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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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102.前に、進む

 朝。

 僕が子供たちからいつも以上に距離を置かれていること以外は普段通りで、昨日起こした騒ぎを考えると体罰も無い恐ろしいこの現状を確かめながら朝食を終える。

 今日と明日はアレンさんが言ったとおり休みだ。二日ながら許された僅かな時間を楽しむ子供達を他所に、僕は単身でアレンさんの部屋へと向かう。

 最中、最短距離である玄関付近を通りかかると、一人の男性と目が合う。


「アメ」


 名前を呼ばれ、逃げられないことを知った僕はザザのもとへ大人しく向かう。

 向こうがこちらを認識してしまえば終いだ。この閉鎖空間何をどうしても逃げようがない。

 昨日彼にしたことを考えると、その何倍もの苦痛を僕が襲っても仕方のないことだろう。それがたとえアレンさんが押し留めている行為だとしても、僕は甘んじてそれを受け入れようと思う。


「まぁなんだ、とりあえず座れよ」


 ザザの言葉に僕は無言で従う。

 子供達を見張る際、職員が楽に過ごすためのソファー。

 今まで子供が座っている光景を見たことがない場所に、僕は今彼と同じ場所で座ることを許されていた。


「……俺はあまり頭が良くない。だけどな、俺なりにいろいろ考えてみたんだ」


「はい」


 いくつかの悩む時に出る唸り声と、体内で刻まれる長針が何度か移動した時間を得てようやくザザは沈黙を破り言葉を発する。


「俺、お前にあの時膝を地面につかされたよな。子供たちやアレンさんの前で」


 その言葉に怒りの感情はあまり見えない。

 それよりも多くの、何か名状しがたい複雑な感情が言葉を覆い尽くす。


「普段ならカッとなって殴りかかりでもしたのだろう。でもお前はその前に言っていたな、どれだけ志が高くとも、実力が無ければ何の意味もないと」


 言ったような気もする。

 すぐ昨日のことなのに、何年も前の記憶をなぞるような感覚。怒りはここまでいろいろなものを欠けさせてしまうのか。


「怖かったんだ、もし不意を付かれた形じゃなくて、真正面からお前に殴りかかって、それでもまた同じように往なされると考えたら。

そうしたらどうなる。全力を出して、暴力で屈服されて、お前が正しいって証明することになる。そんなことを考えてしまったら怖くて動けなかった」


 情けの無い事を息を継ぐ間もなく、口から恥をかかせた張本人である僕に吐き出し続けるザザ。

 いつもならばなんと見っとも無い人間だと僕は見下していたのだろう……いや、今も見下してはいるのだが、それは愛おしいと僕は感じたのだ。

 まるで幼子が制御しきれない感情に振り回されるようなその様。それをどうにかしてあげたくて、僕は立場を忘れて言葉を渡す。


「僕が言うのもなんですが、それは人が誰しも抱いてしまう欲求です。

何か大切な出来事を目の前にして、例えば自身の能力や価値を計られるような場で、空から星が落ちてきたりとか、体調が悪くなって万全を期せなくなったとか」


 言葉を遮り語り始めた僕を、ザザは怒りを見せる様子も無く次の言葉を待っているの確認して続ける。


「誰しも怖いんです。全力を出して、それでも結果を出せなかったら。そう考えてしまったら何か外的要因で、自分とは関係の無いことがきっかけで自分にとって大切なものがそれどころじゃなくなって欲しいって」


 僕も今でも抱き続ける感情だ。

 幼い頃から、そう前世の幼い頃から超越できないそれを、僕は偉そうに他者に語る。


「でも、人は歩みを止めません。どれだけ恐ろしくても、どれだけ痛い目にあった記憶があっても"そこ"に何かがあるのなら、怯えながらも手を伸ばし、前に進むのが人間という生き物です」


 竜の先にそれはあった。

 僕達は歩き続けた。


「手を伸ばさなければ、前に進まなければそこに届くことなどありえないのだから」


 竜の先にそれはあったはずだ。

 僕達は誰一人辿り着けることはなかったけれど。


「そうか」


 一つ、思わず反射的に零れてしまったような言葉。


「……そうか」


 二つ目は、しっかりと飲み込み理解した上で出てきた言葉。


「進まなければ、届かない。あぁそうだ当たり前だ。自分が望んでいるのに、望んでいる対象が自ら歩み寄ってくることはありえないんだ。向こうからやってきたそれは、もはや俺のそれではなくて」


 そう一人呟く彼に、僕は温かさを感じた。

 今はまだ燻っていて、とても小さな火だが、いつかは大きくたくさんの人々を温めるかもしれないそれ。


 それすら、今の僕には眩しかった。

 いつか抱いていたのにもかかわらず、もう口にすることすらおこがましいと自覚できるほど僕はその理屈から遠く離れてしまった。


「……ほら礼と、口止め料だ。今聞いたこと、誰にも言ってくれるなよ」


「はい」


 そう恥ずかしそうにお菓子を突きつけてくるザザに、僕は初めて好意というものを抱いたのかもしれない。

 貰った菓子は、少し塩が効き過ぎていてしょっぱかった。


 ……ほんと、僕が言うのもなんだけど、だ。

 前に進み手を掴んでいた人間を谷底に落としてしまい、臆し前に進むことをやめてしまった僕には、だ。



- 前に、進む 始まり -



「どうした、アメ。明日まで訓練も休むつもりだぞ」


 アレンさんの自室をノックし、来客が僕だとわかると彼はそう言った。


「話があります」


「――そうか、入れ」


 いつもより感情を込めて告げたその言葉に、アレンさんは普段とは違う話があるのかと察してくれて中へ招き入れる。

 二つある椅子の双方が埋まると、僕は早速本題を切り出した。


「僕の同居人、ココロですが、僕と同じような待遇を与えられませんか?」


「詳しく話してくれ」


 良くも悪くもない感触。

 あくまで客観的に状況を見て、損得勘定を正当に行えるようなその姿勢。

 上手く僕がココロの有用性をプレゼンテーションできたのであれば、針に糸を通すことが可能かもしれない。


 僕は必死に、アレンさんに思い出せる限りのココロの有用性を伝えた。

 魔法を能動的に扱えないものの自身の治癒を促進できるほどの素質は備えていること。

 観察眼に優れ、目に見えぬ人の細かい機微に反応できること。

 利き腕を選ばぬ器用さに、相手に合わせて対応を変えることのできる思考の柔軟さに判断能力。

 そして何よりその精神。僕が今まで見てきた誰よりも純粋で、強固で。

 堪え難い痛みを堪え抜く強靭さ、非道を行った人間を赦す慈愛の心。


「――知識も武術も魔法もまだまだですが、彼女は長い目で見るのなら僕よりも優れた素質でアレンさんに有益な結果をもたらすと思います」


「ふむ」


 三度目の生というふざけたずるで素質を誤魔化している僕の言葉に、アレンさんは神妙に一つ頷き思考を巡らせる。

 容易に判断できる事柄ではない。

 例えば僕と同じ存在がもう一人増えたとしても、ある程度は事情を話さなければならないことからアレンさんの情報を知る人間が増えて単純にマズイ情報が漏れる可能性が増えること。

 情報が漏れなかったとしても奴隷一人を手元に追加で置くことは、アレンさん自身の懐が苦しむのか組織への立場を危うくするのかはわからないが負担が増えること。

 最後に時間と労力を彼女に追加で割かなければならなくなる。これは僕がどれだけ負担しても、そろそろ貴族の下へ向かうことを考え始める時期だった期間を後ろへ確実にずらす。

 その分寿命が減るなんて単純なものであれば良かったのだが、いつ首を切られかねない立場を押し付けられているアレンさんにとっては途端に寿命が減る可能性が増える。見せしめのための尻尾として切られることは無いかもしれない、けれど今日明日にでもその日はやってくるかもしれない。


「わかった、ココロだけだな?」


 あの威勢の良い少年も並々ならぬ精神に、人並み以上の才を持っているがココロほど特筆するものはない。


「はい」


「ならば明日からでも早速取り掛かるぞ。あらかじめ伝えておくが、すまないがこれ以上は抱えきれない」


「無茶な願いを聞き届けてくれてありがとうございます」


 深く礼をしながら、そっと胸を撫で下ろす。

 僕一人でも当然負担になっているはずだが、更に追加で一人ともなれば限界などとうに超えているだろう。

 提案が呑まれる可能性はかなり低いものと見ていた。けれどその僅かな可能性が、一人でも少女を人間として生きるきっかけになるのだとしたらそれは喜ばしいことだ。


「……どうして、聞き届けてくれたのですか」


 その問いで気が変わるかもしれない。

 けれどそう改めて実感すると、確かめずにはいられなかったのだ。


 僕の言葉にアレンさんは少し口角を上げて珍しく微笑む。


「相棒が初めて真剣に頼み込んできた願いだ。叶えてやりたいと思うのは何もおかしなことではないだろう?」





「提案、通ったよ。余裕が無いし明日からでも今までとは違う生活を送ってもらう。

今まで教えられなかった知識に武術や魔法を、アレンさんを裏切りさえしなければ幾らでも教えてあげる。でも、これから休みは無いと思ってね」


「――はいっ!」


 僕の報告にココロは子犬のように踊り出しそうになる感情を堪えた。

 この調子に誠実な性格を考えたら、自活できる能力を手に入れた瞬間姿を暗ます心配も要らないだろう。

 ただ、他の懸念に僕は言葉を付け足す。


「アレンさんに口は利いてあげたけど、ココロとは必要以上に仲良くするつもりはないからね」


 名前を呼び合っても、同じ部屋で寝泊りしていても友達なんかじゃない。


「わかり、ました」


 詰まる言葉の奥に覚悟を見せるココロを前に僕も改めて覚悟を決める。

 単純に過去へ縋りたいから今隣にいる彼女を蔑ろにしたいわけじゃない。


 僕は落ちる場所まで落ちてしまったから。

 ココロには僕が持っていないものを持っていたから。

 故に僅かでもこちら側へ近づいて欲しくない。侵食されその輝きを失って欲しくない。


 何時までも、僕の遠い憧れの星で居てほしいんだ。

 夜空に輝く、暗闇を割く月明かりのように。遠く、優しく。



- 前に、進む 終わり -

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