101.麗月を赤く染める
それからアレンさんが子供二人の傷を治し、学校へ帰るまでは特に揉め事は無くスムーズに事が運んだ。
子供や大人の心中を詳しく察することはできなかったが、僕に対する心の距離がいつも以上に酷く遠かったのだけはわかる。
「二日、休日を作る。子供達も施設内なら自由に過ごせ。職員も玄関の見張りさえつければハメを外しても良い、ただ二度目の怠慢は許さないし、子供達へ危害を加えるのも厳禁だ」
「……わかりました」
アレンさんの言葉にザザが答えただけで、僕達はロビーで各自解散をする。
ザザと子供達は僕から逃げるように立ち去り、僕はただいたたまれない気持ちで拳を握り立ち尽くす。
この拳で、僕は理不尽な暴力を振るった。今まで怒り狂った時に敵へと向けたそれとは違う。ただ純粋に気に入らないものに対しての、純然たる悪意。無垢で無辜なものを害する、僕の何よりも与えることを気に入らないもの。
「アメ」
僕を呼ぶ声がして、ビクリと身を竦める。
「疲れただろう。脱走の報告と子供達の護衛ご苦労だった、ゆっくり休むといい」
その言葉に肩へ入った力を抜くことなどできなかった。
拳をより強く握り、歯は歯茎を圧迫し血が滲むほど強く噛み締める。これでもまだ子供達が負った痛みには追いつかない。
僕は一体何をしているんだ。僕は一体、アレンさんに何を言わせているんだ。
誰よりも子供達の身を案じ……案じるが故に過剰に暴力を振るう。ここでの生活は酷いものだったと、何時か幸せな環境を手に入れられた時に子供達が笑えるよう。ここよりも酷い環境に行った時、少しでもその苦痛が身を苛まないよう。
歪み、堕ち、それでもなお自分なりに子供達を想う男性を僕は知っている。
「……」
ただ一言、はいと答える余裕すらなく僕はその場を立ち去る。
口を開けば余計なものを零してしまいそうで、制御できない自身が何よりも怖かった。
- 麗月を赤く染める 始まり -
「アメさん」
僕は呪った。
自室に入り、小窓から差し込む月光を浴びながら僕を待っていた少女が、こちらへ敵意を見せていないことに僕の未熟さを呪った。
あれだけ酷い行いを身に受けたのに、彼女は未だ憎悪を知らず。
「未熟だった私に……いえ、未だ未熟な私達を叱ってくれてありがとうございます。私達は何も知らない、何が正しいのか、世界を見る瞳も持たず、その正しさを主張するのに必要な力も」
少女は腕を撫でながら僕を見つめる。
今も痛みが続いているわけではない。アレンさんが確かに治した傷の痛みを、ただ愛おしそうに思い出しているだけだ。
「別にキミ達のためじゃない。僕は僕のために怒って、ただ好き放題に当り散らしただけだ。本当に……ごめん、キミにも酷いことをしたね。腕、痛かったでしょ」
僕の言葉に少女は微笑む。
「そんな顔しないでください。私はアメさんを恨んでなんていないし、他のみんなだって時間が経てば今日という日がどんな意味を持っていたのか理解できるはず」
「今日という日に意味も、価値すらもなかった。忘れたほうがいい、僕の存在含めて。まだしばらく同じ部屋で暮らすことになると思うけれど、もう近寄ろうだなんて思わない方がいいよ。
僕は僕自身を制御できない。傍にいる大切な人すら守れない僕は、これからキミにどんな振る舞いをするか想像もつかないんだ」
少女は月明かりのもとから僕へと手を伸ばす。
その姿はあまりにも眩し過ぎた。けれど、目に刺さるような痛みは伴わず、純粋に美しいと思ったんだ。
「大丈夫ですよ、どこまでも純粋なあなたを私は知っている。
慕う人のために尽力を尽くせるあなたを、失った過去を何時までも大切に抱くあなたを、許せぬものに対して正しく怒りを覚えられるあなたを。
だから、大丈夫。あなたは悪意を持って動くことを知らない、結果非道な行いになったとしても、その根源はとても清らかなもの。だからその怒りを私は堪えてみせる、堪えられるから」
寂しさを、何時か少女が言っていた寂しさを、この手を取ることで紛らわせるのだろうか。
慈愛に満ちた少女は僕に空いた穴を慰め、新しく心地良い物としてそこを埋めてくれるのだろうか。
――押し殺す。
甘えを可能性を思考を感情そのものを。たとえこの手が今まで触れてきた全てより優れていても、僕はあの温もりを忘れたくはない。
でも、この少女をこんな場所で朽ちさせるのは惜しいと思った。
能力人格ともに優れている人間が、奴隷として残りの人生を歩むと想像したらあまりにもそれは惨過ぎる話で。
一つの案が浮かぶ。可能性の低い理想論、夢物語に過ぎないそれは叶うとしても少女をガラスの靴を履いたまま焼けた大地を歩ませるようなもので。
「――名前、教えて欲しい」
「ココロ。ココロです、アメさんっ」
既に名乗ったはずなのに、もう一度無礼にも尋ねられるその行動を少女は心から嬉しそうに笑う。
「もしもそのありふれた自由が、今からでも堪え難い苦痛の先で掴めるのだとしたら、ココロはどうする?」
少しだけ僕の言っている言葉の真髄を探り、見つけた何かを自分の中で確かめた時間を要してココロは瞳に怪しげな炎を宿して頷く。
僕は手を伸ばし、一度下ろしていたココロの手が再び登ってくるのを掴み取り、月光の元からその光が当たらない闇の中に引きずり込んだ。
- 麗月を赤く染める 終わり -




