第2話【小学生時代】
小さなアパートからマンモス団地へと引っ越し終えた幸田家。そして晴れて小学生となった壮一。そんな壮一はそのやさしい性格と明晰な頭脳でクラス中の人気者になっていった。
が、そんな壮一にののしりを浴びせる生徒がいた。隣のクラスの少年である。彼は壮一のことを【サル】とののしった。
実は壮一の髪型は坊主で、学年にも坊主の生徒は2、3人ほどしか存在しなかった。その珍しさから【サル】とののしられてしまったのである。
ちなみに壮一は小学4年くらいではじめて自分の意思でスポーツ刈りというものにし、それまでは変わらず坊主一筋だった。
では、なぜ壮一の髪形はずっと坊主だったのか?理由はすべて文恵のいいつけどおりにしていたからである。
文恵は坊主が最も健康的ですっきりしているからという理由で、壮一に坊主頭を強制させていた。床屋に行けば壮一は『五分刈りでおねがいします』という言葉を毎回吐いており、もしも自分の髪型が坊主でなかったら【五分刈り】なる言葉は一生知ることはなかったと思われる。
スポーツ刈りにしてから【サル】とののしられることも頭を笑われることもなくなっていったが、壮一の胸には自分に坊主などというダサイ髪型を強制し続けた文恵への恨みが蓄積されていた。
そんな壮一も小学5年。新たな担任、新たなクラスメートと新たな小学校生活がはじまりを告げたのだが、壮一は小学5年にしてはじめてできるようになったことがある。なんとそれは……自転車である。
自転車━━こんなもの小学1、2年でほとんどの子が乗れるようになれるものだが、壮一は小学5年、11歳という遅すぎる年齢ではじめて乗れるようになった。無論、両親が自転車というものに無頓着だったためである。
もともと壮一の父は子育てにほとんど協力しない人物であり、子供の髪型、服装、しつけなどは文恵が担当していた。壮一の兄と姉は比較的早く自転車に乗れるようになったのだが、壮一ただひとりあれよあれよといううちに小学5年まで練習をさせてもらえなかった。そのため壮一は自分に自転車の練習をさっさとやらせくれなかった母に憎悪を抱いたものだった。
そんなある日のことである。自転車に乗れるようになったのが嬉しくて嬉しくてしかたがない壮一は、文恵とふたりで自転車で買い物に行くことになった。
そのときである。買い物に出発する前に文恵が友達とばたりと会い、しばらく立ち話をはじめた。
その立ち話の中に、壮一が耳を疑う発言が含まれていたのだ。
「いやー、うちの壮一、最近自転車に乗れるようになったのよ、うふふ」
文恵の発言である。
この発言に友達のおばさんが『あら、そう?壮一くん、もうけっこう大きいと思うけど……?』と不思議そうな様子を見せた。
その一部始終を見守っていた壮一は、メラメラとした怒りの炎に全身が包まれていくのを感じた。
自転車に乗れないがために何年も恥ずかしい思いをし続けてきたというのに、友達に息子が小5になってはじめて自転車に乗れるようになった事実をしゃべるなどとは━━壮一は顔を怒りと羞恥心で真っ赤にして母をかすかに睨みつけてしまった。
坊主頭、自転車━━このふたつの難問をなんとかクリアした壮一だったが、さらにもうひとつ新たな壁が出現するのであった。
それはある日の授業中のことだった。教室の前に出ての朗読を終えた壮一を見ながら、ひとりのクラスメートがこういったのである。
「ねえねえ、昨日と同じ服着てない?」
その瞬間、クラス中の視線が壮一の全身を貫いた。壮一は『えっ?』となって立ちつくすしかなかった。
厳密には昨日と同じ服ではなく2日前の服と同じ服だったのだが、壮一がわずか3着ほどの服をかわりばんこ着続けていたのは事実だった。
幸田家は裕福ではなかったものの、子供に3着しか服を買ってあげられないほどの極貧というわけではない。それだというのになぜ壮一には3着しか服がないのか?
これもやはり文恵が原因だった。文恵は【着れればなんでもいい】という考えの人で、服を何着持っていようとデザインがどんなものだろうとまったくおかまいなしだった。そのため壮一はわずかなダサイ同じ服を着続けなければならなかったのである。
それでもまだ幼い壮一は、そんな母に対して明確な疑心暗鬼を抱くまでにはいたらなかった。
が、なにもかも母のいうとおりに日々をおくり続ける壮一の人生は、小学校時代が最後になるのであった……。




