態で咄嗟に閃いたココロの戦い方を見届けたい。
掴んで、破壊。
殴って、破壊。
一挙一殺を手早く成し遂げると、ココロは近かった距離をようやく開けて、残った最後の一匹と真っ向から向き合っている最中だった。
右手には鞘。手放す様子は無く、腰に戻す気配を見せず、明らかに戦うための術として逆手に持ち構えている。
左手には刀。刀身は既に赤く濡れており、若干片手で持つには長いその姿も少女は魔法で肉体を強化し御することができている。
ハウンドが動く。
ココロも動く。
振り上げた刀を、相手の牙が体に刺さる前に振り下ろすかと思えば、おそらくその光る得物に注視してしまっていただろうハウンドの横顔を鞘を振り上げることで叩く。
柄当てという技術がある。抜刀する時の柄を相手の当てる剣術、その応用のようなものだろう。
その意識外からの打撃に怯んだのも一瞬だったのは僕と同じ。けれどココロはその一瞬を刀を振り下ろす時間に当てた。
毛皮と魔力を引き裂き肉を抉る刃。けれどハウンドは止まらない。当然だ、本来両手で持ち正常な威力を確保できる少女の刃は、片手で振り下ろしただけでは重症に届かない。
《無垢な獣の断頭台》
詠唱が聞こえた。
ココロの、いやに冷血な静かな声。
その声に答え魔法陣は展開し、一つ作り上げた土槍は地面から飛び出し、怪我を負いながらも未だ抗おうとしていたハウンドの胴体を貫く。
突き上げられ、空に掲げられながら血液を口から吐き出すハウンド。その呼吸がまだ僅かながらに存在しているのは当たり所が悪かったのか、魔力を込める時間や量が足りなかったからか。
何にせよココロはその至らなさ、そして自身の未熟故に引き起こされている不必要な苦痛を目の当たりにしながら、しっかりと今度こそ両手で刀を振りかぶる。
「――ごめんね」
擦れながらも自愛の見える少女の言葉と共に二つのものが落ちた。
一つはハウンドの頭。命と共に、全ての苦痛から解き放たれる。
二つ目は雫。堪えきれず、僅かに零れてしまった頬を伝うそれが、宙にキラリと踊り消えてなくなった。
「凄いね、ココロ」
刀身に付いた血を振り払い、鞘に収め刀を腰に戻して息を吐いたココロに僕は素直にそう告げた。
「いえ、私なんかまだまだですよ。こうして必要以上の苦痛を与えてしまいました」
ココロはそう言って未だ頭部の無くなった胴体を突き上げていた土槍をそっと撫で崩壊させる。
その瞳は赤くなく、涙の跡さえ見えない。
僕はそれを凄いと言ったのだ。先ほど溢れさせてしまった感情を少なくとも表面に見えないほど抑え込むことに成功し、あれほど命を奪うことを躊躇っていたのにも関わらず今ではもう手早く片付けられなかったことに対し獣に申し訳なさを感じている。
無論技術面も素晴らしい。僕達でもここまで短期間で戦えるようにはならなかった。
「十二分だココロ、お疲れ様」
アレンさんもそれに満足してか木々の間から姿を現す。
ウチの父親ほどではないが、彼も体格は優れていて百八十センチほどあると思うのだが、僕に隠密の技術を教えてくれた師でもありまるで気配を感じさせていない。
何時か僕はアレンさんに追いつけるようなことはあるのだろうか……いや、それよりもココロに追いつかれないように急く必要があるかもしれない。当面の間は大丈夫だが、半年もあればこのペースだと怪しくなってくる。
「ありがとうございます……この子達はどうするんですか?」
周りに散らばるはぐちゃぐちゃになった四体のハウンド。
「今回は尻尾だけを持っていけば依頼完了だから適当に埋めて処理するつもりだ、毛皮も売れるが面倒だしな」
「食べたりとかはしないんですか?」
恐らく殺めた命を、少しでも有効利用したい心故の発言だったのだろうが、あまりにも無謀とも言えるココロのその提案に僕は何かを発しようとしたアレンさんを遮り口を開いた。
「マズイよ、凄く。やめたほうがいい、市場にほとんど出回っていない理由をよく考えた方がいい」
「そんなにですか?」
その言葉に僕は深く頷く。アレンさんも頷いた。
害獣筆頭として駆除されるハウンドの肉が美味しければもう少し人類のやる気というものが出ると思うのだが……いや、もしかして肉を不味くすることで種として数を増やしたのだろうか。もしそうだとしたら頭いいな。
「まぁしかし」
頷いたもののアレンさんは少女の気持ちを汲んで言葉を発する。
「少しぐらいなら食べてみてもいいだろう。何事も経験だ、もしかすると気に入る味かもしれないしな」
「じゃあ僕が捌きますね、結構得意だと思うので。ココロも手伝う?」
はい、と元気な声で僕に近寄る彼女に、今まで知り合った中で唯一犬肉が好きだった少女を思い出す。
もしかするとココロなら、きっと彼女のように非常に不味いこの肉も受け入れられるのかもしれない。
久しぶりの解体が、体か頭か魂だかに染み込んだ動作を思い出すようにスムーズに動き行え、ココロにも概要だけ説明しながらなんとか食べられそうな箇所の、三人が間食程度に食べきれる分だけ切り取り残りは地中深くに埋めて処理をする。
ちなみに流石のココロもハウンドの肉は厳しかったようで、涙目かつ吐き出しそうになる体を堪えながら何とか用意されたものは全て胃の中に水で流し込んでいた。
「眠れないの?」
その日の夜、未だに心地の良い体勢を見つけられないのかベッドの中で遅い時間蠢いているのココロを確認し、僕はそう尋ねた。
過剰に仲良くなる気はないが、この程度のケアはしてあげてもいいだろう。明日や今後に影響が出られても困るし、もぞもぞと動いている理由を知りながら寝付くのは夢見が悪そうだ。
「はい……」
「どうかしたの?」
察しながらも敢えてとぼける。
彼女の口から言わせなければ意味がない。原因を自覚し、それを他者に話せることだと判断しなければ。
「殺めた命のことを考えたら、取り返しのつかないことをしてしまった、そう思ってしまってどうしても」
身を起こし膝を抱えるココロに、少し睡眠時間が削れることを覚悟しながら僕もベッドに座る。
「そう気負う必要はないよ。人が、生き物が生きていく上で必要なもの。
誰かが必ずやらなきゃいけない、誰かが見えない場所でやっている。作物を荒らしたり、人を襲う獣を倒したり、鳥や魚を絞めなきゃ誰もお肉を食べられない」
「わかってる、わかっているんですけど、どうしても割り切れなくて……」
そう口にするココロの声音に揺らぎはほとんど見えない。
この様子だと一人でも時間さえ経てばどうにかなりそうだ。ならばここで必要なのは。
「うん、気負う必要はないね。ココロが人を傷つける日もそう遠くはない、今からでも心構えをしておいたほうがいい。
僕達が生きていくためには、人並み以上に他者へ不幸を与えなければならない。今からでもその心構えだけでもしていたら、楽かもね」
「……」
僕の言葉にココロは何も発しない。
言葉を失っているわけではなく、ただ受け取った言葉の意味をしっかりと芯に馴染ませているようで。
「アメさんは」
「ん」
何分か経った頃、ココロは僕の名前を呼んだ。
「アメさんは人を殺めたことがありますか?」
「うん、何度かね」
今まで共に過ごしてきて、触れられなかった問いに僕は迷わず答えた。
これは今から彼女が歩む咎で、僕にはなんてこと無い事実。それにこういった質問が飛び出してくるのも想像できていたから。
「どういう気分でしたか?」
その問いに僕は少し悩む。どういうと聞かれても、無い物は無いのだから。
「何も感じなかった。うん、何も。今僕はすっかり人として壊れてしまっているけれど、昔初めて誰かを殺す必要があったときもわかりずらいだけで十分壊れていたんだ」
人の死に慣れていた。
それよりも大切なものが目の前に多すぎた。
或いは初めから、そういった感情を抱けない人間だと気づいていなかっただけかもしれない。
「どうしてそうする必要が……」
「ストップ」
一歩、更に踏み込んできたココロを押し留める。
今、互いに踏み込みあった瞬間ではあったが、その一歩は僕は許さない。
アレンさんすら行わない過去への詮索を、僕はしてほしくないんだ。
「もう今日は寝よう? 明日も訓練はあるからさ」
「はい、おやすみなさい」
言葉を遮られたのにもかかわらず、ココロは会話を始めた頃よりもスッキリとした様子でそう締める。
察せられて気遣われている様だが、この部分は甘えさせてもらおう。
何時までかは知らないが、今の僕にはまだ過去を乗り越えるには重過ぎる。
- 心混じりて命は散る 終わり -




