トウキョウの初日
その日、ある物が僕の家に届いた。
呼び鈴の音でドアを開けて、それを受け取った。
はやる心を抑えて受け取り印を押し、代金を払う。自分の部屋へと運ぶ。
宅配の箱を開け、中身を取り出す。
見た目は巨大なサングラスだ。
サングラスは仮想空間で遊ぶための本体、ゲームはその中に入っている。
ゲームの名前はトウキョウダンジョン。今日が初公開だ。
運営している会社のキャンペーンで、本体を含めて八割引。
さて、電源を入れよう。
さっそくトウキョウに出発だ。
顔に掛けて横のスイッチを押す、それだけで違う世界が目の前に現れる。
ゲームで使う名前、これは決めている。
数人作る内の一人だから『イチロウ』だ。
名前を決めたら操作の説明、それだけで終わった。
本体が安いから、細かい設定もできないし。
じわじわと世界に色が付き、風が吹いて音が聞こえる。食べ物の匂いもする。
周りで興奮した声が聞こえる、仮想空間にあまり慣れていない人だろうか。
最初は町を見て回る予定だったから、それを尻目に歩きだす。
ざわざわと騒がしいのはゲームをやっている人数が多いからか、あちこちで話し声が聞こえる。
真横を箒にのった魔女が通り抜ける、鎧を着た騎士とすれ違う。
ファンタジーだけかと思ったら、銃を腰のベルトに差している人やスケートボードに乗った人まで、色々なタイプが居る。
遠くを見るとコウサテン、それに有名なビルがいくつか。
見上げればトウキョウタワー。汚れでくすんでいるが、このゲームには欠かせない建物。
このゲームは、トウキョウタワーの中にあるダンジョンをクリアする、それだけのシンプルなゲームだ。
時代の設定は百年後、ダンジョンの数は百個。分かりやすい。
タワーを見上げながら歩いていると、その根っこにたどり着く。
目の前にある、大きなガラスのドア、そこを開ければダンジョンの一つ目だ。
ちょっとワクワクするね。
ドアの取っ手をつかんで、引いた。
一歩中へと踏みだす。
そして、世界が色を変えた。
背後でガラスの扉が閉まる。
足元に草が出現する。
緑色が視界一杯に広がっていき、やがて現れたのは草原。
青い空、白い雲、それに混じる戦闘の音。
周りには半透明のスライムが何匹も居て、他の人はそれと戦っている。
僕の方にも、もそもそと青っぽいスライムが寄って来た。
ちょっと早いけれど、戦ってみる。
背負っていた武器の柄をつかみ、体の前に持ってきて構える。
武器の名前はウイングブレイド。全長二メートルを超す大きな剣で、白い羽毛が全体を覆うように生えている。
ニワトリの羽を想像してもらうと分かりやすい。
さて、その"ニワトリの羽"を構えてスライムに振り下ろす。
かなり雑に。
手元でカチッという音がする。
振り下ろした剣が、スライムに当たる直前で止まる。
そして剣の羽毛が逆立ったかと思うと、狂った様に暴れだした。
慌てて手を離す、剣が空中で縦に回転する。
そのまま刃が僕の肩に食い込み、その一瞬で持ち主のHP(体力)を八割以上削りとる。
次に、スライムが体当たりしてくる。
ダメージは一桁、だけれど僕のHPはそれでゼロになった。
暗転する視界の端に、空中から地面へと落下する剣が見えた……。
空が見える、草原の青い空じゃない。
灰色の、トウキョウの空だ。
放心状態だったみたいだ、とにかく起き上がる。
そこで気づく、ウイングブレイドが無い、あっちに落としたままか。
人ごみ、話し声。
さっき歩いていた時と、何も変わらない光景。
何が起きたのか、確かめるためにもタワーに行こう。
ちょっと歩けば、さっきと同じ扉の前。
ガラスの扉を開ける、一歩中へ踏み出すと周りが草原になる。
背中に重い感触、慌てながらも、手に持って確かめる。
ウイングブレイドが戻ってきたみたいだ。
落としたから、探さないといけないのかと思っていた。思っていたより親切だ。
もう一度、両手で柄を握ってウイングブレイドを構える。
親指の辺りに硬い感触。
柄をよく見ると、四角い鉄のスイッチが付いていた。
スライムから離れて、よく見る。
うん、やっぱりスイッチだ。
さっきはこれを押したのか。たしか羽毛が逆立って……。
もう少しスライムから離れて、ウイングブレイドを地面におく。
恐る恐るつま先で四角いスイッチを踏むと、さっきと同じように暴れだす。
大きい剣が地面の上で暴れるというのは、ちょっと怖い。
そして、ウイングブレイドの羽毛が逆立って、消えた。
慌てて周りを見回す、すぐに見つかった。
地面に置いた向きのまま、離れていたはずのスライムに突進している。
背から風を吐き出しながら、刃がどんどんスライムに食い込んでいって、ついにスライムが砕けた。
視界の下の方に、お金と経験値が手に入ったと表示が出る。
初めてのスライムは、まぐれで倒したみたいだ。
剣は暴れるのを止め、金属の柄から金属の空薬莢を吐き出した。
ウイングブレイド、趣味で選んだ武器だけれど、やっかいな武器になりそうだ。
近くまで行って、柄をつかんで持ち上げる。
今度はしっかり握る、スイッチは触らないように気をつける。
よたよたと近寄ってきたスライムに、振り下ろす。
一ダメージ、一桁じゃなくて、きちんと表示されて一ダメージ。
スライムの方も、軽く突かれたくらいの感じだ。皿に乗せたゼリーの様に揺れている。
もう一回、もう一回、全ての表示が一ダメージ。
今度はスイッチの効果を試してみる。
柄を両手でしっかり握り、両足を踏ん張ってからスイッチを押す。
ウイングブレイドの羽毛が逆立ち、強い風がブレイドの背から噴き出す。
暴れる刀身を強引に抑え付けて、スライムに刃をぶつける。
十ダメージ、スライムは砕け散った。
喜んで顔をあげると、横にも同じ様にスライムと戦っている人が居た。
剣がスライムを掠める、十ダメージの表示が出た。
周りを見回すと、魔法使いが杖でスライムを殴っていた。九ダメージ。
初心者らしい人をしばらく観察しても、七より低いダメージは珍しかった。
その少し後、僕はふてくされながら商店の前に立っていた。
あの後も草原で粘ってみた。
ウイングブレイドで切るダメージは二に上がった。
周りでスライムと戦っていた人は、二十ダメージまで上がった。
差が開いていくばかり。他の武器に変えることができないかと思って、店まで来た。
練習用の剣でも、ウイングブレイドより攻撃力があるみたいだ。
「すみません。練習用の剣を買いたいんですけど、ありますか?」
商店の店主に声を掛ける。白と茶色を基本にした布を服代わりに巻き付け、木のお椀を逆さにしたような帽子を頭に被っている、耳との隙間には飾り羽が挟んであった。いかにもファンタジーという格好だ。
「あんた、ウイングブレイド使いかい?」
僕の背中を見た店主が、日本のファンタジーRPGでよくある質問をしてくる。
「そうですけれど」
答えると、店主はこう言った。
「ウイングブレイドからほかの武器に変えるには、五百円必要だよ」
視界の左下にある、所持金表示を見る。手持ちのお金は、ゲーム内の通貨で六十五円。
「すみません、また今度にします」
結局その日は、時間ギリギリまでスライムを倒しても、五百円が集まらなくて。
僕のトウキョウでの初日は終わった。