104.有数証明の方程式
「アメさん、おはようございます。朝ですよ、今日も頑張りましょう」
「……ん? ん、うん、おはよう」
意識が深い場所からココロの声で揺り起こされる、どうやら今日はココロが先に起きた日らしい。
最近熟睡できることが多い。
昨日も夜遅くまで魔法等を教えていて、訓練で疲れた体も合わさり寝れる条件が整ったこともそうだが、同じ部屋に暮らすココロとそれなりに親しい……少なくとも警戒心を抱かない段階までは落ち着けたことも大きいのだろう。
「ココロはいつも元気だね、頑張るとどうなるの?」
まだ寝ぼけている意識を起こすためにも、適当な話題で対話を試みる。
「頑張れば頑張った分だけ楽になります」
「楽できる時まで生きていたらその努力も報われるだろうけどね」
まぁその努力が死ぬ機会を少しでも減らすのだろうけれど。
何にせよ本人が疲れを表に出していない現状は好ましい。
吸収が早いとは言えその速度や、教える時間の限界いうものは存在する。少しでも技術修得に時間を割くためには本人の肉体や精神に余裕が残っていることが一番だ。
ここで挙げられる異常な点は魔法を扱えるようになるごとに体の疲労は目に見えづらくなり、精神面もできることが増えたり、僕とアレンさんと接するたびに活力を増やしていることだが、まぁこれは今更か。
いずれその正のエネルギーも必ず曇る時が訪れる。その時少しでも回復が早くなるように、曇りが長引いても今の内に能力を稼いでいられるようにこれからも頑張ってもらいたい。
- 有数証明の方程式 始まり -
「アメさん、今日習ったことで少しわからないことがあるんですけど……」
午前の授業に午後の訓練が終わり、何時も就寝前に自室で何かを教える時間にココロは改まってそう切り出した。
訓練といえば僕の縮地の修得は新しい発展がない。あまりにも酷くて他の技術を少しずつ学んでいるのだが、それらは普通にすんなりと呑み込める事が多く余計にこの一つのイレギュラーに困惑してしまう。
「ん、何?」
「あ、ごめんなさい。言い方が悪かったです、午前の授業のことでした」
午前の授業は普通の小学校で習うような内容を学んでいる。
他の子供達の視線が厳しいことと、大人達の不満を買ってしまったとき痛い思いをすること以外は特に厳しいものではない。
話を聞いてみると割り算の考え方が少し間違っていて、上手く処理できていなかっただけのようだ。まぁ日常生活で一未満の数字などまず使わないので、この辺りは上手く掴みを理解できなければ難しいものがあるのか。
「割り算といえばさ」
気づけば僕は口を開いていた。
そろそろ今日教えるべきものに取り掛かっても良いが、特に慌ててこなす必要があるほどスケジュールに余裕がないわけではない。
――そう、少しココロをからかう時間ぐらいはあってもいいはずだ。
「1を3で割ったらどうなるかわかる?」
「割り切れず、0.33..になるんですよね」
これは今日習った分だ。
そして今からぶつけるものはふと思い出した計算式。
「じゃあ0.33..を三倍にしたら?」
「……0.99..?」
ココロはその正しい答えを口にしながら、その正しい違和感に気づいた様子で少し怪訝そうに首を傾げる。
「うん、正解。でもおかしいよね、3で割ったのに、3を掛けたら1に戻らないなんて」
本当におかしい。深く考えるだけ無駄のいろいろな都合によりそういうことにされている問題。
たとえば子供と大人の話、どちらが賢いのかとなれば後者と皆は言う。数の多い大人達が、数の少ない子供達よりも勝っていると主張したかったり、今まで積み重ねてきた経験で負けたくないその一心にそう言うんだ。稀に生まれるコウやココロといった才能を持っている人間や、特別な境遇を持っている、もしくは単純に僕のようなイレギュラーから目を背けて。
たとえば暴力の話。暴力を振るう人間と、暴力を振るわない人間はどちらが正しいのか。これも後者だと皆は言う。家畜の死骸の上で私利私欲のために争いながら、警備隊や騎士団といった武力を保有して。
「だから0.99..=1に等しいんだ」
そうであって欲しい。ただ純粋で、愚かなその願いが0.00....1を殺すのだ。
そして殺される。
今まで99回は大丈夫だったからと気を抜いて、その1%に多くの人々が死んでいく。
戦いで、警備で、ただ単純に道を歩いていて。
けれどその不条理からは目を瞑る。あるかもしれない存在に常に警戒をしていられるわけもなく、その不幸な存在を忘れるんだ……明日は自分の身かもしれないという事実と共に。
「――つまり、可能性は零じゃないんですよね?」
以前にも見せた怪しい炎が灯る瞳を見せながら、ココロはそう尋ねてきた。
僕がこの問いかけで望んでいた反応は納得できなくて唸る天才肌の少女、あるいは仕方ないと不条理を呑み込むしかないと悟る善意の塊。
けれどこれはそのどちらでもない。この瞳に宿る炎の意味も、返された問いかけの意味も僕には理解できなかった。
「どういう、こと?」
「えっと、必ず発生する事を100パーセントと言いますよね?」
「うん」
「先ほどアメさんが言っていた計算式をわかりやすく100倍にした場合、33.33..が三つで99.99..=100になりますよね」
「まぁそうだね」
数学の基本だ。
物事を考える際、あるいは計算をわかりやすくするためにでも全ての値に等しい数字を掛ける事は許されている。
「なら100パーセントありえないという言い回しは、実は99.99..パーセントありえないってことになるのかなぁ……と」
文面とは裏腹に言葉へ込められている感情は強い。
もはや疑問系では無く確信を抱いたその言葉に僕は何も言えない。
「――うん。零じゃ、無いんですよ」
ココロの瞳に映る炎は消えることはない。
久しくその幻視する炎に僕は恐怖という感情を抱いた、得体の知れないそれに抱くものと同じそれ。
それから僕は寝るまでにいろいろとココロに教えていたけれど、どこか彼女は足元が覚束無い様子で、僕もそれに釣られてか胸にもやもやとしたものを抱えることになった。
上手く捗らない授業を早々に終え、僕はベッドに入るがそれでもこの持て余す感情を上手く処理できる様子など無く、むしろ静まり返る室内で先ほど聞こえた声が脳の中を跳ね回る錯覚すら覚える。
"零じゃない"
それがどうした。
世の中に絶対なんてない、0パーセントと100%だけはありえない。もしくは結果だけを観測したのならその二つしか存在しないか。
わかっている、ほとんどのことは把握している。
わからないことは僕が悪戯心で困らせようとした問いかけで、ココロは何か不思議なものを抱いてその正体が掴めないだけ。
それなのにどうしてこんなにも胸がモヤモヤするのだろう?
それだけなのに、どうしてこんなに胸がモヤモヤしてしまうのだろう。
- 有数証明の方程式 終わり -




